今年も師走に入り気忙しく感じる月となりました。Xマスケーキに並んでおせち料理の広告が目に入って来ます。年賀状や大掃除もしかり年末の恒例の行事で毎年乍らあたふたとする時期なのです。
私の一番と言っていいほど嫌いな12月です。
そんな中その様な事を遮断させる為に・・・"(-""-)"というか紅葉の情報が飛び交う時期には最近忘れていた千葉県松戸市にある「本土寺」の紅葉が見たくなり11月の初めの頃に一度行ってみたのですが、まだ紅葉しておらず、その時は入園もしないで踵を返すように帰りました。
それから野暮用に追われてつい師走を迎えてしまい12月10日に淡い期待を持って訪れたのです。
朝9時の本土寺の参道は閑散としていました。あ~~やっぱりもう散ってしまったのかと少々気落ちをしながら本土寺に向いました。
シャッツ!々!とはっぱを履く音が静けさの中に響いていました。仁王門の紅葉の葉っぱは〝チョリチョリ”になってかろうじて少し残っている状態 〝遅かりし由良之助・・・・・” のセリフにぴったりあ~~ぁ
まだ、かろうじて紅葉も残っている可能性もあるとして参拝者受付に進みました。
受付のおばさんに、「ねぇ!もう紅葉も散ってちょりちょりの紅葉しか残っていないのねぇ!」
「そうですねぇ。もっと早く来ればよかったのに・・・」
「この様な状態でも正規の入園料は取るの」
「はぁ仕方ないですねぇ気持ちはわかるけど・・・私はバイトで言われたとおりにしか
出来ませんよ」
言ってみて駄目なら仕方ない
「ごめんなさいね!バァサンの戯言と思い 聞き流してねぇ・・・"(-""-)" 」
「入りますそれともやめますか~~ 紅葉、少しは残っていると思いますよ」
「少し残っている事に期待して入ってみます」
「折角来たのだからそうしなさい」
落ち葉が弁天池の中で凍り付き寒々しい朝です。
銀杏も枯葉と共に落ちていました。丸い白っぽいのは〝お賽銭”
経路の途中に看板が立っていてそこには[ほんの少しの時間でも永遠と思う時がある]
[ほんの少しの道程でも無限と思う時がある]
これは仏教の教えの中にある言葉なのでしょうか?本当にそのような思う時があるのかな!?と紅葉の影が壁に写しだされるのを見乍ら考え込みました。
10時を過ぎたころには数えるほどの人が境内に見られました。このお寺は花の寺として慕われているようです。四季折々の良さがあるのです。一寸今回は盛りを逸してしまいましたが季節に応じて木々は変化させて行き次の季節には又呼び起されるまで静かに待っているのでしょうね。
一年の締めくくりとして私もそれなりに出来る事をこなして行こうと思う気分になりました。
境内ではもう水仙の花も咲いていました。来年は〝ひつじ年”どのような年になるのでしょうか!?
それより年賀状をそろそろ廃止にしようかと思うようになりました。郵政局でも年賀状の売り上げが年々落ちているとの事。I.T.が活躍している時代だから昔風はだんだん人気が無くなって来るのかもわかりませんね。筆で新年の挨拶を書くのも無くなる事になるのかも。