♦️340の4『自然と人間の歴史・世界篇』エジソンの発明から(電灯、蓄音機、映写機など)

2021-01-16 08:33:16 | Weblog
340の4『自然と人間の歴史・世界篇』エジソンの発明から(電灯、蓄音機、映写機など)

 
 生前から「メロンパークの魔術師」とも称されたエジソン、その彼をに中心とした電灯の発明関連での流れは、おおよそこうある。

 1878年には、白熱電灯の研究が本格化する。1879年、世界最初の炭素電灯がともる。
 このスワンが発明した白熱電球のフィラメントは、紙を炭化させたもの。そのため非常に耐久時間が短く、発光時間が1分も持たないという欠点があった。エジソンは、その欠点を克服するべく、様々な素材を試みる。

 それからは、研究所員を動員して、木綿糸を炭化させてみる。また、扇子の竹材料などを使う、そんな工夫の日々が続いた。

 そして迎えた1879年10月19日、木綿の縫い糸を高温で処理し、酸素を残さないように炭化したもの、具体的には、すすをコールターでねったパテ(ゴム状の接合剤)を木綿糸にぬって、それをむし焼きにしたもの)を馬蹄(ばてい)形に成形する。

 そして、それをガラス球の中に封止し、それから水銀真空ポンプを用いて空気を100分の1気圧まで排気して、ようやく当面の目的にかなう電球をつくったのだという(詳しくは、例えば、白石巌「光をつくった発明王」、日本児童文芸家協会編「少年少女世界のノン・フィクション7」金の星社、1968)。

 さらに迎えた1881年、エジソンが開発した白熱電球が発売される。
 1882年には、ニューヨークに「エジソン電灯株式会社」を設立した。パール街に電灯がともされる。
 1883年には、真空の電球の中で、別のフィラメントに電流が流れる現象(後の「エジソン効果」)を発見する。ところが、本人は、この思いがけない現象に大いなる関心をもたなかったようで、イギリスの物理学者ジョン・フレミングに、実験球を譲り渡したと伝わる。
 
 
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♠️[第二部]
 
 さて、それからのフィラメント材料としては、1908年にアメリカのW.D.クーリッジがタングステン線の製造に成功する。これには、電球内が真空のものと、アルゴンを封入して効率を上げたガス入りとがある。後者では、ガスによる熱損失を防ぐため一重か二重コイルのフィラメントが使われる。
 かくて、炭素フィラメント電球にとって代わっていく。また、まぶしさを和らげるため内面つや消しのガラス球を使用するのに代わるという具合で、色々な改良がなされていく。
 日本でいうと、文明開化が軌道に乗り出した1890年に、電球(炭素フィラメント電球)が試作された。1910年には、東京電気が初めて国産のタングステン電球を製造し、「マツダランプ」の名称で発売する。
 それからも改良が進んでの第二次世界大戦後のものでは、フィラメントというコイル状の細いタングステンを線がしつらえてある。これに電流を通すと、電流はフィラメントの抵抗で高熱を出し、光を発する。タングステンは熱に溶けにくい金属で、そのうえ電球の中が真空または不燃ガスで充たされているので、その熱によってフィラメントが燃えることはない。
 さらにその後に登場したのが蛍光灯であって、これによる発光は、放電管の中に水銀ガスを注入してあり、これが放電によって光を発するのであって、それまでの電球のように高熱は出さないし、電力消費も大いに節約されることになり、現在にいたる。

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 次は、蓄音機の発明を見よう。1857年、フランスのマルタンヴィルによって、音を「録音」する装置は発明されていたのだが、「再生」することができなかったようた。
 1877年 エジソンは、直径約10センチメートルの円筒形に錫箔を巻きつけた円筒型の蓄音機を発明し、フォノグラフ(Phonograph)と名付けた。
これこそ、世界最初の録音・再生の成功であった。
 これに気を良くしたのか、その後は、手がけていた白熱電球の開発に夢中になり、またエジソンは蝋管レコードの性能に相当の自信を持っていたことからか、蓄音機の研究を一時中断した。

 それからのほどなくの展開としては、円盤型レコードの出現が挙げられよう。エジソンが別のことに頭と手をとられている間に、日本のビクターなどが円盤レコードを発売して販売が蝋管レコードを追い越した。
 その後、エジソン社は遅れながらも円盤レコードを開発したものの、音質にこだわり縦溝記録方式をここでも採用したため、そレコードの厚さが6㎜とかなり厚く且つ重いものとなってしまい、市場での競争にさらなる遅れをとってしまう。



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 1889年には、活動写真撮影機「キネトグラフ」を発明し、自身の研究所の一角に世界最初の撮影所をつくる。1891年になると、これによって映画をつくったとか。
 そこで撮影機の原理だが、その前年 G.イーストマンによって考案された長さ 12.2メートルのフィルムを、自動装置でぐるぐる回し、下にある電球の光に透かして上から拡大鏡でのぞく。
 その後の改良で、1895年には大きく投影して多数の観衆が同時に観賞できる「シネマトグラフ」、その翌年には「バイタグラフ」をつくる。それからかなりたっての1913年には、活動写真と蓄音機を組み合わせた「キネトフォン」をつくる。

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 それにしても、このようなエジソンの開発、発明にかける情熱は、何に由来するのだろうか。それを窺わせるものに、格言らしきものがあり、その中から幾つか紹介してみよう。
 
○「私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。」○「失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。」○「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」


(続く)


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