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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

8月16日 その2 16年振りのトランプ大統領とプーチン大統領の会談

2025-08-16 14:46:12 | コラム
会談終了後のプーチン大統領とトランプ大統領:

会談が終わって直ぐに始まった記者会見で、プーチン大統領が堂々と原稿を読み上げたのには、傍観者だった私も非常に驚かされました。しかも、その原稿には「生産的な会談だった」と既に書かれていたのです。これは、会談の進行や結論を事前にある程度以上は読み切っていた証拠とも言えるし、ロシア側の準備の周到さを示しています。

一方のトランプ大統領は、記者会見中にしばしば右側に目をやり、スタッフの合図か資料を気にしているようでした。私は原稿を読んでいたプーチン大統領に対して、何時ものトランプ大統領であれば皮肉の一つも言いそうな気がしていました。だが、今回は敢えてそうはせずに、プーチン大統領と同じく「生産的な会談だった」と同調して見せました。これは、対立を演出するよりも、その場を穏やかに収める方が有利と判断した結果だったのかもしれません。

なお、会談の形については、事前には「通訳のみを伴う1対1」と伝えられていましたが、実際には双方から2名ずつの補佐官が同席し、3対3の形で行われました。報道と現実に食い違いが見られた点も、この重要な会談の一側面として記録しておいても良いのかなと思いました。

私は今回の会談の結果はプーチン大統領にとって「一歩前進」だったと言えると思います。とは言え、それが直ちに決定的な成果に繋がっていく訳ではないのでは。私はアメリカとロシアの交渉を全体的に見れば、未だ序盤であるに過ぎないと読みました。今後の展開は「トランプ陣営の戦略ティームが、作戦をどのように修正し、プーチン大統領対策を整えられるか」に懸かってくるのでしょう。

トランプ大統領の努力を評価しよう

2025-08-16 07:09:05 | コラム
「アメリカファースト」だけではない:

本稿の執筆中には、未だアラスカのアンカレジでのトランプ/プーチン会談の結果は明らかではない。この記念すべきかも知れない大会談の前から、トランプ大統領ともあろうお方が「結果が出ないかも知れない」と予防線を張っておられた。就任前には「24時間で収束させる」と勢いが良かったが、名にし負う強者のプーチン大統領が相手では、流石のトランプ氏でも「予防線張り」まで後退された。

トランプ大統領は一方では、親しき間柄であるイスラエルのハマスに対する飽くなき攻勢も食い止めるべく努力をしておられる様子だ。だが遺憾ながら、ネタニヤフ首相は一向に強硬姿勢を変える意志の欠片も示さないのだ。私には感情的すぎるのではないかと思わせられる国際的な反イスラエルの姿勢や報道にも、ネタニヤフ氏はめげることが無いとしか見えない。

これらの二カ所で続いているのが、諍いなのか、紛争なのか、戦争なのかは私には解らない。だが、「辞めなさい」と介入するのか「仲裁する」のかは不明だが、何れも嘗ては世界の警察官だったアメリカのトランプ大統領の出番ではないのと見ている。トランプ大統領も「ノーベル平和賞」の獲得を目指しておられる以上、tariff作戦以上に“must”な命題ではなかろうか。

アンカレジで専用機から降り立たれた時の顔付きは、勝ち誇った表情でtariffを宣告される時とは別人のような険しさだった。待ち構えている会談の困難さを充分に意識してられると見えた。私はアメリカ合衆国の大統領たる者は、常にあの緊張感に溢れた表情で事に当たって貰いたいのだと思うのだ。

輸出入の取引がある諸国に「アメリカを貪るな」とtariff作戦を仕掛けるだけではなく、世界の平和も視野に含めて貰いたいのだ。今回の会談で先ずはウクライナでの停戦に持ち込める準備態勢を整えて貰いたいのだ。次ぎが対ハマスとイスラエルの調停であり、その先にこそ「ノーベル平和賞」が待っているのではないか。“Hang in there, Mr. Trump!”と激励して終わる。

戦後80年などと軽々しく云々して欲しくない

2025-08-15 09:00:02 | コラム
あれから84年経ったのである:

昭和20年(1945年)8月15日の事は、今でも鮮明に覚えている。いえ、昭和16年(1941年)12月8日以来の4年間に我々がどのような思いで、どのように生活してきたのなどは忘れたいが、キチンと覚えている。俗っぽく言えば「戦争の時代を知っている、経験した年齢層」だから言える事と、言いたくなる事柄もあるのだ。

戦争が終わった時に私は13歳で中学1年生だった。マスメディアや所謂有識者が如何にも物知り顔で「戦争はこうだった」であるとか「戦争は悪である」とか「戦時中はこうだった」であるとか「何故日本は無謀な戦争をしたのか」と言い、テレビがあの頃の特集風の番組を組むのを、苦々しいというよりも不快な思いで見、そして聞いている。

言いたくなる最も肝心な点は「貴方たちはあの頃を経験しておられず、言うなれば伝聞に基づいて云々しておられるだけではありませんか」という辺りだ。特に気になるのは、石破さんが「見解」だか何かを発表されたくて、そこで「どうすれば戦争をしないように出来るか」を述べたいと言っておられたのを聞いて、率爾ながら申し上げたくなった事がある。

それは「貴方様は1957年生まれの68歳でしょう。戦後12年も経ってからお生まれでしょう。即ち、戦争を知らない世代でありながら、戦争を云々されるとは、僭越ではありませんか?我が国が戦争をするまでに至った経緯は伝聞でしょう。我々戦前から戦後までの国民が生存している現代にあって、何を仰せになりたいのですか」と言いたくなるのだ。

何も、石破さんに限らず「あの頃我々日本国民がそれこそ本当に一丸となって『敵米英』に勝とうと、耐え難きに耐えて聖戦を戦っていた精神状態が解るのですか」と問いかけたいのだ。私のような子供たちは「銃後の少国民」として、「天皇陛下をお護りせよ」と言われて懸命だった。中学1年生が軍事教練を受け、勤労や農村動員に出て行って働いていたのだ。

理解して貰いたいから言うのではない。あの頃は、我々子供でも「勝たねばならない。その為には」という悲壮な覚悟を持って励み、働いていたのだ。今となっては嘲笑するかのような声も聞こえたが、本気で一所懸命に「本土決戦の事態が生じた場合に」と、竹槍の使い方の訓練をしていたのだ。現代に戦争の是非を云々する人たちが、あの頃の精神状態を理解できるのか、いいえ、できる訳がないと思わずにはいられないのだ。

本当に食べる物がなくなり、豆の油の絞り滓をご飯の代わりに食べたし、何方だったか専門家が「農家に着物を持っていってお米と交換して貰った」と言っておられた。藤沢市ではサツマイモにしかならなかった。「物々交換」という言葉まで出来ていた。だから大変だったと強調しているのではない。あの頃の国民の精神状態を知らないで(知りようもないだろうが)、したり顔で「戦争は」などと言って貰いたくないのだ。

あの頃だったから成り立ったことで、全員が本当に「一致団結して『戦争に勝つ』という目標に向かって一路邁進していた」のである。誰か一人くらいは「あの時代にはこういう心構えで戦っていた」と語っても良くはないのかな。「人々の価値観がバラつかずに纏まっていた時期があったのだ」と。

繰り返して申し上げておくと「あの時代を礼賛しているのではない。あの頃を経験しておらず、知りもしない方々に、84年前から80年前になった時期のことを、少しは認識させたくて回顧した」のである。古古古米の味がどうのと贅沢な事が言える時代の有り難さに思いをいたして欲しいのだ。

田中将大の200勝達成失敗に「記録尊重」の虚しさを見た

2025-08-14 08:23:22 | コラム
昨13日のドラゴンズ対ジャイアンツを観戦して思う事:

中継放映したのがNTVだった以上、懸命に偉業達成へと盛り上げようとした姿勢を理解はするが、私は褒め称えようとまでは考えていなかった。そう言う理由は「マスコミが騒ぎ立てている200勝と2,000本安打は公式な記録ではない」のだからである。

ではあっても、田中将大は甲子園を沸かせた準優勝投手で、楽天では1シーズンに24勝もして日本シリーズを制覇し、MLBではヤンキースの主力投手として70勝(39敗)という記録を立てた一流の投手である。200勝を達成させてやりたいと思った阿部慎之助監督の侠気も理解できる。

そこで敢えて確認しておくと「投手の200勝」はNPB(日本野球機構)が公式に定めた記録達成基準ではなく、飽くまでも故金田正一氏が設立した名球会という私的な団体が入会資格として定めた基準である。それ故に、それを「国民的な偉業」や「名投手の絶対条件」として扱うマスコミの姿勢やファンの熱狂には、私などは一寸冷めた目でいると言うか違和感を覚えるのだ。そこで、より深く論じていけば、

200勝は公的か私的か?:
NPBの公式記録ではないのである。NPBは勝利数を記録として残しているが「200勝達成=野球の殿堂入り」などの公式な評価の基準として取り扱ってはいないのだ。

名球会の入会条件:
金田正一氏が1978年に設立した名球会は、投手なら200勝、打者なら2000本安打などを達成した選手を入会の対象と定めている。これは完全に私的な基準であり、NPBやMLBの公式な制度とは無関係なのである事を忘れてはならない。

マスコミの扱い:
メディアは「名球会入り=偉業達成」として報じる傾向が強く、これが「国民的な基準」として誤認されている原因になっているのだと見ている。私には、このようなマスメディアの報道の演出で、選手たちの成績とその価値を過剰に持て囃しているのではないかとも言えると考えている。

ジャイアンツの阿部慎之助監督の采配の疑問点:
私には公私混同と言うか、「個人的な成果の記録」と「公式記録」を混同してはいないかと、些か気になるのだ。楽天が3勝を残して自由契約にした後では、極端に言えば「衰えた田中将大の引き取り手がなかった状態を見た阿部慎之助監督が引き取って200勝を達成させようとした侠気」は評価には値すると思う。

私に目には田中将大が楽天に復帰した後の様子を見て「彼はMLBで完全に持てる力を使い果たしてきた。故に彼の投球にはアメリカに行く前の力が無くなっているし、真っ直ぐの速度が出ても球威は消滅している。これではNPBでも通用しない」と見切っていた。阿部監督はその田中を救おうとしたのだ。

ティーム状況との乖離:
ジャイアンツが首位阪神にはマジックランプが点灯して、大きく離されている状況である。その時に田中将大投手に勝利の機会を与える采配は、ティームの勝利より個人記録を優先しているように見えてしまうのではないかと思えてならないのだ。

監督の裁量と人情:
阿部監督が田中投手の偉業達成に協力する姿勢は、人情的な美談として評価されるだろうし、後世に語り継がれることかも知れない。だが、プロとしての勝負の世界に身を置き「、職業野球の時代からの球界の盟主の監督が「私的な感情を優先した」と批判される危険性も生じるのではないかと言う面もあるのではないか。

ジャイアンツファンやOBの圧力:
名球会入りの名誉を、恰もNPBの選手たちに課された「使命」であるかのように扱う雰囲気と言うか「空気」が醸成されているのではなかろうか。そして、その空気が監督や球団に「私的基準を達成しなければ、させてやらなければ」というような圧力を与えているのではなかろうか。だから、堅実な守備をする門脇が不慣れな二塁手に起用され、緊張感からあの肝心な時の悪投になったのではないのかな。あの大失策や私的基準が公的判断に影響を与えた結果だったと見たのは僻目か。

結論:
「200勝は私的な基準」であろう。200勝という大記録は、歴史的・象徴的な意味があるだろう。だが、制度的には名球会への入会の私的な基準であり、それを絶対視する家のようなマスコミの姿勢には疑問を呈しておく。

田中将大の勝利数がNPBからMBLの通算で198勝でも、既に大記録ではないのか。もしも、199勝に止まった場合には「大投手」ではないとでも言うのか。私に単なる数字遊びであるかのように見えてならない。重ねて言うが「阿部慎之助監督の侠気は評価しても、冷静に見れば「私的な価値観が公的な采配に影響している」と言える気がしてならないのだ。

何故合意文書を残さなかったのか

2025-08-13 06:32:13 | コラム
私の推理は間違えているのかも知れないが:

トランプ大統領は赤沢亮正大臣との会談で合意に達したのだったが、何故かその際に証拠(evidenceで良いと思うが)となる「合意文書」を残さなかった。このような異例とも言える方式について、後になって色々と論評が出たし、実際に肝心な点で認識に違いがあったことが直ぐに判明した。

ベセント長官に至っては「大統領は不満だったら25%に戻すと言っている」とまで宣言する始末だった。だが、交渉担当の赤沢大臣が9度目の出張で改めるよう申し入れたら「そうする」と認めるのだったが、自動車については時期を明らかにしていなかった。

この経緯を見て、私はトランプ大統領側の作戦とは如何なるものだったかを推理してみた。それは、長年アメリカ側で対外交渉を経験してきたからこそ見えてくる、アメリカ独特の万一の局面に備えた代案まで準備してくる交渉術なのである。

トランプ大統領側は事前に内部で練り上げた方式で、赤沢亮正大臣に対して「合意の内容を認めた法的な文書に署名するような正式な手順を経なくても、同盟国同士の間での合意である以上、形式は問題ではないだろうと提案しても、失うものはない。苦情が出た場合には訂正する」と計算した上で、押し切ったのではなかろうかという事。

要するに、何らかの齟齬を来した場合も想定して、その際に持ち出す代案(contingency plan)は用意してあったのではないかという見方である。だから、赤沢亮正大臣が再度ワシントンDCに赴いてクレームを付ければ、予め準備してあった代案を使って、いとも簡単に譲歩したかに見えたのだった。一見、非常に狡猾とも見える手法だが、アメリカ式では特に目新しいやり方でもないと思う。

即ち「如何なる場合でも自分の方に都合が良くなるように事が運ぶよう、設計されている」のである。私は我が国では各方面の専門家たちとマスコミが「トランプ大統領はビジネスマンだから」という枕詞を付けたがる。20年以上もアメリカの大手企業の一流のビジネスマンたちと付き合ってきたが、トランプ大統領は彼等と同じビジネスマンの範疇に入るとは認識していない。

今回の計画も「三人寄れば文殊の知恵」で、2人の長官と1人の代表が、企画し演出したのではないのか。即ち、トランプ大統領の周囲には大統領に忠誠を誓っただけではなく、一筋縄ではいかない有能な?ビジネスマンたちが配置されているのだ。このようなトランプ大統領率いるティームと対峙する以上、「次は如何なる手法で出てくるかと、常に警戒を怠ってはならないのではないか。