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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

坂上郎女編(14)新羅の国ゆ

2010年04月06日 | 坂上郎女編
【掲載日:平成22年5月7日】

栲綱たくつのの 新羅しらきの国ゆ 人言ひとごとを よしと聞かして・・・ 


「橘三千代様か  先年お亡くなりになられたが
 不比等様とのお子 光明子こうみょうし様が 聖武帝皇后
 伝手つて辿たどるには 母上内命婦うちみょうぶさまのお仲立ちが無くてはかなわぬな」
「母上は  今 皆を連れ 有間の湯
 色々と  掛けた心労が災いしての療養旅
 帰られての  ご相談と致そう」
思案の坂上郎女いらつめに 下女が駆け込んできた
「郎女様 理願りがんさまが お倒れに・・・」

尼理願 
過ぐる  持統四年〈690〉
新羅より渡来  帰化した僧俗五十人の一人
多くは  関東へと送られたが
先に来朝の新羅使 金智祥きんちしょうよりの書状持参
世話になった  大伴安麻呂を頼れとの文面
特別のはからいを以って 佐保大納言邸に寄宿していた
その  尼理願が 倒れたという
駆け付ける  郎女
せめて石川内命婦の帰還まではとのねがいむなしく
あわただしいばかりの身罷みまか
急ぎの便りが  有間の湯へと飛ぶ

栲綱たくつのの 新羅しらきの国ゆ 人言ひとごとを よしと聞かして 問ひくる 親族うから兄弟はらから 無き国に 渡りまして
《新羅から 日本の国が ええ聞いて 親兄弟も れへんに 渡り来られた この国の》
大君の 敷きます国に うち日さす みやこしみみに 里家さといへは さはにあれども 
いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保さほ山辺やまへに 泣く児なす したまして 
敷栲しきたへの いへをも造り あらたまの 年の長く 住まひつつ いまししものを
 
《都に家は 多いのに どない思たか 縁もない この佐保山に したい来て
 家作られて 年月を 住まい暮らして 来られたが》 
生ける者 死ぬといふことに まぬかれぬ ものにしあれば 
たのめりし 人のことごと 草枕 旅なるほど
佐保河さほかはを 朝川あさかは渡り 春日野かすがのを 背向そがひに見つつ
あしひきの 山辺やまへをさして くれくれと かくりましぬれ
 
《世の中定め  人いつか 死ぬと決まった ことやけど
 頼りうてた 人みんな たまたま旅で 留守のうち
 佐保の川瀬を 朝渡り 春日かすがの野原 背ぇ向けて 山の闇へと 隠られた》
言はむすべ むすべ知らに たもとほり ただひとりして 
白栲しろたへの 衣手ころもでさず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山ありまやま 雲居たなびき 雨に降りきや

《何もでけへん 言われへん あちこち彷徨さまよい 一人して 
 喪服の袖を 泣き濡らす 流す涙は 雲となり 有間山へと 雨降らす》     
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・四六〇〉 
とどめ得ぬ 命にしあれば 敷栲しきたへの 家ゆはでて 雲隠くもがくりにき
《永遠の 命ちゃうから 住み慣れた 家を出ていき 雲なりはった》 
                         ―大伴坂上郎女―〈巻三・四六一〉 




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