【掲載日:平成22年5月7日】
栲綱の 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして・・・
「橘三千代様か 先年お亡くなりになられたが
不比等様とのお子 光明子様が 聖武帝皇后
伝手を辿るには 母上内命婦さまのお仲立ちが無くては叶わぬな」
「母上は 今 皆を連れ 有間の湯
色々と 掛けた心労が災いしての療養旅
帰られての ご相談と致そう」
思案の坂上郎女に 下女が駆け込んできた
「郎女様 理願さまが お倒れに・・・」
尼理願
過ぐる 持統四年〈690〉
新羅より渡来 帰化した僧俗五十人の一人
多くは 関東へと送られたが
先に来朝の新羅使 金智祥よりの書状持参
世話になった 大伴安麻呂を頼れとの文面
特別の計らいを以って 佐保大納言邸に寄宿していた
その 尼理願が 倒れたという
駆け付ける 郎女
せめて石川内命婦の帰還まではとの願虚しく
慌しいばかりの身罷り
急ぎの便りが 有間の湯へと飛ぶ
栲綱の 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 無き国に 渡り来まして
《新羅から 日本の国が ええ聞いて 親兄弟も 居れへんに 渡り来られた この国の》
大君の 敷きます国に うち日さす 京しみみに 里家は 多にあれども
いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山辺に 泣く児なす 慕ひ来まして
敷栲の 宅をも造り あらたまの 年の緒長く 住まひつつ 座ししものを
《都に家は 多いのに どない思たか 縁もない この佐保山に 慕い来て
家作られて 年月を 住まい暮らして 来られたが》
生ける者 死ぬといふことに 免かれぬ ものにしあれば
慿めりし 人のことごと 草枕 旅なる間に
佐保河を 朝川渡り 春日野を 背向に見つつ
あしひきの 山辺をさして くれくれと 隠りましぬれ
《世の中定め 人いつか 死ぬと決まった ことやけど
頼り会うてた 人みんな たまたま旅で 留守の中
佐保の川瀬を 朝渡り 春日の野原 背ぇ向けて 山の闇へと 隠られた》
言はむすべ 為むすべ知らに たもとほり ただひとりして
白栲の 衣手干さず 嘆きつつ 我が泣く涙 有間山 雲居たなびき 雨に降りきや
《何もでけへん 言われへん あちこち彷徨い 一人して
喪服の袖を 泣き濡らす 流す涙は 雲となり 有間山へと 雨降らす》
―大伴坂上郎女―〈巻三・四六〇〉
留め得ぬ 命にしあれば 敷栲の 家ゆは出でて 雲隠りにき
《永遠の 命違うから 住み慣れた 家を出ていき 雲なりはった》
―大伴坂上郎女―〈巻三・四六一〉
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