風いと涼しくなりて
―皇子の参内堪えずとて―
月傾きて 空澄みて
風収りて 涼やかに
涙誘うに 虫の声
去り難きやの 風情庭
牛車乗りかね 詠む靫負命婦
鈴虫が
声尽くし果て
泣いたとて
夜長尽きずと
涙が流る
鈴虫の
声を限りを
尽くしても
長き夜飽かず
流る涙かな
靫負命婦詠うは 己涙
代り帝の 涙かや
詠み掛けられし 母君は
女房使いて 伝え遣る
「只でさえ
泣きの涙の
この荒宿に
遣いが持て来
更なる涙
いとどしく
虫の音繁き
浅茅生に
露置き添ふる
雲の上人
恨み言にと 成りにしか」
時が時やで 床しきの
品差し上げも 如何がとて
桐壺更衣形見と 斯様なる
時にと残し 置きたるの
一揃いなる 装束と
髪上げ調度 添え持たす
靫負命婦帰りし 後からも
桐壺更衣付きてし 女房らは
悲し思いを 抱きつも
朝夕に慣れた 内裏生活
思うに実家は 寂しくて
帝ご様子 思いつつ
早やの若宮 参内を
勧め為すやに 母君は
「忌わし身添う 参内は
世間聞こえの 悪しきにて
若宮お顔 見ずにては
堪え切れ無しの 心地」とぞ
思い切りての 参内を
させ為さるさえ 出来ずとに