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新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

異常な高温・高質の下での健康管理

2025-08-18 08:06:34 | コラム
体調の維持と管理は難しいだろうな:

甲子園の野球:
昨17日は何気なく見た横浜高校の織田投手の体つきが何となくほっそりとしていて、前の試合の時の絶好調と見た体形と違うようだったし、前傾していた。それでも9回を投げきって「5安打、完封」だった。だが「何故、一夜にして体形が変わったかに見えたのか、表示では球速が出ていても伸びが感じられないかな」とは感じながら見ていた。

ところが、新聞報道等によれば   8月15日夜から食あたり(胃腸炎)で、翌16日は練習を欠席し、それでも本人が「監督、信じてください」「絶対投げます」と志願したので監督が起用した。試合当日はチームバスではなく別の車で移動するほど体調を考慮されたが、試合では106球も投げて完封した」と出ていた。

なるほど、あの猛烈で苛酷な気象条件で、しかも屋外で野球をすれば、足がつってしまう以外にも、織田君が示したような内科的な障害も生じる危険性もあると、改めて理解した。その弱っていただろう体調で、あの兵庫県の異常高温と高湿度の条件の下でも完投・完封した高校2年の織田君の精神力は賞賛に値すると思う。準決勝戦まで一日の休養日が入るので、その間に精々静養させたいものだ。

この織田君の内科的な問題の他に、何人かのグラウンドで足がつって歩行不能になって選手も見た。高野連が如何に試合開始の条件等に工夫を凝らしても、高校生たちは自然がもたらす悪条件を克服しきれないようなのだ。また、スタンドで一所懸命に応援する子供たちとその父兄たち、一般の観客も熱中症対策は怠りないとは思うが、さぞかし苦心惨憺だろう。「地球上の気象条件の悪化」には未だ人智が及ばないようだ。

先日もフットボールを大学まで経験していた息子たちと、この問題で語り合った。彼等は「最早、到底豊富な練習量で鍛えるとか、精神力を養うことで乗り切れる気象条件ではない。甲子園球場を屋根付きで冷暖房完備に改造するしか対策はないのでは」と見ていた。私も同感である。だが、そこまで行けばグラウンドは人工芝にするとの条件も出てくる。国立競技場のように、「予算」の問題も生じるのだ。

地球温暖化:
トランプ大統領は「地球温暖化などフェイクだ」という説を唱える方もおられる。だが、現実は何時終わるのかも知れない30度どころか40度を超える状況か各地で続いている。では、春休みに移すかと言えば、既に選抜大会が存在していると言うような、開催時期も問題ではないのか。

私は「時代は強烈に悪化した気象条件、乃至は高温・高質と多雨の下で、我々人類が如何に耐えて行くかの根本的な策を講じなければならないのでは」と考えている。男性も日傘さすかどうかの問題でもないだろう。この気象条件の変化にどのように対応するかの対策は、甲子園に屋根を付けるかどうか問題よりも、遙かに優先順位が高い案件であると思う。

何で「プーチン大統領の勝ちだ」などと言うのか

2025-08-17 07:37:23 | コラム
トランプ大統領の努力を評価しないのか:

昨日のアラスカでのトランプ大統領とプーチン大統領の会談の結果を、「勝ち負け」で論じても良い場合ではないと思う。トランプ大統領があそこまでプーチン大統領を厚遇して臨まれたのを何と心得るのだろう。現在は西側が総力を挙げて「停戦」させねばならない事態ではないのか。今回はトランプ大統領も彼の首に鈴を付け損なったが、次に開催されるだろう三者会談での成功に期待しよう。

私は演壇に立ったプーチン大統領の手元に、チラチラと「白い紙」が見えたので「流石、プーチン大統領。原稿まで準備してあったのか」と感心した。ところが、二男(フットボール経験者)は「簡単なことだろう。予め2~3本の原稿を用意して、会談が終わった時に『何番を持ってこい』と指示すれば済む事」と言うのだった。

そこで、不謹慎の誹りを覚悟して2句を披露しよう

>プーチンさん 仕込んだ原稿 朗読し

>プーチンに tariffもdealも 柳に風

トランプ大統領のファンでも何でもない私でも、トランプ大統領の渾身の努力を正当に評価する方が良いと思うのだが。

8月16日 その2 16年振りのトランプ大統領とプーチン大統領の会談

2025-08-16 14:46:12 | コラム
会談終了後のプーチン大統領とトランプ大統領:

会談が終わって直ぐに始まった記者会見で、プーチン大統領が堂々と原稿を読み上げたのには、傍観者だった私も非常に驚かされました。しかも、その原稿には「生産的な会談だった」と既に書かれていたのです。これは、会談の進行や結論を事前にある程度以上は読み切っていた証拠とも言えるし、ロシア側の準備の周到さを示しています。

一方のトランプ大統領は、記者会見中にしばしば右側に目をやり、スタッフの合図か資料を気にしているようでした。私は原稿を読んでいたプーチン大統領に対して、何時ものトランプ大統領であれば皮肉の一つも言いそうな気がしていました。だが、今回は敢えてそうはせずに、プーチン大統領と同じく「生産的な会談だった」と同調して見せました。これは、対立を演出するよりも、その場を穏やかに収める方が有利と判断した結果だったのかもしれません。

なお、会談の形については、事前には「通訳のみを伴う1対1」と伝えられていましたが、実際には双方から2名ずつの補佐官が同席し、3対3の形で行われました。報道と現実に食い違いが見られた点も、この重要な会談の一側面として記録しておいても良いのかなと思いました。

私は今回の会談の結果はプーチン大統領にとって「一歩前進」だったと言えると思います。とは言え、それが直ちに決定的な成果に繋がっていく訳ではないのでは。私はアメリカとロシアの交渉を全体的に見れば、未だ序盤であるに過ぎないと読みました。今後の展開は「トランプ陣営の戦略ティームが、作戦をどのように修正し、プーチン大統領対策を整えられるか」に懸かってくるのでしょう。

トランプ大統領の努力を評価しよう

2025-08-16 07:09:05 | コラム
「アメリカファースト」だけではない:

本稿の執筆中には、未だアラスカのアンカレジでのトランプ/プーチン会談の結果は明らかではない。この記念すべきかも知れない大会談の前から、トランプ大統領ともあろうお方が「結果が出ないかも知れない」と予防線を張っておられた。就任前には「24時間で収束させる」と勢いが良かったが、名にし負う強者のプーチン大統領が相手では、流石のトランプ氏でも「予防線張り」まで後退された。

トランプ大統領は一方では、親しき間柄であるイスラエルのハマスに対する飽くなき攻勢も食い止めるべく努力をしておられる様子だ。だが遺憾ながら、ネタニヤフ首相は一向に強硬姿勢を変える意志の欠片も示さないのだ。私には感情的すぎるのではないかと思わせられる国際的な反イスラエルの姿勢や報道にも、ネタニヤフ氏はめげることが無いとしか見えない。

これらの二カ所で続いているのが、諍いなのか、紛争なのか、戦争なのかは私には解らない。だが、「辞めなさい」と介入するのか「仲裁する」のかは不明だが、何れも嘗ては世界の警察官だったアメリカのトランプ大統領の出番ではないのと見ている。トランプ大統領も「ノーベル平和賞」の獲得を目指しておられる以上、tariff作戦以上に“must”な命題ではなかろうか。

アンカレジで専用機から降り立たれた時の顔付きは、勝ち誇った表情でtariffを宣告される時とは別人のような険しさだった。待ち構えている会談の困難さを充分に意識してられると見えた。私はアメリカ合衆国の大統領たる者は、常にあの緊張感に溢れた表情で事に当たって貰いたいのだと思うのだ。

輸出入の取引がある諸国に「アメリカを貪るな」とtariff作戦を仕掛けるだけではなく、世界の平和も視野に含めて貰いたいのだ。今回の会談で先ずはウクライナでの停戦に持ち込める準備態勢を整えて貰いたいのだ。次ぎが対ハマスとイスラエルの調停であり、その先にこそ「ノーベル平和賞」が待っているのではないか。“Hang in there, Mr. Trump!”と激励して終わる。

戦後80年などと軽々しく云々して欲しくない

2025-08-15 09:00:02 | コラム
あれから84年経ったのである:

昭和20年(1945年)8月15日の事は、今でも鮮明に覚えている。いえ、昭和16年(1941年)12月8日以来の4年間に我々がどのような思いで、どのように生活してきたのなどは忘れたいが、キチンと覚えている。俗っぽく言えば「戦争の時代を知っている、経験した年齢層」だから言える事と、言いたくなる事柄もあるのだ。

戦争が終わった時に私は13歳で中学1年生だった。マスメディアや所謂有識者が如何にも物知り顔で「戦争はこうだった」であるとか「戦争は悪である」とか「戦時中はこうだった」であるとか「何故日本は無謀な戦争をしたのか」と言い、テレビがあの頃の特集風の番組を組むのを、苦々しいというよりも不快な思いで見、そして聞いている。

言いたくなる最も肝心な点は「貴方たちはあの頃を経験しておられず、言うなれば伝聞に基づいて云々しておられるだけではありませんか」という辺りだ。特に気になるのは、石破さんが「見解」だか何かを発表されたくて、そこで「どうすれば戦争をしないように出来るか」を述べたいと言っておられたのを聞いて、率爾ながら申し上げたくなった事がある。

それは「貴方様は1957年生まれの68歳でしょう。戦後12年も経ってからお生まれでしょう。即ち、戦争を知らない世代でありながら、戦争を云々されるとは、僭越ではありませんか?我が国が戦争をするまでに至った経緯は伝聞でしょう。我々戦前から戦後までの国民が生存している現代にあって、何を仰せになりたいのですか」と言いたくなるのだ。

何も、石破さんに限らず「あの頃我々日本国民がそれこそ本当に一丸となって『敵米英』に勝とうと、耐え難きに耐えて聖戦を戦っていた精神状態が解るのですか」と問いかけたいのだ。私のような子供たちは「銃後の少国民」として、「天皇陛下をお護りせよ」と言われて懸命だった。中学1年生が軍事教練を受け、勤労や農村動員に出て行って働いていたのだ。

理解して貰いたいから言うのではない。あの頃は、我々子供でも「勝たねばならない。その為には」という悲壮な覚悟を持って励み、働いていたのだ。今となっては嘲笑するかのような声も聞こえたが、本気で一所懸命に「本土決戦の事態が生じた場合に」と、竹槍の使い方の訓練をしていたのだ。現代に戦争の是非を云々する人たちが、あの頃の精神状態を理解できるのか、いいえ、できる訳がないと思わずにはいられないのだ。

本当に食べる物がなくなり、豆の油の絞り滓をご飯の代わりに食べたし、何方だったか専門家が「農家に着物を持っていってお米と交換して貰った」と言っておられた。藤沢市ではサツマイモにしかならなかった。「物々交換」という言葉まで出来ていた。だから大変だったと強調しているのではない。あの頃の国民の精神状態を知らないで(知りようもないだろうが)、したり顔で「戦争は」などと言って貰いたくないのだ。

あの頃だったから成り立ったことで、全員が本当に「一致団結して『戦争に勝つ』という目標に向かって一路邁進していた」のである。誰か一人くらいは「あの時代にはこういう心構えで戦っていた」と語っても良くはないのかな。「人々の価値観がバラつかずに纏まっていた時期があったのだ」と。

繰り返して申し上げておくと「あの時代を礼賛しているのではない。あの頃を経験しておらず、知りもしない方々に、84年前から80年前になった時期のことを、少しは認識させたくて回顧した」のである。古古古米の味がどうのと贅沢な事が言える時代の有り難さに思いをいたして欲しいのだ。