【掲載日:平成21年11月12日】
いざ子ども 香椎の潟に 白妙の
袖さへぬれて 朝菜摘みてむ
【「薩摩の迫門」阿久根市黒の瀬戸】

大宰府の官人の許
旅人からの 知らせが届く
《豊前守 宇努首男人殿 遷任につき
別れの宴 香椎廟参拝を兼ねて
開催これありにつき 是非ともの参加を乞う》
〔おお 帥殿からの お誘いじゃ
これは 気を取り戻された証し
行かずになるものか〕
香椎廟 仲哀天皇の御霊鎮めにと 神功皇后が発願して 建てられた 霊安置の堂
ここは 主賓 宇努首男人 豊前国府と大宰府往還の折の通過地
それを慮っての 旅人の計らいであった
宴翌朝 旅人の 号礼が 発せられた
いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さへぬれて 朝菜摘みてむ
《さあみんな 香椎の潟で 袖濡らし 朝の食事の 海藻を摘もや》
―大伴旅人―〔巻六・九五七〕
溌剌とした 応年を思わす 旅人の声
官人らは 我勝ちにと 浜へと走る
小野老も 旅人の 活気に感じ入り 詠う
時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟 潮干の浦に 玉藻刈りてな
《風吹いて 香椎の潟に 潮満ちる 引いてる間ァに 藻を採ってまお》
―小野老―〔巻六・九五八〕
主賓男人も 応える
行き帰り 常にわが見し 香椎潟 明日ゆ後には 見む縁も無し
《行き帰り いっつも見てた 香椎潟 明日なったら もう見られへん》
―宇努首男人―〔巻六・九五九〕
旅人の快活は 西下同行の 家持の機転であった
叔母の坂上郎女を 急遽の使者で 呼寄せた
旅人は 徐々に 気概を取り戻していたのだ
数日後 旅人は 薩摩の瀬戸にいた
その昔 征隼人の将軍として来た 旧来の地
隼人の 湍門の磐も 年魚走る 吉野の滝に なほ及かずけり
《隼人国 瀬戸の岩磯 すごいけど 鮎飛ぶ滝の 吉野が勝ちや》
―大伴旅人―〔巻六・九六〇〕
また ある日 大宰府近くの 次田の温泉
くつろぐ 旅人の姿
湯の原に 鳴く蘆鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く
《温泉の湧く 原で鳴く鶴 鳴き続け わしと同じに 妻恋しいか》
―大伴旅人―〔巻六・九六一〕
そこには
自らの 悲しみに 閉じこもる 旅人はなく
鳴く鶴に 思いをかける 旅人がいた

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