犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

■日めくり万葉集Vol・2(122)熟田津に

2012年07月07日 | 日めくり万葉集
NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。

【九月十四日】放映分

熟田津にきたつに 船乗ふなのりせむと 月待てば しほもかなひぬ 今はでな
熟田津にきたつで 月潮待って 船出ふなで待ち きた きた 来たぞ さあ漕ぎそや》
                            ―額田王ぬかたのおおきみ―(巻一・八)

【万葉歌みじかものがたり】熟田津にきたつに》

半島 は 混乱を極めていた
百済くだら 新羅しらぎ 高句麗こうくり 三国の対立
かてて 加えて 
高句こうく討伐に失敗した隋に 唐が取って変わる
 は その強力な軍事力を背景とし 
半島 へと勢力拡大
さいめい天皇六年(660)
ついに 唐・新羅連合軍により 百済くだら滅亡
復興目指す百済遺臣いしん 同盟国こくに 援助要請
これにこたえ 倭国 新羅征討軍を組織・出陣

中大兄皇子なかのおおえのおうじを 総指揮官とし
大王おおきみ斉明の同行を仰いでの出兵は
倭国の命運をけてのものであった

 明天皇七年(661)一月
難波 の津を出た 大和軍は 西を目指す
やがて 
船団は 伊予いよの国に至り
ここ 熟田津にきたつに停泊していた
石湯いわゆ行宮かりみやでの旬日じゅんじつは いくさぞなえに費やされる

皇太子は 大海人おおあまを伴い 熟田津にきたつの浜にいた
皇子みこ そちは 星占ほしうらに通じていると聞く
 どうじゃ 船出の好機じき 占ってみよ」
じっと 星を見据えていた 皇子みこ
「吉は 明後日 月の出と共の出発いでたち
 夜の航行になりますが 潮の流れが何よりです これ以上の好機こうきはありません」

軍船 の準備は 整っていた
額田王おおきみ 月を 呼ぶのじゃ
 そちの 霊力れいりょくをもって 潮をかなえる 月を呼び出すのじゃ」

熟田津にきたつに 船乗ふなのりせむと 月待てば しほもかなひぬ 今はでな
熟田津にきたつで 月潮待って 船出ふなで待ち きた きた 来たぞ さあ漕ぎそや》
                            ―額田王ぬかたのおおきみ―(巻一・八)

額田王おおきみ朗唱ろうしょうが 合図となった 
船団は 一斉いっせいに 月夜の海へ



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