京都のカフェ Rive Droite 1998~2001 20.

2011-05-21 00:10:08 | 物語
20.大文字山

 客足が伸びない原因は、フレンチカフェという業態が京都ではまだ受け入れる人が少な
いこと、立地が繁華街からはずれて人通りが少ないこと。レストランならわざわざ行くと
いうケースはあっても、一杯のコーヒーのために通り道でもないカフェまで出向く人はあ
まりいない。
 真冬の京都は、毎日のように霙とも霧雨ともつかない、北山しぐれと呼ばれる小雨が降
り、暗く寒く寂しい。
それでもまだお客がゼロの肥がないのは自慢だった。クリスマスには間がある師走の初
め、霙が本降りになり、雨か大雪かという天気になった。
 午前の客はゼロ。さてはとうとう。
 昼食にも誰も来ない。
 昼過ぎのお茶にも誰も来ない。息子が上京してからは、午後六時には店を閉めているの
で、夕食に来る客は期待していない。気まぐれに遅いお茶を飲みに来る客はある。誰も来
ないだろうと思いながら店番をするのは辛抱が要る仕事だ。
 そう思っていたところへ、時々来る近くの弁護士事務所の若い弁護士が、傘をさしてや
ってきた。長い間ケーキのガラスケースを見ていたが、ケーキ6個のテイクアウト注文を
告げた。
「少し割引してくれない?」
「は、はい」
 とっさの時には押しに弱い私だ。考えた後の判断の結果ではない。ましてや商売人のサ
ービス精神でもない。
 なぜそう返事してしまったのかわからない。その場その場で良い人と思われようする、
子供時代からの習性だ。決してほめられたことではない。
 弁護士事務所が立ち上げたばかりでスタッフのおやつ代も渋りたいとしても、少なくと
も私のカフェよりは苦しくない筈だ。
 今日の客が弁護士という職業だと知っているのは、あるとき領収書を書いてくれと頼ま
れ、その宛名がカフェの裏通りにある弁護士事務所のものだったのでわかった。
 若い弁護士はスタッフを連れて何度かお茶を飲みにきてくれるお得意様の部類だったが、
注文とお金のやりとり以外に親しく口をきく間柄ではなかった。
 きっとほかの商売人なら、一回目の客にもそれ以外の話のきっかけなど作って親しげに
できることだろう。私はお客が話しかけてきた時は応えるが、天気の話題をもちかけたり
することもできない。
 若い弁護士はカフェの経営が苦しく、自分がその日の唯一の客だとは知らないことだろ
う。いや、雪の中を来たのだから、値段のサービスは当たり前というつもりだったのか。
 ともあれ売上げゼロにはならなかった。1890円、最小売上げ記録だ。
 二十一世紀の幕が開くと、その記録が更新される日が来た。
 大雪で東山の大文字のまわりの、三角に切り開かれた部分が真っ白だ。京都で最初に住
んだマンションは鴨川べりにあった。ベランダの眼下には水がきらめき、まほぎに大文字
が見えた。そこを選んだ理由はそれだった。
 大文字の形は変わらなくても、そのまわりは季節ごとに、日々刻々と様相を変えるのを、
時にはカメラに収めて、毎日暮らした。
               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               
 土砂降りの中、もう点火されないかと皆が諦めた年も、送り火を見逃さなかったのはそ
こに住んでいたからだ。秋雨の後に虹のかかった如意が岳や、照葉樹林のありかを知らせ
る赤みがかった若葉の大文字山も写真に残した。
 次に住んだ烏丸通りのマンションからも、大の字は前より小さくはなったけれど、大文
字山が見え、それを理由にすぐに賃貸契約をした。
 その分東山の姿は幅広く視界に入り、怖いような朝焼けの雲に染まった山を撮り、送り
火を盆の水に映して飲んだ。
 カフェの三階に越して、前の道路の電線に分断されてはいるものの、やはり大文字が見
えた。
 冬は朝起きると毎日のように雪化粧をしている大文字も、昼になるとおしろいを落とし
て枯れ草色の山に戻る。
 雪が少ない日は大の字だけが白く見え、雪が多い日は大の字の周りの樹木のない三角の
部分が白くなる。
 今日は大雪だ。
 前の道を歩く人もいない。歩く人がいるとしたら、カフェががらんとし、カウンターの
中にオーナーがぽつんと立っているのが見えたことだろう。
 店がはやっていないことは、隣の読売新聞販売店にも、町内会長の蕎麦屋のおじさんに
も、前を通るだけで知れていた。
「あんた悪いときに店始めたなあ。うちもかみさんと二人で八万の給料や。バブルの頃は
何も宣伝せんでもお客は来たけどなあ」
 町会費を集めに来た蕎麦屋のおじさんが、同情とも皮肉ともとれる言葉を発したことが
あるが、今日は蕎麦屋にも客はいないことだろう。
 気が付くと夕方になっていた。もしかしたら。
 暖をとりに温かい飲み物を飲みに来る人でもいるかと期待をしたが、それもなかった。
 とうとう初めてゼロの日になった。
 二月末、不動産屋の若社員から電話があった。夕方尋ねてくるという。
「実は次に入る方が決まりました。三月半ばに出て頂きたいと思いまして」
 一年半前、契約の仕切りなおしをしたとき、確かに次に入る人が決まるまでとは言った。
 それでもその方向に話が進められていると思わなかったのは、現実を見ていなかったこ
とになる。
 その後も家賃の滞納はなかなか取り戻せず、合計すると十八ヶ月、つまり借りていた間
の半分は払えていない。
「半ばではなく、春分の日まで営業させてください。それから三日で片付けるとして、二
十三日までお願いします」
 とっさの答えにしてはよく押せた方だった。
「次の方は四月一日には開店したいそうなので、改装が間に合うかどうか」
「春分の日は大事なのでお願いします」
「検討してみます」
 改装は突貫工事をするということで、私の要求は通った。
 不動産屋の青年はどんなに言いにくかったことだろう。それは一種悪役になる勇気を試
される場面だ。また、会社全体で応援しているのに、約束の家賃をためられては腹立ちも
あろう。それらをひっくるめて、ビジネスの言葉のやりとりに置き換えていかねばならな
い役目を果たした青年は、初めて物件を見せてもらった日、私が阪神ファンだというと、
自分は関西の人間なのに巨人ファンだと笑った時よりはるかに高いところにいる。
 私は抗わない。どうしようもない時は。
 事務的な手続きだけをぬかりなく済ませて、次の展望が開けるまでは受身でいるだけだ。