Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

HD: LA FILLE DU REGIMENT (Sat Mtn, Apr 26, 2008) ①

2008-04-26 | メト Live in HD
会社勤めの身の私、メトで実際に舞台を見るのは、ウィークデイよりも、
土曜の公演に集中しがち。
ライブ・イン・HD用の公演は、全て土曜のマチネのものなのですが、これまで、
どの演目も、私がオペラハウスで鑑賞するマチネ公演にあたってしまうという星の巡り。
アメリカではその名の通り、”生放送”のゆえ、
体が一つしかない私は両方を見るわけには行かないので、
まだ一度も映画館でライブ・イン・HDを体験したことがないのでした。
しかし、今シーズン最後のライブ・イン・HD『連隊の娘』は映画館で見れることに!
というわけで、今日は記念すべき、私のライブ・イン・HDのデビューの日なのです。

作品そのものを楽しませていただくのはもちろん、
当ブログにコメントを寄せてくださっている方や、私に半ば強制されて、
今シーズンのライブ・イン・HDを全制覇している私の両親とおばから聞いている
日本での上映状況との比較、SFO(サン・フランシスコ・オペラ)のシネマキャストとの比較、
また、NYの観客たちの反応等、観察したいことが山ほどあるので、
今日の私は、やる気が充満しています。

そして、その勢いに乗り、先日、”実はオペラよりバレエが好き”という、
私を地蔵状態に陥れる爆弾発言を振り出した私の連れも強制連行です。

ライブ・イン・HDの人気が定着しているせいもあり、マンハッタンでは現在、
4箇所の映画館で上映が行われていますが、
今日、我々が鑑賞するのは、メトから通りをはさんだ向かいにある、
ウォルター・リード・シアターという映画館。
昨日まで、全く気乗りのしない様子だった私の連れなのに、
いきなり映画館で落ち合う約束の時間の20分前に電話をしてきて、
”もう映画館に着いちゃったんだけど、今どこ?”

どこって、もちろん、まだ家ですけど、、、。

結局、いつもどおりにキャブを飛ばして映画館のあるメトの方向へ。
(注:私は余裕で歩いて行ける距離にあるメトに、いつもキャブで乗り付けてしまう。
渋滞にはまって、歩くよりも時間がかかり、結局途中下車してメトまで全力疾走しなければ
ならない羽目に陥った事件
も今年はあった。)

到着したのは上映開始の1時間前。
ロビーにはすでに開場を待つ人の列が出来ていました。
しかし、年齢層が高い。
これは、オペラハウスの観客よりもさらに平均年齢が高い感じがする。
連れの姿を確認し近寄る私に、彼が大声でおもむろに一言。
”今日君が一番若い客みたい。”
全くしゃれになってません。
さらにしゃれになってないのは、その私も、絶対的な尺度で言うと、
決してそう若くはない、というこの事実、、。
ゲルプ支配人が、メトの未来のためには、若い観客層を開拓せねばならない!と、
よく言っていますが、こんな図をみると、確かに、、と思わされます。

開演のおよそ45分前に開場。
少なくとも、30分くらい前から、オペラハウスの客席の様子などを見せてくれるのかと思っていたのですが、
スクリーンに映るのはライブ・イン・HDの宣伝ばかり。
映画館の中の皆さんは、心得たもののようで、開演直前まで、客席でコーヒーをすすったり、
軽食をつまんだりと、リラックス・モード。

この日のチケットは売り切れ、と聞いていましたが、まずはその言葉どおり、
268の座席があるこの映画館の、最前方の数列を除いては、ほとんど満席状態。

(注意:ここからは、ネタバレありの言いたい放題。これからライブ・イン・HD/ライブ・ビューイングを
ご覧になる予定の方は、読み進められる場合、その点をご了承いただきますようお願いします。)



およそ定刻どおりにいきなり画面が切り替わり、本日のホストを務める
ルネ・フレミングが登場。
いよいよ開演!ということで、映画館の客席からも拍手が起こります。
裏方さんの、”マエストロ、どうぞ!”の合図で、私の大好きなマルコ(・アルミリアート)が
袖から指揮台へ登場。
この人は、オペラハウスで見ているときも、、”指揮が出来て幸せ!”という
ものすごいポジティブ光線が座席まで飛んでくるのですが、
アップで見て、これまた予想通りの表情だったのが嬉しかったです。
この作品には、心がうきうきと軽くなってくるような
ハッピーな雰囲気が演奏に漂っていることが絶対不可欠。
その意味で、彼をこの公演に配したのは、正しい選択です。


第一幕

印象的なホルンの音で始まる序曲。一気に目の前にチロルの風景が広がります。
そう、舞台は、スイス、チロル地方の山間にある村。時はナポレオン戦争の頃。

フランス軍の侵攻に抵抗しようと、チロルの村人たちが家財道具で組んだバリケードが
舞台上に見えますが、
しかし、頭には鍋をかぶり、手にした鍬や鋤でフランス軍と戦おうとする男性たちの姿は、どこかのどか。
女性はそんな男性の安全を願って一生懸命聖母像に祈りを捧げるのですが、
この女声合唱について一言。
最近、合唱の出来がすごく良くなって来ていると喜んでいたのに、
今日はまたまた以前のようなおばさん臭い声でがっかり。
このシーンの合唱は人数も少なく、一人一人への依存度が非常に高いので、
一人、二人の好ましくない歌唱と声質が全体の印象に大きく影響してしまった
可能性があります。



そんな村にやって来たのが、ホルテンシウスという召使を引き連れたベルケンフィールド女侯爵。
(正式には一度も結婚したことがないようなので、侯爵夫人ではない。)
フランス軍に攻め入られるのを恐れ、自らの城から、貴重品を持ち出し、
馬車で逃げ出してきたのでした。
ベルケンフィールド女侯爵を歌うのは、今シーズン、メトの『ピーター・グライムズ』で、
”いやなばばあ”ミセス・セドレーを見事に歌い演じたフェリシティ・パーマー。

ルネ・フレミングがキャスト紹介の中で、彼女を”歌う女優”と形容した途端、
”Yes, she is!(その通り!)”という言葉が映画館の中で飛んだことからもわかるとおり、
彼女は、その確かな表現力でオペラヘッドの厚いリスペクトを受けている歌手の一人です。

今日はイギリスの漁港町のいやーなオバサマから一転、くせがあるのにどこか憎めない
ベルケンフィールド女侯爵を上手く演じています。
このベルケンフィールド女侯爵はこのオペラの中である意味、話の鍵を握る、
重要なポジションを占めているので、彼女の言葉、一挙手一投足に要注目です。

後のインターミッションでも、パーマーとコルベリによって触れられますが、
このプロダクションでは、テキストがオリジナルから変更されている個所があります。
特にお芝居のように話言葉で交わされるダイアローグの部分は、
かなり観客側に話の筋がわかりやすくなるように組みなおされ、オリジナルにない言葉も見られます。
確かにオリジナルのダイアローグどおりだと、やや話がわかりにくく感じられたり、
また、登場人物の行動に不審な部分があり(しかし、それはベル・カントの常なので、
私はもはや気にしない体質になってしまっているのですが、、。)、
こちらのプロダクションの方が随分親切になっているような気がします。
その一環として、すでにこの一幕頭の方で、よく注意して見ていると、
ほとんどオペラの筋の種明かしともいえる、ベルケンフィールド女侯爵が、
”姪っ子”というつもりで、つい、”むす・・(娘)”と口走ってしまう場面が入っており、
英語でもそれが訳出されていましたが、ライブ・ビューイングでの和訳はどうなっているでしょうか?

やがてフランス軍が攻撃の手を止めたという知らせがあり、ほっとするチロルの村人と女侯爵。
そこへ、フランス軍第21連隊のシュルピス軍曹が現われ、フランス兵を野蛮人と思いこんでいる
みんなはちりぢりに。

後に召使のホルテンシウスがベルケンフィールド女侯爵をシュルピス軍曹にひきあわせる場面で、
シュルピスのことを、”顔は不細工ですが、気のいい男でして、、”と説明する台詞があるのですが、
オリジナルでは、どこでこの二人が顔を合わせる機会があったのか謎なのに対し、
ここで逃げ遅れたホルテンシウスをシュルピスがお咎めなしで解放してやる、というシーンを
入れることにより、つじつまが合うようにしています。

ここでバリケードがはけ、一気に舞台上全部が見渡せるようになるのですが、
セットは地図をはりつけた山々。その山の角度のとり方が非常に巧みで、
引いた視点から見ると、見事にアルプスの山!という雰囲気です。

いよいよデッセイが演じるマリーの登場。



捨て子だったマリーをこのシュルピス率いる第21連隊が拾い上げて手厚く育てたという経緯があり、
いわば、21連隊の兵士全員がマリーの父親。
シュルピスはそのたくさんいる父親の親玉のような存在です。
兵士っぽい粗野な行動の中にも、優しさと人のよさが光る親父を、
昨年のプッチーニ三部作の『ジャンニ・スキッキ』の表題役でこれまたコミカルな持ち味で唸らせた、
アレッサンドロ・コルベリがつるつる頭のかつらを着用しつつ、熱演しています。

最初の聴きどころ、マリーとシュルピスの二重唱、
”戦火の中で私は生まれた Au bruit de la guerre "。
この曲一曲だけで、マリーがいかに軍隊生活をエンジョイしているかということが伝わってくるような、
聴いているだけで楽しくなる曲。
パヴァロッティと組んだCDで素晴らしい歌唱を披露しているジョーン・サザーランドなんかは、
戦地暮らしといえ、どこかたおやかな感じがあるのに比べて、
デッセイのマリーは、見た目と表現が”おとこおんな”もしくはトム・ボーイのようなマリー。
しかし、彼女の声自身には柔らかい女性らしい響きがあるので、これがなんともいえない
アンバランスの妙を生み出しています。
彼女に関しては、喉の故障を経験してから、以前ほどの輝きが声になくなった、という声があり、
確かに、細かいことを言えば、この二重唱の最後の高音なんかも、
少しざらっとしたテクスチャーがあるにはあるのですが、
しかし、彼女の場合は、それをものともしない、役を表現する力があるので、
私にとってはノー・問題。
しかし、彼女は本当によく動く。この二重唱の中で、アイロンを右左に動かしたり、
洗濯物を手ですぱすぱと切るようにたたむ姿など、おかしくて笑ってしまいました。
こんな動作を、直立して歌っているだけでも難しいパッセージを歌いながらこなすんですから、
この人は本当に只者じゃないといつも思います。
『ルチア』の狂乱の場でウェディング・ヴェールをびりびりに破りながら、
歌も正確にこなしていたのと、共通するものがあるかもしれません。
『ルチア』の時のドラマチックな演技もすごいと思いましたが、
彼女は、コメディエンヌとしての才能も図抜けています。

歌で盛り上がった後、親父シュルピスが突然娘のマリーに、
”最近、お前、見慣れない男と会っているようだが、、”と鋭いつっこみを入れます。

それは、自分が花を摘もうとして崖から落ちそうになったのを、
自分の命も顧みず助けてくれたのがきっかけで知り合ったチロルの男性で、
それ以来、彼は自分に恋をしているのだ、と打ち明けるマリー。

とそこへ、第21連隊の兵士たちが、若い男性をしょっぴいて現われます。
敵がスパイしていたものと思い込んで連行してきたその男性こそ、
少しでもマリーの姿を見たい、と、危険を承知で野営地に現われた、
マリーに恋するトニオでした。

このシーンではチロリアンっぽいセーターに、短パンという姿で現われ、
ほとんど”かっぺ”のような純朴な青年を演じるフローレス。
ああ、フローレス王子ってば、こんなに短パンまで似合ってしまうとは、、。
しかし、彼が一声発すると、もうその声の美しさにうっとり
なんて男前な声なのか!その上に、本当に見た目も男前なのだから、
天とは思いっきりニ物を与えるものなのである。
この『連隊の娘』ではハイC連発といったアクロバティックな面ばかりが取りざたされているのですが、
彼の歌の魅力のベースにあるのは、この声そのものの美しさ。
アクロバティックな面も含む技術のすごさは、この声があって生きてくるもの。
この登場のシーンからしばらく続く、超絶技巧が全くない場面での、
彼の声の美しさと表現力の豊かさは出色で、ここだけ聴いても、
彼がいかに稀有な存在であるかということがわかろうというもの。
出てきた瞬間から舞台に花が咲く感じが、スクリーンを通しても伝わってきます。

この役で名を馳せた歴代のテノールといえば、先ほど名前を挙げたパヴァロッティが思い浮かび、
彼の歌唱も素晴らしいですが、この場面で一気に観客すらトニオに恋させるその手腕は、
このフローレスの方がが数段上だという思いを強くします。
あと、声が比較的(特に若い頃は)軽かったパヴァロッティですら、
このフローレスと聴き比べてみると、かなり重たい感じがします。
どちらが好きかは好みの問題でしょうが、この独特の声の軽さが
フローレスの歌の魅力の一つなのは間違いありません。

たった今殺さん!とトニオに銃口を向ける連隊の兵士たちに、
自分の命を救ってくれた恩人なのだと説明するマリー。
”なーんだ、それなら事情も違うじゃないか”と、戦いにおいては敵でありながらも、
娘の恩人なら、と、トニオを温かく迎え入れる第21連隊。
常日頃から兵士をねぎらうために歌を歌ったりするのを得意にしているので、
”さあ、恩人のためにも、21連隊の歌を聞かせてやれ!”とシュルピスに押しやられるマリー。
ここでは、トム・ボーイのようなマリーが、恥じらいを見せていて本当に可愛らしい。
ラララ La la la...で始まり、21連隊の兵士たちの合唱を伴う”連隊の歌”は、
これまた楽しい曲。
この曲のなかの歌詞が、ニ幕の中で生きてくるのでこの曲も要注目曲。
いわば、マリーの人生のテーマ曲ともいえる曲なのです。
この”連隊の歌”の最後の高音をデッセイはこれ以上ないくらい綺麗に決めていて、
今日の公演の中で彼女が出した最も美しい高音。
彼女が喉の故障を経験する前は、このような音が毎回出ていたのかもしれないな、
と思わされます。

やがて、兵士の集合を求める太鼓の音が聞こえ、遊びはここまで、といそいそと、
準備を始める兵士たち。
”君も帰りなさい”と言われたトニオですが、マリーと離れがたい彼は、帰ろうとしない。
マリーと彼を二人きりにさせたくない父親心満載の兵士たちは、では自分たちと一緒に来るまで、
と彼も連れていってしまいます。
”お前も一緒に来るか?”とシュルピスに聞かれたマリーはふくれっつらで、”私は行かないもん!”。
このあたりは、マリーの乙女心が出ていて、これまた非常にかわいい。
彼女自身は一言もまだ認めていませんが、すでに、
マリーがトニオにしっかり恋におちているのがよくわかります。
父親たちが自分の気持ちを慮って二人きりにしてくれないことに腹を立てているというわけです。
そして、そんな娘の我儘を許すか!と、思い切り父親しているシュルピスも微笑ましい。



しかし、そこは根性の入ったチロリアン、トニオ。
上手く兵士たちをまいて、マリーのもとに戻ってきます。
”みんなは彼を手荒く連れて行った Ils ont emmene butalement ”から、
二重唱”なんですって?あなたが私を愛してる? Quoi! vous m'aimez ”は、
ベル・カント作品好きにはたまらない、美しい旋律が続く一幕の山です。
マリーがジャガイモの皮をむく横で、自分の恋心を打ち明けるトニオ。
この愛の告白の場面のフローレスがまた本当に素晴らしい。
ここでフローレスがださいチロルの村人という人物像に、
意外と恋愛上手な部分も表現していて、やるな、と思わされます。
この後、トニオは軍人としても成長していくのですが、彼の表現には、
ベル・カントでは歌唱力がないと表現するのが非常に難しいその人物の心の軌跡とか、
成長の過程がきちんと歌いこまれているのもすごいところ。
そして、同じ旋律を繰り返す形で、今度はマリーが自分の恋心を打ち明ける。
お互いの気持ちを確認して、二重唱の最後にはしっかりと抱き合う二人



二人のケミストリーもあるのですが、
双方、実力のある歌手が歌うベル・カントの二重唱を聴くのは至福の時だと再確認。

その抱き合った二人を引き返してきたシュルピスが見つけてひっぺがす。
敵であるチロルの男なんかに娘をやれるか!というわけです。

ここで、マリーとトニオの二人は一緒に舞台から消えるというのがオリジナルですが、
後でマリーが呼び戻される時まで二人は何をしていたのか?
また、なぜマリーが一人で戻ってくるのか、という点がはっきりせず、
ここもつじつまを合わせやすくするため、このプロダクションでは、
オリジナルにはないダイアローグが加えられ、マリーとトニオは別々に退場するようになっています。

やがてベルケンフィールド女侯爵とホルテンシウスが現われ、
自分たちの城に戻るには、兵士がたむろっている山を越えて行かねばならず、
物騒なので、警護をお願いできないか、とシュルピスに依頼します。
彼女の高い位に圧倒されたシュルピスは了承しますが、
ベルケンフィールド城という名前を聞いて、”ロベール大尉から聞いた名前だ!”とびっくり仰天。
女侯爵は女侯爵で、”ロベール大尉をご存知で?”とこれまた仰天。
結局、二人の話は、女侯爵の妹とロベール大尉の間に出来た娘が事情あって捨て子に出され、
その女の子こそが、第21連隊が育ててきたマリーである、ということで一致します。
マリーがとんでもない身柄の高い女性であったという事実に驚愕のシュルピス。
そして、やがて現われたマリーの淑女とは程遠い身のこなしに固まる女侯爵。

事情をのんで、第21連隊全員も同行させるという交換条件つきで、
女侯爵について城まで同行することに同意したマリーらが舞台からはけると、
兵士たちが”タラタタ、タラタタ、タラタタ、タタ! Rataplan Rataplan Rataplan"という、
太鼓の音を模した合唱の中、登場。
この兵士たちを歌い演じた男声合唱は、兵士の格好でいろいろと演技付けも多く、
大変でしたが、
なかなか聴かせてくれたと思います。

地図の山で伏せる兵士たちの間に、”朝のあの男だ!新兵だ!”という伍長の声が響きます。
シュルピスから聞いた、”マリーは21連隊の誰かとしか結婚できない”という言葉のために、
トニオはなんと21連隊に入隊してしまったのでした。
(なぜ敵にあたる男が簡単にナポレオン軍に入隊できるのか?それはベル・カントだから、としか
いいようがない。)

眠っている様子の21連隊の兵士たち=マリーの父親たちに、マリーと結婚させてくれ、と頼むのが、
例の9連発ハイCを含む ”ああ!友よ、なんと楽しい日~僕にとっては何という幸運
Ah! mes amis, quel jour de fete ~ Pour mon ame quel destin!"。
軍服を着て一層男前になったフローレスが歌うこのアリア、今日のハイCはいかに?!

に続く>

Natalie Dessay (Marie)
Juan Diego Florez (Tonio)
Alessandro Corbelli (Sgt. Sulpice)
Felicity Palmer (Marquise de Berkenfield)
Donald Maxwell (Hortensius)
Roger Andrews (Corporal)
David Frye (Peasant)
Marian Seldes (Duchesse de Krakenthorp)
Conductor: Marco Armiliato
Production: Laurent Pelly
Set Design: Chantal Thomas
OFF
Performed at Metropolitan Opera, New York
Live in HD viewed at Walter Reade Theater, New York


***連隊の娘 ドニゼッティ La Fille du Regiment Donizetti***

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2 コメント

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和訳ですが (安奈)
2008-05-14 10:53:39
はじめまして日本からです。
オペラ環境をうらやましく思いながら拝読させていただいています。

”むす・・(娘)”と口走ってしまう場面ですが
和訳では、“・・子供”と口走る表現がされていたように思います。間違っていたらごめんなさい。

デセイの大ファンであり、ポローニャ歌劇場の引越し公演でフローレスを聴いて、打ちのめされた者の一人ですので、今回の「連隊の娘」のライブビューイングには2回足を運びました。

NYは映画館でも観客が盛り上がるのですね~
日本は大変静かですよ~
昨日も私一人で、静かに拍手して、ブラヴォも小さな声で・・・・・
デセイのマイクの件も大変参考になりました。あれだけ見えると????で終わってしまうところでした。

コンサートでしか(計5回公演で4回聴いてます)デセイを聴いたことがありません。
デセイをオペラで観たいです。

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初コメント、ありがとうございます! (Madokakip)
2008-05-14 15:56:16
 安奈さん、

こんにちは!そして、はじめまして!
私のこの興奮状態レポにさりげなくまぎれていた疑問に丁寧にお答えくださり、
ありがとうございます。
そうですか!では、和訳でも、きちんと訳出されていたのですね。
最初にこの台詞を持ってくるとは、かなり思い切った種あかしだなあ、と最初は思っていたのですが、
終わってから振り返ると、そんな”ネタ隠し”に頼らなくても全然大丈夫な演出になっていて、
いい意味で裏切られました。

そうですか!ボローニャの公演をご覧になったのですね。
素晴らしい公演だったというお話を聞いているので、
とっても羨ましいです。
日本のライブ・ビューイングは、安奈さんのように、複数回見にいけるチャンスがあるからうらやましいですね。
こちらは、基本的には(生なので)一回きりの上演です。
(全米には二度上映している映画館もありますが、
マンハッタンでは見当たりません。)
なぜだか、『ラ・ボエーム』のみ、アンコール上映が決定したので、
私も映画館で鑑賞する予定にしています。

>昨日も私一人で、静かに拍手して、ブラヴォも小さな声で・・・・・

なんと涙ぐましい、、。
映画館では歌手に聴こえるわけじゃないから、拍手もブラヴォも照れくさい、という感じなのでしょうか?
でも、実はみんな拍手もしたいし、ブラヴォも言いたいんですよね。
少なくとも私の友人と家族はそう言ってます。
私も自分がオペラハウスの中でBravo(a/i)を振り出すときには、
もちろん歌手の方に素晴らしかった!というのを伝えたいというのもあるのですが、
自分の興奮の発露、という面が大きいような気がしています。
気が付いたら、叫んでます。

デセイ、ぜひ、全幕公演をご覧になる機会が訪れるのをお祈りしていますね。
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