♦️340の5『自然と人間の歴史・世界篇』真空管の発明(フレミング、1904)

2021-01-21 21:02:31 | Weblog
340の5『自然と人間の歴史・世界篇』真空管の発明(フレミング、1904)

 それは、偶然のことだった。イギリスの物理学者ジョン・フレミングは、電波を使った通信に関わっており、エジソンが発見したかかるエジソン効果が整流作用に活用できるのではないかと考えた。

 具体的には、ラジオ受信機に必要な検波機能を考えた場合、高周波電流から音声情報を取り出して電気信号に整流する技術が不可欠であったからだ。
 そのフレミングは、こちらの方面に関心の薄いエジソンから実験球をもらい受け、研究に没頭、1904年に整流器として機能する二極真空管を発明するのに成功する。

 ここに二極真空管のフィラメント部分に電流を流すとしよう。そこからは、加熱され熱電子が放出される。具体的には、フィラメント(cathode:カソード、陰極)からプレーと、Plate(anode:アコード、陽極)側に正電圧を加えると、放出した熱電子は陽極に向かって飛び出す。

 その結果として、フィラメントからプレートへ向けて電子が流れ、プレート側からフィラメント側へ電流が流れよう。また今度は、フィラメントとプレートの電圧のかけ方を逆にして、プレートに負の電圧をかけてみよう。すると、プレート側に熱電子は飛んだりはせず、電流はプレートからフィラメントへのみ流れる、整流作用が働く。

 要するに、ここでの真空管の最大の持ち味というのは、カソードは加熱されているのにプレートは加熱されていないということから、プレートとカソードに逆向きに電池をつないでも、プレートから電子がほとんど飛び出さない、したがって、整流作用をもつ点である。
 
 いいかえると、1904年(明治37年)、フレミングが、エジソンの電球を基に発明した真空管は、二極真空管と呼ばれるものであった。この真空管の中では、加熱時に飛び出す電子がマイナスの負荷を帯びているため、プレートがプラスのときしか電気が流れない。
 それというのも、その仕組みとしては、プレートを電池のマイナスにつないだときには、マイナスの電子はマイナスのプレートに反発してしまい、プレート側に移動できないからなのだ。
 そういうことだから、通常の豆電球は、電池のプラスとマイナスを逆につないでも点灯するが、真空管はプレートがプラスの時だけ通電することになっている。そのため交流の電気や電波のように、電圧がプラスとマイナスの間を上下する波を真空管につなぐと、プラスの波だけ通し、かくて、真空管は電気の一方通行を行い、これを真空管の整流機能という。
 
 およそこのような働きのフレミングの二極管、さらに三極管は、それまでの鉱石検波器に取って代わっていく。


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♠️第二部
 さらに時代が下る中では、三極管ないし多極管となっていく。それとともに、時代は新たな素子を求めて、開発が行われていく、そしての第二次世界大戦後、真空管の一連の発明からかれこれ約50年後になると、新たな素子としての半導体の出現へとつながっていく。


(続く)

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♦️360の1の11『自然と人間の歴史・世界篇』テレビの発明と発展(1911~1940)

2021-01-21 09:24:08 | Weblog
360の1の11『自然と人間の歴史・世界篇』テレビの発明と発展(1911~1940)

 1897年には、ドイツの物理学者カール・ブラウン(1850~1918)が、ブラウン管(後の真空管の一種)を発明する。その実体は、彼によって考案物理実験用の陰極線管(CRT)である。いうなれば、陰極線(真空放電において陰極から放出される高速の電子の流れ)の方向を制御して観察する装置であって、後の時代にこれを受像機として応用したのがブラウン管テレビである。

 1911年には、ロシアで世界初となる、テレビによる送受信実験が成功する。しかし、実用化ということたではなく、この時点では映像の信号を増幅させるための真空管の技術が発達していなかった。

 1929年には、英国放送協会(BBC)がテレビ放送を始める。

 1925年、イギリスの発明家ジョン・ベアード(1888~1946)によって、初めてのテレビ有線で行われる。彼のテレビは、モーターで円盤を機械的に回すものであって、これを機械式テレビという。

 1926年、高柳健次郎(当時、浜松高等工業専門学校の教師、後に静岡大学名誉博士)が、初めてテレビを実用レベルで電送と受像を成功させる。とはいえ、そのできばえとしては、人の手や顔がどうにかテレビで見える程度であったという。

 1927年には、アメリカのベル研究所が、ワシントンとニューヨークとの間の長距離有線伝送実験を公開する。

 1928年には、ベアードが、ロンドンとニューヨークの間の大西洋横断送信を行う。同年、ベアードは、この年世界最初のカラーテレビ実験にも成功する。具体的には、アメリカのWGY局の実験放送として、このテレビジョン放送が、行われる。

 1929年には、英国放送協会(BBC)がテレビ放送を始める。ベアードの期待とは裏腹に、アメリカで考案された、電子式テレビを使うとの決定なのであった。

 1930年には、早稲田大学の山本忠興と原田政太郎とが、テレビ装置を組み立てる。

 1933年には、アメリカの無線会社の技師ツウォリキンが、アイコノスコープを発明する。
 その動作原理としては、送信側として使う真空管(内部を高度に真空化してある中空の管球)の中には、セシウムを塗った雲母板とコンデンサを配置する。そして、この雲母板にレンズを通して画像を投影する。
 それからは、光量に応じて雲母板に設置したコンデンサに電荷が蓄積され、この蓄積された電荷に電子ビームを放射すると、光量に応じた電流が流れて画像信号に変換するという仕組みだという。
 この蓄積型撮像管としてのアイコノスコープが発明されたことにより、初めて屋外の景色の撮像も可能となった。

 

 1935年には、ドイツがテレビ本放送を開始し、1936年ベルリンオリンピック大会をテレビ中継する。

 1940年には、アメリカでカラーテレビ実験放送を開始する。それからはなおさら、アメリカが開発の先鞭をつけた、走査円盤のかわりに真空管を使った電子式テレビが主流となっていく。


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♠️第二部(技術革新は次の時代へ)

 そして迎えた1948年6月30日には、真空管にとって替わる新たな電気素子が発明された。アメリカ・AT&Tベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンが発明した半導体の一種類としての素子を使ったトランジスタが初めて公開されたのだ。
 このトランジスタは、半導体を用いて電気信号を増幅・検波・整流・発振などをさせる役割を担う、いわばそれまでの真空管とほほ同じ働きをしながら小型・軽量・長寿命で消費電力が小さいなどの点で、それまでの真空管より優れていることから、以後急速に普及していく。

 それから、テレビの原理も発展を遂げていく。まずは、ブラウン管テレビから紹介しよう。このブラウン管は、真空中を走る電子の流れである電子ビーム(電子緑、陰極線ともいう)が、ケイ光体に衝突するとき発光する現象を利用し、電気信号を画像に変換する装置をいう。
 用途としては、テレビジョンの受像管が有名だ。細い電子ビームを作る電子銃、その飛ぶ方向を上下左右ヘ振る偏向器、それに偏向された電子ビームの衝突により発光するケイ光面(画面)の、3部分から構成されている。
 その動作としては、適当な電気信号を偏向器に入れて、電子ビームを左右、上下に振る、それに応じて発光点が移動し、線画を描くことにしている。これを足査というのだが、かかるケイ光面全面を発光点が高速で動くことにより、人の目の残像効果が働いて、ケイ光面全体が一様に光るように見える。
 

(続く)

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