NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【九月二十日】放映分
時雨の雨 間なくな降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも
《時雨雨 そんなしっぽり 降りないな 紅い黄葉の 散るのん惜しで》
―作者未詳―(巻八・一五九四)
【万葉歌みじかものがたり】《今日降る雨に》
騒ぎふざける 宴があれば
趣深い 集いもあるぞ
父安貴王の 誕生祝賀
息子市原王 寿ぎ詠う
市原王叔父の 湯原王も
大刀舞踊り 賀の歌添える
春草は 後は移ろふ 巌なす 常磐にいませ 貴き我が君
《春草は 若々しけど 枯れて仕舞う 岩で在ってや 父君様よ》
―市原王―(巻六・九八八)
焼大刀の かど打ち放ち 大夫の 寿く豊御酒に 我れ酔ひにけり
《大刀振って 鎬打ち付け 祈りした 祝いの酒に わし酔うて仕舞た》
―湯原王―(巻六・九八九)
明日香豊浦の 尼寺集い
行く秋思い 萩花偲ぶ
明日香川 行き廻る岡の 秋萩は 今日降る雨に 散りか過ぎなむ
《明日香川 廻る岡辺の 秋萩は 降ってる雨で 散るのんやろか》
―丹比国人―(巻八・一五五七)
鶉鳴く 古りにし里の 秋萩を 思ふ人どち 相見つるかも
《この古い 昔の里の 秋萩を 心の友と 眺めたんやで》
―沙弥尼―(巻八・一五五八)
秋萩は 盛り過ぐるを 徒に 插頭しに挿さず 帰りなむとや
《秋萩は 盛り短い そや云うに 髪挿しもせんと 帰るて言うか》
―沙弥尼―(巻八・一五五九)
歌舞音曲を 司る 王や役人 集い来て
暮れのこの日を 楽しもと 葛井広成 辞を述べる
「近時思うに 古舞盛ん 年も古なり 暮れんとす
そこで古 偲びつつ 古歌を皆して 唱うべし
ここに二つの古い歌 わしが披露に 及ぶ故
集う風雅の 皆々は 一念発起 唱うべし」
我がやどの 梅咲きたりと 告げ遣らば 来と言ふに似たり 散りぬともよし
《家の庭 梅咲いたでと 言て行たら 来い言う様やな 散っても良えか》
―作者未詳―(巻六・一〇一一)
春されば ををりにををり 鴬の 鳴く我が山斎ぞ 止まず通はせ
《春来たら 梅咲き誇り 鶯も 鳴く庭やから どうぞお越しを》
―作者未詳―(巻六・一〇一二)
天平十一年(739)十月 光明皇后宮にて維摩講
大唐・高麗音曲を奏で この歌唱う
琴弾き 市原王 忍坂王
歌人 田口家守 河辺東人 置始長谷ら十数人
時雨の雨 間なくな降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも
《時雨雨 そんなしっぽり 降りないな 紅い黄葉の 散るのん惜しで》
―作者未詳―(巻八・一五九四)
――――――――――――――――――――
【新しい試みです】
「歌心関西訳」の作成過程をご覧ください。
これなら あなたも 訳せますよ。
<訳してみよう万葉集>へ
【万葉歌みじか物語】はこちら
<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【九月二十日】放映分
時雨の雨 間なくな降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも
《時雨雨 そんなしっぽり 降りないな 紅い黄葉の 散るのん惜しで》
―作者未詳―(巻八・一五九四)
【万葉歌みじかものがたり】《今日降る雨に》
騒ぎふざける 宴があれば
趣深い 集いもあるぞ
父安貴王の 誕生祝賀
息子市原王 寿ぎ詠う
市原王叔父の 湯原王も
大刀舞踊り 賀の歌添える
春草は 後は移ろふ 巌なす 常磐にいませ 貴き我が君
《春草は 若々しけど 枯れて仕舞う 岩で在ってや 父君様よ》
―市原王―(巻六・九八八)
焼大刀の かど打ち放ち 大夫の 寿く豊御酒に 我れ酔ひにけり
《大刀振って 鎬打ち付け 祈りした 祝いの酒に わし酔うて仕舞た》
―湯原王―(巻六・九八九)
明日香豊浦の 尼寺集い
行く秋思い 萩花偲ぶ
明日香川 行き廻る岡の 秋萩は 今日降る雨に 散りか過ぎなむ
《明日香川 廻る岡辺の 秋萩は 降ってる雨で 散るのんやろか》
―丹比国人―(巻八・一五五七)
鶉鳴く 古りにし里の 秋萩を 思ふ人どち 相見つるかも
《この古い 昔の里の 秋萩を 心の友と 眺めたんやで》
―沙弥尼―(巻八・一五五八)
秋萩は 盛り過ぐるを 徒に 插頭しに挿さず 帰りなむとや
《秋萩は 盛り短い そや云うに 髪挿しもせんと 帰るて言うか》
―沙弥尼―(巻八・一五五九)
歌舞音曲を 司る 王や役人 集い来て
暮れのこの日を 楽しもと 葛井広成 辞を述べる
「近時思うに 古舞盛ん 年も古なり 暮れんとす
そこで古 偲びつつ 古歌を皆して 唱うべし
ここに二つの古い歌 わしが披露に 及ぶ故
集う風雅の 皆々は 一念発起 唱うべし」
我がやどの 梅咲きたりと 告げ遣らば 来と言ふに似たり 散りぬともよし
《家の庭 梅咲いたでと 言て行たら 来い言う様やな 散っても良えか》
―作者未詳―(巻六・一〇一一)
春されば ををりにををり 鴬の 鳴く我が山斎ぞ 止まず通はせ
《春来たら 梅咲き誇り 鶯も 鳴く庭やから どうぞお越しを》
―作者未詳―(巻六・一〇一二)
天平十一年(739)十月 光明皇后宮にて維摩講
大唐・高麗音曲を奏で この歌唱う
琴弾き 市原王 忍坂王
歌人 田口家守 河辺東人 置始長谷ら十数人
時雨の雨 間なくな降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも
《時雨雨 そんなしっぽり 降りないな 紅い黄葉の 散るのん惜しで》
―作者未詳―(巻八・一五九四)
――――――――――――――――――――
【新しい試みです】
「歌心関西訳」の作成過程をご覧ください。
これなら あなたも 訳せますよ。
<訳してみよう万葉集>へ
【万葉歌みじか物語】はこちら
<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先