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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: MACBETH (Fri, May 9, 2008)

2008-05-09 | メト on Sirius
昨日に引き続き雨模様のニューヨーク。
朝から降ったり止んだりしていた雨がお昼以降本降りになった中での
『マクベス』第3ランの公演開始となりました。

第一ランは10~11月のルチーチ、グレギーナ、レリエー、ピッタスというキャスト、
第二ランは1月で、ルチーチに変わりアタネリがマクベス役を歌い、
グレギーナに変わってローレンスがマクベス夫人を歌った日もありました。
ただし、ライブ・イン・HDの日には、アタネリではなくルチーチがマクベス役に呼び戻されました。

第ニランでは一部のキャストが変更になっただけなのに変わり、
第三ランは、主要キャストが総とっかえで、
マクベス役に昨シーズン『リゴレット』のBキャストでタイトル・ロールを歌ったカルロス・アルヴァレス、
バンクォー役にルネ・パペ、そして、マクダフに同じ『リゴレット』
マントヴァ公爵役でアルヴァレスと共演したジョセフ・カレイヤがキャスティングされました。
歌唱上の難役とされるマクベス夫人役には、昨シーズン『トゥーランドット』などで歌った
アンドレア・グルーバーが当初予定されていましたが、
いつの間にか今シーズン『ノルマ』を歌ったハスミク・パピアンに変更になっていたのは、
昨日のお知らせの通り。

さて、いつもはほとんど定刻にスタートする公演が8時を9分過ぎても始まりません。
やがて舞台上からアナウンスが、、。どよめく観客。
誰がキャンセル、、?!

しかし、キャストの変更のお知らせではなく、この雨のおかげで、
到着が遅れているスタッフがいるために開演が遅れているが、あと10分以内には開演します、
とのこと。観客の安堵の溜息が聞こえてきそうです。

しかし、到着していないせいで開演できなくさせる可能性のある人といえば、
オケの団員の誰か(それもパートによる)か、出演者の誰かか(ルネ?)、
はたまた、、、、もしやレヴァイン?
困りますぅ、指揮者が遅れちゃ!(←真相は闇ですが、この際レヴァインのせいってことで。)
だって、雨のせいといっても、観客が遅れたときには開演を待ってはくれないのに。
(注:後ほど明らかになったところでは、スタッフではなく、お客さんの中に怪我をされた方がいて、
それも公演を遅らせる原因になったそうです。)

さて、まず第一幕で気付くのが、合唱のさらなる進歩。
先シーズンの末に新しいコーラスマスターを迎えてからの合唱の素晴らしい変貌ぶりは
度々このブログでもふれてきた通り。
時々、第一および第二ランからシリウスで放送された『マクベス』の公演を
今でも通勤中にiPodなんかで聴いているのですが、
その時と比べてもさらに顕著な進歩が聴かれるのには本当に私もびっくりしました。
こうやって時間の開いた同演目の公演を聴くととてもわかりやすい。
まだ半年かそこらですが、声の響きや言葉の扱い方に、目覚しい変化が見られます。
まだまだ進行形で発展中の合唱、頼もしいかぎりです。

さて、もう一点気になったのは、オケについてで、
特に新レパートリー、新演出の作品というのは、第一ランの前にじっくりと
指揮者、オケ、合唱、キャストの全員でリハを重ねるようですが、
その勢いが、特に第二ランから時間が空いてしまったために、失われてしまったこと。
おそらくこの第三ランに関しては、キャストがオケと合わせる
リハーサルはなかったのではないかと思われ、
指揮者、オケ、キャストの間で、第一および第二ランには確かにあった、
がっちりとした呼吸の合い方が、今日、特に第一幕ではあまり見られず、
ややぎこちない個所も散見されました。
オケに関しては、ニ幕あたりからだいぶ勘が戻ってきたようで、尻上がりによくなっていたので、
回数を重ねるごとに良くはなっていくと思いますが、、。
(とはいえ、このキャストでの『マクベス』は、三回しか公演がない。。。)

カルロス・アルヴァレスのマクベスは、ルチーチよりも声がどしっとしていて、
先輩バリトンらしく(メト・デビューはアルヴァレスがルチーチの2006年よりも十年早い。)、
自信のある歌いぶり。特にニ幕で精神錯乱を起すシーンは歌を聴く限り、達者。

そして、もちろんルネ・パペの歌が素晴らしくないわけがない。
こんなニ幕以降消えてしまう役で彼が舞台に登場してくれるとは、
(とはいえ、バスにはそういう出番の少ない役が多いですが、、)贅沢です。
しかし、私は、残念ながら、ここ二、三年、彼の声を聞く機会がなく、
もっと深い声だったような印象があったのですが、こうやって聴いてみると、
少なくともこのシリウスの放送では、意外とスマートで、
思っていたよりも柔らかい声だったのに驚きました。
彼に比べると、レリエーの方がずっと深くて、低音が響く声です。

この二人はさすがにベテランだけあって、安心して聴けるし、
カレイヤも、この役は彼にはもはやオーバークオリファイにも思えるほどなだけあって、
きちんと手堅く歌っています。

普通、役に求められている声質やキャラクターから言って、申し分ない3人のはずで、
ゆえに私は、シーズン開幕前はこちらの第三ランのキャストの方が本命!くらいに思っていたほどで、
今日もものすごく楽しみにしていたのですが、
なんだか、聴いているうちに、なんだか、あの、第一~第二ランのキャストとケミストリーが、
すごく懐かしく思えてくるのは、これはいかに??!

考えてみれば、おどおどと挙動不審気味で、いくらマクベス夫人に尻に敷かれてるからって、
そんなに気の弱そうなのはどうなの?と、思うルチーチのマクベスではありましたが、
彼の歌にはなんともいえないフレッシュさというか、新鮮味がありました。
そう、権力の交代の時には、こういうちょっと、今までと違う、新鮮な感じがあるものです。

それから、バンクォー。
このパペのように威厳のあるバンクォーもいいけど、あのレリエーの、
ヤンパパのような初々しいお父さんが懐かしいのはなぜだろう?
あの若いお父さんレリエーが、なんとなく自分の運命を感じ取って歌う
”なんと暗い夜の闇だ”のせつなかったこと。
パペの歌は、”パペという歌手”としては上手いのだけど、
バンクォーという役としては、私はレリエーの歌に軍配をあげたい。

それから、まだメトでは全く無名同然だったピッタスが歌った”ああ、父の手は”。
カレイヤと違って、軽い声だったけれど、彼が口を開いた途端、
客は全員引き込まれて、目と耳が離せなかった。
今、カレイヤがその”ああ、父の手は”を歌いました。
彼の歌も決して悪い出来ではありませんが、あの、ピッタスの
この役に全てを賭けているような真心のこもった歌が、客の心を掴んで離さなかったのと比べると、
やや生ぬるい感じが否めません。

今振り返ると、あの第一ラン(および第二ランのライブ・イン・HDの日の公演)は、
”若々しい”というのがキー・ワードだったような気がします。
それが、通常の『マクベス』の公演像とは逸脱していたかもしれませんが、
なんともいえないケミストリーを生み出し、独特のパワーを発揮していました。
あれは、キャスティングのあやが生み出した幸運な例だったんだなあ、と、
思わずにはいられません。

さて、問題は、パピアンのマクベス夫人。


(↑ 写真は昨年11月のメトの『ノルマ』の公演より)


そんな第一および第二ランの”若々しい”キャストの中で、
ひときわベテラン度が光っていたグレギーナですが、
まあ、それだけこの役は大変で、ぽっと出の歌手にはとても歌えるものではないということです。
パピアンについては、今までにこの役を全幕で歌ったことがあるのかどうかは知りませんが、
少なくとも今日の歌唱に関して言えるのは、やや準備不足という感があること。
夢遊の場のような個所の方は、歌が比較的練れているのですが、
第一幕は、ええ??という個所もいくつかありました。
夢遊の場の練れ方に比べると、全く適当というか、、。

グレギーナですら、公演の最初の方の日にちでは細かい部分が
適当に聴こえる箇所がたくさんありましたが、
噂ではライブ・イン・HDの前に、レヴァイン氏に細かいレッスンをつけてもらったという話があり、
そのHDの日には、見違えるほど歌の完成度があがっていました。
もし同じことがこのパピアンにも出来たなら、かなり結果が違っていたと思いますが、
ライブ・イン・HDはない、たった3回しか公演もない、という状況ですので、
彼女の場合は最後までこの適当な歌唱で行ってしまうかもしれません。
それから、やはり厳しいのがパピアンの声の軽さ。
これは、グレギーナが、この役に必要な声の重さをきちんと持っているのとは対照的。
思っていた以上にこの役には声が軽くて、残念ながら私の基準でいえば、
彼女は、観客のためにも、また何より、彼女自身のためにも、
この役は避けた方がいいと思うのですが、どうでしょう?
特に厳しかったのが、第一幕。
息が苦しくて水面でパクパクしている魚を思わせる歌唱で、聴いているこっちが辛かったです。
そんな状態では、コロラトゥーラの技術がどうのこうのという以前の話。
結局、この状態に引き摺られて、
一幕では、細かいアジリタの技術を披露することが出来ていませんでした。
アジリタがあやしいという面でほとんど変わらないのであれば、
私は、まだ声に重さがあるローレンスの方をとりたい気もします。
それでもどこか一箇所でも聴かせてくれる場面があれば、歌唱の印象が
変わったのかもしれませんが、一番痛かったのは、それがなかった点かもしれません。

ということで、特に男性陣が強力なキャストにもかかわらず、聴けば聴くほど、
第一ランのキャストが懐かしく思えるという不思議な公演でした。
ホストをつとめるマーガレット嬢まで、最後のカーテン・コールの場面で、
”そういえば、レリエーはこのアンコールのために一生懸命シャワーで血糊をとってから
舞台に上がっていましたよね。”と懐かしがる始末。
マーガレット嬢も私と同じ気持ちなのかもしれません。

そういえば、ライブ・イン・HDの映像がDVDで発売になるのは5月の予定だったはずでは?
”若々しいマクベス”を早くもう一度観たい!!!


Carlos Alvarez (Macbeth)
Hasmik Papian (Lady Macbeth)
Rene Pape (Banquo)
Joseph Calleja (Macduff)
Russell Thomas (Malcolm)
James Courtney (A doctor)
Elizabeth Blancke-Biggs (Lady-in-waiting to Lady Macbeth)
Conductor: James Levine
Production: Adrian Noble
ON

***ヴェルディ マクベス Verdi Macbeth***


Sirius: LA FILLE DU REGIMENT (Mon, May 5, 2008)

2008-05-05 | メト on Sirius
さあ、今日からまた一週間が始まるわよ!と、
友人yol嬢にアラーニャ一号と源氏名をつけられた我が家の愛犬の長男の方
朝ご飯をキッチンで作っていると、
リビング・ルームの方から突然ニワトリが絞め殺されているような音が聴こえてきた。

一体、何事!?と、アラーニャ一号と駆けつけると、
私の連れがアラーニャ二号を抱きながら、『連隊の娘』のMes Amisと思われる曲を歌っていました。
ニワトリが絞め殺されていると思ったのは、丁度ハイCにあたる部分だったようです。
そして彼が振り向きざま一言。”今日のメトはまた『連隊~』の公演。シリウスでも放送あるみたい。”

、、、はあ、そうですか。

と、まあ、こんな調子で、ライブ・イン・HD鑑賞以来、我が家でもすっかり盛り上がっている『連隊の娘』。
先週金曜(5/2)の公演の生舞台の感動もいまだ胸に新しい状態で、今日はラジオの前に正座です。

しかし、ニワトリの呪いのせいか、これまでの公演に比べると、
少しかみ合わない感じのする第一幕。
しょっぱなの曲で珍しくオケから完全にテンポが外れてしまったパーマー、
主役のデッセイとフローレスもオケとなかなか一体になることが出来ず、
これはどうした?!
特にデッセイは、登場してすぐの音から、絶好調のコンディションではないことが伺われ、
結局、一幕通して、高音のコントロールに非常に苦労しているような印象を受けました。
金曜日には完璧とも言える歌唱を披露していたのですが、、。
今までずっといともたやすくこの役を歌っているように見えていた彼女ですが、
ちょっとしたコンディションの変化が、歌の出来にこれほどまでに如実に跳ね返ってくるとは、
いかにこの作品のこの役を歌うのが大変なことか、あらためて、実感します。

おそらくは、その歌唱が思い通りにならないのを、無意識に埋め合わせようとしての結果なんでしょうが、
台詞や演技の部分がいつもよりもオーバーアクティングになってしまっているのも、
一幕がちぐはぐになってしまった原因の一つかもしれません。

それをとりもどすには、フローレス王子!!あなたしかいません!!!
Mes Amisでは、珍しく冒頭の一音がいつもほどぴたっとしたはまり方ではなかったものの、
他の部分は、ハイCを含め、素晴らしい出来。
先日、”一回目の出来が良ければ良いほど、アンコールの可能性低し”という仮説を立てた私ですが、
あっさりと崩され、今日もアンコール”あり”です。あり!!
二度目も非常に良い出来ではあったのですが、
少しこれで消耗したか、そのすぐ後に続く場面で、彼には非常に珍しい事だと思うのですが、
緊張の糸が緩んで、音がひっくり返りそうになった個所があり、ひやっとさせられました。

この後の”さようなら Il faut partir "は、デッセイが得意としているアリアのように感じ、
実際先週火曜の公演では、王子が拍手喝采を浴びた勢いで、このアリアを美しく決めて、
波にのった経緯がありましたが、今日は、このアリアをもってしてもまだ本調子が出ない様子。
大丈夫でしょうか、、?心配になってきました。

それでも、今日のお客さんは非常に温かく、一生懸命彼女を盛り立てている様子が伝わってきます。
ひどい出来の歌唱に大喝采を浴びせるのは私は反対ですが
(今日の一幕のデッセイはもちろんそこまでひどくはない。)、
また一方で、歌手の人たちからいい歌唱を引き出すのは観客の力にもかかっているので、
今日のような場合は、こうやって温かく盛り立てるのが賢い選択です。

第二幕以降、少し調子を取り戻し始めたように聴こえるデッセイ。
特に”フランス万歳 Salut a la France "の最後の高音でやっと彼女らしい声が出て、
ここから一気に波に乗った感がありました。

”マリーの側にいるために Pour me rapprocher de Marie ”。
今日のフローレスの歌唱もいい。特に、今日は音と音の間の沈黙をも非常に効果的に利用した歌唱で、
また、他の公演での歌唱とは違う魅力がありました。
ただ、先週金曜の公演で聴いた、あの、この世のものとも思えぬ繰り返しの冒頭の部分のピアニッシモ、
今日はそこまでしぼったピアニッシモではなく、あれを実演で聴けた幸運を、
今日再び私は噛みしめた次第です。
まあ、その代わりにアンコールは聞けなかったわけで、全てを手にすることはできない、ということです。

前後しますが、ベルケンフィールド女侯爵が感極まってシュルピス軍曹と抱き合っているところに、
ホルテンシウスが入室してきて、二人の仲を誤解しかかる場面で、
それを誤魔化そうと、女侯爵が歌のレッスンが続いていたような振りをするシーンですが、
ここでパーマーが歌う歌はアドリブで、毎公演違っているようです。
先週火曜の公演では、『魔笛』の”復讐の心は地獄のように燃え”が飛び出しましたが、
今日は何と、”ワルキューレの騎行”から、あの”ホーヨートーホー”を、
パーマーがピアノを叩き鳴らしながら熱唱して、観客も大爆笑。私も笑ってしまいました。
いやいや、本当に楽しいシーンです。

”フランス万歳”の後のデッセイは、心配が吹き飛ぶほど彼女らしさが戻り、
幕が降りる直前の最後の高音も、非常に綺麗に聴かせてくれました。

先週金曜に続き、今日も幕後は、フローレスに対してより、むしろデッセイへの拍手が多いように感じられ、
不調で今日の公演をスタートした彼女を支え続けた観客の粘り勝ち、といった感じ。
本当に何度聴いても、この二人には感嘆してしまいます。


Natalie Dessay (Marie)
Juan Diego Florez (Tonio)
Alessandro Corbelli (Sgt. Sulpice)
Felicity Palmer (Marquise de Berkenfield)
Donald Maxwell (Hortensius)
Roger Andrews (Corporal)
David Frye (Peasant)
Marian Seldes (Duchesse de Krakenthorp)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Laurent Pelly
Set Design: Chantal Thomas
ON

***連隊の娘 ドニゼッティ La Fille du Regiment Donizetti***

Sirius: LA TRAVIATA (Dec 19, 1998/Sat May 3, 2008)

2008-05-03 | メト on Sirius
素晴らしい『連隊の娘』の公演を見た後で気分も良い金曜の夜。
私の連れがちょっと見せたいものがある、と言い出した。

さて、オペラと名のつくものなら、比較的、何でも見よう、聴こうとは思っていますが、
その中にも、私が大好きで、語り始めると止まらない演目というのがあります。
『ルチア』、『蝶々夫人』、そして、『椿姫』もそんな作品の一つ。
そんな私の嗜好を知り尽くしている彼が見せたいといったものは、
『カミーユ』という、『椿姫』の原作であるデュマ・フィスの作品を映画化したもの。

まず、見せられたのは、1936年に作られた、グレタ・ガルボが
マルグリート・ゴルティエ(オペラのヴィオレッタ・ヴァレリーにあたる)役に扮し、
ロバート・テイラーがアルマン・デュヴァル(オペラのアルフレード)、
ドリュー・バリモアの大叔父さんにあたるライオネル・バリモアがデュヴァル氏(オペラではジェルモン)を
演じたもの。

ガルボは、冒頭の写真にあるとおり、見た目ではかなりヴィオレッタ度が高く、
(映画ではマルグリートですが、ここはオペラ・ブログ。この際、ヴィオレッタで通します。)
雰囲気満点なんですが、彼女ってものすごく声が低いのですね。ちょっとヴィオレッタらしくない。
しかも、年齢でさばを読んでいないとすれば、まだ31歳の頃の作品なのにも関わらず、
目じりのしわが気になり、なんだかえらく歳を食ったヴィオレッタという感じです。
オペラの『椿姫』でヴィオレッタ役を歌う歌手には、ありとあらゆる注文をつけてしまう私ですが、
こうして見ると、歌なしで演じる場合においても、かなりぴったりと来る感じの人って、
いないものだなあ、と思ってしまいます。

ロバート・テイラーが、これまた、何だかパリ(まあ、元はもっと田舎の出なわけですが)
の男性の雰囲気とは程遠く、この人は男前かも知れないけど、
たたずまいが、悲しいくらいアメリカ人してるなあ、、と感じます。
というわけで、ヴィオレッタのみならず、アルフレードも意外とぴったりの人を探すのが難しい。

ハリウッド風『椿姫』という趣、ということで連れと意見の合致を見る。

しかし、ここで終わらない。連れが言うのだ。
”でもね、本当に面白いのはこっち。”

とその1936年ガルボ版『カミーユ』に、特典映像として付いてきた映像を見せられた。
1921年に作られた無声映画の『カミーユ』。
なぜだかわからないが、舞台を製作当時(つまり1921年ごろ)に移し、
アール・デコともなんとも形容しがたいインテリアが盛りだくさん。
まあ、このわけのわからない時代の移し変えというのは、
今でも世界各地のオペラハウスで、オペラの上演に関しても行われていることなので、
そんな血迷った試みも大目に見ようではないか、、、と、心を広く持って見始めたところ、
これがものすごく強烈な作品なのである。

アラ・ナジモワという女優が演じるヴィオレッタ、
これのどこが高級娼婦なんだ?!と叫びたくなるほど、下品ないでたちなのである。
いつから、ヴィオレッタは、道にたむろう売春婦になったんだ?と聞きたいくらいに。
この時代の最先端だったのか知らないが、すごいボリュームの髪に、
安キャバレーのホステスしか身につけないようなすごい衣装の数々、、。
冒頭の、ドゥミ・モンドの世界の女王として君臨するシーンではまだしも、
パリ近郊の片田舎に引っ込んだはずのシーンでまで、この髪型は変わらず、
服装のセンスまで、基本同じなのである。
こんな人が田舎に引っ越してきた日には、周りの人も引くっての。



そんなヴィオレッタの強烈なルックスを中和するのが、アルフレード役を演じる天下のルドルフ・ヴァレンティノ。
この人はすんごい男前、、。
正面から写したショットを見るまでは。
そう!ヴァレンティノってすっごく横顔は男前なのに、正面から見た顔にこけます。
ちょっと横から見たときに持った印象と違う顔じゃないの!それ、詐欺じゃないのよ!って、、。

でも、じーーーーーっと見てると、彼、演技があんまり上手じゃないですね。
まあ、横顔が男前だからいっか。
それよりも、むしろ、どちらかというと、強烈なヴィオレッタ、ナジモワの方に、
段々私は惹きつけられてしまいました。
それってどういう形ですか?と聞きたくなるものすごい眉墨のライン、
ヘロイン中毒かと思うほど黒く塗りたくった目のまわりのアイシャドウ。
でも、そんな謎のメイクを超えたところで、彼女は、時々、なんともいえない表情をするんですね。
サイレント映画の常で、現在の映画で主流になっているような自然な演技とは
ちょっとお芝居の仕方も違うのですが、これはこれで非常に興味深いです。

最初のぎょっとするようなショックを超えると、1936年のガルボ版より、
ずっとずっと面白い。
妙なデザインの家具の数々も衝撃的で、見ていて飽きません。
『椿姫』の無限の可能性を再確認。

と、そんな映像を見て、すっかり『椿姫』モードに入ってしまったために、
本当は、今日5/3(土)の午前中は、マチネで見る予定になっている、
私のあまり好きでないモーツァルトの作品『後宮からの逃走』の予習の
ラスト・スパートを決めねば!と思っていたのに、
シリウスで1998年12月19日に全国ラジオ放送用に収録されたメトの『椿姫』の放送があると聞き、
そちらに走ってしまいました。

キャストは、何と、ヴィオレッタに、私が今最もリスペクトしているソプラノ、
パトリシア・ラセット(SFOの『蝶々夫人』の蝶々さんです)、
そして、アルフレード役には、まだこの頃は、ほとんど国際的なキャリアをスタートさせたばかりのはずの、
マルセロ・アルバレス(今シーズンのメトの『カルメン』のドン・ホセ)、
ジェルモンにウラジミール・チェルノフという顔合わせ。

実は、私、その頃にメトでラセットの『椿姫』を見た記憶がおぼろげながらにあるのですが、
それほど強烈な印象を受けなかったのです。
それゆえに、最近、彼女の歌を聴いて、すごいなあ、と思うたびに、
でも、昔彼女を聴いたはずが印象に残っていないのはどうしてだろう?ということを、
常々疑問に思っていたのでした。

まず、もう10年も前の収録ということで、彼女のキャリア上、当然の流れといえるのかも知れませんが、
今のラセットは、蝶々夫人、エリザベッタ(『ドン・カルロ』)などの役が印象的なので、
『椿姫』を歌っていた時期がある、という事実自体が感慨深い。
で、実際に歌唱を聴くと、やはり、すでにもうこの時期から、
彼女の声はもうちょっと重い役に向いているということがはっきりしているように思います。
(とはいえ、若い頃からがんがん蝶々夫人のような役を歌うわけにも行かないのですが、、。)
特に第一幕、細かい音符を歌い出そうとすると、どうしてもその大きめのサイズの声が邪魔をして、
音のまわりがスローになってしまう。この役にはこれは致命的です。
ただ、意外と高音がしっかり出せているのにびっくり。
蝶々さんの登場の場面では決して高音にチャレンジしないので、苦手なのかと思っていましたが、
これを聴く限り、少なくとも10年前には、楽々と出していたことがわかります。

現在の彼女の歌の最大の美点は、決して下品に堕さずに、ドラマを歌唱に盛り込める点にあると
思っているのですが、それでいえば、第三幕なんか上手いはず。
で、確かに、全部の幕の中で、第三幕が一番出来がよかったとは思うのですが、
しかし、手紙を読む場面など、今の彼女からは想像できないほど、
べったりとした表現で、かなり濃いです。

ということで、10年前にこの歌唱を聴いて私が特に強い印象を持たなかったのは
ある意味ゆえあったことで、むしろ、この10年の間に、彼女がいかに大きく成長を遂げたか、
という、そのことに大いに感嘆したのでした。
しかも、今の彼女は、歌える役と、彼女の声がマッチしている、
キャリアの中でも一番いい時期にあるということも再認識。
ますます、彼女の歌を今のうちにたくさん聴いておかねば!との意を固めました。

アルヴァレス。
オペラの世界に入るのが比較的遅かったせいもあってか(学校で経済を勉強した後、
歌手になるまで、ずっと、家業の家具づくりを手伝っていた)、
キャリアをスタートして間もない歌手とは思えない落ち着いた歌いぶり。
ちょっとアルフレード役には落ち着きすぎている感もなきにしもあらずですが、
完成度は高いです。
ただ、現在の彼の歌から聴ける余裕とか歌の色気といったものはまだ出来上がっていないようにも思いました。

意外とキャストの中で一番良かったのは、チェルノフが歌うジェルモン。
深い声で、父親風(かぜ)をがんがん吹かせていました。

ぎょっとさせられたのは合唱の混沌ぶり。
いやー、これを聴くと、今シーズンに入ってからのメトの合唱がいかに
進化を遂げたか、喜ばずにはいられません。

original broadcast date: December 19, 1998

Patricia Racette (Violetta Valery)
Marcelo Alvarez (Alfredo Germont)
Vladimir Chernov (Giorgio Germont)
Conductor: Carlo Rizzi
Production: Franco Zeffirelli
N/A

***ヴェルディ 椿姫 ラ・トラヴィアータ Verdi La Traviata***

Sirius: LA FILLE DU REGIMENT (Tue, Apr 29, 2008)

2008-04-29 | メト on Sirius
4/26のライブ・イン・HDで素晴らしい公演を見せてくればかりの『連隊』。
今日のシリウスに乗る公演はどうでしょうか?

まず、聴き始めて思うのは、やっぱりこの作品、特にこの演出では、
コメディックな演技という、視覚の部分も大きいので、シリウスで聴いているだけでは、
フラストレーションがたまる。
あの、デッセイのアイロンがけを、パーマーのおかしな叔母ぶりを、
フローレスのぴかぴかの舞台姿を、コルベリのつるっぱげ頭を見たい!

というわけで、片翼がない状態のものを語るのは難しいので、
今日は歌唱の印象を、それもピン・ポイントで。

まず、素晴らしい公演のすぐ次の公演ではたまにあることですが、
テンションを前回と同じほどに保つことが難しく、少しエンジンがかかるのに時間が。

デッセイの歌唱、特に頭のシュルピスとの二重唱、そしてその後に続く連隊の歌に、
そのような印象を持ちました。
ライブ・イン・HDの時のほうが、もっとエッジがあって良かったように思います。
(とはいえ、今日の歌唱でも素晴らしいのですが。)
フローレスとの二重唱あたりからくらいでしょうか?歌がのってきたのは。

さて、そのフローレスの方も、今日は立ち上がりが少し、ライブ・イン・HDのときと比べて、
彼の基準からすると、やや微妙に苦労しているような印象を受けました。
当然、音が外れているわけでも、明らかな失敗をしているわけでもないのですが、
いつもだと楽々に出ているような印象を受ける声が、今日は一生懸命コントロールしているおかげで、
おさまっている、というような感じとでもいいましょうか。

Mes Amisの高音も、最後の長く延ばす音を含め、後半4つほどの音は、
ややざらっとしたテクスチャーもあって、初日(NYタイムズで公開されている音源)、
ライブ・イン・HDの日、今日と聴き続けてきた中では、一番元気がない出来に思えました。
それでも、猛烈に盛り上がってアンコールさせずに終わらせるかと吠え続ける観客たち。
いやー、しつこいですね、今日の観客は(笑)。
ライブ・イン・HDの日の公演の客に足りなかったのは、このしつこさだな。
しかし、観客とは本当に獰猛で欲張りな動物だ、と実感。

でも。この一回目の出来を聞くに、もう一回歌うのはリスクがありそうだし、
どうするんでしょう?と思っていたら、なんと、王子、アンコール!!
来ました!!
ええっ?!本当に??!!!

思わず耳を傾ける観客とスピーカーの前の私。
しかし、ここが彼のすごいところ。
なんと、二度目の出来が最高。素晴らしいじゃありませんか!!
すごい精神力です。やっぱり彼は只者じゃない。
この二度目の出来は、ライブ・イン・HDで聴いたハイC9連発と同じくらい素晴らしかったです。

ということで、私の中では仮説が出来上がりました。
もちろん、客とのケミストリー(というか、客のしつこさ?)というのも大事なポイントなんでしょうが、
それに加えて、フローレス自身が、一度目のハイC9連発の出来を自分でどう評価しているか、
というのもアンコールのあるなしを決める重要なファクターなんではないでしょうか?
今までのところ、一回目にほんの少しでも出来に不足があったときに、
必ずアンコールがあるという法則になっているように思います。
次の公演は金曜日。この法則が真か偽か、オペラハウスの中で、しかと確かめて来たいと思います。
そのためには、今日から、私もしつこくする練習をしておかなくては。

この二度目のハイC9連発が大成功してから、一気に公演がヒート・アップ。
デッセイが丹念に歌う”さようなら Il faut partir"が泣かせます。

ニ幕の”富も栄華の家柄も Par le rang et par l'opulence "でも、
デッセイが、ディテールに及ぶまで、これ以上ないほど完璧な歌唱を聴かせて観客から大喝采。
高音のなんとまた綺麗だったことか、、。
デッセイはこの後、幕が降りるまで、ありえないほど完成度の高い歌を披露し続けてくれました。

そして、フローレスの”マリーの側にいるために Pour me rapprocher de Marie ”。
こ、これは!!!!す、す、す、素晴らしい!!!!
ライブ・イン・HDで少し危なっかしい感じもしたDフラットが完全に決まって、
お客さんも大熱狂。

いやー、第二幕以降については、これはライブ・イン・HDの日をもしのぐ出来になってます。
この二人はどこまで行けるのか、、、本当にすごいです。

あまりの盛り上がりぶりに、パーマーがピアノを弾きながらおどける場面では、
アドリブで、『魔笛』の夜の女王のアリア”復讐の心は地獄のように燃え”からの
フレーズまで飛び出す始末。
(これはライブ・イン・HDの日にはなし。)

いやー、最後にはビジュアルがないことなど忘れて、スピーカーの前で
微笑み、笑い転げ、そして、ほろっと来てしまいました。
これこそ、音楽の力。

ニ幕に関しては、冒頭でコンマスのニック・エネット氏が弾くヴァイオリンもつややかで、
なんともいえない色気があったうえ、それに応えるかのように、
”富も栄華の家柄も Par le rang et par l'opulence ”にのるチェロの演奏も美しく、
オケも見事に公演を支えていました。

今日オペラハウスにいる方たちはこんなすごい公演(特にニ幕!)を見れた幸運を喜ぶべし!!!
しかし、やや重かった出だしをひっくり返したのは、やはり、フローレスのあのアンコール。
アンコール・パワー、恐るべし、なのです。

Natalie Dessay (Marie)
Juan Diego Florez (Tonio)
Alessandro Corbelli (Sgt. Sulpice)
Felicity Palmer (Marquise de Berkenfield)
Donald Maxwell (Hortensius)
Roger Andrews (Corporal)
David Frye (Peasant)
Marian Seldes (Duchesse de Krakenthorp)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Laurent Pelly
Set Design: Chantal Thomas
ON

***連隊の娘 ドニゼッティ La Fille du Regiment Donizetti***

Sirius: UN BALLO IN MASCHERA (Wed, Apr 23, 2008)

2008-04-23 | メト on Sirius
今シーズン、風邪でダウンしそうになりながらも、なんとかグスタヴォ三世(リッカルド)役を
歌い続けてきたリチトラですが、4/21の『連隊の娘』のシリウスの放送時にゲストで出演した際に、
体調が芳しくない、という言葉を吐いたそうで、それが理由か、
なんと、今日4/23、最後の『仮面』の公演は、同役をラモン・ヴァルガスが歌うことに変更になりました。

年齢的にも、性格的にも、もはや、全くナイーブなところがない私なので、
実は、売れ残っていたチケットをさばくためのゲルプ氏の方策ではないのか?とも見ているのですが、
実際、この日の公演は彼が歌うと決まった途端、ソールド・アウト状態に。
リチトラが悪いわけではありませんが、オペラヘッドというのは、
いつも同じ役を色んなキャストで聴いてみたい、と思っている贅沢な人種ゆえ、、。

ましてや、ヴァルガスは、ヒューストンなどで同役を歌っていて、
線は細いが非常に音楽的な歌唱、と言われているので、多くの人が聴きたい!と思っても
誰も責められますまい。

実際、私もオペラハウスに行きたい、、と思い、ほとんど前日はチケットを購入する気でいたのですが、
何かが私を引き止めるのでした。”買ってはいけないよ、、”と。

そしてそんな予感が当日になって見事に的中。
会社で急用発生!家に帰って服を着替えてオペラハウスに向かう時間どころか、
シリウスの放送開始にも間に合わない始末。いや、間に合わないどころか、帰宅したのは夜10時15分。
大幅にミスってしまいました。

三幕途中、アメリアのアリアから参加。

今日のブラウンはどうしたの?というくらい、ヴィブラートの嵐で、音程も不安定。
少しいつもの彼女らしくありません。

またオケがどうしたことか、足に鉛がついているような重々しさ。
今日はテンポというよりも、なぜかみんなの気が乗っていないかのような重苦しさがありました。
決して悪くはないのに、何かみんな無理矢理がんばらされているような、、。
もっとヴェルディの作品は自分で転がっていくような自発的な感じが演奏の中に欲しいところです。

と、そんな鉛足をバックにホロストフスキーは今日もがんばる。
”お前こそ心を汚すもの Eri tu che macchiavi quell'anima  ”。
一生懸命、丁寧に歌っているのですが、その歌の下でオケが沈没しそうになっています。
下手という意味ではなく、なんか水面に出しても、ぶくぶくぶく、、と、
海底に沈んでいくような感じ。
これは何なのでしょう?
ヴァルガス出演!で熱くなっているかと思ったのに、なんだかそうでもないようです。

結局、ホロストフスキーのレナートに関しては、私が聴いたなかでは、初日(去年の12/17)が、
気合といい、声のコンディションといい、一番良かったのではないかと思います。

さて、いよいよ登場のヴァルガス。
実は”線が細い”という意見を聞いたときに、そうだろうなあ、という思いが強く、
聴いてみたいとは思ったものの、実はそんなには期待していなかったのですが、
いやいや、これはなかなか良いではないですか!

このヴァルガスの歌を聴くと、リチトラの歌が雑だったんではないか?と思えてきます。
声ももっと役にそぐわないかと思いましたが、そうでもなく、
ラジオで聴く限りでは、聴けた三幕以降については問題がないように感じました。
特に中音域での甘い響きは彼の声の一番の強みではないかと思います。
なんともリリカルな響きがあって、旋律のまわし方も巧み。
彼は歌が本当に上手だな、と、再確認しました。
(それは歌手の方はみんな上手いんですが、その中でも非常に高いレベルで。)

うーむ。この役あたりも歌えるとなると、彼の芸域はさらに広まりそうです。

Ramon Vargas (Gustavo III/Riccardo)
Angela M. Brown (Amelia)
Dmitri Hvorostovsky (Captain Anckarstrom/Renato)
Ofelia Sala (Oscar)
Conductor: Gianandrea Noseda
Production: Piero Faggioni
OFF

***ヴェルディ 仮面舞踏会 Verdi Un Ballo in Maschera***

Sirius: UN BALLO IN MASCHERA (Wed, Apr 16, 2008)

2008-04-16 | メト on Sirius
今日の私が昨日(4/15)のキーロフ・バレエの公演のレポにてんてこ舞いになっていると思ったあなた!
読みが甘い。
タイピングのための両手と早く思い出さないとすぐに風化していく記憶力を一生懸命呼び起さん!と、
頭は忙しくて働いていても、どっこい両耳は空いているのです。
というわけで、今日も衛星ラジオ放送シリウス鑑賞会、行きます!

昨12月(12/1712/21の生の舞台鑑賞レポはこちら)の第一ランから約四ヶ月ぶりの
『仮面舞踏会』第二ラン。

アメーリア役がクライダーからアンジェラ・ブラウンに代わった以外は主役キャスト、
指揮者共に第一ランと同じ。

特にリチトラのグスタヴォ3世(一般的にはボストン版での役名で、リッカルドと呼ばれることが多いが、
メトの現プロダクションではスウェーデンを舞台にした版を採用しているのでグスタフ三世)については、
かなり第一ランでの出来がひどかったのですが、一応、”風邪”という説明で済まされてしまったので、
今日はそこのあたりもしっかり確認したいと思います。
4ヶ月も風邪ひきが続くわけはないですから。

まず、今日の演奏でとにかくびっくり仰天させられたのはノセダ氏の指揮。
シーズン・プレミアにあたる12/17の公演では、オケがそれこそ歌手を無視した大爆音ながら、
これはこれで、なかなか面白い演奏で、私はおおいに楽しませてもらったのですが、
その初日が批評家連からオケの音がでかすぎる!と叩かれ、迷いが生じたか、
日に日にアプローチを変え、第一ランはとにかく大迷走状態のまま終わって行った経緯があります。
4ヶ月も間があったので、少し気分も落ち着いたかしら?と思いきや、今日のこの演奏は!!??
、、愕然。

遅い!!!もんのすっごく遅~~い!!
っていうか、これ、歌手の方たち、辛いだろうなあ、、。

特にホロストフスキーが歌うレナートのアリアは、なんでそこまで、、とあきれる位、
まるでゴムをべろんべろんになるまで引き延ばしたくらいにスロー・テンポ。
この演奏にちゃんとついて歌っただけでも、ホロストフスキーは表彰ものだというのに、
(実際、曲の頭の方では少しオケと音のタイミングがはまっていない個所が二、三。
しかし、ホロストフスキーのせいでないことはいうまでもない。
こんな遅いテンポで歌えるか!ですよ。)
その上に観客から大歓声を浴びていましたので、さすがです。
ただ、私個人的には、彼の歌はそんな小ざかしい作為的なことをしなくても、
いえ、むしろしない方が、この役では本当に素晴らしいものを聴かせてくれるので複雑な気分。
正直に言えば、その”伸びきったゴム”系の演奏に合わせて歌わなければいけなかった分、
そちらに神経が向かってしまったように思え、彼のレナートはこんなもんじゃありませんぜ!
と言いたくなりました。

今週末の土曜の夜の公演で、この第二ランの『仮面舞踏会』を観にいく予定にしておりますので、
その時にこんな”伸びゴム”系の演奏が聴こえてきたらば、私は平土間まで降りて行って、
ノセダ氏を後ろから羽交い絞めにしてしまうことでしょう。
お願いですから、初日を思い出し、きびきびと行っていただきたい。代わりに爆音にしてもいいから。

アメーリア役のアンジェラ・ブラウンは、11月の『アイーダ』で怖いくらいの
大根役者ぶりを発揮していたソプラノですが、今日は衛星ラジオということで音声のみ。
音だけではさすがに、演技の大根っぷりが観察できないのが残念。
あの演技力で、本当にアメーリアの不倫の恋に悩むせつない女心が演じきれるのか、
私は今から非常に不安ではありますが、これは土曜の楽しみにとっておくことといたしましょう。
声はさすがに、第一ランのクライダーに比べると、年齢が若いせいもあってか、
みずみずしいし、高音も全く危なげがなく、安心して聞ける。
ただ、その安心できすぎてしまうところが彼女の歌唱の難点にもなっているかも。
もう一歩、歌唱にスリリングさが加わればなおいいのですが、、。

Salaのオスカルに関しては、若干第一ランよりも聞けるようになっているように思いますが、
それでも、ぜひ他の歌手に配役を変えてほしい、と思う気持ちはほとんど変わりません。
このオスカル役、いい歌手が歌うと、ぴりっと公演がひきしまる大事な役なんですが、、。

逆にブライスは、さすが、いつもどおりの安定したウルリカで観客を湧かせました。

そして、私的には今日一番の注目どころだったリチトラ。
結論。この役を歌うのはこのシーズン最後にしましょう。
で、この役を歌うのをやめるだけでことが済めばいいのですが、他にも数点気になる点がありました。

まず、彼の声質には独特のひょろん!とした響きがあるのですが、
コンディションがいいときの彼は、そのひょろんとした音に、がっちりとした背骨を加えることが出来て、
そのコンビネーションが個性的な魅力になっているように思うのですが、
この声の背骨がないときの彼は、単にへろへろに聴こえてしまう。
で、第一ランの際は、まさにその通りでへろへろだったわけですが、
風邪をひいたいた、ということで、そのせいなのかな?と思っていました。
しかし、今日の歌唱を聴いてそうではないんじゃないか?という気が。
もっと慢性的な声の変化が起こっているようにも感じられ、正直、非常に心配です。

で、そのことと関係があるかも知れないのですが、この役に必要なレンジの声が出ていない。
時に、通例歌われる音から一オクターブ下げた音に変えて歌っている音が確認され、
(舟歌では、同じフレーズの繰り返しがありますが、一つ目を通例歌われる音で歌って失敗。
繰り返しの時には下げて歌っていました。)
彼が今まで得意にしてきたレパートリーのテノール・パートに必要とされるレンジを歌うには厳しいくらいに
彼の声が下がり始めているのかな?という懸念も起きました。

そのユニークさを絶賛した彼の『道化師』ですが、もしかすると、
このカニオあたりの役は、彼の声には重いのも事実であり、
これらの役に挑戦したのが声を消耗させる結果になったのではないかと心配です。

何年か前のメトでの『アイーダ』のラダメスでは、ものすごくみずみずしい声を聞かせていた彼なので、
これが慢性的な変化でないことを祈るばかりです。

(なぜか、今シーズンの『仮面舞踏会』、
ホロストフスキーやリチトラといった有名歌手が出演しているにもかかわらず、
深刻な写真不足をきたしております。
よって、写真は2005年シーズンでアメリアを歌ったデボラ・ヴォイト。
衣装やセットは現在と同じです。)


Salvatore Licitra (Gustavo III/Riccardo)
Angela M. Brown (Amelia)
Dmitri Hvorostovsky (Captain Anckarstrom/Renato)
Stephanie Blythe (Ulrica Arfvidsson)
Ofelia Sala (Oscar)
Hao Jiang Tian (Count Ribbing/Samuel)
N/A (Count de Horn/Tom)
Conductor: Gianandrea Noseda
Production: Piero Faggioni
ON

***ヴェルディ 仮面舞踏会 Verdi Un Ballo in Maschera***

Sirius: LA BOHEME (Tues, Apr 1, 2008)

2008-04-01 | メト on Sirius
来る土曜日(4/5)は、ライブ・イン・HDの上映日ともなっている『ラ・ボエーム』。
ということで、今日のSiriusの放送は、その直前の回の『ラ・ボエーム』ですので
(水、木、金は違う演目の公演)、前哨戦としてライブ・イン・HDにむけての感触をはかるべく、
今日も自宅鑑賞会であります。

現在メトで上演されている『ラ・ボエーム』はフランコ・ゼッフィレッリの演出で、
メトの最も人気のあるプロダクションの一つとして長らく上演されているものです。
『ラ・ボエーム』は音楽作品として素晴らしいのももちろんですが、
メトでの公演には、その上にこのプロダクションの視覚的な贅沢も加わるので、
今日のようにラジオだけで聴くのは非常に寂しいのですが、その楽しみは土曜まで我慢。

さて、ロドルフォを歌うラモン・ヴァルガス。
この人は比較的いつも安定した歌を聞かせるのですが、私の好みからすると、
少しこの役には、声のカラーというよりも、重量感の面で、軽すぎるような印象を受けます。
バーデン・バーデンで、ネトレプコやガランチャ、テジエと組んだガラでも、
”冷たい手を”を歌っていますが、高音なんか軽々出ているのですが、
もうちょっとがしっと根がはったような足腰の強さが声にほしい。
たとえば、パヴァロッティは通常でいう声の軽さという意味では、ヴァルガスに負けないくらい、
いや、若い頃についていえば、ヴァルガス以上に軽いですが、
でも、彼の歌うこのアリアを聴くと、それでいて骨格がしっかりしているというのか、
どしーっとした力強さも感じさせます。
ヴァルガスの歌はそれに比べると浮き草のようなのが、やや不満といえば不満でしょうか。

で、そのバーデン・バーデンの映像ではわりとヴァルガスの調子がいいにも関わらず、
私はそのような軽い不満を持ってしまったのですが、しかし、、、。

今日のこの公演、ロドルフォの決め球アリア、”冷たい手を Che gelida manina "
の最初の音が出てきた瞬間、驚きました。
なんとキーを下げてきましたね、ヴァルガス。
うーん。そう来ましたか、、。

この”冷たい手を”には、最後に近い部分のsperanzaという言葉にハイCが入っていて、
これは、スケートでいうと最高難度の技にあたります。

オペラでは、キーを下げるといっても、通常半音か、せいぜい全音で、
それでも多くの人間にはとても真似のできない高音なのには間違いないのですが、
その少しの差が大きい。
特にこういう超高音が入っているアリアでは、その音が出たときの興奮度が、
オリジナルのキーで歌われているときと、下げて歌われているときでは全く違うのです。

それは、スケートの四回転ジャンプと三回転半ジャンプにも例えられるかもしれません。
このヴァルガスの例をとると、二日(今日の公演と、ライブ・イン・HDの公演)続けて
4回転ジャンプを飛ぶ(ハイCを出す)予定にしていたのを、
一日目のそれを突然3回転半に差し替えるのと近いイメージでしょうか。

本当は、一日目にもすばらしい4回転ジャンプを見せて、その勢いで二日目も4回転、
というのが、本人の気分的にも一番理想的だと思うのですが、
一日目が3回転半になると、それまでに本番で4回転を決めたことのないまま、
一番重要な日にその最高難度のジャンプを飛ばなければならないという
余計なプレッシャーが加わります。
しかし、一日目で4回転に挑戦して失敗すれば、それはそれで二日目にもっと大きなプレッシャーが
加わるということで、本人のコンディションも加味して慎重に決めねばなりません。

あと、オペラの場合は、キーを下げる場合、事前に指揮者とオーケストラにその旨を伝えておかねばならず、
直前に自分の意思だけでオリジナルで歌うか、低いキーで歌うかを決めるわけにはいけません。

このように個別のアリアのキーを変えるというのは、歌手のコンディションにより、
たまにあることですが、しかし、また一方で本来はこの役を歌うからには
オリジナルのキーで歌うことが期待されているわけで、ライブ・イン・HDの大舞台でも
キーを下げて歌うというのは、ちょっと考えにくいです。

ということで本人が絶好調であれば、おそらく今日はオリジナルで歌ったでしょうから、
キーを下げてきたということ自体、ベスト・コンディションではないことも伺わせ、ちょっと心配ではあります。
ただ、土曜日のために、コンサバな安全策をとっている可能性もないことはないでしょうが、、。

私がこのアリアを聴いた限りでは、最高音以外の個所も、ややいつもの彼らしくない、
足元がおぼつかない歌いぶりで、前者のケースを疑わせる理由になっています。
土曜までに、彼らしい声と歌が戻ってくることを祈りましょう。

さて、ゲオルギューが歌うミミ。
出だし、オケのテンポを全く無視して独自な拍子で歌っていたのは、
彼女もやや緊張気味だったのでしょうか?
私は彼女の少しきつく聴こえがちな声のトーンと歌唱方法が、
この役にはあまり合っていないように感じるのですが、
その最初の妙な拍子以外は、アリアの途中から声も伸びてきて、好き嫌いを抜きにすれば、
悪くはない出来です。
ただ、好き嫌いを抜きにしなければ、私は彼女が歌うこの役には、正直、まったく感情移入できません。

人気歌手の中では、このミミ役、ネトレプコが昨シーズン一度きりメトで全幕を歌ったり
(まだその時は役があまり練れていなかった)、
CDでもヴィラゾンと『ラ・ボエーム』の一幕からのシーンを挿入していたり(このCDや
ヴィラゾンと組んだメトのガラではだいぶ役の掘り下げに進化が見られた)、
先述のバーデン・バーデンのガラでも同じシーンをヴァルガスと歌ったり(さらに良くなっていた)と、
この役に近々、本格的に取り組みそうな予感がありますが、
私はゲオルギューに比べると、ネトレプコのミミの方に共感を覚えます。
しかし、ゲオルギューのミミは実際に舞台で見たわけではないので、
それ以上の感想とコメントは土曜の公演のレポまで控えたいと思います。

ルイゾッティの指揮は、最後の最後でやっと火がついた感じでしたが、
最後に火がついても、、。
特にロドルフォのルーム・メイトたち(マルチェロ、ショナール、コッリーネ)のアンサンブルを、
少しまとめきれていないような印象も受けました。

昨シーズンは別々の公演日に、
マルチェロにクウィーチェン(今シーズンのルチアのエンリーコ兄貴)や、
コッリーネにレリエー(同じくルチアのライモンド、マクベスのバンクォー)といった歌手が入っていて、
アンサンブルが彼らを中心に非常にしっかりしており、それに比べると今年のメンバーは今ひとつ。
テジエは良い評判を聴くので楽しみにしているのですが、本領発揮は土曜か?

とこういうわけで、Xファクターが多くて、
土曜の公演がどのような結果になるかは、まだまだわかりません。
期待しましょう。

と、こんなシンプルなレポでは申し訳ないので、今日は続けてCDの紹介に行ってしまいます。
ヨナス・カウフマン Jonas Kaufmann の ”Romantic Arias ロマンティック・アリア集"を紹介いたします。

この、ヨナス・カウフマンの新しいCDに収録されている、『ラ・ボエーム』のアリア”冷たい手を”については、
今”観て”聴いておきたい~男性編でも少し触れましたが、
その後、私は毎日最低一回は、彼が歌うこのアリアを聴いてます。
飽きるどころか、ますますこのアリアのこの歌唱はものすごく素晴らしいんではないか?という思いを強くしています。



デッカも彼も自信の歌唱と見え、CDの一曲目をこの”冷たい手を”が飾っているのですが、それも当然。
これをお聴きいただけば、私がこのアリアにはしっかりと根の生えた、
足腰の丈夫な声が必要、と感じる理由がおわかりいただけると思います。
ハイCを出せる歌手はそこそこの数いると思いますが、このアリアでこの音が歌われるとき、
そこには聴き手を根こそぎつかんで無理矢理高みにつれていってくれるようなスリルがなければ。

その意味で、このカウフマンが歌うそれは、”えっ?この声であのハイCが出るの?”と
最初に猛烈な期待を持たせ(というのは、彼の声にはバリトニックなカラーがあるので)、
それがメロディが盛り上がるにつれて次々と高音を獲得していく様はスリル満点。
ハイCの個所は、何度聴いても、皮膚の下で血が沸騰します。
このアリアを録音しているテノールはあまたいますが、あえて、
私はあのパヴァロッティ様よりも、このカウフマンの歌唱をとるかもしれないくらい、
この”冷たい手を”での彼の歌唱が大好きです。

ヴァルガスがライブ・イン・HDの公演に向けて、体調を崩したとなったら、
世界のどこにいようとこのカウフマンを無理矢理NY行きの飛行機にのせるべき!!
彼がこのライブ・イン・HD『ラ・ボエーム』のロドルフォを歌うことになっていたなら、
これは非常に面白いことになったかもしれないのに、と心底思います。
(ただし、全幕を舞台で歌っているのかは、よく知りません。
でも、ノー・問題。このアリアさえこんな風に歌ってくれれば、私はそれだけで満足できます。)

これ以外では、実演で何度も歌っている『椿姫』のニ幕からのシーンがさすがに練れてます。
ロドルフォとかアルフレードとか、純情一徹系の役を歌わせると彼は本当に良い。

フランスものも頑張ってますが、『カルメン』の花の歌よりは、
『マノン』からのデ・グリューのアリア、”消え去れ、優しい面影よ Ah! Fuyez, douce image "や、
『ファウストの劫罰』からの自然への祈願(”広大で奥知れぬ崇高な自然よ Nature immense,
impenetrable et fiere ")がよい。
特に後者のファウスト役は来シーズンのメトで、ジョルダーニが歌う予定になってますが、
これもヴァルガスに続いて差し替え希望。
そうです、今日の私は言いたい放題言わせていただきます。

『魔弾の射手』からの”森を過ぎ野を越えて Durch die Walder, durch die Auen ”も聴かせるし、
彼はこの広いレパートリーも魅力の一つです。
浅く広くは最悪ですが、広くてもここまでどれも深ければ、大歓迎!!

逆に、『ドン・カルロ』からの曲はまだまだ磨きたりない感じがします。

三曲目に収められているフロトウの『マルタ』からのアリア、
”ああ、かくも素直で愛らしい Ach! so fromm”は、シンプルながら、美しい曲。
このCDで初めて知りました。

指揮はメトで毎シーズン振っているマルコ・アルミリアート(今年は『椿姫』。そういや昨シーズンも『椿姫』
マルコ、もしや『椿姫』専門?)
そのいつでもサービス精神旺盛、指揮をするのが本当に楽しそうな様子は、
見てるだけでポジティブになれる、ディドナート系で、私は好きです。
そんな彼がまとめるプラハ・フィルは、音は一級ではなくとも、何かカウフマンの熱唱に感化されたような
演奏を聴かせていて、この手のアリア集の伴奏にしては悪くありません。

いろいろ書きましたが、”冷たい手を”一曲だけとっても、
あまりに何度も聴いたので、すでに十分もとは取った、と思えるほど。
当ブログより激しく推薦。


Ramon Vargas (Rodolfo)
Angela Gheorghiu (Mimi)
Ainhoa Arteta (Musetta)
Ludovic Tezier (Marcello)
Oren Gradus (Colline)
Quinn Kelsey (Schaunard)
Paul Plishka (Benoit/Alcindoro)
Conductor: Nicola Luisotti
Production: Franco Zeffirelli
OFF
***プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme***

ListenLive: TRISTAN UND ISOLDE (Fri, Mar 28, 2008)

2008-03-28 | メト on Sirius
メトからのお詫び&リベンジといえる、本日のリアル・プレイヤーによる『トリスタンとイゾルデ』の
ライブ・ストリーミング
を今聴いていますが、
(早い話、コンピューター上で生の音源を聴ける、ということです)
いやいや、メトのこの力の入りようはすごいですね。
予定通りのキャストで行けば、ヘップナー、ヴォイト、デ・ヤングの同時キャストは実現しないはずが、
なんと、もともとブランゲーネ役に予定されていたウレイを引き摺りおとし、デ・ヤングを投入!!

これにてついに今シーズンの『トリスタン~』の売りであったチームが初めてメトにて顔を合わせることに
なったわけですが、この急遽組まれたライブ・ストリーミングにこれだけの力を入れることにこだわるとは、
メト自身、ライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)の公演時にとった
スミスを呼び寄せるという、あの時点での最善の策でさえ、不本意なものだったのかもしれません。
”見ろ!本当はこういう公演になるはずだったんだぞ!!”というメトの主張が聞こえてくるようです。

そして、確かに、今日の演奏は、ライブ・イン・HDの日の公演よりも数倍いい。
ライブ・イン・HDの日に生の公演を見た私には、いかにも悔しいではありませんか、、、。
もうこれは、単純なヘップナーとスミスのどちらのトリスタンがいいか、とか、
そういう単純な比較を超えて、キャストとオケが、
この放送で世界中を唸らせてやる!という気合が感じられる。
こういった特別な機会だけが作れる空気が音に溢れています。

さて、私、普段は一切PCで音楽を聴かないので、ずっとPC用のスピーカーなどという
気の利いたものは所有しておらず、この公演のためだけに、早速コンピューター・ショップに赴き、
高価なスピーカーを売りつけようとしてくるアラブ系と思しき店員のお兄さんと戦って来ました。
いくら高価なものを買ったって、きちんとしたオーディオ・システムにかなうわけはないので
そこそこのものでいい!と、そのそこそこなものを購入したところ、
いやー、本当にそこそこで、音がつながった途端、その痩せた音、
オケの細かいニュアンスの聴き取りにくさにいらいらいたしましたが、
人間の耳というのはすごいもので、聴き取りにくければ聴き取りにくいなりに、
だんだん慣れて、だいぶエッセンスを抽出できるようになってきました。
今、二幕目を聴いていますが、最初のいらいらはだいぶ軽減されました。
ただ、申し上げておきたいのは、今日の公演はそんなお寒い音質で聴いていますので、
シリウスの放送(こちらはいつもきちんとしたオーディオ・システムにつないで聴いています)やら、
実際オペラハウスの中で聴いた音と単純比較するのがやや難しいということです。
しかし、難題になればなるほどやる気が起こるというもの。がんばります。



一幕

こうしてマイクで拾われた音を通して聴く限り、やはり、
3/25(火)の放送でイゾルデ役を歌ったベアードより、ヴォイトの方が数段歌の完成度は高い。
ヴォイトの歌はこうして聴くと、一つ一つの音を丁寧に、どれもおろそかにせず歌っているのがいい。
今日みたいな”たぎっている”公演でない時は、そこが逆にフォルムにこだわりすぎて、
冷めているような印象を与えることになっているのかも知れませんが、
今日はヴォイト、最初からものすごく飛ばしていまして、これはライブ・インHDの時以上の出来です。
これ位パフォーマンスが熱いと、彼女の歌のフォルムの綺麗さとのバランスがとれてきて、
冷めているという風には全く聴こえないです。

ブランゲーネ役のデ・ヤングは少し今週25日の火曜日の公演から調子を落としているように感じられ、
今日も、火曜ほどではないのですが、ややその名残を感じます。

もともと”早く発火したいー!”という空気が満ちみちていましたが、
幕の最後の数分間で、急激にぼっ!!と炎がたった感じで、大盛り上がりのまま幕。
あのライブ・イン・HDの時は、ふーん、なるほど、という感じの拍手だったのに対し、
今日は観客が本当に熱狂している様子が伝わってきます。

ニ幕

このニ幕でオケの音が入ってきた途端、今シーズンのメトのこれまでの『トリスタン~』の公演で、
ほとんど感じられなかった緊張感というものが、やっとやっと音に出てきました。
こういう音を聴かせてほしかったのです。

そして、もうこの幕は、、、なんといったらいいのか!!
ヘップナーとヴォイトの二人が本当に素晴らしい。二人ともががっぷり組んで、一歩も譲っていない。
この二人は、声の相性の面でも、今までのキャスト変更のせいで
数々あったテノールとソプラノの組み合わせ(マクマスター vs ヴォイト、リーマン vs ヴォイト、
リーマン vs ベアード、スミス vs ヴォイト、ヘップナー vs ベアード、そしてこのヘップナー vs ヴォイト。
ふー、まるで数学の組み合わせの問題のようです。)の中でも、もっともよいのではないでしょうか。
この放送で聴く限り、二人の声のボリューム、カラー、ともにぴったりだと思います。

時に(特に疲れて気が入らなくなってきたときか?)、音のずりあげ、ずりさげがヘップナーに
聴かれることは25日に書いたとおりですが、
今日のこの幕では何度か微妙なものがあった以外、総じてよく踏みとどまっています。
しかし、彼は第三幕こそが正念場。そこでこそ、このニ幕のように踏みとどまっていただきたい。

ヴォイトは、今日こそ、私が聴いたなかで最高の歌唱です。
声のコントロールに本当に神経が行き届いていて、それでいて熱さも感じさせる。
ああ、こんな歌唱を家で、しかもこのお寒いスピーカーを通して聴かねばならないとは何の因果か、、。

25日のベアードも悪くはありませんが、私には彼女の金属的でぎすぎすした声は、
(ニルソンをはじめとする、イゾルデ歌いとして名高いソプラノたちも、
多少声が金属的ではあっても、決してぎすぎすした声ではない。)
私には、このイゾルデという役にやや違和感があります。
もともとこのイゾルデという人は具体的にどういう人なのか人物像を把握するのが難しく、
どちらかというと、ある概念や観念を人間として表現したという方がぴったりくるように感じるのですが、
それにしても、イゾルデが一幕のほとんどをいらいらして過ごすのは、
根がヒステリー女だからなわけではなく、自分の愛する男性が、これまた自分を
愛してくれていることに間違いがないのに、
運命に逆らおうとするのが耐えられないからで、
恋におちたとはいえ、自分の許婚の敵である人間を献身的に解放したり、
そのトリスタンのことを一途に思い続けたり、
(だって一度トリスタンは彼女をアイルランドにおいて、海を越えた自国に帰っているわけで、
その間、遠距離恋愛なわけです。いや、遠距離恋愛どころか、当時簡単に連絡もとれたかどうか、、。)、
芯が強いながら、なかなかに情の深い女性のはずです。
ベアードのイゾルデは少し芯の強い方に声と歌唱が傾きすぎているように私には感じられ、
そんな激しさだけではなく、情の深さも声から感じられるヴォイトの方が、
ちょっとおっとりしすぎていると感じる人もいるかもしれませんが、私の好みです。

見張りの歌でデ・ヤングが最後に出した高音は私の寒いスピーカーでは、
非常に音が割れて聴こえたのですが、これは彼女の声のボリュームがすごくて、
マイクが綺麗に音を拾いきれなかったのか、
もともと彼女の声が割れ気味だったのか、ちょっと判断がつきません。

メロート役のガートナー、がんばってますね。
ほんのちょい役ですが、こういうちょい役を丁寧に歌う歌手が私は大好きなのです。

そしてマルケ王を歌ったサルミネン。
25日のシリウスの放送の時と同じく、お歳が微妙な旋律の取り方に出ている気がしますが、
この方は、実際にオペラハウスで聴く方がずっと良く聴こえる歌手のような気がします。
こういった放送媒体では、もちろん、しっかりした声だな、という印象は十分受けますが、
それでも直で聴いたときの、あのどしーんとした重さに比べたら、
その70~80%くらいの雰囲気しか伝わっていない気がします。

ニ幕と三幕の間のインターミッションでのインタビューは、
またしてもやる気満々のメトが送り込んできた秘密兵器。
それはジャニス・ベアード。そう、3/14のヴォイト腹痛事件では幕の途中からイゾルデ役のカバーに入り、
3/25には体調不良でキャンセルをしたヴォイトに代わって全幕を歌った彼女です。
もうこの際、スミスもインタビューに連れてきたら?と思うほどの全兵器投入ぶり。
NY出身の彼女、キャリアがヨーロッパで始まり、
ドイツに住んで15年以上経つ云々という話がありましたが、
そのせいで英語を忘れてしまったのか(そんな馬鹿な、、)、会話のテンポに独特の妙な間があって、
気さくながらやや天然っぽい雰囲気がある人です。
写真や声から、”きりきりきりっ”としたタイプの女性を想像していたので、少し意外でした。


三幕

ここはヘップナー最大のふんばりどころ、かつ危険地帯。
なぜなら、この幕で彼の歌が感情に流れてフォルムをあまりにも崩しすぎるように、
25日の放送では感じられたので。
彼は高音の方が逆に綺麗なように感じます。
そこから跳躍して下がった音とか、中音域での音の移動の時に、
表現が難しいのですが、”むにゅーっ”と音が動くような声の出し方をするのが時に許しがたい。
しかし、今日はずっとずっと25日よりムニュ度が少ないです。
ウェブで聴く限り、高音の安定感もあります。
また、目の前に現われたイゾルデに向かって、死の間際に吐く最後のトリスタンの言葉も、
25日には虫の息なのを表現しようとしすぎて、音が下がりすぎていたのですが、
今日のこの微妙な下げ方は適切。これ位なら、こちらもぎょっとせずに聴けます。

”愛の死”のヴォイト。
今日の彼女の”愛の死”は他のどの日とも歌い方が違っていて、
まるで、オケと一緒に呼吸をしているような歌を聴かせています。
この箇所で、役の魂らしいものを彼女が感じさせたのは私が聴く限り今回が初めて。
出だしのところなんかは、イゾルデの心の奮えが伝わってくるようでした。
これでこそ、『トリスタンとイゾルデ』です。

放送のパーソナリティであるマーガレット嬢とウィリアムも、幕が降りた後しばらくは感極まって、
喋るのが億劫そうだったのが印象的でした。
こんな歌が聴けるとわかっていたなら、アラブ系のお兄さんに導かれるまま、
もう少し上等なスピーカーを購入してもよかったのかも。

メトのリベンジが見事に成功した金曜の夜となりました。
”見ろ!本当はこういう公演になるはずだったんだぞ!!”
確かに。これがライブ・イン・HDにのっていたなら、、、とそのことが悔やまれます。
たった今、ヘップナーとヴォイトががっちりと抱き合って喜びをわかちあった模様。
この日が、この『トリスタン~』で最初で最後の共演となった二人もさぞ嬉しかったことでしょう。
ウェブ・ストリームを決定したメトに感謝。


Ben Heppner (Tristan)
Deborah Voigt (Isolde)
Michelle DeYoung (Brangane)
Matti Salminen (King Marke)
Eike Wilm Schulte (Kurwenal)
Stephen Gaertner (Melot)
Mark Schowalter (A Shepherd)
Matthew Plenk (A Sailor's Voice)
James Courtney (A Steersman)
Conductor: James Levine
Production: Dieter Dorn
Set and costume desing: Jurgen Rose
Lighting design: Max Keller
SB

***ワーグナー トリスタンとイゾルデ Wagner Tristan und Isolde***

Sirius: TRISTAN UND ISOLDE (Tues, Mar 25, 2008)

2008-03-25 | メト on Sirius
今シーズンの『トリスタン~』のキャスティングは番狂わせの連続ですが、
どうやら最後の最後まで混乱状態で突っ走るようです。

今日は、ウィルスへの感染およびアレルギーでプレミアの公演からトリスタン役を全て降りていた、
(そして、その交代劇は3/22の『トリスタン~』のレポでふれたとおり。)
ベン・ヘップナーが初めて舞台にあがるということで、大いに期待が高まりましたが、
何と今日の公演では、まさかのまさかで、ヴォイトが欠場。
かわりに、腹痛事件でヴォイトのカバーに入ったジャニス・ベアードがイゾルデ役を再び歌うことになりました。
(最初の写真はその腹痛事件が発生した3/14の公演で、トリスタン役のリーマンを相手に歌うベアード。)

最後に一つだけ残っている3/28の公演では、もともとブランゲーネ役がデ・ヤングではなく、
Wray(ウレイと読むのでしょうか?)の予定だったので、
これでとうとう、もともとこの公演のセールス・ポイントの一つであった、
トリスタン=ヘップナー、イゾルデ=ヴォイト、ブランゲーネ=デ・ヤングの三人同時キャストは
一度も実現せず、終わってしまうことになりました。

しかし、観客は今シーズンの今までの『トリスタン~』の公演に比べると、最もあついかもしれません。
これは、いつも週の頭の月曜と火曜の観客が冷めていることが多いメトでは珍しいことです。
みんな、ヘップナーへの期待大です。

一幕に関して言えば、音作りはほとんど3/22の公演で受けた印象と同じ。
レヴァインの指揮とオケの演奏は、小ぎれいにまとまってはいるのですが、
私にはやや表面的に聴こえます。

ベアードはがんばっていますが、高音になるとかすかに空虚な音が入るのが少し気になりました。
吐き出している息全てが音となって消化されて出ているわけではないような、、。
オペラのどんな役もそうですが、特にこの消耗度の激しいイゾルデ役を歌うには、
1立方ミリの息たりとも無駄にしてはいけない。
その息の無駄遣いがなくなれば、もっともっとパワフルな歌も歌えるのではないかと思います。
ということで、全音域を通しての音の安定感となめらかさは、ヴォイトの方が上のように感じました。
ベアードの強みは、役に体当たりなところ。ヴォイトのスマートな演唱に比べると、熱い歌唱です。

さて、ヘップナー。
ラジオで聴いただけ、しかもブーイングの嵐を受けていた初日のマクマスターはもちろん、
実際にオペラハウスで聴いたスミスと比べても、一幕だけで判断するなら、
私はヘップナーをとるかもしれません。


(この日の公演のヘップナー)

やはり、この役にはある程度のロブストさ、というか、強さを感じたい。
欠場が続くヘップナーに、一時は、”もしや、この人、この役を歌えないのか?”とまでの疑問を持ちましたが、
すみませんでした、と今、私はこうべを垂れております。
歌だけで言えば、役の雰囲気には結構合ってます。
少なくとも私の好みには合っている。
こんなに今日歌えるなら、3/22の土曜もきっと歌えたんだろうなー。
でも、ゲルプ氏も、”22日は歌ってもらうかもしれませんし、歌ってもらわなくても大丈夫かもしれません”
なんてふざけた条件では、スミスと交渉が出来なかったでしょうし、
連れてきた以上は歌ってもらわなければならない、という辛い事情があったのでしょう。
もし、ライブ・インHDの日に、スミスに来てもらうことにしないで、
それでヘップナーが回復しなかった日には最悪の事態に陥ってしまったところですから、
これが最善の策ではあったと思うしかないのでしょう。
ああ、でも22日はヘップナーで聴いてみたかったかも、、

しかも、もう、憎たらしいくらい、一幕のヘップナーはがんばっていました。
降板さわぎの穴埋めをしようと、それはそれは一生懸命、、。

観客の熱い拍手と声援に、ニ幕がはじまりました。




ベアードの声が一幕に比べると、よく出てくるようになりました。
ただ、彼女はこのあたりの役を歌う歌手にしては細身だからか、
発声に少し振り絞るような、やや人によってはヒステリックにも感じられる響きが入ります。
二重唱の中の高音には、”そのまま強引に出して大丈夫?”とちょっとひやひやさせられるところもありました。
対するヴォイトのイゾルデはもっとまろやかな印象の歌唱。

そのベアードの歌から受ける感覚は、デ・ヤングの歌がかぶってくるところでも、強調されます。
デ・ヤングの声はわりとふくよかな感じの声なので。
しかし、全体的には、きっちりと歌っているし、ベアード、この役の大変さを思うと、大健闘です。

さて、22日はオケが厚い箇所で、スミスとヴォイトの声量のアンバランスさが気になりましたが、
Siriusの放送で聴く限りは、ヘップナーにはそういう不満がなく、
ベアードとの声量のバランス、それから、声のカラーの相性も悪くはないのではないかと思います。
そんな二人なので、二重唱の出来が悪いわけがない。

ただ、一つだけ不満を挙げるなら、特にこの二重唱で、ヘップナーが
スクーピング(ある音を歌うのに、どんぴしゃをアタックせず、下からずりあげる。)まがいの
音をいくつか聴かせたこと。
歌唱の構成上考え抜かれた、意図的な、かつ、趣味の悪くない程度でもちいられるものしか、
スクーピングに関しては許せない私ですので、これには思わず、右の眉がぴくっ!となりましたです。
(ワーグナー歌手ではありませんが、イタリア人歌手マルチェロ・ジョルダーニは、
そのスクーピング罪のかどで私の中ではオペラ刑務所送りになっております。)
ただ、以前からヘップナーは軽度の”ややスクーピング”が見られることが多かったので、
これからも要注意人物としてウォッチしていこうと思います。

あと、気になったところでは、デ・ヤングが今日は少し本調子でないのか、
彼女にしては珍しく、やや音が下がり気味になっている箇所が複数ありました。
彼女からこのような歌を聴いたのは初めてかもしれません。

しかし、ヘップナー、こんなに飛ばして、三幕まで持つの?というくらいの熱唱。
バーンアウトしないように!!
現在、二重唱の終わりに差し掛かっていますが、今のところ疲れらしきものは見えていないです。

マルケ王を歌うサルミネンは、こういった放送で歌唱を聴くと、
ああ、やっぱり声がお歳を召してるなあ、と感じてしまいました。
微妙な声の揺れも拾われてしまっています。
オペラハウスでじかに聴いた時には、ラジオで聴こえるよりはもっとずしーんと体に響く声で、
そちらに圧倒されて、衰えはあまり感じなかったのですが、、。
放送媒体とは恐ろしい、、。

三幕。

今日のクルヴェナルは22日とは変わり、フィンクが担当。
シュルテよりも少し年増な声で、少し老けた部下風。

ヘップナー、イゾルデを待つ場面の頭の方では、少し音が高めに入ったり、
コントロールがほんの少し甘くなったように感じさせられます。
声量はまだまだしっかりしてますが、微妙にお疲れか?
長距離を走るときと同じで、ある部分で突然疲れが襲ってくるのかもしれないです。
しかし、”イゾルデの船か?!”、笛の音が聴こえて、いや、違う、とがっかりするあたりから、
また調子を取り戻しはじめました。
踏みこたえてます、ヘップナー。
ただし、突然、そこから少し泣き節が強い歌唱になりました。
うーむ。泣き節が趣味の悪い一線を通りこしたら、これもオペラ刑務所直行ですぞ。
これ以上、下品にならないようにお願いします。

残念ながら、オケの演奏はここまで聴きすすめても、全体の印象としては、変わらず。
レヴァインの指揮は、作品によっては嫌いでないのですが、
こと、『トリスタン~』に関しては、もしかしてご本人があまりこの作品に思い入れがないのでは?と
思わせるほど、妙なよそよそしさ、作品との距離感みたいなものがあるように私には感じられます。
なので、つい、オケだけの演奏箇所になると、トイレに立ったりしてしまいました。すみません。
本当言うと、がっちり私のハートを掴んで、トイレに行く間も惜しい!という風に思わせてほしいんですが、、。

さて、イゾルデの船が見えてからは、声が裏返るのも辞さぬ大熱唱のヘップナー。
この歌唱表現は非常に評価がわかれるところかもしれません。
私はこの三幕に関しては、”もう少し声量があったなら”という条件つきで、
スミスのトリスタンをとります。
オペラは、芝居ではなく、あくまで歌がベースにありますから、
絶叫で声が度々裏返るというのは、私はあまり好きでないゆえ。
スミスのあの三幕での丁寧な歌、あれでもう少しオケの上を通ってくれれば、、。
ただ、ヘップナー型の表現が好きだ、という人もいらっしゃるには違いありません。

三幕では、イゾルデ役を歌う歌手はトリスタンとの再会の場面まで出番がないのですが、
ベアードはよく声を保ち、出てきたときには、丸みを感じさせる綺麗な声でした。
この方はペース配分がなかなか上手で、一、二幕よりも、声がのってきているようですので、
”愛の死”がどういう出来になるか楽しみ。

こうして通して聴いてくると、ヴォイトの演じるイゾルデよりも、
このベアードが演じるイゾルデは若々しい感じがします。
10歳くらい年齢が違う感じでしょうか。

そのベアードのイゾルデが歌う”愛の死”に入りました。
うーん、言葉の扱い、細かく言うと、言葉の音節の音符への当て方の微妙なタイミングに
改善の余地があるでしょうか。
あと、彼女の発声の仕方に原因があるのかも知れませんが、ヴォイトに比べると言葉が不明瞭。
極端に言うと、子音がふっとんで、母音しか聴こえない、という感じに近いです。
まるで、あいうえおの歌を聴いているような、、。

しかし、スタミナを最後まで持続させたのはお見事。

22日の公演と比べての良し悪しは、結局好みの問題に落ち着くでしょう。
一幕直後には、”ヘップナーで聴いてみたかった”と言った私ですが、
今日の三幕での歌唱にやや引いてしまいましたし、ヴォイトのイゾルデは悪くなく、
全体的なバランスから言うと、22日を観て、それはそれでよかったのかも、という気がしています。


Ben Heppner (Tristan)
Janice Baird (Isolde)
Michelle DeYoung (Brangane)
Matti Salminen (King Marke)
Richard Paul Fink (Kurwenal)
Stephen Gaertner (Melot)
Conductor: James Levine
Production: Dieter Dorn
Set and costume desing: Jurgen Rose
Lighting design: Max Keller
OFF

***ワーグナー トリスタンとイゾルデ Wagner Tristan und Isolde***

Sirius: LUCIA DI LAMMERMOOR (Sat Mtn, Mar 8, 2008)

2008-03-08 | メト on Sirius
今日のラジオ放送に備えて英気を蓄えるべくの水曜のキャンセルかと思いきや、
何と今日の公演もキャンセルにしてしまいました、ジェイムス・レヴァイン。
昨年のメト・オケ・コンサートをデッセイがキャンセルしたことへのリベンジ、、?
まさか、、、ね。もう一年も経つんだし、そんなの覚えてたとしたら、執念深すぎて、怖いです。ぶるぶる。

ま、そんなわけで、今日もイカ系指揮者コラネリが振ります。
水曜のだらだらの再現だけは、お願いだからやめてください、と思っていたら、
うん、今日は悪くないですね。
水曜よりもずっときびきびしてる。
テンポも非常に適切です。このテンポです、ベル・カントにぴったりなのは。

もう何度も書きすぎて、こちらもうんざり、という感じですが、しょっぱなの歌詞を歌う、
ノルマンノ役のマイヤーズ。一体この人はどういう経緯で、うまくメトの舞台にのるなどという
幸運を手に入れたのでしょう?
今シーズン、これだけたくさん生とラジオで『ルチア』の公演を見て聴いて、
一度たりとも正しいタイミングで最初の音が入ってきたことがなければ、
オペラハウスでは、ほとんど何を歌っているのかわからないほど声量はないし、
あんな歌でいいなら、私が男装して舞台に立ちたいくらいです。

今日のクウィーチェンは気合が入っていて、なかなか良い。
今日の放送の目玉の一つは、デッセイ、フィリアノーティ、クウィーチェンという
メインキャスト3人それぞれへの幕間の生インタビューですが、
その中で、今日のクウィーチェンはかなりはじけていて、笑わせていただきました。

いきなり、”エンリーコ役って最悪”の爆弾発言から始まり、
驚くインタビュアーのアイラ・シフ
(Opera Newsなどにも執筆が多い音楽評論家。土曜のマチネのラジオ放送では、MCのマーガレット嬢
の相手役をつとめている)に、
”だって、他のオペラの悪役と言われている役にはそれぞれ、
ちょっとは好きになれる部分があったりとか、魅力的な部分があったりするものだけど、
エンリーコには何もないからね。超嫌なやつ、っていうそれだけ。
大体、妹への愛情に欠けるのはもちろん、
どんな女性にも愛情らしきものを抱けないかわいそうな人間なんじゃないかな”と大暴走。
確かに、エンリーコには妻もいなければ、恋人すらいる様子もないから、
あながちその解釈は間違っていないです。
しかし、あまりにもエンリーコのことをめちゃくちゃに言うので、
”そんなに嫌いな役を歌うのは大変でしょうなあ”と同情をおぼえます。
あまりにものクウィーチェンのハイ・ボルテージぶりに、少しシフ氏が切り口を変えようと、
”ところで、この公演では、通常カットされることも多い、第三幕の嵐の場が残されているので、
エンリーコの見せ場がありますね。これに関しては?”と聴くと、
”よかったよ。だって、それがなかったら、ニ幕以降、エンリーコはほとんどいないも同じだからね。”
と、これまた大暴れ。面白い人です。
こんなにこの役に腹がたっているから、あんなにいつも芝居がべらんめえ調なのか?
しかし、そういわれてみれば、このエンリーコ役、バリトン版ピンカートンとでもいえる、
歌手にとっては、あまり演じていて楽しくない役の一つなのかもしれません。


さて、デッセイの喋り声、初めて聞きましたが、わりと落ち着いた声ですね。
少し、パトリシア・ラセットの話し声とも共通する、ややハスキー目でだけれどそうピッチの
高くない声で、
この声でどうしてあんな高い音が出るのか、本当に不思議です。
当時の時代背景もあって、エドガルドを含む周りの全ての男性の意見に振り回され、
犠牲になった結果がルチアの狂気である、という風に彼女はこの役を見ているようです。
彼女が歌っている役の中では、決して最も難しい役ではない、ときっぱり言っていたのは頼もしい限り。
作品がそれほど長大でないということと、音楽的には彼女にとっては非常に歌いやすい、ということが理由だそうです。

その頼もしい言葉どおり、今日のデッセイはなかなか好調です。
一幕のアリアも欠点らしい欠点がなく、素晴らしい出来でした。
水曜日には少し指揮とかみ合ってなく思われた部分も、
今日は歌と指揮両方が歩み寄っていて、ぎこちなさを感じる箇所はほとんどありません。
コラネリ、リハーサルなしのたった数回の指揮でここまで持ってきたのだから、
これは大健闘です。

フィリアノーティに関しても、一幕を聴く限り、水曜日より、数段出来が良いように感じます。
ただ、やはり、声が端正なのに、かすかにはいるまるでソープ・オペラのような安っぽい演技、
これが私には大変気になります。この一幕で感じられる程度が私の限界。
もし、これ以上ソープ・オペラが展開するようなことがあったら間違いなく私は発狂する。
その微妙な線を今、彼は走っています。これは、この後の幕、しっかりと聴きたいと思います。


二幕での、今日のクウィーチェンは、怒ってるのが吉と出ているのか、絶好調。
ルチアとのシーン、大変聴きごたえがありました。
というか、この人はいかり肩でせかせか歩く舞台での姿を見ながら聴くよりも、
こうやって声だけラジオで聴いている方が、印象がよいような気がします。

ライモンドを演じるレリエーは、いつもどおり頼りになります。
レリエーからまずい歌が出てくるのを聴いたことが本当に一度もないので、
オペラハウスでも、彼が出てくるシーンはいつもリラックス・モードで聴いてしまうのですが、
これは考えてみれば、すごいことです。

さて、OONYのガラをキャンセルしてこの公演に賭けたアルトゥーロ役のコステロ。
今までに聴いた彼の歌声の中で、最高のものとは言いがたいですが、
手堅く歌って、きちんと重責は果たしていたと思います。
少し高音の維持の仕方がいつもより不安定に感じられたのと、リズムをとりにくそうにしていて、
言葉のおさまりが悪く感じられた箇所があったのは残念。
シーズン頭の公演では、六重唱ですら彼の声をはっきりと聞き分けられるほど、
声の輝きが素晴らしかったのですが、今日はその声そのものも彼らしい精彩に欠いていて、
まだ本調子とはいえないように思います。

そして、フィリアノーティは、、、やっちまいましたよ。
ソープ・オペラ、全開。。。。
あれほど、やっちゃいかん!と警告したのに、、。
特に六重唱で思い入れたっぷりのsleazyかつcheezy(いずれも”安っぽい”の意)な
フィリアノーティの歌が入ってきてげんなり。

デッセイは演技でのはちゃめちゃぶりから、クレイジーな人のような印象がありますが、
実は歌に関しては非常にきちんと抑える部分を抑えていて、
これはラジオを聴くとよりはっきりとわかります。
デッセイがきちんとした、決して下品に堕ちない歌を披露しているうえに、
この六重唱を歌う他のキャスト、クウィーチェン、レリエー、コステロ、マルテンスも
全員、こと歌に関してはエレガントな歌いぶりの人たちなので、
余計にフィリアノーティの、芝居がかった歌が浮いて聞こえます。

フィリアノーティは幕間のインタビューで、自分はベル・カントの唱法を大事にしていて、
どんな役をやるにしても多かれ少なかれ、ベル・カント的なアプローチで歌えるはずだ、
ということを言っていましたが、
また、それと同時に、役に対しては、まず第一に、役者として取り組んでいる、とも話していました。
その上で、歌をどうやって組み込んでいくかを考える、とも、、。

うーん、、。もしかすると、それが、この私にはちょっときつすぎる芝居がかった歌の原因ともなっているのかも。
思い入れたっぷりでない箇所に関しては、本当に綺麗な歌で声も美しく、
確かにベル・カント唱法をマスターしている!と思わせられるのですが、
どうもその彼の言う”役者的アプローチ”と歌とが上手く融合していないように私には聴こえます。
というか、これはOONYのガラで、ルネ・フレミングの歌について書いたこと
やや共通してくるのかもしれませんが、
”まず、芝居ありき”というアプローチは、ベル・カントではうまくワークしないのではないでしょうか?

六重唱に続くシーンで、ルチアに詰め寄って、この署名を書いたのは君なのか、答えろ!と詰め寄る
Respondi!という言葉。
ここも、絶叫のようになっていましたが、まるで突然ヴェリズモ・オペラを聴いているかのような、
大きな違和感がありましたし、
怒りを表現するための手段なのでしょうが、テンポを上げて歌うのも、使い方によっては効果的な手段ですが、
オケのテンポを大幅に上回りすぎていて、こういった行き過ぎた表現は、
私がすーっと冷めていってしまうものの一つです。


三幕、嵐の場。

この場面でのクウィーチェンとフィリアノーティの表現はききもの。
フィリアノーティが激昂しまくって歌ったあと、クウィーチェン演じるエンリーコが
歌い始める箇所、
フィリアノーティの頭にのせたやかんを沸かすような高温度ぶりに比べると、
ほとんど冷めていると思われるほどの冷ややかさで歌い始めるクウィーチェン。
しかし、これが非常に効果的なのです。
激昂している人、それともそこを通り越してクールになってしまっている人、
どちらの人からより怒りを感じるか?
そんなことを考えさせられます。私はちなみに後者。

さて、狂乱の場。

デッセイ、本当に素っ晴らしい歌唱でした。
これは、オープニング・ナイトと双璧の出来。
いや、むしろ技術的な完成度の高さから言うと、今日の方が上か。
とにかく、素晴らしい。脱帽です。
メトのルチア役は今や、彼女が所有していると言ってもいいかもしれません。
来シーズン、ダムローとネトレプコがこの役を歌うことになっていますが、
このような凄い歌唱の後では、相当辛い挑戦になることでしょう。

この後の場面、特に、”神に向かって飛び立ったあなたよ Tu che a Dio spiegasti l'ali ”は、
私は、今日アルトゥーロ役を歌ったコステロがエドガルド役を歌った回での、
素晴らしい歌唱が忘れられないので、それと比べるのは厳しい比較ですが、
フィリアノーティの歌唱もなかなかでした。
こうやって、きちんと歌ってくれていると聴かせてくれるのになあ、、。

奇しくも、フィリアノーティもインタビューのなかで、
”エドガルドはこの場面で、喜んで死んでいくんだ”と語っていましたが、
その喜びと退廃の表現に関しては、コステロの歌が声質もあって、上を行っていたように思います。

しかし、全体としては非常に完成度の高い公演で、これがラジオにのったのは嬉しい限り。
デッセイをはじめ、今シーズン素晴らしいルチアを舞台で実現させた全てのキャストに感謝です。

追記:オペラギルドのウェブサイトの中にある、オペラヘッドの巣、スタンディング・ルームでも、
フィリアノーティの歌は、”泣きがきつつぎる””こんな泣きが許せるのは『道化師』のアリアだけ!”
と非難轟々でした。


Natalie Dessay (Lucia)
Giuseppe Filianoti (Edgardo)
Mariusz Kwiecien (Lord Enrico Ashton)
John Relyea (Raimondo)
Stephen Costello (Arturo)
Michaela Martens (Alisa)
Michael Myers (Normanno)
Conductor: Joseph Colaneri replacing James Levine
Production: Mary Zimmerman
ON
***ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor***

Sirius: OTELLO (Sat Mtn, Mar 1, 2008)

2008-03-01 | メト on Sirius
それまでの公演では素晴らしい歌と演奏を見せていたのに、ラジオ放送の日に限ってなぜか、
実力を発揮できない、という不幸な例をこれまで耳にしてきたので、
今日の『オテッロ』は、どうか、これまでの実演のすばらしさ(例えば2/22
私が観にいったのはこの一日だけですが、他の公演日を実際にご覧になった方からも、良い噂が届いております。)がラジオに乗りますように、と祈り続けた今日の公演。

私は残念ながら、今夜のウィーン・フィルの公演に備え、
シリウス(今日は全国のFM放送網でもオン・エアされています)で拝聴。

結論、祈りが通じてよかったです。
ボータとフレミングは、これまでの公演を凌ぐことはあっても、劣ることのない歌唱を聴かせていました。
柳の歌~アヴェ・マリアに関しては、私が観た公演日よりも、ルネ節(2/22の記事を参照)が
強く出ていたのが若干気にならなかったでもありませんし、
(私は何度もいうように、アヴェ・マリアに関しては、あまり思いいれたっぷりに歌わず、
清らかに歌ってくれる方が心に染みるのです。)
オテッロとデズデーモナの二重唱の頭に入る部分のチェロがまたしても不安定になっていましたが、
そんな小さなことはどうでもよく思えるほどでした。

そのアヴェ・マリアの後、寝室に入ってきたオテッロがデズデーモナにキスするシーンの
後ろで流れるオケの音に、すでに、二重唱のときと同じメロディーでありながら、
まるで猛烈な黒雲がわきあがっているようなこの微妙なニュアンスの違いを
描出しているオケの素晴らしさ。
指揮者のビチコフのリードも素晴らしく、
昨日、あんな無味乾燥な音楽を聴かされた後では、ウィーン・フィルに、
これでも見習え!と説教でも垂れたくなるのでした。
(そういえば、ビチコフも、ゲルギエフと同じロシア人、、)

そう考えると、全公演中の”きらりと光る率”、メトは異常に高くて、
それも、私がメトに通い続ける原動力となっているのかもしれません。

とにかく、この『オテッロ』のラン中、ずっと高いレベルの演奏を保ち続けたメインのキャストにオケ、
合唱、指揮がおおいに報われる結果となったこの放送に私は大満足。
関わった全ての人たちにWell deserved!の言葉を送りたいです。


Johan Botha (Otello)
Renee Fleming (Desdemona)
Carlo Guelfi (Iago)
Garrett Sorenson (Cassio)
Ronald Naldi (Roderigo)
Charles Taylor (Montano)
Wendy White (Emilia)
Kristinn Sigmundsson (Lodovico)
David Won (A herald)
Conductor: Semyon Bychkov
Production: Elijah Moshinsky
ON

***ヴェルディ オテッロ Verdi Otello***




Sirius: CARMEN (Wed, Feb 13, 2008)

2008-02-13 | メト on Sirius
誰にだって、”私はチョコレートが好き”とか、”どうしてもなすびが食べれません”とか、
そこまで行かなくっても、”牛肉よりも羊の肉が好きかな”くらいの好みはありますね。
それを聞いて、”まあ!チョコが好きだなんて、ご高尚!”と思う人もいなければ、
”なすびが食べれないなんて、わかってないなー”と思う人もいません。
”ああ、そういう味覚なのね。”と思うだけです。

好き嫌いのために、素晴らしい芸を否定してしまうこともいけませんが、
しかし、同時に食べ物の好き嫌いを語るような感覚で、オペラについて好きなことをたまには口走ってみたい。

で、そんな感覚で今日は言ってしまいます。
私、ロシアのまったりねばねば系メゾの人が歌うカルメンがあまり好きじゃないんです、、、。
カルメンは色気のある女性の代名詞のように言われてますが、
私はこのオペラを見たり聴いたりするたびに、彼女はまるで男のような性格の人だな、と思うのです。
少なくともドン・ホセよりは男っぽい。
もしかすると、男っぽい、女っぽいという言葉自体がナンセンスで、
当然男性にもうじうじしたところはあり、女性にも男性っぽいところがあるとは思うのですが、
しかし、その私の考えるカルメンの性格を念頭に置くと、声がもともとまったりした歌手がこの役を歌うと、
メロディとあいまって、もう過剰に甘いお菓子といった風で、濃すぎて私なんか息苦しくなってしまいます。

そして、シリウスで聴いてみて、オルガ・ボロディナのカルメンは、やはり、
私には甘すぎるお菓子でした。

黒人歌手(最近まで、メトでこの役を持ち役の一つとしていたデニス・グレイヴスもその例でしょうが)
が歌った場合にも、声質は違えど、共通した印象を持つことが多く、
そろそろ、もうちょっと違う雰囲気のカルメン役も聴きたいなあ、と思うのですが、、。

ミカエラ役のコヴァレフスカは、声の伸びはあって、
今回は役に要する声の雰囲気やサイズとの関係もあってか、
『オルフェオとエウリディーチェ』の時ほどうるさい感じはないのですが、
やはり歌唱に繊細さが少し不足している気がします。

『カルメン』を今シーズンのレパートリーに持ち込んだ元凶、マルセロ・アルバレスのドン・ホセ。
(そう、私は、断然、『ホフマン物語』を見たかったのに!)
さすがに、演目をすげかえさせただけあって、声の質としては、ドン・ホセに合っていると思います。
インタビューなんかの映像を見ると、地の彼は、葉巻でもくわえながら、
NYでラテン系のレストランかクラブを経営してそうなあやしげな雰囲気なのにもかかわらず、
声だけ聴くと、ノーブル、または端正な感じがするのは、本当にこの人の強みです。
(私は舞台上で見て聴いた彼とインタビューの映像での彼が同一人物とはとても思えず、
目がテレビの画面に釘付けになってしまいました。)
しかし、彼が歌う他の役に比べると、役の歌いこみ度がまだ少し足りないか?
彼の実力にしては、まだ役が発展途上ですが、とりあえず、歌ってみます、というような出来。
厳しいことをいえば、”花の歌”については、この出来でメトでこの役を歌うか?という感想を私は持ちました。
彼の本気の歌唱を聴いたことのある私としては、
手を抜かず、もう少し歌も役も練って舞台に立ってほしい、と思いました。

さて、ヴィロームの指揮そのものは、私はテンポの設定の仕方
(特にゆっくりめにテンポをとった”ハバネラ”が印象的でした)をはじめ、なかなか面白く聴きました。
ただ、その”ハバネラ”に関しては、ボロディナが、その彼の指揮の面白さを潰していたように思いますし、
(彼女の歌には、そのテンポときちんと絡んでいこうという意志も感じられませんでした。
指揮者の意図を理解しようとする歌手が歌っていたら、面白い歌が聴けたかと思うのに、残念。)
また、闘牛士の歌でも、エスカミーリョ役を歌ったギャロが今ひとつ。
私の、「エスカミーリョ=コスト削減のターゲット」疑惑をまたしても裏付ける公演になってしまいました。
(注:私は今まで実演で、エスカミーリョの役で素晴らしい歌を聴いたことがないので、
この役は、カルメンとドン・ホセとミカエラでかさんだコストのはけ口として、
オペラハウスによる、省コストの対象になりさがっているのではないかという疑惑。)
それにしても、ヴィローム、上でふれた”花の歌”でも、なかなかだし、
このようなメジャーな作品で、観客の耳を引くとは、がんばっていると言わねばならないのですが、
歌手、しかもメジャー歌手、に足をひっぱられるとは、不運な星のめぐり、、。

Olga Borodina (Carmen)
Marcelo Alvarez (Don Jose)
Maija Kovalevska (Micaela)
Lucio Gallo (Escamillo)
Rachelle Durkin (Frasquita)
Edyta Kulczak (Mercedes)
Conductor: Emmanuel Villaume
Production: Franco Zeffirelli
ON

Sirius: OTELLO (Mon, Feb 11, 2008)

2008-02-11 | メト on Sirius
<お詫び>
最初の稿で、イヤーゴ役のグエルフィがインターミッションのインタビューに登場した旨のことを書きましたが、
イヤーゴ役を”カバーしている(アンダースタディの)”バリトンの方の間違いでした。
公演中によく、、、と感心していたら、そんなわけはありませんでした。
以下の文中、訂正させていただきました。大変失礼いたしました。


”あんた、実はいい人だね。”
つい、そう言ってしまいたくなりますね、これは。

今日はメトの『オテッロ』のプレミアの日。
オテッロはヨハン・ボータ、デズデーモナはルネ・フレミング、イヤーゴはカルロ・グエルフィ。
ロシア人指揮者ビチコフの棒です。

今週末の金曜から日曜は、土曜のダブル・ヘッダーを含む怒涛のスケジュールなので、
今日のプレミアの公演の生鑑賞は残念ながら断念。
生には当然敵うものではありませんが、私にはシリウスという、
二匹の愛犬(ちなみに本当の犬)に続く、三番目のかわいいわんこ兼強い味方がいるのでした。
(シリウスはおおいぬ座ということで、衛星ラジオ、シリウスのトレードマークは犬。
冒頭の写真で目を星にして、鎮座しているのが私の三匹目の犬、シリウス。)

ということで、衛星ラジオ、シリウスで聴いた限りの感想を。

まず、オケの調子は決して悪くはないように思うのですが、なぜだか演奏のテンションが低め。
指揮者の仕業か?
頭の嵐のシーンは、もっと思い切りしけてほしい。
これじゃ、船がちょっと波間で揺れてますかな、というくらいで、
とても、ほとんど難破しそうになりながら凱旋しようとしている場面には聴こえない。

そして、オテッロの第一声、”Esultate!(喜べ)”。
マリオ・デル・モナコと比べてはいけないとはわかっていても、、、。
(注:マリオ・デル・モナコ 1950年代から60年代を中心に活躍したオペラ黄金期を支えた名テノール。
オテッロは彼の最高の当たり役の一つで、伝説の”イタリア・オペラ”来日公演でこの役を歌ったこともある。
その映像もDVDになっているので、見ることができます。)

メイクの出来も違いすぎれば、、、


(↑ デル・モナコのオテッロ。かっこよすぎ、、、)


(↑ ボータのオテッロ。右はルネ・フレミング。)

って、それは冗談としても、やはり、キャラクターと声。
これが、デル・モナコの場合は、役と、本当にぴしーっ!とはまっているのです。
この役のために生まれてきた、というのは彼のようなケースを言うのでしょう。

例えば、上の"Esultate"一言とっても、デル・モナコの場合は、彼の声域の中で、
この一言がおさまっている位置がこれ以上ないほど完璧なのです。
振り絞るようでいて、聞き苦しくなく、輝かしい。
そんなデル・モナコに比べると、例えば、ボータの場合は、
まるで、テノールが歌っているのではないような、錯覚すら覚えます。
楽々と出ているのですが、楽々すぎるのか?何なんでしょうね、この違和感は。
およそ輝かしさというものがない。

デル・モナコの歌い方には、”ったく、本当、強引だよねー、この人。”と思わされる箇所もありますが、
それこそが、まさに、前半の、男らしいオテッロのキャラとぴったりマッチしてます。
そんな強引さが、少しボータには欠けているのかもしれません。
むしろ、ボータは、冒頭の男らしい将軍の描写よりも、後半の、どんどん嫉妬にからめとられていった後の、
葛藤の方で、表現が冴えていたように思います。
これまで、ワーグナーやヴェルディ作品で、全開モードの歌を聴くことが多かった彼ですが、
実は彼の強みは、そこではなく、意外と、繊細な柔らかな部分にあるのかもしれない、と見方を変えさせられました。

デズデーモナ役のルネ・フレミングは、
今日もルネ節(ブログ上でものまねしてお伝えすることが出来ないのがもどかしいですが、
彼女の歌には、独特の発声と歌いまわしがあります。)全開ですが、
しかし、第三幕で、どんどんオテッロにあらぬ疑惑をかけられて戸惑うあたりの表現は、
なかなかのものだったと思います。
好き嫌いを抜けば、表現そのものは悪くはないと思いました。

さて、冒頭の言葉を捧げたいのが、イヤーゴ役のカルロ・グエルフィ。
人の良さそうなところが、歌にまで出てしまっているのは残念のきわみ。
この方は、リゴレット役なんかをやると、なかなかにはまるのですが、
イヤーゴ役は今ひとつでしょうか?
声は立派なんですが、役とのケミストリーも希薄なような気がします。
実際に舞台で観るまでは、意見を保留したいと思いますが、ラジオで聴くかぎりは、
”クレド”なんかを聴いても、全然邪悪さが伝わってこない。
まんまの邪悪なイヤーゴ、スマートさに邪悪さを隠し持ったイヤーゴ、、、
どんなスタイルでもいいですが、イヤーゴの歪んだ心、
そして、しかし、それは私たちの心にも住み得ることを伝えてくれるようなこわい歌唱を聞かせてほしいです。

たった今、デズデーモナの”柳の歌”から”アヴェ・マリア”に入りました。
何度聴いても名場面。
ヴェルディ、すごいお人です。

Johan Botha (Otello)
Renee Fleming (Desdemona)
Carlo Guelfi (Iago)
Conductor: Semyon Bychkov
Production: Elijah Moshinsky
ON

***ヴェルディ オテッロ Verdi Otello***


Sirius: IL BARBIERE DI SIVIGLIA (Wed Jan 30, 2008)

2008-01-30 | メト on Sirius
今週末の『ワルキューレ』の予習があるので、書いてる場合ではないのですが、覚書。

今日の『セビリヤ』は、序曲の演奏がとっても良くって(特に弦セクション、つややかでいい音でした。)、
どんな公演になるのか、とわくわくしましたが、途中から乱れてしまいました。
このChaslinの指揮、前回オペラハウスで観たときも感じたのですが、
部分部分で、オケを掌握しきれていないような印象を受けます。

今日はドン・バジリオ役のローズが体調不良のため、ディーン・ピーターソンと交代。
ローズの上品な中にもおかしみが光る歌をもう一度聴きたかったのですが。
ピーターソンはピンチヒッターで入ったと思えないほどのびのびと歌っていて、
逆にのびのびすぎて、やたら各フレーズ最後のrの音を強調するのが下品に感じられたのが残念。
それから一幕最後の六重唱の場面でも、出すぎてアンサンブルをかき乱している箇所も。
確かに突然放り込まれて大変だとは思いますが、
もう少し他の歌手たちとのバランスを考えた歌を歌えれば、、。

ヴァサロのフィガロ。今日はとってもいいです。
”町の何でも屋”は、オペラハウスで観たときに、こういう風に歌ってほしかった!と思うくらい、
伸ばす音を心もち長めにとったり、余裕のある堂々とした歌いぶりで、観客からも特大の拍手が。
一旦やみかけた拍手に、いや、もっと拍手をあげないと本人が報われないでしょ!という感じで、
”追い拍手”が入ったのが印象的でした。

ロジーナ役のガランチャ。
うーん、ラジオで聴くとこう聴こえるのか、、、という感じです。
まずラジオでは、実際にオペラハウスで聴くよりも声が痩せて聴こえますね。
それから、彼女の場合、あのルックスと、この知的な声、というアンバランスが魅力になっているのですが、
ラジオではあたりまえですが、何も見えないので、声だけで役をイメージするしかなく、
彼女の声はどちらかというと暗いトーンなので、
たとえば、タッカー・ガラで聴いたディドナートの
”今の歌声は”なんかと比べると、弾けるような若々しい感じに欠けるかもしれません。
CDや音だけだと、なかなか実演での良さが伝わらない不運な歌手というのがいますが、
彼女ももしかしたらちょっとそのタイプかもしれないですね。
ただし、その ”今の歌声は”では、オペラハウスで観たときと、
違ったヴァリエーションを加えたり、言葉のアクセントのつけ方を変えたりしていて、
ほとんどの歌手の場合、日にちの近い公演では、
ヴァリエーションのつけ方や基本の歌い方が同じというケースが多いのに対し、
(なので、ヴァリエーションも練習できっちりかためられたアドリブという風に感じられることが多いのですが)
彼女の場合は、本当にアドリブ、という感じがするのが面白いです。
しかし、その代償として、おお!すごいじゃないの!と思わせるヴァリエーションもあれば、
それはやりすぎかな、、とか(ヴァリエーションには歌手のセンスが出ますから、、)、
今ひとつ成功していないものもあって、
結果として全体の出来が粗く感じてしまうという欠点もあるかもしれません。

しかし、喜劇系のオペラはやっぱり舞台で見てこそだなあ、と思います。
観客の笑い声なんかを聴いていると、余計音だけで聴いているのが悲しくなってくる。

悔しいし、書き出すとまた長くなってしまいそうなのでここらで止めて、
『ワルキューレ』の予習に戻ることにします。

(頭の写真はガランチャ)

Jose Manuel Zapata (Count Almaviva)
Elina Garanca (Rosina)
Franco Vassallo (Figaro)
Bruno Pratico (Dr. Bartolo)
Dean Peterson replacing Peter Rose (Don Basilio)
Jennifer Check (Berta)
John Michael Moore (Fiorello)
Conductor: Frederic Chaslin
Production: Bartlett Sher
OFF

***ロッシーニ セビリヤの理髪師 Rossini Il Barbiere di Siviglia***



Sirius: LA BOHEME (Mar 19, 1977/Sat Jan 19, 2008)

2008-01-19 | メト on Sirius
一月の中盤の一週間は、例年、メトの公演がお休みの週。
よって、1/19の土曜のマチネ公演はありませんでした。

全国ラジオ放送とシリウスの、土曜マチネのライブ放送番組では、
このマチネがない週に、HISTORIC BROADCASTと銘打って、
過去のメトからのライブ放送のアルカイブの中から、名演を一つ選んで放送してくれます。
去年は、マリア・カラスが出演した1956年12月8日の『ランメルモールのルチア』が放送されましたが、
今年は、昨夏に亡くなったパヴァロッティを偲んで、
1977年3月19日に放送された、『ラ・ボエーム』が選ばれました。
指揮は、若かりし頃のレヴァイン。
この音源の海賊盤CDが存在するかどうかはわかりませんが、
少なくともマーガレット嬢がいうには、今回正規には初出の音源だそうです。

まず、1977年の録音にしては、音がもこもこしていて、迫力がないのにちょっとがっかり。
特に最近のリアル・タイムでの『マクベス』の放送なんかと比べてしまうと、、。
まあ、そんなの比べるな、という話ですが。
正規がこの音だとしたらば、海賊盤が存在していたとしても、その音質はおして知るべし。。

そんな録音なので、とても、あの、パヴァロッティの声のすごさが
うまく捕らえられていないのが非常に残念であります。
亡くなったすぐ後に、アメリカでテレビ放送された、
『愛の妙薬』のライブからの映像を見たときにも感じたのですが、
あの太陽の輝きのような響きの60%くらいしか伝わっていない。
むしろ、こういった録画、録音では、彼の歌唱のキズの方が目立ってしまい、
この『ラ・ボエーム』の、”冷たい手を”でも、少しハイCが不安定になったように聴こえたのですが
(音程ではなく響きの方で。)、
その後の聴衆の熱狂的な反応からすると、オペラハウスでは、もしかすると、
それほど感じられなかったのかな、とも思え、考えてみるに、
私もそういえば、メトで”愛の妙薬”のネモリーノ役を歌うパヴァロッティを実演で聴いたとき、
その時は彼のキャリアの本当に終わりの方だったこともあって、
歌唱面での細かいキズはそこここにあったのですが、
彼の声にはやっぱり誰にも真似のできないものがあって、惹きこまれたのを昨日のように思い出します。
(しかし、そう考えると、細かいところでもキズを感じさせないような歌をまだ歌えるドミンゴは本当にすごい、と思ってしまいます。)
とにかく、パヴァロッティの歌というのは、何よりもあの声の響きに誰の追随も許さない美点があるのであって、
それを録音、録画の類は真の意味では捉えきれていないことを思うと、
彼の歌をこういった録音で云々議論するのは不毛に思えてきました。
というか、不毛なので、やめます。

で、そんなパヴァロッティにフェアでないこの録音なのですが、
なぜか、レナータ・スコットにはとんでもなくフェアというか、
いや、むしろ、それ以上といってもいい位。
彼女の正規の録音、海賊盤をあわせても、トップの出来を誇る歌唱に聴こえる。
彼女の声は、どの役を聴いてもどこかヒステリックに聴こえることが多く、
純粋な声の好みで言うと、私はあまり好きではなく、
そんなヒステリックさが、役に偶然マッチする場合(例えば蝶々さん)を除いては、
あまり好んでCDやらを聴いたりすることがないのですが、
この『ラ・ボエーム』の公演では、え?!こんなに可憐に歌えるの?というくらいに、
どの箇所も声の質が伸びやかで綺麗。
私は、この録音に関しては、パヴァロッティが歌う場面ではなく、
彼女が歌う場面で、仕事の手をやめて聴き込んでしまうことの方が断然多かったです。

さらには、ヴィクセル(マルチェロ役)とプリシュカ(コリーネ役)にもフェア。
二人ががっちりと脇を固めていたのが印象的。

叶わぬ願いと知りながら、もう一度、オペラハウスの中でパヴァロッティの声を聴きたかった、
と思わされたヒストリカル録音の放送でした。
録音なんかに収まりきらない大テノールを私たちは失いました。

(写真はその1977年の『ラ・ボエーム』の公演から、パヴァロッティとスコット)

original broadcast date: March 19, 1977

Renata Scotto (Mimi)
Luciano Pavarotti (Rodolfo)
Maralin Niska (Musetta)
Ingvar Wixell (Marcello)
Paul Plishka (Colline)
Allan Monk (Schaunard)
Italo Tajo (Benoit)
Andrea Velis (Alcindoro)
Conductor: James Levine
Production: Fabrizio Melano

***プッチーニ ラ・ボエーム Puccini La Boheme***