NHK教育TVで「日めくり万葉集」第2弾が始まりました。
平日の午前中ということで 勤めの方は 見る機会に恵まれません。
また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
そこで ここで取り上げて 訳し・「みじかものがたり」を 掲載したく思います。
ご覧下さい。
【九月十四日】放映分
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
《熟田津で 月潮待って 船出待ち きた きた 来たぞ さあ漕ぎ出そや》
―額田王―(巻一・八)
【万葉歌みじかものがたり】《熟田津に》
半島は 混乱を極めていた
百済 新羅 高句麗 三国の対立
かてて加えて
高句麗討伐に失敗した隋に 唐が取って変わる
唐は その強力な軍事力を背景とし
半島へと勢力拡大
斉明天皇六年(660)
ついに 唐・新羅連合軍により 百済滅亡
復興目指す百済遺臣 同盟国倭国に 援助要請
これに応え 倭国 新羅征討軍を組織・出陣
中大兄皇子を 総指揮官とし
大王斉明の同行を仰いでの出兵は
倭国の命運を賭けてのものであった
斉明天皇七年(661)一月
難波の津を出た 大和軍は 西を目指す
やがて
船団は 伊予の国に至り
ここ 熟田津に停泊していた
石湯の行宮での旬日は 戦備に費やされる
皇太子は 大海人を伴い 熟田津の浜にいた
「皇子 そちは 星占に通じていると聞く
どうじゃ 船出の好機 占ってみよ」
じっと 星を見据えていた 皇子
「吉は 明後日 月の出と共の出発
夜の航行になりますが 潮の流れが何よりです これ以上の好機はありません」
軍船の準備は 整っていた
「額田王 月を 呼ぶのじゃ
そちの 霊力をもって 潮を叶える 月を呼び出すのじゃ」
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
《熟田津で 月潮待って 船出待ち きた きた 来たぞ さあ漕ぎ出そや》
―額田王―(巻一・八)
額田王の朗唱が 合図となった
船団は 一斉に 月夜の海へ
――――――――――――――――――――
【新しい試みです】
「歌心関西訳」の作成過程をご覧ください。
これなら あなたも 訳せますよ。
<訳してみよう万葉集>へ
【万葉歌みじか物語】はこちら
<万葉歌みじかものがたり>へ
■リンク先
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また 見落とされた方も 居られるやも知れません。
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【九月十四日】放映分
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
《熟田津で 月潮待って 船出待ち きた きた 来たぞ さあ漕ぎ出そや》
―額田王―(巻一・八)
【万葉歌みじかものがたり】《熟田津に》
半島は 混乱を極めていた
百済 新羅 高句麗 三国の対立
かてて加えて
高句麗討伐に失敗した隋に 唐が取って変わる
唐は その強力な軍事力を背景とし
半島へと勢力拡大
斉明天皇六年(660)
ついに 唐・新羅連合軍により 百済滅亡
復興目指す百済遺臣 同盟国倭国に 援助要請
これに応え 倭国 新羅征討軍を組織・出陣
中大兄皇子を 総指揮官とし
大王斉明の同行を仰いでの出兵は
倭国の命運を賭けてのものであった
斉明天皇七年(661)一月
難波の津を出た 大和軍は 西を目指す
やがて
船団は 伊予の国に至り
ここ 熟田津に停泊していた
石湯の行宮での旬日は 戦備に費やされる
皇太子は 大海人を伴い 熟田津の浜にいた
「皇子 そちは 星占に通じていると聞く
どうじゃ 船出の好機 占ってみよ」
じっと 星を見据えていた 皇子
「吉は 明後日 月の出と共の出発
夜の航行になりますが 潮の流れが何よりです これ以上の好機はありません」
軍船の準備は 整っていた
「額田王 月を 呼ぶのじゃ
そちの 霊力をもって 潮を叶える 月を呼び出すのじゃ」
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
《熟田津で 月潮待って 船出待ち きた きた 来たぞ さあ漕ぎ出そや》
―額田王―(巻一・八)
額田王の朗唱が 合図となった
船団は 一斉に 月夜の海へ
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