令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・青春編(一)(23)山辺(やまへ)にをれば

2010年06月15日 | 家持・青春編(一)恋の遍歴
【掲載日:平成22年8月17日】

ひさかたの 雨の降る日を ただひと
              山辺やまへにをれば いぶせかりけり



〈おお  
 あれは 紀郎女きのいらつめ
 なんと 恭仁くにに来ておったのか〉
恭仁京  
山青く  水清い 清涼の地
新材香り  槌音響く 新興の地
しかれど 山間やまあいの夜は 寒く寂しい
独り寝の 無聊ぶりょうかこつ 家持
眠っていた  好き心が 目を覚ます

早速の 袖引き文が 紀郎女きのいらつめの許へ
ひさかたの 雨の降る日を ただひとり 山辺やまへにをれば いぶせかりけり
鬱陶うっとしい 雨の降る日に 独りだけ 山陰やまかげったら 憂鬱ゆううつなるわ》
                         ―大伴家持―〈巻四・七六九〉 
 
〈そういえば  あの郎女
 若くして 玉の輿の
 花なら蕾であったろう〉 

十二月しはすには あわゆき降ると 知らねかも 梅の花咲く ふふめらずして
《十二月 まだ雪降るの 知らんのか つぼみほころび 梅花咲いた》
                         ―紀小鹿郎女きのおしかのいらつめ―〈巻八・一六四八〉
〈紀郎女は紀鹿人きのかひとの娘 ために「小鹿」の愛称〉

〈その安貴王あきのおおきみ 高貴なお方の常か 
 因幡国いなばのくに出身の元采女 八上采女やかみのうねめ 
 当時藤原麻呂の妻  これに手を出し 罪に
 それが元で  
 紀郎女は  仲を裂かれる憂き目に合ったとか〉

世間よのなかの をみなにしあらば わが渡る 痛背あなせの河を 渡りかねめや
《このうちは 運無いよって 世間並み あんたしとても 一緒行かれん》
                         ―紀郎女きのいらつめ―〈巻四・六四三〉
今はは びそしにける いきに 思ひし君を ゆるさくおもへば
《今うちは 沈んで仕舞しもてる 命とも 思てたあんた 行かしてしもて》
                         ―紀郎女―〈巻四・六四四〉 
白栲しろたへの そで別るべき 日を近み 心にむせひ ねのみし泣かゆ
いややけど 別れならん日 近づいて 心の中で むせび泣いてる》
                         ―紀郎女―〈巻四・六四五〉 

〈そうそう 切っ掛けは 茅花ちばなであった〉



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