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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: LA DAMNATION DE FAUST (Thurs, Dec 4, 2008)

2008-12-04 | メト on Sirius
とうとう『ファウストの劫罰』の最終公演日。シリウスでの鑑賞です。
今日の公演のチケットを買った人は大きく二つに分かれるのではないでしょうか?

① デリック・イノウエという指揮者がどうこの作品を振るか?レヴァインと比べてみたいオペラヘッド。
② 話題の公演ということでよく確かめず今日もレヴァインの指揮だと思ってチケットを買い、
開演してから、”誰だ、この指揮者は?”とうろたえたうっかりさん。

もちろん、この日にしか予定が空いていなかった人、NYへ旅行で来られてこの日しか観れない、
という方もいらっしゃることはいらっしゃるでしょうが、、。

私は①のタイプとして今日もがっちりラジオの前に張り付いているのですが、
ラジオなら、”あらららら、、”という演奏なら指一本でラジオを消してしまえますが、
オペラハウスに行って、”あらららら、、”はきついだろうなあ、、大丈夫かなあ、
なんていうちょっぴり心配な心持ちで聴き始めたのですが、結論、悪くはありませんでした。

というか、オケが完全にレヴァインに仕込まれたせいか、なんだか勝手にどんどんと
演奏してくれている感じで、これならば、イノウエさん(名前から想像されるとおり、
日系の方。カナダ人だそうです。)じゃなくっても、
私が指揮台に立ってもこんな感じでオケが演奏してくれるんじゃないか?と
誰かに後ろから殴られそうな妄想にとらわれたくらいです。

もちろん、そんなわけはないのでしょうが、レヴァインのアシスタントも勤めたりしているようなので、
そのせいもあってか、良くも悪くも演奏が本当にレヴァインが指揮したときとそっくり。
がっかりさせられることがないという意味では良かったんでしょうが、
もうちょっとイノウエさんの個性が出ても良かったのではないか、と思います。

ただ、ハンガリー行進曲の辺は、一見、うきうきさくさくと快活に進んでいるように
聴こえるのですが、よーく聴くとやや表面的。
ほんのちょっとしたことなんですが、レヴァインの方が上手いな、と感じるところはありました。

歌手はいつもの力を出し切ってましたが、
レリエーは、割りとエクスポージャーの低い公演(レヴァインが指揮でないこの公演とか、
HDやラジオの放送でない公演とか)で冒険に出る傾向があって、
声にドスを聴かせたり、わりと自由にいろいろやってます。
ただ私は、彼はHDの時のような端正の歌の方が好みではありますが。

そして、今日は通勤途中、ランの最初の頃にシリウスの放送を録音したものを聴いていたのですが、
グラハムの歌唱がHDの日や、実演で観た日、また今日の演奏に比べると
少し不安定で、彼女はコンディションが悪いと、
音域によってシーム(継ぎ目)が出来、それより低い音では
ルネ・フレミングの低声にそっくりなちょっとぎょっとさせられる音になることがあることに気付きました。
その日の演奏では、彼女のブレスが”ずーひーずーひー”とものすごい音でマイクに拾われていて、
(これも一つにコンディションが悪いことを示唆する現象だった可能性があります。)
電車の中で呆然としながら聴いてました。

ライブ・イン・HDでは、いずれの理由でもぎょっとさせられることはなく、
彼女の最高の歌唱が聴けますので、これから鑑賞される方はご安心を。


Marcello Giordani (Faust)
Susan Graham (Marguerite)
John Relyea (Mephistopheles)
Patrick Carfizzi (Brander)
Conductor: Derrick Inouye
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set Design: Carl Fillion
Costume Design: Karin Erskine
Lighting Design: Sonoyo Nishikawa
Interactive Video Design: Holger Foerterer
Image Design: Boris Firquet
Choreography: Johanne Madore, Alain Gauthier
ON

*** ベルリオーズ ファウストの劫罰 Berlioz La Damnation de Faust ***

Sirius: TRISTAN UND ISOLDE (Tues, Dec 2, 2008)

2008-12-02 | メト on Sirius
やはり、『トリスタンとイゾルデ』は魔物です。
先週金曜日(11/28)の公演のザイフェルトの疲労はたまたまコンディションが悪かったためか、
シリウスの放送を聴いて判断します、と書いたばかりですが、
その今日のシリウスの『トリスタンとイゾルデ』、ザイフェルトは降板。
代わりに昨シーズンもウィルスに倒れたベン・ヘップナーの代わりに
一部の公演でトリスタン役を歌ったギャリー・レーマン
(昨シーズンはゲイリー・リーマンと表記しましたが、マーガレットの発音にならって
変更しました。)が舞台に立っています。

ザイフェルトは金曜日、もともとコンディションが特に良くなかったところに、
最後まで歌って無理をしたのが今日の降板につながっているかも知れません。
レーマンを応援しているローカルファンも結構いるようなんですが、
残念ながら、彼のことは私はあまり支持しません。
本当に危なっかしくて聴いていてなんだかどきどきします。
一つには声そのものがこの人はあまり魅力的ではないのと、
長く伸ばした音に独特のワンワンワンというような木の年輪みたいなものが刻まれるのも気になります。
彼に比べたら、どんなにコンディションが悪かったとしても、
声に美しさや気品があって、コンディションとは別の部分で、歌唱に自信が漂っている
ザイフェルトの歌の方が、レーマンよりはまだ良かったような気がしてきました。

ザイフェルトの声については、ヘップナーにやや似ていながら、それに少し重みが加わった声、
というように私は感じたのですが、レーマンの声はこの二人よりはるかに野太く、
かつ、やや野暮ったい感じのする声です。
ただ、今日は最初の幕から後ろの幕に行くにしたがって段々調子があがっていったような印象で、
ペースの配分をなかなか巧みに行っていたことは評価されるべきでしょう。
というか、もうこの状況では、最後まで元気に歌ってくれるだけで、
”ありがとうございます”とでも言いたくなるような異様な事態になっています。

今日のバレンボイムの指揮は金曜の公演より、やや耽美に流れているというのか、
部分的にかなりゆっくりに感じる部分があるのですが、気のせいでしょうか?
見張りの歌、金曜はこんなじゃなかったし、、。
デ・ヤングが少し辛そうにしているかな、、と思っていたらば、
ブレスをした瞬間に音が下がり気味になってしまった箇所もありました。
金曜の歌はもう頭からお尻まで、彼女のエネルギーがバレンボイムのそれと火花を散らしているのが
目に見えるほどの集中力で、素晴らしい歌唱だったですが、
それを支えていたのは適切なテンポで鳴らされていたバレンボイム率いるオケがあってこそ
だったように思います。かように音楽とは繊細なもの、、。

それを考えると、イゾルデを歌っているダライマンは
全く特筆するような歌唱ではないにしても、よくついていっていると思います。

パペは今日もすごい存在感。
ブレスの深さと長さ、音が出てから消えるまでの神経の通り方、
声量のコントロール、等、歌に関しては何もかもがけちのつけようがないほどで、
この役を完全掌中に収めているという風格すら漂っています。
あとはもうちょっと歳をとってもらって枯れた雰囲気(歌唱の雰囲気も含めて)
が身につけばこの役にはもっと素敵かな、と思いますが、
それは時が経つのに任せるしかありません。

金曜のバレンボイムの指揮に対しては絶賛の評が多かったですが、
今日聴いても、まだ、オケが全幕を通して昂揚感とか興奮とかが持続する、
というレベルには達していない気もしています。
ただ、今日の三幕、これはなかなか良かったと思います。
最後も美しくありながら、決して甘さに流れておらず、バランスが絶妙でした。
このテンションが全幕に及ぶといいな、と思うのですが、
これも最後までしっかりしているトリスタンを望むことと同様に酷で難しい要求なのでしょうか。

(写真はオリジナルのキャストのザイフェルトとダライマン。リハーサル時のもの。)

Gary Lehman replacing Peter Seiffert (Tristan)
Katarina Dalayman (Isolde)
Michelle DeYoung (Brangane)
Rene Pape (King Marke)
Gerd Grochowski (Kurwenal)
Stephen Gaertner (Melot)
Mark Schowalter (A Shepherd)
Matthew Plenk (A Sailor's Voice)
James Courtney (A Steersman)
Conductor: Daniel Barenboim
Production: Dieter Dorn
Set and costume desing: Jurgen Rose
Lighting design: Max Keller
SB

***ワーグナー トリスタンとイゾルデ Wagner Tristan und Isolde***

Sirius: THE QUEEN OF SPADES (Mon, Nov 24, 2008)

2008-11-24 | メト on Sirius
先週金曜(11/21)の公演については、NYタイムズでも、歌手の誰よりも指揮を褒めるレビューが出て、
はじけっぷりに拍車がかかるセイジ・オザワ!!

今日の演奏はすごいです。
第一幕から火がついて大変なことになっています。
一幕については、ゲルギエフのCDよりもエキサイティングですよ、まじで!!
ああ、こういう演奏を金曜日に聴きたかった、私も(涙)。

何よりもびっくりしたのは、あんなに乱調の歌を金曜日に聴かせたばかりで、
もう舞台に立つのも嫌なんじゃないか?今日はキャンセルかな?と思っていた
ベン・ヘップナーがど根性で舞台に立っていること。
しかも、”風邪気味です”といったアナウンスもなく。

確かにこうやって声だけで聴いていると、今日の演奏では、
少し高音に濁りが入っていて、声がベストでないんだな、ということがわかります。
出だしは本人も不安があったのか、おっかなびっくりで歌っている感がありましたが、
小澤氏がオケを全開にしたのに乗せられたのと、
トムスキーの語りの場面で火を吹く素晴らしい歌唱を繰り出したデラヴァン(彼がこんなに
すごい歌唱を聴かせたのをはじめて聴きました!)のおかげもあって、
一幕の途中から吹っ切れたように思いっきり歌っています。
金曜の乱調のスタート地点になった一幕最後の二重唱でも
問題の高音を繰り返しも含め、二度ともきっちりと出していましたし、すごい精神力です。
最後の死の場面で少しひやっとする個所もありましたが、全体的には金曜日に我が耳で聞いたものを思い返すと、
信じられないような見事な歌唱でした。

むしろ、一幕で今日のウィーク・スポットになっているのはグレギーナ。
だからあんな大きな態度はとらない方がいい、と忠告したんです。
ゲルマン(ベン・ヘップナー)が部屋に現れる前に歌う”いったいどこから涙が
Zachem zhe eti slyozy"でもことごとく音が下がっているし、
歌に繊細さの微塵もありません。
ただし、三幕の”ああ、悲しみにも疲れ果てた Akh! Istomilas ya gorem "では
大きな拍手をもらっていました。
彼女はオペラハウスで聴くと声量もあるし、聴き栄えがするのですが、
こうしてラジオで聴くと、高音を引っ張ってホールドする技術に難があるし、
あいかわらず音程が下がりがちな個所はあるし、で、結構あらが目立ちます。

ところで、ベル・カント・レパートリーを歌うアンナ・ネトレプコには
ことごとく冷たく当たっている私ですが、実はこの役なんか、彼女が歌うと面白いんじゃないかな、
と思うのですがどうでしょう?(キーロフ時代に歌っていたかもしれませんが良く知りません。)
キャラクターも何となく彼女に合っているような気がします。
今の彼女には役が小さすぎる、と切り捨てられてしまうのかもしれませんが。

正直、私個人的には、今のグレギーナのリーザはもっと聴きたいな、と思わせる要素が何もないので、
次にこの演目をメトで上演するときは、もうちょっと若手で面白いソプラノを投入してほしいです。

パーマーはあいかららずいぶし銀の歌唱を聴かせていましたが、
今日はなんといってもヘップナーと指揮&オケの頑張りが光っていました。
奇跡の逆転に拍手!

Ben Heppner (Ghermann)
Maria Guleghina (Lisa)
Ekaterina Semenchuk (Pauline/Daphnis)
Felicity Palmer (The Countess)
Vladimir Stoyanov (Prince Yeletsky)
Mark Delavan (Count Tomsky/Plutis)
Wendy Bryn Harmer (Chloe)
Alan Oke (Tchekalinsky)
Paul Plishka (Sourin)
Conductor: Seiji Ozawa
Production: Elijah Moshinsky
Set & Costume design: Mark Thompson
Lighting design: Paul Pyant
Stage direction: Peter McClintock
Choreography: John Meehan
ON

*** チャイコフスキー スペードの女王 Tchaikovsky The Queen of Spades ***


Sirius: LA DAMNATION DE FAUST (Fri, Nov 14, 2008)

2008-11-14 | メト on Sirius
どうしても一言書いておきたくなりました。

今日のジョルダーニ、初日の演奏より断然良くなってました。
最近少し声に磨耗が見られる、と度々言ってきましたが、それを実によく分析して、
今日は歌い方にものすごく多くの工夫が見られました。
(音をだらしなく伸ばさず、すぱっと切ることで、
以前音の消えていく部分にかけてのコントロールの悪さが目立っていたのが、
ずっと音の終わりまで意識が行き届いているような印象の歌唱に変わっていたのが一例。
また、これは心理的な面も関係しているかもしれませんが、
今日の方がずっとリラックスし、肩の力を抜いて声を出していたように思いました。)
これは、ライブ・イン・HD直前にものすごいトランスフォメーションを見せた、
昨シーズンの『マクベス』のグレギーナを思わせます。
あの時はレヴァインが付きっ切りで指導に入ったという噂がありましたが、
ジョルダーニも、、?
でも、『蝶々夫人』の代役に入ったり、とてもそんな時間があるようには見えないのに、、。
最近聴いたジョルダーニの歌唱の中では一番良かったです。しかも、この難しい役で!
もし、これ位ライブ・イン・HDの収録日に歌ってくれたなら(来週の土曜のマチネです)、
これはおもしろいことになるかもしれません。

ところで、今日の放送の前半を聴いている時に、私のアパートのブザーを鳴らす音が聞こえました。
お友達、食べ物のデリバリーやクリーニング屋が来るなど、予定がある場合を除いては、
このようなブザーの音には、階下にある正面玄関のドアを開けないのはもちろんのこと、
特にこの夜の時間帯には応答もしない、という怠惰ぶりです。
というのも、日中なら郵便や宅配の可能性もありますが、
夜は絶対に押し間違えやいたずらのどちらかなので。
ということで、今日もシカトを決め込んでいたのですが、
実にしつこく何度もブザーを鳴らしてくるのです。
しかも音に大興奮状態に陥った愛息たち(犬)の声がうるさくて、”劫罰”どころの騒ぎじゃありません。

頭に来たので、立ち上がってインターコムのところに行き、
”誰?”と言うと、相手が大声でがなりたてるので何を言っているのやらさっぱり。
しかし、さらに次々と別の部屋のブザーを押している音と、
それに答えて、”どちらさんですか?”と答える別のお部屋の住人の声が背景に聞こえてきました。
これは、もう部屋全部のブザーを押して遊んでいるに違いない!!
こんなクソガキは許さんぞ!!と、”うちのブザーを押すんじゃねえ!!!”と、
大声で怒鳴って、インターコムを叩ききりました。

しかし、居間に戻り、通りに向いた窓の外を見て、びっくり!
消防車が止まって、サイレンもくるくるしてます。
そしてあわただしく建物のまわりを走り回る消防士のお兄さんたち。
も、もしや、あのブザーは、消防士さんが住民に避難を促すためのものだったのでは、、
そのお兄さんたちに向かって”うちのブザーを押すんじゃねえ!!!”、、、
9/11のテロ以来、ある意味、警察官以上に深い敬意を市民から集めているNYの消防士に向かって、
”うちのブザーを押すんじゃねえ!!!!”
やっばーーーい!!!!
きっと、こんな女、焼け死んじまえ!と思われたに違いない、、。
絶対そうに決まってる。なぜなら、その後、数秒で通りにいた消防車は撤退してしまったのだから。
うちのアパートの皆さん、今度本当に火事になって消防車が来てくれなかったら私のせいです、、。
(本当のところは、誰かが無断でルーフトップにあがったせいで、火災警報器が鳴り出し、
それに答えて消防車が来てしまったそうで、
誤報だったことを確認したうえでお帰りになられたようです。
あのブザーはどこかで火事が起こっていないかを確かめるためのものだったんですね。
それに対して、”うちのブザーを押すんじゃねえ!!”。
ああ、本当に恥ずかしい、、。)

Marcello Giordani (Faust)
Susan Graham (Marguerite)
John Relyea (Mephistopheles)
Patrick Carfizzi (Brander)
Conductor: James Levine
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set Design: Carl Fillion
Costume Design: Karin Erskine
Lighting Design: Sonoyo Nishikawa
Interactive Video Design: Holger Foerterer
Image Design: Boris Firquet
Choreography: Johanne Madore, Alain Gauthier
ON

*** ベルリオーズ ファウストの劫罰 Berlioz La Damnation de Faust ***

Sirius: DOCTOR ATOMIC (Thurs, Nov 13, 2008)

2008-11-13 | メト on Sirius
先週の公演に続いて、ずきずきと頭を痛めながら、今日のシリウスの放送を聴いています。

今日は作品や演奏ではなく、インターミッションのゲストであるジェシカ・リベラが、
インタビューで語っていたことを少しご紹介します。

リベラは、実演鑑賞の予習として観て、記事の中でも参考材料にしたDVDの、
アムステルダムのネーデルラント・オペラによる公演でキティ役を歌ったソプラノです。
今回のメトの公演では、サシャ・クックのカバーおよびアンダースタディとして入っていたそうです。
(しかし、今回のメトの舞台の本番では一度も歌っていないのではないかと思います。)
2006年にジョン・アダムスと初めて対面して以来、アダムスに重用され、
彼女の方も、彼の作品はキャリアの中で一つの大きな柱となっている、と語っていました。

さて、そのDVDでの彼女は、美人か美人でないのか今ひとつわからないルックスに、
(見ようによっては美人ですが、またある時は実に垢抜けなく見えたりするので、、)
歌もこれまた上手いんだか、下手なんだか、よくわからない感じなのですが、
サシャ・クックの歌うキティ役を聴いた今となっては、
実はこのリベラの声は、キティ役にとても合っていたのかもしれないな、、と思っていたのです。
声が合っているから、といって、歌唱が素晴らしい、とは限らないところが難しいところですが。
しかし、今日のインタビューでその謎が解けました。

サン・フランシスコ歌劇場(SFO)が完成したオペラ作品としての初演の場所である
『ドクター・アトミック』ですが、
実はそのオペラハウスでの初演の前に草稿されていた版は、
ソプラノが同役を歌う前提で書かれており、ニ幕の頭に置かれていた
アメリカの女性詩人、ミュリエル・ルカイサー Muriel Rukeyserの詩を用いた
キティ役のアリア”Easter Eve, 1945”がNYフィルによって、一足先に演奏会形式で演奏されたそうです。
(指揮については、リベラはマゼールと言っていたように思うのですが、
アダムス自身の指揮だったという情報がネットにはあり、どちらが本当か定かでありません。)

そのNYフィルによる演奏の際に、このキティのアリアを歌ったのは、
ブロードウェイやテレビを中心に活躍(30代にしてトニー賞をすでに4回受賞しています)、
今やオペラの世界からも熱い視線を向けられている、オードラ・マクドナルドだったそうです。

しかし、SFOでのオペラ初演にあたって、アダムスは、ロレイン・ハント・リーバーソンに
歌ってもらうことを前提に、メゾソプラノ仕様に同役の書き直しを行います。
(彼女はソプラノの役も歌っていましたが、キャリアの後期はメゾの役が中心になっていきました。)
しかし、乳癌の闘病生活のためにキャンセルを余儀なくされ、
彼女の代わりに入ったのが、クリスティン・ジェプソンでした。
すでにパートが出来上がっていたので、同じメゾのジェプソンが登用されたようです。
余談ですが、メト2006-7年シーズンの『オルフェオとエウリディーチェ』のオルフェオ役は、
もともとロレイン・ハント・リーバーソンがキャスティングされていたそうなのですが、
代わりにデイヴィッド・ダニエルズが同役を歌うカウンターテノール版になりました。
そして、その『オルフェオとエウリディーチェ』が終盤を飾った2006-7年シーズンの直後に、
彼女は他界してしまいます。
(そういえば、この『オルフェオと~』、今シーズンは、ステファニー・ブライスが
オルフェオを歌うメゾ版ですね。)

おそらく、このジェプソンへの交代劇については、
アダムス自身、あまり納得がいかなかったのかもしれません。
結局、アムステルダムの公演では、リベラを同役に希望、
SFOで使われたメゾ用のスコアを、
ソプラノであるリベラのために、彼女の声に合わせて細かく修整を施したそうで、
今回のメトの公演も基本的にこのアムステルダムの公演と同じスコアを使用しています。

ということで、リベラの声に比較的スコアが合っている感じがするのは無理もないことでした。
また、リベラはソプラノにしては割と低音域が深い声なので難なくこなしていましたが、
(むしろ彼女は高音の方で耳障りな響きが出ます。)
メトで歌ったクックのような高音に強みがある歌手にとっては
非常に厄介な低音域の個所が散在しているのも、
このスコアがもともとメゾ用だったものをソプラノ用に書き換えた、
という事実に起因したものだったのか、と納得。

ということで、ますます、なぜアダムスがクックを指名したか、の謎が募ります。
もしかすると、インターミッションで聞こえたおじさんのネタはガセかも知れない、、。
その場でおじさんを捕獲して、どこでその情報を得たのか、問い詰めるべきでした。
私もまだまだ甘い!反省!!

キティ自身も科学者だったそうで、オッペンハイマーとの結婚は、
なんと彼女にとって四度目の結婚だったそうです。
三人目のご主人とまだ結婚していた頃に、ロス・アラモスに招待され、
夫の方はそれを断ったものの、キティは単独で招待を受諾。
結局、オッペンハイマーと恋に落ち、気がついたら妊娠(こらこら、、!)、
そこで、三人目の夫に、”どうしよう、、”と相談(、、、、)。
”じゃ、離婚しよう”ってなことになり、めでたく(?)オッペンハイマーと結婚成立!
という激動の人生を送ったそうです。

ただ、興味深いのは、リベラが、本来このように何よりも自由と自立を愛する人間であったキティが、
ロス・アラモスという非常に閉じた世界に入れられ、自分の個としてのキャリアもあきらめたところから、
彼女のアルコール中毒と苦悩が始まった、と分析していた点でした。
日によっては、昼の2時から一日中ずっと飲み続けていた時もあったそうです。
実演の舞台でも、確かにキティの周りにはどこか霧のようなものがかかっている感じがあって、
ここは同役を演じる歌手が大事に表現しようとしている部分であることがわかります。

さて、この作品の特に第二幕の部分では、いかに科学者たちでさえもが
原爆の威力を図りかねていたか、という描写がありますが、
原爆が実際に投下された後でも、いかにアメリカの一般市民たちはその本当の威力について
知らされていなかったかを知る格好のマテリアルがあるのでここにご紹介します。



『アトミック・カフェ』という1982年のドキュメンタリー・フィルムなのですが、
冷戦時代が本格化する50年代から小学校などで採用された”ダック・アンド・カバー”訓練の映像には
笑い、そして泣けてきます。
頭を隠して、机の下に入る、、という一連の行動を、一生懸命練習するかわいいアメリカの児童たち。
アメリカ政府が、こんなもので、原爆から身を守れる、という風に一般市民を洗脳していたとは、
おかしくも、また、空恐ろしくもあります。
(なので、写真にもあるとおり、このドキュメンタリーは、a comic horror filmなのです。
映画自体はそのことをユーモアに包みつつも激しく糾弾しており、
非常にすぐれたドキュメンタリー映画です。)
”ばかじゃないの!信じられない!”と大笑いしていると、連れに真顔で言われました。
”ボクも小さい時、学校でやったけど、、”。
ということは、このいたいけな少年少女たちの中に連れが写り込んでいる可能性も?と、
身を乗り出し、目を皿にすると、
”いやいや、ボクの幼少時には、全米の学校でこんな訓練が普通に行われていたんだってば。”

全米、、、。この洗脳の罪は計り知れなく大きい。こわすぎます。

追記:Wikipediaによると、ダック・アンド・カバーは、アメリカで、1940年代の末から、
1980年代(ええっ!!??)まで見られた、と書かれています。
さすがに1980年代には下火になっていたと思われ、
私が80年代半ばにアメリカに住んでいたときには、こんなことさせられた記憶は一度もありませんが。
ちなみに、このWikipediaのページでは、ダック・アンド・カバーを実行する児童たちの
様子が映像で見れます。

Gerald Finley (J. Robert Oppenheimer)
Sasha Cooke (Kitty Oppenheimer)
Richard Paul Fink (Edward Teller)
Eric Owens (General Leslie Groves)
Meredith Arwady (Pasqualita)
Earle Patriarco (Frank Hubbard)
Roger Honeywell (Captain James Nolan)
Thomas Glenn (Robert Wilson)
Conductor: Alan Gilbert
Production: Penny Woolcock
Set Design: Julian Crouch
Costume Design: Catheirne Zuber
Lighting Design: Brian MacDevitt
Choreography: Andrew Dawson
Video Design: Leo Warner & Mark Gimmer for Fifty Nine Productions, Ltd.
Sound Design: Mark Grey
OFF

*** アダムス ドクター・アトミック Adams Doctor Atomic ***

Sirius: MADAMA BUTTERFLY (Tues, Nov 11, 2008)

2008-11-11 | メト on Sirius
NYのマフィアなんかに絡んでいる人が、忽然と姿を消したりすると、
”ああ、イースト・リバーに沈められたに違いない、、”などと我々は思ったりするわけですが、
(日本には、”東京湾に沈められる”バージョンもありますが。)
メト版のイースト・リバー現象といえば、もともとある公演に通しでキャスティングされていた人が、
最初の数回であまりにひどい歌唱を聴かせた後、忽然と、”体調不良”を原因に
残りの公演から姿を消して(抹消されて?)しまうことを言います。
昨シーズンの『アイーダ』ラダメス役のマルコ・ベルティなんかはその例で、
そのこっそりと、しかし確実、迅速に、期待はずれの歌唱を聞かせた歌手たちを
イースト・リバー送りにするゲルプ氏の手腕には、マフィアもびっくりです。

そして、どうやら、今シーズンの蝶々さんのAキャストを全て歌う予定だった
ロベルト・アロニカも、たった数公演で、イースト・リバー送りが確定してしまったようです。
しかし、今日の代役は、先週の11/4の公演に代役を務めたメロではなく、
なんと、昨日、『ファウストの劫罰』を歌ったばかりのマルチェッロ・ジョルダーニ。
メロの歌を褒めているオペラヘッドも、ギルドのフォーラムにはいましたが、
私が彼の歌についてどう思ったかは、その11/4のレポートにあるとおりです。
最近のジョルダーニをそれほど買っていない私ですが、それでも、
アロニカやメロのピンカートンに比べたら、それはもう安定感の面では全然比にならないはずで、
このピンカートン役では、ジョルダーニの最近の歌唱のまずい点もそれほど目立たないので、
この交代は歓迎すべき交代です。

”ジョルダーニ&ラセット?これは素敵!”と思っていたら、
なんと脳天をかち割られるかと思うようなお知らせが!!!
ピンカートンだけではなく、蝶々さんも代役が入るというのです、、
ダブル交代、、、。
私が今日のチケットを持ってなくってよかったですね。
テノールの交代はともかく、私がオペラハウスに行って、
ラセットが歌わない公演にあたってしまった日には、暴れますよ、まじで。
そのラセットの代わりを歌うソプラノは、マリア・ガブリローワという、
昨シーズンの『蝶々夫人』でメト・デビューを果たしたソプラノ(写真が彼女)です。

よく考えてみれば、昨シーズンも、全公演ラセットが蝶々さんを歌うはずが、
一度か二度、別のソプラノに変わった記憶があり(その代役がこのガブリローワだったはずです。)、
本数の多い公演なので、もともと、一本か二本は、アンダースタディ/カバーの歌手に、
歌ってもらう手筈になっているのではないか?という疑念が湧きます。
そして、Madokakip、大ピンチです。
なぜなら、今週の土曜日に、もう一度実演で『蝶々夫人』を見ることになっているのですから、、。
今年はあまりに鑑賞スケジュールが詰まっているので(こんなにブログばかり書いていて、
皆様には暇なんじゃないかと思われているかもしれませんが、一応、会社員の身ですので。)、
すごく好きな『椿姫』ですら、たった一本しか観に行けず、
そんな私が、同じ演目を、同じキャストで複数回観る手配をしたということ自体、
もう、それだけで破格の事態なのです。
それもこれももちろんラセットの蝶々さんを観たいがため。
それが、わけのわからないソプラノに振り替えられた日には、、、。嗚呼。

そして、そのソプラノが、”おや?”と思わせるような歌を聴かせてくれるなら、
まだ、それもまたよし、としましょうが、今日、この放送を聴いて、かなりがっかりしました。

今日の公演を観た友人によると、かなり大柄な(多分、横に)女性だそうですが、
確かに、声を聴くと、かなりたくましい感じがし、ある意味では、
蝶々さん(特に二幕ゆえに)を歌えるソプラノとしてあがってくる声質の典型ともいえます。
ラセットが蝶々さん歌いとして特別な位置にある一つの理由は、
彼女の声がこのようないわゆるある一つの蝶々さんの典型とされる、
やや太めのしっかりした声とはちがって、もっと伸びやかさとしなやかさを感じさせる点です。
正直、ラセットのあのしなやかな声の蝶々さんの洗礼を受けてしまうと、
このガブリローワのような重たいどすこい系の蝶々さんは、
相当表現力に長けていない限り、退屈に感じてしまいます。
なぜなら、このように重たいだけで、すでに15歳の少女を演じるという意味では
大きな障害を抱えているわけですから、、。

そして、その歌唱がいけてないのだから、厳しい。
いきなり本番の舞台で歌うのが難しいのはわかります。
ラセットですら、一度目の公演では、指揮のサマーズとの調整が
必要であるように感じた個所もあったくらいなのですから。
しかし、それにしても、指揮から大きくテンポがはずれる、スズキとの花の二重唱では、
ソプラノのパートが頭に入っていないのでは?と疑わせるほどに
(だからといって、メゾのパートでもないのはもちろんのこと、、)音程が狂っている、と、
こんな状況では、ラセットが歌うときのように、
蝶々さんという女性をどのように表現した公演だったかを語るようなことは、とてもおぼつきません。

ラセットがいなくなると、次に繰り上がってくるのがこのくらいの歌唱なのか、と思うと、
あらためて彼女の特別さが身にしみます。
ただ、強調しておくと、ガブリローワの歌には特別なものは何もないのですが、
だからといって、全体的に聴くも耐えないほどひどい歌かというと、それほどではなく、
あくまで、かなり下に寄ってはいますが、平均的な歌唱だとは思うのですが、ラセットと比べると、
とんでもなく、面白みにも心を揺さぶる力にも欠けた退屈な歌唱に思えてしまいます。

ジョルダーニのピンカートンは、あいかわらず声の芯が揺れる問題を抱えていますが、
全体としては実に堅実。これでいいんです!
今までの嵐のようなピンカートンをめぐる問題はなんだったのか?と拍子抜けするほど。

週前半にして、土曜日のことが心配で眠れなくなりそうです。
願わくは、今日のこの放送でのガブリローワの歌唱をゲルプ氏が聴いて、
ラセットを残りの公演に戻す重要性を痛感していただいているといいのですが、、。
今年もう一度ラセットの蝶々さんをメトで聴かなければ、私は平穏に一年を終えることができません。

Maria Gavrilova replacing Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Marcello Giordani replacing Roberto Aronica (Pinkerton)
Dwayne Croft (Sharpless)
Maria Zifchak (Suzuki)
Greg Fedderly (Goro)
Conductor: Patrick Summers
Production: Anthony Minghella
Direction & Choreography: Carolyn Choa
Set Design: Michael Levine
Costume Design: Han Feng
Lighting Design: Peter Mumford
Puppetry: Blind Summit Theatre, Mark Down and Nick Barnes
ON

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

Sirius: LA DAMNATION DE FAUST (Fri, Nov 7, 2008)

2008-11-07 | メト on Sirius
ギルドのレクチャーの記事でも書いたとおり、なんとメトの舞台上では、
1906年以来上演がなかった『ファウストの劫罰』の復活です。
1996年にカーネギー・ホールでメト・オケによる演奏会形式での演奏があったようですが、
そういえば、1997年のメトの日本公演でも、演奏会形式でこの演目が演奏されましたので、
聴きにいらした幸運な方もいらっしゃるかもしれません。
その時のキャストは、ヴィンセント・コールのファウストに、オルガ・ボロディナのマルグリート、
ジェームズ・モリスのメフィストフェレスという顔ぶれで、
しかも、今ならば、メフィストフェレスを歌っていてもおかしくないルネ・パペが
ブランデルという比較的小さな役で出演していました。
彼は1995年にメト・デビューしたばかりで、この来日時の頃のシーズンでは、
『アイーダ』のエジプト王なんかを歌っていたんですね。時代を感じて泣けてきます。

こうも長く舞台に乗らなかった理由は、この作品の、舞台化は不可能、とまで言われた
突拍子もない内容や状況設定のせいだったようで、
1906年の舞台もかなり問題が多かったという記録があるそうです。
しかし、そんな事情が滅茶苦茶悔しく感じられるほど、この作品の音楽は素晴らしい。
この”舞台化不可能”の障害さえなければ、グノーの『ファウスト』なんかに
今まで、大きな顔をさせなかったであろう、と思われるほどに。

喜ぶべきは、この2008年という年に自分がオペラヘッドである!という事実です。
あと、70年生まれるのが早かったなら、メトでは一生観れなかったであろう舞台なのですから。

そんな幸運を可能にしたのは、どうやら今回の場合、テクノロジーの進化だったようです。
シルク・ド・ソレイユの『KÀ 』のプロダクションでも知られ、
数々のオペラの演出を手がけた経験のあるカナダ出身のロバート・ルパージによる演出は、
ありとあらゆる視覚効果技術を用いて、”舞台化不可能”のレッテルをはがしてみせました。
サイトウ・キネンとパリのオペラ座との共同制作です。
残念ながら、今日はシリウスでの鑑賞なので、それらのビジュアルの特殊効果は
マーガレットのコメントやメトのサイトで見たものをもとに想像するしかないのですが。

これが今シーズン全幕公演初指揮になるジェイムズ・レヴァイン。
この作品は2007年のタングルウッドで、ボストン交響楽団を指揮して手がけた作品でもあります。
ちなみにその時もファウスト役はジョルダーニが歌っています。
レヴァインの指揮についてはいろいろ意見もあるでしょうが、
悲しいかな、彼ほどにも指揮が出来ない指揮者がごろごろいるのもまた事実で、
正直、今シーズン、やっとまともな音がオケから出てきたような気がします。
例年、どちらかというとスロー・テンポのゆったりまったりの演奏が多い気がするレヴァインですが、
なぜだか、この作品では、わりとさくさく振ってます。
やはり、命にかかわる境遇を経験して(オフ・シーズン中に癌の摘出手術を行った)、
何かが変わったのかもしれません。それか、早く終わらせてさっさと帰りたいだけか?
今回、第一部と第二部の演奏後にインターミッションをはさみ、第三部と第四部を演奏
(なので、インターミッションは一度だけ)するスタイルになっていますが、
特にインターミッション後のオケの演奏から感じられた集中力は、
最近だらけた演奏が日常茶飯事になりつつあっただけに、嬉しいです。
前半の演奏は、ハンガリアン・マーチも含めやや淡白な感じもありましたが、
後半はロマンティックさが加わり、かと思えば金管のセクションは力強く、
オケの出来は大変良かったのではないかと思います。
最後のシーンは、曲の美しさもあって、胸を打たれます。
観客の反応も上々でした。

全体を通して合唱の登場個所が非常に多いのもこの作品の一つの特徴ですが、
数年前に比べると、”サウンド”としての声の響きは格段によくなりましたが、
今日の演奏では、後半の出来に比べると、前半で、
言葉の端ばしが全体でぴったりと合っていなかったり、
少し練習時間が足りなかったのかな?と思わせる個所がありました。

歌ですばらしかったのは、なんといってもスーザン・グラハム。
私は、超絶技巧でこれでもか!と頑張っているときの彼女の歌唱はあまり好きではないのですが、
一歩引いて、肩の力を抜いた(ように思える)役や歌唱にこそ、彼女の実力が光る気がします。
今日のマルグリート役での、トゥーレの王の歌 "Autrefois un roi de Thule"、
そして、”燃える恋の思いに D'amour l'ardente flamme ”共に、
静かな中に小さな炎が燃えているような歌唱で、レクチャーで講師のバーンハイマー氏に
聴かされたCDの録音なんかより、ずっとずっと感動的な歌でした。

ジョン・レリエーは、今まで少なくとも表は(そしてもちろん裏も表も、の場合もある)
”いい人”的な役で聴くことが多かったので、
(ボエームのコッリーネ、マイスタージンガーの夜警、
ルチアのライモンド、マクベスのバンクォー、、リストは続く、、。)
今日のメフィストフェレスはとても新鮮でした。
いつもの気品を保ちつつも、ほとんどドス声寸前の声もまじえて歌い演じる熱演で、
なんだかメトでの彼の新境地を見た、いえ、聴いた気がします。
表情豊かな歌唱で、あいかわらずいい意味で器用な人だな、と思います。

ジョルダーニのファウストは全く期待していなかったのですが、
まあ、かろうじてふんばった、というところでしょうか。
これでテノールがよければ、最上級の舞台になった可能性もありますが、
すべてが上手く行くということは、そうそうあることではありません。
彼は、『蝶々夫人』のアロニカと一緒に、Operax3特製の、”声の芯がふらつく人が入る反省室”に
入ってもらおうか、と考えているくらい(ちなみにアロニカは入室済み)、
最近の声の不調は聴いていて痛々しいほどです。
第三部のアリア、”ああ、このほのかな夕暮れの甘美さよ Merci, doux crepuscule! "での、
ソット・ボーチェでの高音は、”ひゅ~~~”というような、
まるで、これから幽霊でも出てくるのかと思うような情けない声で、がっくり来てしまいます。
当然のことながら、第三部での、マルグリートとの二重唱の場面での高音
(ハイCシャープ)は出るわけもなく、黒板に立て爪するような怪しい音に、
鳥肌が立ちそうになりました。
しかし、それでも、リハーサルと今日の公演を両方聴いたオペラ警察によれば、
”今日の公演ではリハーサルより随分よかった”そうですから、何をか言わんや、です。

このジョルダーニ問題をのぞけば、全体としては、非常に良い公演で、
間違いなく今シーズンのトップ・ティアに入ってくるであろう演目です。
ライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)も楽しみです。

ところで、そのオペラ警察からの情報によると、第二部の精霊の踊りのシーンで、
舞台上部にあらわれるヴィジュアル・エフェクトが大変美しく、
当公演の演出の最大の見せ場の一つでもあるのですが、
どうやら、機器の一部か何かに不具合があったようで、
本来あるべき姿の1/3ほどしか反映されていなかったそうです。
マーガレットも特に何も不具合のことには触れず、ラジオでは
すべてが上手く写っていたような語り口だったので、
それほど不自然には見えなかったのかも知れませんが、せっかくの作り手の努力が台無し。
ライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)でこんなことがあったなら、
ルパージに半殺しに合ってしまう!くらいの勢いで、担当の方は機器の調整をお願いします。

Marcello Giordani (Faust)
Susan Graham (Marguerite)
John Relyea (Mephistopheles)
Patrick Carfizzi (Brander)
Conductor: James Levine
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set Design: Carl Fillion
Costume Design: Karin Erskine
Lighting Design: Sonoyo Nishikawa
Interactive Video Design: Holger Foerterer
Image Design: Boris Firquet
Choreography: Johanne Madore, Alain Gauthier
ON

*** ベルリオーズ ファウストの劫罰 Berlioz La Damnation de Faust ***

Sirius: MADAMA BUTTERFLY (Tues, Nov 4, 2008)

2008-11-04 | メト on Sirius
先日の土曜日(11/1)の公演は、メトのオペラ・ギルドの掲示板でも、
”あまりの素晴らしさにアロニカでも台無しに出来なかった蝶々さん”
(『蝶々夫人』初日から、絶不調の歌唱に、”アロニカは病気なのかなんなのか?”
という物議を醸したのを受けてのタイトル)というスレッドまで立ちました。

今日は、ブログに感想をあげるのもやめて、その記憶に浸りながら、
シリウスでゆっくり今夜の蝶々さんの公演を聴こうと思っていたところ、
マーガレットがお休みなのに代わり、パーソナリティをつとめるメアリー・ジョ・ヒースが、
”今夜のピンカートンは、ロベルト・アロニカに変わり、
同役のメト・デビュー(この役を初めてメトで歌うこと)になるラウル・メロが歌います。
プレイビルにお知らせの紙をはさむ時間もないほど直前に変更になったようで、
たった今、オペラハウスの舞台で告知されました。”
(注:放送の最後に訂正があり、実際にはメト・ロール・デビューではなく、
ピンカートン役としては、二度目の舞台だそうです。)

なにーっ!?交代が一足遅い!!!
しかし。このメロさえ好調なら、もしかすると今日は燃える公演になるかもしれない!と、
私もやる気満々でスピーカー前に正座。
これはブログにも書いておかねば、とPCのスイッチを入れる。
ああ、今日はゆっくり、のはずだったのに、、。
しかし、オペラヘッドに一秒たりとも休息はないのです。

そのメロの声が聴こえてきました。
なんだか、ユニークな声ですね。声の質そのものは結構印象に残る得なタイプかもしれません。
中音域から低音域の方に重心が寄っているような、やや暗めの声で、
ちょっとこのピンカートン役にはおっさん臭すぎる気もしますが、
まあ、贅沢は言ってられない、というものです。
ただ、緊張しているんでしょうか、高音になると喉がやや締まっているように聴こえます。
メト・ロール・デビュー、しかもシリウスにのっているということで、
緊張するのもわかりますが、この役はそんなに出番が多いわけではないから、
早く本来の力を出さないとあっという間に終わってしまいますよ!!

しかし、、、、それよりも問題は、リズム感かもしれません。
音符の長さがめちゃくちゃ適当なんですが、、。
それも、存命していた頃のパヴァロッティのように、好きなところは伸ばす!
面倒くさいところは早く!というような単純なものではなく、
一フレーズの中でも、ある音は長くなったり、別の音は短かくなったり、、。
なんだかこの人の歌を聴いていると、空間がぐねぐねしてくるような
不思議な感覚に襲われます。

それから、ディクション。悪いですねー。
ロール・デビューの彼のためを思ってか、指揮のサマーズが一幕でやたら
ご丁寧なゆっくりテンポで振って、それが却って仇になったような気がするのですが、
ディクションの悪さが強調されてしまったように思います。
(まあ、早く歌っても悪いものは悪いのですが。)

そして、低音も汚いですねー。
二重唱のVieni vieniの汚いこと!!!!
これは地声のしゃべり声かしら?と思うような汚さです。

後半落ち着いたか、高音はややリラックスして出るようになったし
(しかし、それでもやっぱり締まる感じは完全には抜けていない。)、
綺麗に入ったときの高音は、それがピンカートンという役に合っているかはさておき、
ややラテン系の色っぽさがあって悪くはないのですが、
しかし、もう遅い!もう君の出番は三年後にもう一度長崎にやってくる時までお預けだし、
そこでの登場時間の短さは、この一幕の比じゃないのだよ!!

というわけで、前回のシリウス日記(10/29)で、

ピンカートン役は、技巧的に猛烈に上手に歌ってもらわなきゃ困る!という役でもないし、
舞台経験の少ない若手テノールでも、きちんと、まじめに、端正に歌ってくれる人がいたら、
十分に感動的な舞台になるはずです。

と書いたのですが、別に特大の感動的な歌を歌え、と言っているわけではない、
ただ、まともに歌ってくれさえすればいいのですが、
ピンカートンって、そのまともに歌うということだけでも、
こんなに大変な役だっけ?と思わされるような事態になってしまったのでした。

もうちょっとちゃんと歌えるカバーはいないのか!と、悲しくなります。
アロニカの、リズムとかスタイルはきちんとしているが、声がへなへな、なのを取るか、
メロの、声はそこそこ出るけど、リズムやスタイルはめちゃめちゃなのを取るか、、
こんなの選べませんって!!!

しかし、メロって、どこかで聞いた覚えのある名前だな、、と思ったら、
以前、『スター・システムを考える』というアラーニャについての記事の中で紹介した、
NYタイムズの記事に登場していたカバー専門の歌手でした。
せっかく登用してもらってこの歌では、だからカバーの歌手は駄目だ、と言われてしまうのです。
スターとして見てもらえない、とフラストレーションをためるまえに、やることが一杯あるのでは?
声(才能)自体が問題なのではなく、歌唱の”磨かれてなさ”に問題があるのですから。
他の多くのカバー専門の歌手の未来のためにも、
”カバーに歌わせたら、こんな面白い舞台になることもあるんだ”と観客や
オペラハウスのマネジメントに思わせられるよう、
あなたみたいな人がもっと頑張らなければいけないと思いますよ、メロさん!!

そんなメロ氏の毒気にやられたか、今日のラセットは出だしがいつもよりやや不安定で、
音が少し下がり気味になっている個所もありました。
(歌うだけで大変な役なんですから、これ以上彼女の負担になるような配役はやめてほしい。
SFOで一緒に歌ったジョヴァノヴィッチとか、スケジュールは空いてないんでしょうか?)

しかし、二重唱の途中で、”かちっ”とスイッチが入る音がして、
その後は、もう、、、。同じことを繰り返して言いますまい。
素晴らしい、その一言です。
今日のお客さんは、途中、拍手をするのも忘れて、完全に舞台に引き込まれているのが
ラジオ越しにも伝わってきました。
自然に声がかかったり拍手が出る公演もいいですが、こういうのも本当に微笑ましい。

特にニ幕一場のこの素晴らしさは、、。火がつきましたね、この公演。
ああ、私もオペラハウスに行きたい。

少し苦言を言うなら、最近のオケは本当にらしくない細かいミスが多発してます。
今日も、二重唱で公演に火がつくまで、あちこちの楽器でミスが聴かれ、
また、サマーズの悪い癖は、演奏が湿ってくるとそれに比例して指揮の決断が鈍る点。
そういうときにこそ、がんがんオケをひっぱってほしいんですが。
二重唱の点火地点以降は、公演自体が公演自身に緊張をしうるという、
火の玉公演の定番パターンを転がり、オケは火達磨状態(いい意味で)。
ニ幕からは、ミスもすっかり姿を消していました。

インターミッションのトークには、今年の公演でボンゾを歌っているバスのキース・ミラーが登場。
実演のレポートではふれませんでしたが、存在感のある声で立派に役をこなしています。
その彼には日本人の血が入っているそうです。知りませんでした。

『ドクター・アトミック』を指揮、NYフィルの次期音楽監督に決定している
アラン・ギルバートもそうでしたよね、と、パーソナリティの二人の間では、
今、リンカーン・センターでは日系の時代到来か?(オーバーなんだから、、)という話になっていました。
それが本当で、日本人の歌手や指揮者がもっとどんどん出てきてくれると、私も嬉しいのですが。

最後に”今日はオケも燃えてましたねー”と嬉しそうなウィリアム。
メアリが、”そういえば、パトリック・サマーズが前回ゲストで来てくれたとき、
自分のキャリアは第二段階とか第三段階とか、何か自分の指揮も新しいフェイズに入ったというか、
以前に比べて思いきり振れるようになった、と言ってましたね。”
、、、、いやいや、今日のオケの熱演はサマーズの力じゃなく、
火をつけたのは公演自身とラセットの力です。

Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Raul Melo replacing Roberto Aronica (Pinkerton)
Dwayne Croft (Sharpless)
Maria Zifchak (Suzuki)
Greg Fedderly (Goro)
David Won (Yamadori)
Keith Miller (Bonze)
Conductor: Patrick Summers
Production: Anthony Minghella
Direction & Choreography: Carolyn Choa
Set Design: Michael Levine
Costume Design: Han Feng
Lighting Design: Peter Mumford
Puppetry: Blind Summit Theatre, Mark Down and Nick Barnes
ON
*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

Sirius: MADAMA BUTTERFLY (Wed, Oct 29, 2008)

2008-10-29 | メト on Sirius
10/24のシーズン・プレミアでの歌唱が絶賛されたパトリシア・ラセットの『蝶々夫人』。
ラセット不遇説については軽くそのシリウス鑑賞記でも触れたとおりですが、
NYのオペラヘッドの間では、”素晴らしい歌手”との評価が固まっているにも関わらず、
その不遇説は公演評の面にも及んでいて、彼女が登場したメトの舞台の公演評で、
手放しで彼女を褒めているものが、実力に比して、実に少ない!という不満がずっと私にはありました。
しかし、ついに、この10/24の『蝶々夫人』の公演については、
NYタイムズのスティーブ・スミス氏が、
”タイトル・ロールである、15歳の元芸者、蝶々さんとして、舞台に戻ってきたのは、
昨シーズン、初めてメトで同プロダクションの同役に挑戦し、
大評判を呼んだパトリシア・ラセット。
彼女の歌唱は、力強く、ニュアンスに富み、情熱的で、
彼女のような実力と経験のある歌手にふさわしいものであった。
さらに驚くべきは、彼女が役に吹き込んだドラマの精緻さで、
彼女の顔の表情、ジェスチャー、身体の様子すべてが、
ピンカートンに捨てられたことを受け入れるその最後まで無力であり続けた、
純真かつ相手を信じて疑わない少女のそれそのもの。
あらゆる側面で、ラセットのパフォーマンスは特筆すべき出来栄えで、
彼女の蝶々さんは、見逃すことがあってはならない。”と大絶賛。

参考までにいうと、ここで”大評判をとった”と言われている昨シーズンの『蝶々夫人』も、
NYタイムズのプレミアの公演評では、可も不可もなく、といった程度の評だったのです。
これは、彼女自身、昨シーズンの頭の数公演では、
コンディションが今ひとつだったのか、実力が出し切れていなかったせいでもあるのですが、
その評を読んで、”じゃ、ラセットを聴きに行こうか!”と思った新しい観客はほとんどいなかったはずで、
初日の公演評があたかもラン全体にあてはまるかのように聞こえる危険性がよくわかる例ですが、
それにしても、不遇なラセット、なのでした。
というわけで、昨シーズンの彼女の素晴らしさは、公演評からなんかでなく、
ランの中盤から終盤の公演を実演で観た観客やオペラヘッドによって、
口コミで広まっていったものなのです。

いずれにせよ、やっと彼女の実力に相応したレビューが出て、私もとても嬉しい。
あまりにも長い間待たれていた正当な評価です。

さて、その同じNYタイムズの評に、ピンカートンを歌ったアロニカはどう書かれていたかというと、
”声量とスタイルはあるものの、こちらがフラストレーションを感じるほどに音が不安定。
最高音のほとんどはきちんと入っていたものの、その周りの音は、
やっとこさ、といった怪しげな足取りを示していた。”

>最高音のほとんどはきちんと
という箇所に疑問を感じないでもありませんが
(もしくは、”ほとんど”という言葉を、かなりアロニカに甘く使っているか、、。)、
大筋は正当な評価だと思いました。

さて、そのシーズン・プレミアの公演に続く二度目の公演が今日。

そして、私はスピーカーの前で、憤死するかと思いました。
アロニカが、24日の歌唱よりさらにヘロヘロで、ほとんど聴くにたえない。
一体、こんなコンディションで舞台に立つとは、客を馬鹿にしてるのか!と言いたい。
風邪などによる不調ならば、ここまでコンディションが悪いなら、
回復するまでキャンセルするのがせめて他のキャストや客への礼儀ではないかと思うし、
これが慢性なら、残念ながら、メトのような大劇場で歌うという野望は捨ててもらうしかない。
そして、私的には、もうまるまる契約された金額を持っていってもらってもいいから、
(お金をドブに捨てたつもりで、、)
メトのマネージメントには、彼を外して、他の歌手に強制変更してほしい。

他のキャスト全員が全力を出し切っているときに、たった一人で舞台をぐちゃぐちゃにして、
この罪の重さをわかっているんだろうか、この人は。
いや、10/24の舞台であんな歌を聴かせておいて、今日もしゃあしゃあと戻ってくるあたり、
わかってないんではないか、という気がしてきます。

まるでぐにゃぐにゃのこんにゃくのようなピンカートンを相手に、
必死で自分のモチベーションを保ち、全力を尽くそうとするラセットの姿が痛々しすぎる、、。

キャリアももう長くはないかもしれないし、稼げるところで稼いでおかないと、、
くらいな気分で舞台に立ち続けているとしたら、私は激しく断罪したい!
こんなことが許されてはならない!!!!!と。


第一幕の二重唱が終わったとき、私は自室で一人、
アパートの建物全部が崩れ落ちるかと思うくらいの大声で、
BOOOOOOOO!!!!!と叫んでやりました。
私は基本ブーイングには反対で、思わぬ歌唱の不出来とか、
本人の歌唱技術や実力が及んでいない、といったことでは絶対にブーを出さないのですが、
ここで言っているのは、歌唱の出来とかそういう問題ではなくて、
彼の、舞台に対する姿勢の話をしているのです。
なぜ、舞台をこれほどまでにめちゃくちゃにすることがわかっている状態で、
それでも無理矢理歌おうとするのか?

今週の土曜のマチネ(メトで実演を観る日です)でこんな歌を歌った日には、
うちのアパート全部どころじゃない、メト全部が崩壊する勢いで叫んでやる!と、息巻いている私ですが、
ふと、重要なことに思い当たりました。
この二重唱は、二人で歌われている。ブーを出したら、
いくらそれがアロニカに向けているということが明らかだとしても、
ラセットにとっては決して気分の良いものではないし、第一、彼女には、Bravaを言いたいくらいなのです。
ということで、超難問発生。
”BravaとBooを同時に出すにはどうしたらいいんだろう、、、?”
この超難題を土曜までじっくり考えてみたいと思います。

最も常識的には、最後の幕が終わる時点まで待って、一人一人の歌手への拍手の段階で、
それぞれに違った言葉をかける、というあたりに落ち着くのでしょうが、
今日びっくりしたのは、その最後のカーテン・コールでも、
アロニカには拍手は出れど、誰一人としてブーを叫ぶ人がいなかったということ。

なんだ?!今日はうるさいローカルのオペラヘッドはオペラハウスに一人もいないのか?!
こんな歌で拍手を送ってはいかんのです!!!
(彼の歌に感動した方は別ですが、、、。)
”そんな甘えはメトでは許さない!”ということを客がきちんと表示せねば。

ピンカートン役は、技巧的に猛烈に上手に歌ってもらわなきゃ困る!という役でもないし、
舞台経験の少ない若手テノールでも、きちんと、まじめに、端正に歌ってくれる人がいたら、
十分に感動的な舞台になるはずです。

土曜日、もしアロニカがこんな調子でまた歌うことになったならば、
私の座っている座席からは、殺気と妖気が漂っていることでしょう。
自分でも怖いです。

ちなみに今日はオケも沈没気味。土曜日は盛り返してください。


Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Roberto Aronica (Pinkerton)
Dwayne Croft (Sharpless)
Maria Zifchak (Suzuki)
Conductor: Patrick Summers
Production: Anthony Minghella
OFF

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

Sirius: MADAMA BUTTERFLY (Fri, Oct 24, 2008)

2008-10-24 | メト on Sirius
どなたか私に豆腐を持ってきてください。
ここに、角で頭をぶつけて気を失ってほしい人が一名いるので。

このブログではもう何度も書いて来た通り、私が、現在、
いや、現在だけではなく、おそらく今までのオペラ史の中でも、
もっとも素晴らしい蝶々さんを歌うソプラノであると断言しているパトリシア・ラセットが、
昨シーズンに続き、今シーズンも蝶々さんとしてメトに戻ってきてくれました!
今日はその初日。

ラセットという人は、実力にかかわらずなぜだか不遇で、
昨シーズン、シリウス(衛星ラジオ)にのった公演日は本調子ではなく、
また別のシリウスの放送日は風邪で代役が登場(なので先の日が本調子でなかったと推測される)、
そして、やっと体調が回復して、今やその日オペラハウスにいたオペラヘッドの間では”あの公演はすごかった”と
語り草になっている10/27の公演が出たと思ったら、それはラジオの放送も何もない日だった、、と、
こういうわけで、昨シーズン、メトの『蝶々夫人』で公の電波にのったものは、
全く彼女の真価を伝えておらず、
彼女の蝶々さんを愛している私としては、非常にもどかしいものがあったのです。

その後、シネマキャストでサン・フランシスコでの舞台の映像が上映され
彼女の歌は本当に素晴らしく、また演出も悪くなかったので、
DVD化を願い続けている公演ですが、唯一この公演での不満は、
ラニクルズ率いるオケの演奏の出来が平凡な点。
他の演目・演奏を聴くまで断定してはいけませんが、指揮の問題というよりは、
(ラニクルズはメトで指揮したときは素晴らしい演奏を聴かせているので、
嫌いな指揮者ではない。
いや、むしろ、好きな指揮者の一人です。)
ややオケそのものの力が不足しているのかな?という印象を持ちました。

メト・オケの方は調子が良ければ素晴らしい演奏を聴かせてくれるはずだし、
私はミンゲラの演出があまり好きではないのだけど、
ラッキーなことにラジオだからそれは見えないし、今日、私は燃えてます!

ラセットがいつもどおりの歌を歌い、オケが調子が良く、
共演者が頑張ってくれれば、、。

不安要素をあえていえば、オケを率いるサマーズ。
先日の『サロメ』では、公演のかなり直前になって降板した
ミッコ・フランクの代役で入ったという理由はあるとしても、
あまりにあまりな演奏を聴かせて、私の頭の中ですでに豆腐の角で何度か頭を打ってもらったほど。
もし、今日の『蝶々夫人』でも失態を見せたなら、豆腐なんかで済まないところでしたが、
それが、なんと、今日のサマーズはなかなか頑張っているではありませんか!!

『蝶々夫人』のオケの全体の演奏の出来は、歌に入る前のあの短い前奏部分で、
かなり高い確率で予想できてしまうのですが(なぜなら、あそこに指揮者のスタンスが
凝縮されているし、歌手がのって歌えそうかどうかのバロメーターでもあるのです。)、
いやいや、今日の演奏は、来てます!!なかなかいいです!!期待できます!!!

しかし、そんな上機嫌な私を早くも一幕で固まらせる男が登場。

、、、、。ちょっと、何?!このピンカートン!
高音になると声はひっくり返るし、他の音もへろへろ。
こんな度胸のない新人、どこの誰よ?!とキャストをメトのサイトでチェックすると、
そこにはロベルト・アロニカの文字が!!
新人なんかじゃない、超ベテランのアロニカだった、、。

私は実演で彼を何度か聴いたことがありますが、今まで一度も満足な歌が聴けたことがなく、
はっきり言って、今日の歌唱と同じ系統の出来であったことが多いので、
ああ、やっぱり、、という気分なのですが、それにしても、
ピンカートンは準主役でありながら、出番も決して多くはなく、それほど超大な役ではないのに、
この出来はちょっとやばいのでは?

あまりに出来が悪いので、一時的な喉の不調であることを祈りたいですが、
しかし、私の過去の経験から言って、可能性は50/50といったところでしょうか?
慢性の問題である可能性もなくはないと思います。

私の今までの実演を聴いた経験による、彼の歌唱の印象はそれほどまでにひどいので、
夏休み鑑賞会の『蝶々夫人』で彼の歌唱を聴いたときは、心底驚いたほどなのです。

そして、ラセットは、、、今日、絶好調です。
彼女の蝶々さんの最大の鬼門は最初の登場部分から数分で、ここを乗り切ってしまえば、
後はもう尻上がりによくなっていくだけなので、全く心配がいらないのですが、
今日は最初っから声も柔らかくよく延びているし、
これは昨年10/27の再現も夢ではない。

しかし、その上を重なり、また横になり寄り添うヘロヘロのピンカートン、、、

ああ、目の前に彼がいたら、我が手で彼の首をしめてしまうかもしれません。
それほど悔しい!!
ピンカートン役さえもう少しきちんと歌われていれば、さらに素晴らしい公演になったものを、、!!!!
早く、誰か、豆腐を!!

というわけで、一幕はラセットが頑張っているものの、あきらめるしか仕方がありません。
ピンカートンが出てこないニ幕の前半に期待するしかありません。

シリウスの放送では、パーソナリティであるマーガレットと、
アシスタントであるウィリアムのお話が聞けるのも楽しいのですが、
そのウィリアムが、”一幕最後の二重唱は、音楽を聴いてはいけない。
この二重唱は肌で感じるもの。聴くという行為をやめて音楽の中にただ身をおいたら、
そこにエロティシズムの世界が広がっていくのが感じられるはずです。”と今日話していましたが、
上手い表現ですね。本当にそうだと思います。

また、マーガレットが、各幕前にあらすじを非常に短く解説してくれるのですが、
ニ幕の説明の前には、マーガレットがあらすじを語りながら、声を詰まらせる場面もありました。
もうこのあらすじを思い出しただけで、一緒に音楽が出てきて、泣けてきてしまう。
よくわかります。なぜなら、私もそうだから!

その期待の、ピンカートンがいないニ幕一場。
ああ、これはもう昨年の10/27マチネの再現です。
今日のオケの方が演奏の出来はいいくらいか?
ただし、残念だったのは、ハミング・コーラスでのサマーズの指揮が少しバニラ(普通)だったこと。
昨シーズンのエルダーは全体の出来としては、今日のサマーズに譲りますが、
このハミング・コーラスだけは、ものすごい弱音を駆使して、
心をかきむしられるような素晴らしい音楽を作り出していましたので、
それに比べると、今日の演奏は少しさらっとし過ぎているかな?という気もしました。
しかし、いたるところで、”オケが語る”場面があり、今日のサマーズには、花丸を献呈いたします。

そして、ラセットは、もう何ていったらいいのか、、。
昨シーズンのメトでの舞台よりも、一層余裕のようなものが出てきていて、
このハードな役を本当に楽々と歌っているように感じさせるのはすごいです。
どこにも無理な歌唱をしている形跡がない。
このすごさがどれほどのものか、おわかりいただけるでしょうか?
ああ、私の拙いボキャブラリーがもどかしい!!

表現の仕方については、昨年のメトの公演とサン・フランシスコの舞台の間では、
歌いまわしや表現に微妙な変化が見られたように思うのですが、
今回のメトの公演は、限りなくサン・フランシスコの舞台での歌唱に近く、
ただ、それに余裕が加わった分、さらに強力になったように思います。

ラセットがSFO(サン・フランシスコ・オペラ)のシネマキャストの映像で、
歌っていて、一番好きだ、と断言していた、
ei torna e m'ama(あの人は戻ってきた、そして私を愛している!)の直後には、
オケの演奏に重なって、拍手のみならず、客席からBrava!の大声がかかっていました。

ハミング・コーラス後のインターミッション
(メトはここでインターミッションが入るが、私はそれに反対で、そのまま
最後まで突っ走ってほしい、という考えなのは、以前に書きました。)で、
ウィリアム氏からまた興味深いお話がありました。

このハミング・コーラスでの合唱ですが、ハミングがきちんとオケの上を越えて聴こえるよう、
Mの音ではなく、Nの音でハミングするように、という風に合唱のメンバーは指示されているそうです。

ニ幕二場 (昨年のレポートでは第三幕、として書きましたが、
メトでは、ニ幕二場としているようですので、今年のレポートはそのように表記します。)

声にまったく疲れが見られず、それどころか、
Dormi amor mio, dormi sul mio corと舞台裏で歌う場面での最後の音の美しかったことといったら!
またこうして歌だけ聴いていても、表現力に富んでいて、まるで舞台が見えるような気がします。
ああ、もう駄目です。
胸がふさがってきました。蝶々さんの自決のシーン間近です。
シリウス鑑賞のレポートは、聴きながらリアル・タイムで書く事が多いのですが
(今もそうです)、
いい公演の時は手が止まってしまいます。
今日は何度キーボードに手を置いたまま、じっと固まったことでしょう。

”さようなら坊や”は、めったにフォームを崩さないラセットにしては珍しく、
感情的な歌唱になったフレーズもあり、いつにも増して役に没入していたことがわかるのですが、
ほんのちょっぴり、ここに来てやや体力を消耗した感じもし、
つくづく、この役はスタミナ配分が難しいなあ、と思います。

しかし、この歌をまたメトで聴けるのだ!と私の体温は上がりっぱなしです。
どうか、実演鑑賞の日まで、ラセットが今日のコンディションを維持してくれますように。

今シーズンの『蝶々夫人』の全公演は、現在のプロダクションの演出を担当し、
今年3月に亡くなったアンソニー・ミンゲラに捧げられているそうです。


Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Roberto Aronica (Pinkerton)
Dwayne Croft (Sharpless)
Maria Zifchak (Suzuki)
Conductor: Patrick Summers
Production: Anthony Minghella
ON

*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

Sirius: LA TRAVIATA (Mon, Oct 20, 2008)

2008-10-20 | メト on Sirius
リハーサルを観た知人から、”なんだか妙なトラヴィアータなんだよね、、”という評を聞き、
聴きたいような聴きたくないような妙な気持ちでのぞんだ今日のシリウス鑑賞。

特にジェルモンが変、ということだったので、事前に誰が歌っているのだろう?と調べてみれば、
なんとびっくり、のろまのドバーでした!!!ぎゃああああ!!!
昨年の『アイーダ』での、痩せてるくせにあまりに緩慢な動きといい、
パッションのない歌といい、もう二度とメトには呼ばれないに違いない!と思っていたのに、。
きっと昨シーズンの『アイーダ』の前にこの契約が決まっていて、
メト側が契約放棄したくても出来なかったに違いない。絶対にそうだと思う。

ヴィオレッタを歌うのはドイツ人のソプラノ、アニヤ・ハルテロス。
(注:お父様がギリシャ人ですが、生まれ育ちはドイツのようですので、
ドイツ人のソプラノという記述に訂正させていただきました。)

昨シーズンの『フィガロの結婚』では、少しクールな感じながら、
すらりとした舞台姿が美しく、歌の方も悪くはなく、観客にも人気でした。

冒頭の写真は彼女のオフィシャル・サイトからのものですが、これで見る限り、
個性的な顔立ちながらチャーミングな人なのに、
メトのサイトに使用された、下の妙な写真は何でしょう??



このかつらが異常に似合っていないハルテロスの写真に、
まわりに遠近感を無視して、奇妙にコラージュされた夜会の参加者たち、、
まるで同人誌に投稿された下手くそな漫画を思わせます。
下手な漫画やイラストは往々にして、空間の描写や比率や遠近感が非現実的だったりして、
気持ち悪く感じることがありますが、まさにそんな印象。
こんなに変なコラージュ写真がメトのサイトにアップされたことはかつてないように思うのですが、
まさか、この公演を鑑賞するとこんな感覚に陥りますよ、というメトからのメッセージ?怖い。

アルフレードは、2006-7年シーズンの『三部作』のジャンニ・スキッキで、
リヌッチオを歌ったマッシモ・ジョルダーノ。
『三部作』では健闘していて、今レポを読み返すと、アルフレードなんかに声質が合っているのではないか?
(しかし、東京で観たはずの彼のアルフレードは全く記憶にない、、。)
と書いていますが、そのアルフレードを今日は聴けるというわけです。

ハルテロスのヴィオレッタですが、声がこの役には重いですね。
声が重いだけならまだいいのですが(カラスも卓越した技術のおかげで
ヴィオレッタ役の歌唱に秀でていましたが、決して本来の声自体が軽かったわけではない通り。)
ハルテロスの場合、歌唱、具体的にいえばアジリタが重過ぎる。
一幕では指揮とオケに、そのアジリタがついていけないという情けない状況に。
決して指揮とオケが早過ぎたとは思わないです。
おかげで、指揮者のカリニャーニは、当初もう少し早いテンポで演奏したかったように思うのですが、
彼女に合わせてどんどんゆっくりになっていくのでした。
最初は、部分的に(具体的にいえば、アジリタの技術が要される個所で)
極端にテンポを落としたりして対応していたのですが、
急ブレーキにびっくり仰天したオケが崩壊しかかる場面もあり(特に第一幕はかなりひどかった。)
ついに、あきらめるかのように、全体がゆっくりに、、。

なぜだか、一幕ほどアジリタの技術が要されない二幕まで、
止まってしまうかと思うほどのゆっくりテンポ。ああ、じりじりする。
しかし、ハルテロス嬢はこの方が歌いやすいらしく、音を引き延ばし、
のびのびと、まったりと、朗々と歌っているのでした。
たしかに歌いやすいだけあって、ニ幕ではよく声が出ていましたが、
それこそ伸びきったラーメンのようで、なんだか違う作品を聴いているかのような妙な感覚に。
もしや、これこそが、あの遠近感無視のバナーの伝えんとしていたメッセージか?!

ちなみに一幕の彼女は、E stranoに入る前までは、テンポには乗り損ねる、音は外す、
音の長さが適当、と、かなりしっちゃかめっちゃかでした。
やっと幕の最後のアリアで、少し上を向いて来ましたが、、。

さて、そんな状況に便乗し、
”このスロー・テンポこそ、俺様の怠慢な性格にぴったり!”とばかりに
べたべたとした歌を聴かせる父ジェルモン役のドバー。
これが知人の言っていた変なジェルモンだな!!
確かに。というか、これはかなり気持ち悪いです。
スローテンポは、しっかりとした声質と歌唱力を持った歌手にしかこなせないということを実感。
ドバー、今、まさに、”プロヴァンスの海と陸”を熱唱(?)していますが、
このべたべた感、堪えられません。
ああ、体中をゴキブリが駆けずり回っているかのようなこの感覚!!!!!
誰か助けてーーーーっ!!!
彼の発声そのものにも問題があると感じるのは私だけでしょうか?
唯一の救いは、私が実演を観に行く公演では、ドバーは去り、
昨シーズンにマクベスを歌ったルチーチ
が父ジェルモンに入ってくれること。
といいますか、もちろんわざとドバーを避けたんですけれども。

しかし、問題はここにとどまらず、アルフレード、君までも、、、なのでした。
ジョルダーノ、期待していたんですが、声質はさておき、残念ながら、
細かい部分の歌裁きがあまり上手じゃない。
例えばある一音から次の音へ、どのようになめらかに移行するか、
そういうことを、世界のメジャーな歌劇場で歌うレベルの歌手なら考えてほしいのですが、
まるで、人差し指で順番に鍵盤を叩く児童のように、一音一音が孤立してしまっています。
ただ、彼の場合は、乱暴でそうなっているのではなく、
歌でいっぱいいっぱいなのがそういった形で噴出してしまっているというのか、、
歌唱に余裕が全くなく、表現というレベルに行く前で止まっている。

ただ、そのおぼこい感じが、札束を投げるシーンの歌唱では、アルフレードのキャラとマッチして初々しく、
舞台ではどのように演じているのか、ちょっぴり興味深くはありますが。

ニ幕二場の夜会の合唱のシーンでは、ここがチャンス!!とばかりに、
一気にアップテンポになった指揮者。
本当はこのように演奏したいのですよね。
しかし、まったりヴィオレッタのハルテロスが舞台に登場した途端、
ちぇっ!とカリニャーニは舌打ちし(ラジオでは聴こえませんでしたが、
絶対心では思っているはず!!)
彼女が歌う場面では、これでもか!!とスローテンポになるのでした。
かわいそうに、、苦労してますね。カリニャーニさん、、。
というわけで、彼の指揮は、ハルテロスがヴィオレッタを歌う限り、
なんとも評しがたい状況です。
まあ、指揮者たるもの、こんな程度のテンポ、付いて来んかい!!と、
ハルテロスのお尻を叩く位のガッツと気力も必要かも知れません。

ニ幕以降は彼女の声もよく伸びていましたが、
作品本来の持ち味を殺しても彼女の歌声を楽しみたいか
(=限りなく、ハルテロスのワンウーマンリサイタルとしてこの公演を楽しんでしまうか)、
いくら声がよくても、作品の持ち味が消えるのは許せない、と感じるか、
観る側の視点で、今日の公演の評価は大きくわかれると思います。

2006-7年シーズン、3/7の『椿姫』での、
ストヤノヴァ(ヴィオレッタ)、カウフマン(アルフレード)、クロフト(父ジェルモン)、
アルミリアートの指揮、全てがかみ合い、技術の不足を誤魔化すための小細工も何も必要なく、
キャスト全員の”私は自分の役をこのように表現したい”という意思のみの元に、
作品本来の良さが十全に引き出されていた公演、
私には、あれこそが、究極の『椿姫』ですが、
そんな公演にそう簡単に巡り合うことはできないわけです。

Anja Harteros (Violetta Valery)
Massimo Giordano (Alfredo Germont)
Andrzej Dobber (Giorgio Germont)
Conductor: Paolo Carignani
Production: Franco Zeffirelli
OFF

Sirius: LUCIA DI LAMMERMOOR (Fri, Oct 3, 2008)

2008-10-03 | メト on Sirius
何日か前より、複数の情報源から、『ルチア』のリハーサルでの
ダムローの歌がすごい、という噂を得ていたので、実に楽しみに待っていた
今日のシーズン・プレミアの『ルチア』の公演。

昨シーズンのオープニング・ナイトで登場したメアリー・ジンマーマンの新プロダクションを
そのまま引き継いだ二年目のランです。
昨シーズン、タイトル・ロールを歌ったナタリー・デッセイの歌唱があまりに素晴らしく、
あれ以上にすごいものが聴けるなんてことがあるのだろうか?という観客の疑問と、
意外にも今日の公演が同役デビューとなるということで、
ダムローにとってはとてつもないプレッシャーに違いない、と思いきや、
そんな心配をくつがえすような圧倒的な歌唱にリハーサルの場にいた人からは驚嘆と
賞賛の嵐だったといいます。

今日の公演をオペラハウスで観たオペラ警察
(久しぶり!我がOperax3の私設警察です。)の話によれば、
珍しく、指揮のマルコ・アルミリアートも大緊張している様子だったとか。
昨年の、レヴァイン&デッセイという顔合わせによる公演のビッグ・サクセスと
比較されるのですから、ダムローのみならず、彼も大きなプレッシャーを感じていたようです。

そのアルミリアートが指揮するオケは、昨年のややシャープな線の立った音作りに比べると、
もっと朴訥とした温かい感じがします。
レヴァインの指揮が、最初から神経質にぴーんと”張っている”感じなのに比べると、
より穏やかな感じがしますが、ベル・カントのスタイルにより忠実な感じがするのは
このアルミリアートの指揮の方かもしれません。

ダムローは、さすがにプレッシャーからか、一幕の
”あたりは沈黙に閉ざされ Regnava nel silenzio ~ 
このうえない情熱に心奪われた時 Quando rapito in estasi”では、
少し声が固く、高音にも無理矢理引き出されているようなテンションが感じられました。

それから意外だったのは声の質感。
彼女に関しては、以前他の役やガラで聴いた際の印象から、
ほとんどきんきんとした金属的な声であったような記憶があったのですが、
この役で聴くと、思っていたよりも割と重たく、
暗さすら感じさせる、落ち着きのある声です。
デッセイの、ふわんとしたフェミニン(女性的)な声とはかなり対照的。

彼女に関しては、このルチアあたりの役でも、楽々と歌えそうな技術と声を持っていることに、
異論を唱える人は誰もいないが、
役の表現という面ではどうだろうか?という危惧がオペラヘッドの間で口にされて来ました。
確かに、彼女の歌は、常に、ややコントロールされすぎていて、
それが表現の点で障害になっている向きはあります。

今日のルチアに関しては、例えばデヴィーアのような、
100%純正のベル・カントの歌を聴かせる歌手に比べると、
若干個性的な部分もあるのですが(特に高音域での音の転がし方に少しクセがある。)
技術はしっかりしていて、ある意味では、これ以上ないほど優等生的は歌ではあります。
もしかすると、正確さという面ではデッセイの上を行っている部分もあるかもしれません。
しかし、デッセイがこのルチアという役の、何か根幹に関わる部分を
しっかりと掴んでいるのに比べると、
ダムローの歌には、音だけで聴いている限り、それが希薄です。
歌はものすごく上手だけど、デッセイの時のように胸倉をつかまれるような感触がない。
この印象が、実際にオペラハウスで公演を観るときには変わるのか、同じなのか、
今から楽しみです。

”このうえない情熱に心奪われた時 Quando rapito in estasi”の後に、
観客から温かい拍手と歓声が出た後は、少し落ち着いたようで、
ダムローの歌唱はこの後、ぐっとリラックス。
高音も、後の幕ほど、まろやかな音が出るようになっていました。

今日の公演でむしろ嬉しい驚きだったのは、ウォール街に転職希望の男、ベチャーラ
のエドガルド。
時に感情過多な歌い方に走りがちな危険な傾向がありますが、概ねは大変良い出来で、
やっと、まともなエドガルドが
メトのルチアに登場してくれた!と、私はとても嬉しい。

昨シーズンのコステロはともかく(しかも、彼がエドガルドを歌った日は、
ルチアがデッセイでなかった)、
ジョルダーニにしろ、フィリアノーティにしろ、
デッセイの素晴らしいルチアに対して、はっきり言って役不足でした。
しかし、このベチャーラは、きちんとダムローの歌と実力が均衡している。
声質や歌唱もこの役によく合っているし、とにかく、歌い崩さずに、
きちんとなすべきことを確実にこなしてくれるのが嬉しい。
彼の起用は大正解です。
私はむしろ、ダムローのルチアより、彼のエドガルドに小躍りした次第です。

ちょっぴり失望させられたのは、大事なエンリーコ役のストヤノフ。
声自体があまり印象的でないうえに、歌い方もまだまだ練れてない感のする個所が多く、
エドガルドが良くなったと思えば、エンリーコがこれか、、。
あちらが立てば、こちらが立たず、、とはまさにこのことです。
この役は、まだ昨シーズンのキーチェンの方がずっと良い。

そして昨シーズン、レリエーが歌ったライモンド役には、
シーズン開幕直前のパヴァロッティ追悼の『レクイエム』で、
ジェームズ・モリスに代わり、バス・パートを歌ったイルダル・アブドラザコフ。
丁寧に歌っていますが、声質もあって、ややソフトな歌い口。
レリエーのどっしりした歌声とはだいぶテクスチャーが違いますが、
これはもう好みの問題となるでしょう。

昨シーズン、コステロの歌唱のおかげで俄然魅力度がアップしたアルトゥーロ役、
今年、この役を歌うのは、ショーン・パニカーという若手テノール。
彼は、DVDにもなった昨シーズンの『マノン・レスコー』でエドモンド役を歌ったテノールです。
そのDVDでも、そのちょっとエキゾチックな容貌が目を引きますが、
スリ・ランカ系アメリカ人なんだそうです。
『マノン・レスコー』の公演よりも、今日の公演の方が、
声もよく伸びていて魅力的な歌を聞かせていました。
コステロより、芯の強いどしっとした声なので、ベル・カント系のレパートリーとは
違う方向に進んでいくのではないかと予想しますが、どうでしょうか?

カーテン・コールでの、ダムローへの観客の熱狂ぶりがすさまじかったですが、
私はむしろ公演全体のレベルで、昨年のそれと遜色ない出来になっていることを喜びたい。
ますます、実演を観るのが楽しみになってきました。

Diana Damrau (Lucia)
Piotr Beczala (Edgardo)
Vladimir Stoyanov (Lord Enrico Ashton)
Ildar Abdrazakov (Raimondo)
Sean Panikkar (Arturo)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Mary Zimmerman
ON

*** ドニゼッティ ランメルモールのルチア Donizetti Lucia di Lammermoor ***


Sirius: SALOME/DON GIOVANNI (Sep 30/Oct 1, 2008)

2008-10-01 | メト on Sirius
衛星ラジオ、シリウスでの鑑賞二連発。

① 9/30 『サロメ』
びっくりした、本当に。
仕事で帰宅がやや遅くなり、開演に少し遅れてスイッチを入れたら、『サロメ』とは別の演目かと思うような
オケの演奏が聴こえてきた。
今日は開演が遅い日だっけ?と思って、よーくスピーカーに耳をそばだてて聴いてみたら、
やっぱり、それは『サロメ』からの旋律だった。
ええええっ!!!!???何これ、、?
演奏に、全っ然、この作品特有の怪しさも緊張感もなくて、
一瞬、ベル・カント・オペラの作品か何かの演奏かと勘違いしそうになりました。
何の断りもなく、いきなり、予定されていたミッコ・フランクが指揮をキャンセルし(理由不明)、
パトリック・サマーズが代役をつとめるとは聞いていましたが、
あの、オープニング・ガラで彼が振った、味のないするめのような
『カプリッチョ』
(同じくリヒャルト・シュトラウスの作品)の演奏が、危険な雰囲気を醸し出していたとはいえ、
それにしても、ここまで、、。
来週の土曜日にはライブ・イン・HDにものってしまうというのに、こんなのでいいのか?!
いや、良くないと思う。

さらに、昨シーズンの『マノン・レスコー』で、この声で本当にサロメが歌えるのだろうか、、と、
私を心配させていたカリタ・マッティラですが、今日の歌唱を聴く限り、かなりきつそうだなあ、と感じました。
というのは、彼女の声は、本来は繊細で綺麗な点が持ち味で、
どちらかというと線が細い声だと思うのですが、
(声量があるないとは関係なく、声のテクスチャーの問題)
この役にマッチしていると判断されやすい、やや鋭い響きが声にあることと、
たまたまこの役を歌って歌えなくはないスタミナや度胸(なんせ、裸で踊らなきゃいけないんですから、
たいていのソプラノは尻込みするってもんです。)があるために、
現役ではこのサロメ役の第一人者のようになってしまっていますが、
歌い方を聞くと、かなり無理をしているのは明らかです。
高音はもはや、ただただ根性で絞り出すようにひっぱっていて、ガッツはある人だな、とは思うのですが、
もともと無理な発声をしているので、音が短めになりがちで、余裕というものが全くないです。

もちろん、ラジオでは音しか聴こえないので、ビジュアル面のこと、
また声とビジュアルのバランスや統合の仕方、ということについて、
ここで語るのはフェアではなく、来週に実際の舞台を観るのを待つべきなのでしょうが、
一点だけ言うなら、歌に表情をつけるために、かなり強引な声のカラー、
いえ、もうこれはカラーという範疇を越えて、許容できるか微妙なほどに、
どすの利いた声やだみ声が多用されているのも気になりました。
私は、歌はまず歌でなくてはならず、語りや雄たけびになってはならない、という主義で、
この点、かなりコンサバであるとはいえますが、それにしても、彼女のこの役における歌唱は、
かなり個性的であるとはいえると思います。
ライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)はどんなことになるのだろうか、、どきどきしてきました。

(冒頭は、オスカー・ワイルドによる『サロメ』原作に挿入されているビアズレーのイラスト。
この怪しく淫靡な世界の、どこをどうすれば
ベル・カント・レパートリーの伴奏のようなオケになってしまうのか、サマーズ、、。)

② 10/1 『ドン・ジョヴァンニ』
オケの演奏が緩いことではこちらも負けてません!って、そんなこと競うな!って感じですが、
もう出だしのすかしっ屁のような数音を聞くだけで、がっくり来ます。
先週土曜の舞台では、ビジュアルや演技の面からの不満もあった私ですが、こうやって音だけ聴くと、
ラングレの指揮とそれに合わせて演奏しているオケがかなり公演自体を
生ぬるいものにしていることがよくわかります。
かと思えば、奇妙にテンポ設定が早すぎて、歌手がそんな速さできちんと歌えるわけなかろう!
と叫びたくなる個所もいくつかあるし、、、もうちょっとまともに振れる人はいないのか?


(ドン・ジョヴァンニ役のシュロットとツェルリーナ役のレナード)

ストヤノーヴァの歌うドンナ・アンナによる
”今こそ判ったでしょう Or sai chi l'onore ”の今日の出来はなかなかで、
その後に続く、ポレンザーニの歌うドン・オッターヴィオの ”彼女こそ私の宝
Dalla sua pace ”と合わせて、今日のハイライトでした。
ストヤノーヴァは、本来の調子の時は、コロラトゥーラの技術が極めて正確なのが気持ち良い。
(だから、彼女のコンディションがよいときの『椿姫』が素晴らしくても、
何の不思議もない。)
この”今こそ~”の下降音階も、今日はどの音もおろそかにせず、
音程、音の粒の大きさ、ともに綺麗に決めていたし、
(当たり前ということなかれ!これが出来ていないこの曲の歌唱のいかに多いことか!)
特になぜだか、よく知られた個所やアリアで早めに振りたがるラングレのテンポで
これが出来るのだから、やっぱり技術がしっかりしています、彼女は。

Sirius: MACBETH (Tues, May 13, 2008)

2008-05-13 | メト on Sirius
オペラヘッドとしての生活に、一瞬たりとも休憩の時はなし!!

メトの真裏に位置するブルーノ・ワルター・オーディトリアムで行われた、
リンデマン・プログラムのリサイタルが夜9時少し前に終了した後には、
いきなり建物の前に走り出て、キャブを捕獲。歩いて帰れる距離を、なぜにタクるのか?
それは、8時から、今夜のメトの『マクベス』が、シリウスで放送されているため。
歩いてなんかいる場合では絶対にないのです!

帰宅して、新品のアンテナをセットし、シリウスのスイッチを入れると、
ちょうど一幕の最後の合唱の場面でした。
音から聴くに、なかなか熱い公演になっているようで、
これを一幕見逃してしまったとは、なんと悔しい!!
こんなに技術がすすんだ世の中であるのに、未だ同時に複数の箇所に存在できる手段がない、
というのは本当に嘆かわしいことです。

今日の公演、きわめて乱暴に一言でまとめるなら、新キャストでの初公演となった
前回の公演の経験を踏まえ、みんながまとまろうとする意欲を感じさせる公演となっています。

前回、所々に聴かれたオケと歌手たちの息の合わなさというのは、ほとんど感じられず、
たった1回の公演を経て、あっという間にこうやって弱かった部分を修復させてしまう様は、
さすがプロの仕事!と思わされます。

マクベス役のカルロス・アルヴァレス(冒頭の写真参照。今ではもっとひげや髪がぼうぼうになって、
むさくるしさ満点です。)は、
調子の悪いときには、ええええっっ?!という、びっくり仰天な歌を聴かせるときがあり、
2005年だかの『リゴレット』の表題役は音程もへろへろ、支えもしっかりしていない歌唱で、
それ以来、疑惑の目を向けてしまっていた私ですが、
2006年の『リゴレット』では見違えるような歌唱を披露し、前回および今回と非常に安定した
マクベス役を歌っているところからも、これが彼の本来の姿のはずです。
第一ランでマクベスを歌ったルチーチに比べると、がしっと骨の太い感じのする声と歌唱が持ち味。
マクベスという役で通常思い起こす声質や歌唱に近いのは、ルチーチではなく、
アルヴァレスの方かもしれません。
(ただし、私はそのルチーチの少し特異なところが面白いと感じましたが。)

ルネ・パペ。ニ幕の歌唱は、今日は前回聴いたときよりも深いバス声を披露していて、
比較的に私がこれまでに持ってきたルネ・パペ像に近い歌唱。
(前回は声が優しくて、別人かと思いました。)
この二回で全然声も歌唱も違う印象を受けたのはなんだったんだろう?と興味がつきません。
もしや、前回はルネの気ぐるみを被った別人、、?
実演にふれる今週土曜の夜の公演(メトの今シーズン最後の公演!)は、
彼の歌唱に大注目したいと思います。
ただ、この役での彼の歌唱で一点だけ気になるところをあげるなら、
なんとなく、歌が形式的な感じがする点かもしれません。
形式的、というのは、形だけ歌っている、という意味ではなくって、
彼の中にこういうスタイルで歌いたい、というものがあって、その中で歌っているように聴こえる、
というニュアンスなんですが。
第一および第二ランのレリエーの歌唱が、もっと自然に感情を噴出させたりしていたのに比べると、
聴いていて、こちらがふっと素に戻らされる瞬間が私にはありました。
しかし、最後に殺害される場面では、”ぎゃーーーーーっ!!”というものすごい雄たけびを
あげながら死んでいったパペ、、、ちょっと度肝を抜かれましたです。
このすごい叫びに、舞台ではどんなことになっているのか?とまたまた興味が募るばかり。
声だけ聴くに、レリエーのざくっと膝を落としてこときれる感じの上品な死に様とは対照的。

シリウスの放送ではインターミッション中に同時期に上演されている他の演目の出演者や
メトのスタッフの方などをブースに招いて、司会のマーガレット嬢と、
アシスタントのウィリアム氏がインタビューをするというコーナーがあるのですが、
今日はマーガレット嬢がお休み。
彼女、結構お休みが多くて、私の会社よりも休暇環境が良さそう。うらやましい限りです。
ウィリアム氏とマーガレット嬢の代打で入った男性のホストが迎えた今日のゲストは、
なんと、『連隊の娘』のフローレス王子!!



あいかわらず甲高い目の話声で王子光線を炸裂させています。
話題がAh! Mes Amisのアンコールのことに及ぶと、
”でも、日本なんかでもやってるから特別なことじゃないんだよ!”といきなり日本が引き合いに。
彼は、雑誌Opera Newsに掲載された彼の記事の中でも、日本での公演について言及していて、
彼の中では、通常欧米人に静かだと思われている日本人が彼の歌には豹変して動物化してしまう
(まあ、そこまでは本人もさすがに言ってないですが、まあ、そんな意味です。)というのを、
自慢のエピソードとしているようです。
そして、そんなフローレスの読みどおり、ウィリアムが、
”ええ?あの(おとなしそうな)日本の人たちが??”と驚いて合いの手を入れると、
”そうですよ。日本の方はとってもextremeでhard core。
(とことんまで行ってしまっている、というような意。)
アンコールをやるまでは拍手がとまらいし、サイン会をやれば長蛇の列なんです。”と答えるフローレスに、
日本ってやっぱり不思議な国だな!という感じで、ほお!とため息をつく
ウィリアムと代打ホスト(←すみません、名前を覚えていない、、)。
ということで、フローレスの中では、日本という国は”熱狂の国”と同義になっているようです。
日本人は、今までにもその熱狂度で数々のオペラ歌手のみならず、ロックやポップの歌手やバンドを
脈々と受け入れてきた土壌があるので、全然驚きではないのですが、
やはり、一般のアメリカ人から見ると奇妙な感じではあるのでしょうね。

休憩をはさんで三幕と四幕。

今日のパピアンのマクベス夫人は、若干、前回の公演よりも出来がよくなっているように思いますが、
しかし、やはり普通に歌っていると必要な声量がないということで、
それをカバーするためにいつも以上の力で声を出そうとしているのですが、
それが結果として高音を揺らしてしまっている結果になっています。

逆に、夢遊の場での繊細な音の扱いなんかはすぐれたものがあって、
最後に段々と高音に上っていくところなど、ものすごく綺麗な音を出していて、
聞き惚れていたのですが、最後の最後で高音がきっちりと決まらず、
すぐに下りてきてしまったのが残念。
これで高音が決まっていたら、少なくとも、彼女らしい夢遊の場ということで、
面白くは聴けたかもしれないので、土曜日はうまくいくといいなと思います。

カレイヤのマクダフ。
彼は、昨シーズンの『リゴレット』の時はもっと軽くて晴れやかな感じの声だったのですが、
この役のための意図的な変化かそうでないのかはわからないですが、
少し声に陰りが加わったような気がしました。
オペラハウスで実際に彼の声を聴いて確認するのが楽しみです。

Carlos Alvarez (Macbeth)
Hasmik Papian (Lady Macbeth)
Rene Pape (Banquo)
Joseph Calleja (Macduff)
Russell Thomas (Malcolm)
James Courtney (A doctor)
Elizabeth Blancke-Biggs (Lady-in-waiting to Lady Macbeth)
Conductor: James Levine
Production: Adrian Noble
ON

***ヴェルディ マクベス Verdi Macbeth***

Sirius: LA FILLE DU REGIMENT (Mon, May 12, 2008)

2008-05-12 | メト on Sirius
もう。本当にありえないです。
私は以前から、名前がCで始まる某国が生産する製品に一言言ってやりたい!
とずっと思っていましたが、今度という今度は、まじギレです。

今日はフローレスに変わって、アレッサンドロ・コルベリ演じるシュルピス軍曹に瓜二つな、
バリー・バンクスというイギリス出身のテノールが、トニオを歌う『連隊~』の日ということで、
シリウスの放送を聞き逃してはなるまい!と、大張り切りで帰宅。
30分前からシリウスの受信機のスイッチを入れ、我が家のわんこのえさやり、
自分のご飯の準備、と全てを終えてスタンバっていたところ、
ずっとスムーズに音楽が流れていたスピーカーから、突然、開演一分前に、
何も音が出てこなくなりました。
”ちょっと!!どういうことよ!!!”と、受信機を見ると、
非情なAntenna not detectedの文字が!!!!

オォ、ノーーーーーーーッ!!!何で一分前に??!!!
アンテナを叩いてみたり、すかしてみても、何もおこらないので、
急遽、PCで聴く方法にスイッチしたものの、以前の『トリスタン~』の記事で触れたとおり、
私はほとんどPCで音楽を聴くことがないので、
あの時、急場しのぎで購入したPC用のスピーカーは、本当にお寒い音しか出てこないしろもの。
聴いているうちにむらむらと腹が立ってきて、シリウスに電話。
”ちょっと!今、衛星の不調か何かが起こってるんですか!?
(PCでは聴けるんだから、そんなわけない、、。)”と吠える。
応対をしてくれた女性に状況を説明すると、
”多分アンテナがいかれてますので買い換えてください”と軽く言われ、
発狂するかと思いました。
だって、まだ購入して、一年ちょっとしか経ってないんですよ!!!
しかも、本体は全然大丈夫なのに、このアンテナのために150ドルの出費、、。

しかし、こうはしていられない!すぐ近所にあるCircuit City
イヤホンの件でもお世話になった店です。)に走ってでかけて、
新しいものを購入。
悔しいのは同じものを買わねばならない、というこの事実、、。
選択の余地がないんですよ!!こんなクソのような製品、使いたくないのに!!!
Circuit Cityのお兄さんにも、こってり愚痴を聞いてもらいました。

日本の電化製品を作る企業、ソニーでも、松下でも、どこでもいいです。
ぜひ、シリウスのマーケットに参入していただきたい。
ついこの間も、C国製のシュレッダーを購入したものの、三日でオーバーヒートを起して、
それ以来スイッチが入らなくなり、おしゃかになったばかり。
C国よ、物づくりにもう少しプライドを持ってください、本当に。

とまあ、こんな大変なスタートになってしまったので、
一幕の頭の1/3くらいを聞き逃すという痛恨の事態になってしまいました。
しかし、残りは全身耳で一生懸命拝聴しております。

帰宅して、新しいアンテナにつないでいきなり耳に届いたのは、そのバンクスの声。
フローレスをここ最近聴き続けてきたからか、ものすごくたくましい声に聴こえます。
声質自体は男っぽい、それでいてまろやかなクオリティもある、美声だとは思うのですが、
しかし、声のみならず、歌い方もたくましくて筋肉質ですね、、。
なんだか、ベル・カントというよりは、若干、ヴェルディあたりのレパートリーを
歌うようなアプローチです。

そして、台詞の個所もばりばりと叫ぶように言葉をとばしてくる。
なんだかこのトニオ、、私、こわい。
本当に軍隊にいそうです、こういう兵士。
それも、ナポレオン時代のフランス軍じゃなくって、今のアメリカ軍の兵士のような、、。
たった一回きりしか歌う機会がないということを考えると、厳しい注文かもしれませんが、
少し、指揮者(今日もマルコです)の意図を理解しない個所が多すぎるようにも思いました。
音が早く入りすぎたり、二重唱なんかでは、指揮者との息がぴったりのデッセイと
あまりに対照的すぎ。

何よりも、フローレスに比べると、”がんばってます!!”という力みが歌から感じられすぎて辛い。
Ah! Mes Amisでは、一応(というのは、大変申し訳ないけれど、
純粋な音の響きだけとっても、とてもフローレスと同じレベルで比べられるハイCではない。)
9つのハイC全てを押さえていましたが、歌が終わった時には、
こちらも一緒にぜーぜーしながら、
”で、この歌ってどんな内容の歌なんだっけ?”と自問してしまう。
彼の歌は外見だけで(いや、それだけでもすごいことではあるのですが)いっぱいいっぱい。
フローレスのすごさというのは、あの超絶技巧を出しながら、なお、
歌われている内容から決して観客の注意を反らせていないところだと思います。

ただ、やはりこの9つのCを決めるのが大変だということを知っている観客たちは、
ものすごい喝采でバンクスの健闘を讃えていて、このあたり、メトの観客は優しい。
しかし、この筋肉質の歌で、ハイCはともかく、ニ幕のあの繊細なアリアを歌いこなせるのであろうか、、。

さて、デッセイは舞台の人であるからして、このあたりの相手役から出てきている
エネルギーの種類の違いに当然のことながら敏感に反応。
その米軍系トニオのバンクスと拮抗しようとするかのように、
彼女がいつもに増して、ものすごい男の子っぽい、
いや、ほとんど、荒くれ少年(いえ、少女なんですが、、)のようなマリーの役作りを
行っていたのが興味深かったです。

ただ、ここまで行ってしまうと、あの、独特の、中性的なキャラのなかに、
ちらっと見える愛らしい女の子らしさまでもが抹消されてしまってしまうのは残念。

そのデッセイのアプローチの変化は、ベルケンフィールド女侯爵役のパーマーにも伝染して、、
という風に、舞台のケミストリーがものすごく変わってしまったのが印象的でした。

バンクスの歌は、否定的なことばかりを書きたくなるほどひどいものではありませんでしたが、
フローレスとは比べものにならない、というのが個人的な感想です。
しかし、その歌唱そのものの差よりも、彼の役作りが舞台全体のダイナミックスを
(少なくとも私にとってはマイナスの方向に)変えてしまった、そのことが何よりも痛かったです。
あの、ライブ・イン・HDやその後に続く公演で見れたデッセイの絶妙なマリー像は、
フローレスという相手役があってこそだったのだ、と私は思います。

今、そのバンクスのニ幕のアリア、”マリーのそばにいるために”。
予想していたよりは端正に歌っていて、なんとフローレスと同様、Dフラットも出しました。
いや、この音に関しては、フローレスよりもしっかり出ていたかもしれないくらい。
でも、心に響く度合いが違う、、何かが違う、、。
この曲で大事なのは、Dフラットが力強く出るか、とかそんなことではなくって、
トニオが最後の望みをかけて(だって、このお願いが通じなかったら、
あんなに愛していたマリーと二度と自由に会うことができないのですから!)
初めて真剣に自分の心を吐露する、この状況にあるのです。
この場面に比べれば、シュルピスや軍のみんなにマリーと結婚させて!と
お願いしていたシーンはまだかわいいもの。
このアリアで初めてトニオは、本当に、真剣にマリーを失ってしまうかもしれない、
という崖っぷちに立つわけです。

そんな気持ちを表現するには、
私にはあのフローレスのまるで消え入るようなピアニッシモに維持された、
そして一つ一つの音が消える最後の最後まで神経が行き届いた歌唱、
特に実演で聴いた日の、、、あれしか考えられません。
それに比べると、バンクスの歌は端正だけど、
そんな一生に一度のお願い!という切迫度が伝わって来ないのです。

それから、バンクス、台詞の部分の発音がまるでシェイクスピア劇のようなのはちょっと、、。
一人だけ外人が混じっているみたいで、とっても変でした。

しかし、重ねて言うと、こうして厳しいことを並べ立てられるのも、彼の歌が、
それを言うのもためらわれるほどひどいものではなかったということです。

デッセイは、その役へのアプローチの変化を除いては、いつもどおり素晴らしい。

そして、パーマーの今日の即興(シュルピスと抱き合っているのを執事に見られ、
ごまかすためにベルケンフィールド女侯爵が歌う歌)は、
なんと、Ah Mes AmisからのハイCの部分。
おかしすぎです。
一フレーズずつ、キーが上がっていって、最後の高音で締め。
ちなみにこのシーン、パーマーが実際にピアノの演奏もしています。

金曜の最後の公演(こちらはデッセイとフローレスの共演)はシリウスでの放送がないので、
これで私の今シーズンの『連隊~』鑑賞も最後。
オペラヘッドとしての人生を回顧した場合に必ず思いだすであろう、
生舞台を鑑賞した5/2のものをはじめとして、素晴らしい公演を体験でき、
至福の思いの三週間でした。


Natalie Dessay (Marie)
Barry Banks (Tonio)
Alessandro Corbelli (Sgt. Sulpice)
Felicity Palmer (Marquise de Berkenfield)
Donald Maxwell (Hortensius)
Roger Andrews (Corporal)
David Frye (Peasant)
Marian Seldes (Duchesse de Krakenthorp)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Laurent Pelly
Set Design: Chantal Thomas
ON

***連隊の娘 ドニゼッティ La Fille du Regiment Donizetti***