♦️55の2『世界の歴史と世界市民』エジプト文明の暦と農耕

2021-01-17 21:04:01 | Weblog
55の2『世界の歴史と世界市民』エジプト文明の暦と農耕

 いったい、エジプト文明というのは、どこまで遡ることができるのだろうか。ともあれ、世界最古級の人々の社会活動を現代に伝えるものであり、その基礎となっていたのが、「エジプトはナイルの賜物」(ヘロドトス)の言葉にあるような定期的農耕であったろう。
 それというのも、ナイル川は毎年定期的に氾濫し、肥沃な土壌を運んでくる、そのことがエジプトに時を知らせ、豊かな実りをもたらしたという。

 そこで、ここでの本題に入ろう。そもそもこの地に出来た暦というのは、太陽暦であり、1年は12か月、各月は30日、10日ごとの週で構成されていた、のみならず、どの月にも属さない余分な5日を加えて365日としていた、というから、現在のものとほとんど変わらないのではないか。
 それでは、なぜこのような構成区分になっていたのかというと、それは、この地方ならではの自然の在り方と農業活動のためであったらしい。しかも、これには星の運行が介在していたというから、驚きだ。


   年の巡りを、土地が水に沈期、水が低く収穫の時期という3つの季節に分け、 さらに各季節に4つの月を当て込むことになっていたという。

 そうするに至るには、エジプト人の英知が関係していたことかわかっている。そもそも、このナイル川たるや、世界最長の大河であり、その上流域の熱帯雨林地帯に雨期が到来する時期は、一般にはつまびらかではあるまい。けれども、上流で降った大量の雨が 、砂漠地帯であるナイル川下流域にいたるのは、それなりの時節と絡んでいただろう。
  そのような中でも、夏至(げし)に近い時期になると、ナイル川が増水し氾濫するということがわかってきた。ならば、この増水の時期を正確に予測出来れば、洪水の危険を除き、豊かな収穫を手にすることができるのではないかと。

  おりしも、エジプト人が発見したのが、天文観測との相関であったという。その話とは、増水時期の始まりの目安となる現象こそが、 全天でもっとも明るい恒星、シリウスであって、この星は、現在の天文学では「おおいぬ座のα星」という。
 そこで、地球から眺めた場合での、このシリウスの運行だが、現在の暦の5~6月頃は昼間に空にあるため見ることが出来ない。それが前述の夏のにな日が昇る直前に、少しの時間だけ見えてくる。これは、太陽がシリウスにに対して 1日に約 1度すつ西から東に移動して行くためであると考えられている。
 この日出前のシリウス出現の最初の日が、今日ではヘリアカル・ライジングと呼ばれる、それは、年によって多少の誤差は有ったであろうが、彼らは観察を行い、その平均の間隔を調べると、そのヘリアカル・ライジングは 365日毎に繰り返されることが分かったのだと。そこで、前述のようなシリウスのヘリアカル・ライジングを基準とした一年の農暦がつくられるのであった。


(続く)

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