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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

Sirius: MACBETH (Tues, Jan 15, 2008)

2008-01-15 | メト on Sirius
今日も夕飯の支度をしながらシリウスのLive from the METを聴く。
今日の演目は『マクベス』。
先週土曜日のライブ・インHDおよびラジオ放送は非常に評判が良かったようで、
ここ数年のラジオ放送にのった公演のうち、最も良かった、と断言している方もいらっしゃるそうです。
そんな公演がつい土曜日にあったもので、今日は気が抜けてぺしゃんこな公演になってしまうのか。
それとも、その熱気を引き継いで、またまた聴き応えのある公演になるのか?

マーガレット嬢がいつものように、”出演の順に、、”とキャストの紹介を始めた。
”マクベスはラド・アタネリ、バンクォーはジョン・レリエー、
マクベス夫人がシンシア・ローレンス、マクダフはディミトリ・ピッタス、、”

シンシア・ローレンス?

マクベス夫人役は、グレギーナとアンドレア・グルーバーのダブル・キャストのはずで、
シンシア・ローレンスとは、初耳。
今日がグレギーナとグルーバーどちらが歌うはずだったかももう記憶にないし、
どういった事情でローレンスが歌うことになったかは不明。

今、彼女のオフィシャル・サイトを見てみると、
”1/15にメトでマクベス夫人役を歌うことになり、とっても嬉しいです。”
というメッセージが出ているので、今のところは今日一度きり、ということのようですが、
彼女の今日の出来によっては、もしかすると、4月の公演のキャスティングにも影響が出そうで、
これは一層聴き逃せなくなってしまいました。
なので、スピーカーの前で、耳をそばだてながら、夕食開始。

そのローレンス。声を聴いた印象。
いいではないですか!
まだ少し、歌唱が練れていない箇所もあって、
下降および上昇音階の速いパッセージの歌唱がややもたつくのと、
音が延びる場所で少し拍のとり方が甘く感じられる時があるのですが、
声が若々しいのがいいし、高音も難なく出ていて、ラジオで聴く限りは声のボリュームもしっかりしている。
声に少しヒステリックな響きがあるのも、この役に向いている。
なんと、メト、こんな隠し玉を持っていたとは!まったく隅におけません。
彼女は、せっかくこの役を歌える恵まれた声を持っているのだから、これからぜひとも、
細かい部分を磨きあげてほしいです。
それが出来れば、この役は彼女の切り札にもなりうると思います。
ただ一つ気をつけたいのは、感情がこもり過ぎると、声の音色が変わりすぎること。
これは彼女の歌の魅力と表裏一体になっているので、さじ加減が難しいところですが、
場所によっては少し、母音が平たく、ほとんど下品に聴こえる箇所があったので、
そこはもう少し抑えてもいいかもしれません。

マクベスを歌うアタネリ。1/9のシリウスの放送の感想ではあまり良いことをかけなかったのですが、
今日はいいですねー。
もしかすると、1/9はコンディションが悪かったのかもしれません。
ただ、ローレンスと同じく、この人も歌からビートが感じられにくいところがあって、
ルチーチがさりげない音の中にもちゃんとリズムが感じられるのに比べると、
そこのあたりはもう一歩か。
でも、今日は高音がしっかり伸びているし、フォームが少し乱れても感情を優先させる熱い歌唱で、
ローレンスとともに、若々しいマクベス夫妻を好演しています。
こうやって比べてみると、ルチーチ、グレギーナコンビの方が少し歌から受ける印象年齢が高い感じがします。
ローレンス+アタネリ組、若いのに野心的、という、なかなか魅力的な夫婦像を作りあげています。

レリエーのバンクォー。
今日は、11/3の歌唱と並ぶ素晴らしい出来。
ライブ・インHDにぴったり合わせて来たか、と思っていましたが、今日がぴったりな位かも知れないです。

マクダフを歌ったピッタス。
今日は実はあまり声の調子が良くない、とみましたが、
(いつもよりも声の張りが弱くて、響きが浅く、長い音が苦しそうだった。)
私の優れた歌手の方程式、すなわち、”調子が悪いときにも、下げ幅が少ない”を見事実践し、
ほとんどその調子の悪さを感じさせない歌唱で踏ん張り、観客からの喝采をもらってました。

さて、現在、夢遊の場ですが、こうして聴くと、ローレンスの声は、
やっぱりグレギーナに比べると、声の線が細く、
そのためにそれを補おうとしたときに、少し下品な響きになってしまうのかな、と感じました。
しかし、線が細いと言っても、不満に感じるほどではなく、
むしろ、そこを彼女らしさという強みに変えてしまうことも可能な範囲だと思うので、
ぜひ発想の転換を!
しかし、彼女の歌は、感情がきちんと次々と現れて消えていく様が表現できているし、
下品な線に行く前までは、声のカラーの使い方もなかなか巧みだし、いいです、とっても。
今、夢遊の場が終わりましたが、観客、大喜びです。
いやー、こんな風にマクベス夫人を歌えるソプラノがいたとは、驚きました。
しかもアメリカ人。まさに、灯台もと暗し。
これは、4月、グルーバーが歌うのか、はたまた、ローレンスが代わりに入るのか?
私がゲルプ氏ならかなり頭を悩ませると思います。

マクベスの最後のアリア。
うーん、アタネリはこのアリア、ちょっと苦手なんでしょうか?
前のシリウスの放送の時も感じたのですが、かなり頭の音程がゆらいでます。
後半、持ち直しましたが、この頭が音痴なのはやばいですね。早急に処置を。

最後に。
今日のもう一つの主役はオケ。本当に今日はいい。
この演目でのオケは、あのライブ・インHDをきっかけに一皮むけたような感じすらします。
第一ランの頃に比べると、先週土曜のライブ・インHDの日、それから今日の演奏は格段によくなっています。
今もじーっと聴いていて思いますが(←かなり怖い図です。
家でスピーカーとさしで座って、箸を宙にもったまま、じっと首をかしげて聴き入っている。)
今日のオケの演奏は、おそらく、先週土曜日よりもいいですね。
ものすごくテンション高いです。
こういう演奏は、オペラハウスで聴きたかった。

(写真はローレンス)

Lado Atanelli (Macbeth)
Cynthia Lawrence (Lady Macbeth)
John Relyea (Banquo)
Dimitri Pittas (Macduff)
Russell Thomas (Malcolm)
James Courtney (A doctor)
Elizabeth Blancke-Biggs (Lady-in-waiting to Lady Macbeth)
Conductor: James Levine
Production: Adrian Noble
ON

***ヴェルディ マクベス Verdi Macbeth***

Sirius: ROMEO ET JULIETTE (Thurs, Dec 27, 2007)

2007-12-27 | メト on Sirius
指揮がドミンゴからネードラーに代わって初の『ロミオとジュリエット』のシリウスでの放送。

前奏曲、なかなかキレがあっていいし、おっ?と思わせる瞬間もありましたが、
その後も早い、早い。
ドミンゴのまったりした指揮に慣れていたオケや合唱がアジャストするのに苦労してます。
指揮者があおってもあおっても、遅めになりがちなオケと合唱とソリストたち。
まるで、体がなまってしまった運動選手が一生懸命、走ろうとしているような、、。
早さについていけずに、ほとんど音がすっぽぬけてしまいそうな箇所も。

しかし、ネードラー氏。相当天邪鬼と見た。
突然、ジュリエットのアリア ”私は夢に生きたい Je veux vivre"は、
がっくーんとスロー・テンポにしてきました。
もともと、ここの部分はわりとドミンゴの指揮がアップテンポだったのと、
最初からがんがん飛ばすネードラーをみて、これはきっと相当早いに違いない、と、
ネトレプコが思ったかは知りませんが、
最初のフレーズ、彼女が飛ばしまくる中、ネードラーは、”うふふ、そんなに早く行かないよーん”と、超ゆっくり。
ネトレプコが遅くしても、遅くしても、まるでどんどんネードラーの方が遅くなっていくような気がするほど、
ネトレプコとオケのテンポが最初かみ合わない。
最初は、きっと私に合わせてくれるはず、と思っていたであろうネトレプコが
とうとう観念して、これ以上ゆっくり歌うのは無理、というくらいに譲歩。
しかし、この二人のテンポがあったところからが素晴らしかった。
ドミンゴが振っていたときは、いつも、何だかあたふたと、雑に聞こえがちだったこのアリアを、
この超ゆっくりモードにすることで、ネトレプコからおそらく今シーズンの『ロミ・ジュリ』中、
このアリアの最高の出来を引き出したんではないでしょうか?
このテンポのおかげで、最後の音を渾身で延ばさなければならなくなった彼女ですが、
見事、応えて、素晴らしい音を出してました。
また途中の一音一音の音の動きがクリアになって、これで最初から息が合えば、かなり聴き応えがありそう。
12/31の公演が非常に楽しみになってきました。

ポレンザーニは、少し独特の声質で、これが好みが分かれるポイントとなるかもしれませんが、
彼の場合、声がぽかんとしている(ように私には聴こえる)わりには、
歌い方のせいか、聴衆に知的な印象を与えられるところが得な性分だと思います。
あの神経質そうなルックスのせいか。
”太陽よ、のぼれ Ah! leve-toi soleil”の最後の音からデクレッシェンドして
そのままソット・ボーチェに持ち込んで終わらせた部分が、やや急いでしまった感があったのと、
高音の支えが少し下がってしまったように聞こえたのは残念でしたが、
(ただ、音が外れている、というほどではない。)
凛とした声が聴けた箇所が多々あって、今までの全てのロミオ(アラーニャ、
ジョルダーニ、カイザー、そしてポレンザーニ)の中で、
最もオール・ラウンドで出来がよかったかもしれません。

さて、お楽しみのインターミッションのゲストは、なんと、パティ・スミス!!
パティ・スミスといえば、NYパンクの女王と呼ばれ、70年代終わりから、
チェルシー・ホテルを拠点に活動していたため、NYのロック姉さんというイメージが強く(本当はイリノイ出身、ニュージャージー育ちだそうですが。)、
この、ロバート・メイプルソープが撮影した彼女のアルバム”Horses”の写真を
見たことがある!という方はきっと多いと思います。
ただ、私個人的には、パンクの女王というよりは、どちらかというと、
女性版ボブ・ディラン、というか、ちょっと、詩人ロッカーっぽい感じがするのですが。



なんと、このパティ・スミス姉が、1976年からのオペラヘッドなんだそうです。
(年号まで覚えているところがすごい。)
スーザン・グラハムがお気に入りらしく、今期の『タウリスのイフィゲニア』は二回も見に行ったそうです。
そういえば、何かの公演の際、女性化粧室で、下の写真(比較的最近のパティ・スミス)そっくりの女性を見て、
”まるで、パティ・スミスみたいだ。。”と思った覚えがあるのですが、
その時は、彼女がオペラヘッドだなんて知る由もないので、まさかね、、、とそれっきりだったのですが、
今考えると、もしかしたら、ご本人だったのかも知れません。



彼女のオール・タイム・オペラ・アイドルは、カラスだそうで(ぱちぱち)、70年代から、
よく彼女のレコードを聴いていたそうです。
そこですかさず、パーソナリティのマーガレット嬢が、
”当時のロック・シーンの他の人たちもオペラを?”と聴くと、
”いえ、それはなかったわね(笑)”
MC5のメンバー(そのメンバーの一人がパティが死別したご主人のフレッド・スミス)とか、
聴かなさそうだもんなあ、オペラ。

しかし、”じゃ、周りの人になぜオペラが好きか、と説明しなければいけないような気分になったり?”と
マーガレットに尋ねられたパティが、穏やかに、しかし、きっぱりと、
”私は、いかなるときでも、他人に自分を説明しなければいけないと思ったことはないわ。”
と言っていたのが、さすが、パティお姉さま、という感じでした。

時間いっぱいいっぱいまで語って下の座席(スタジオはグランド・ティア正面後方にあるので、
平土間かパーテールにて鑑賞していたと思われる)に戻るため、スタジオを後にしたパティ・スミスに、
”that was a trip!"(ここでいうtripとは、滅多におこらないようなすごいこと、というような意味)と、
大興奮だったマーガレットと相手の男性のパーソナリティ。
”彼女の歌への入りこみ方は、マリア・カラスにルーツがあったのか!”と感心しきりなのでした。

さて、今日の公演は、そんなパティお姉さまのエネルギーが波及したか、
全キャスト気合のこもった歌唱を繰り広げ、今シーズンの同演目中、最高の出来ともいえるのではないでしょうか?
特に、ネトレプコの出来が本当に今日はよい。
今までの『ロミ・ジュリ』の記事で時々例をあげてきたような、アリアでない、
なんでもない一言が、今日は、心がこもっていて素晴らしい。
普段でもわりと平均して歌唱の出来がいい彼女ですが、
今日はラジオを通してでも、”宿っている”のが聴こえてきます。
ライブ・インHDの時がこんな歌唱だったら、と、悔しい気持ちにならずにいられません。

しかし、ポレンザーニも負けていない。
最後の二人の死のシーンは、他のことをする手を全部止めて、聴き入ってしまいました。
今、オペラハウスにいる人たちに、身のよじれるほどの嫉妬を感じてます。
今日はすごい名演。そして、この素晴らしい歌唱を引き出したネードラーにも拍手。

12/31もこんな歌唱で、聴衆によい年越しをプレゼントしてくれることを祈ります。


Anna Netrebko (Juliette)
Matthew Polenzani (Romeo)
Kate Lindsey (Stephano)
Nathan Gunn (Mercutio)
Robert Lloyd (Friar Laurence)
Marc Heller (Tybalt)
Charles Taylor (Capulet)
Louis Otey (Paris)
Jane Bunnell (Gertrude)
Conductor: Paul Nadler
Production: Guy Joosten
ON

***グノー ロメオとジュリエット ロミオとジュリエット Gounod Romeo et Juliette***

Sirius: WAR AND PEACE (Wed, Dec 26, 2007)

2007-12-26 | メト on Sirius
今週土曜日の『ヘンゼルとグレーテル』鑑賞あたりをもって、年越か?と思いきや、
『戦争と平和』の残された3回の公演、
12/17の『仮面舞踏会』でなかなか面白い指揮を披露した(しかし、21日はちぐはぐだった。)
ノセダ氏がゲルギエフの後を引き継いで指揮するということ、
また、12/1012/17ともに、ナターシャ役がポプラフスカヤ、アンドレイ役がマルコフというコンビだったので、
できればマターエワ&Ladyukコンビも聴いてみたいということもあり、
『戦争と平和』三度目の鑑賞の可能性が突然浮上してきたのでした。

しかし!その一方で、その長さが結構きつい上演時間(特に前半、死ぬ。)と、
残り三日とも平日な上、その長さのために、通常の8時の開演時間から30分前倒しにされることもあり、
仕事をばたばたと終わらせて、間に合うのか?
また間に合ったとしても、疲れが一気に出て、前半、記憶がふっとぶのではないのか?
そのばたばたも、素晴らしい公演なら報われるが、”...... ”な公演だったらどうしよう?
チケットも安くはないし、、などと、葛藤の渦に巻き込まれていたところ、
そんな悩めるオペラヘッドを神はお見捨てにならなかった!

26日の公演が、シリウスのライブ放送枠にあたっているではありませんか!
なーんだ、これを聴いて、行くべきか判断すればいいではないの!
あたまいい!!(って、たいした思いつきでは全然ないが。)

というわけで!
本日26日のシリウスの放送は、我が家では、”戦争と平和を三回観るかどうか決める選考会”
として、いつもは、いろいろな用事をしながら、聴きたいところのみを重点的に聴くという聴き方をすることが多い私ですが、
今日は本気モードです。

ノセダ氏の指揮。
うーむ、なんと言っていいのか、全然ゲルギエフの指揮と違う!
ゲルギエフ氏の指揮よりもドライな、さくさくした感じがします。
ところどころ、まるで『トゥーランドット』を思わせる音が響いている箇所あり。
興味深かったのは、そんな感想を持って前半を聴き終え、インターミッションになったところ、
二人目のゲストとして招かれた、このプロダクションでゲルギエフのアシスタント・ミュージック・ディレクターとして参加した、
現アリゾナ・オペラを率いる男性のお話(すみません、お名前を忘れてしまいました)。
この方、ゲルギエフのかわりにリハなんかで指揮をすることもあったそうですが、
彼曰く、
『戦争と平和』の平和の部分(前半)は、ある意味プッチーニの作品に通じる部分がある、
ということです。奇遇。
でも、ゲルギエフが振ったときは、プッチーニっぽく聴こえるとは、あんまり感じなかったんだけどな。

奇しくも、そのインタビューと、後半の公演の始まりの間に、ジングルとして使われた抜粋が、
(いつも、シリウスの放送では、ここの部分で、放送中のものと同じ演目の過去の録音分からの抜粋を使用しているようです)、
第二場の、舞踏会のシーンの冒頭、金管で華やかに始まる箇所で、
おそらくゲルギエフが指揮した回の録音からの抜粋と思われるのですが、
こうして、短時間のインターバルでノセダ氏のものと聴き比べすると、
やはりテンポの設定とか、各楽器の絡め方、そして何よりも楽器の音の色気、というのかが、
今日の演奏よりは一枚も二枚も上手。

しかも、後半、戦争の部で、大荒れ。
合唱とオケが完全に外れてしまって、このまま崩壊か?と冷や汗をかいた箇所も。
(合唱が入る場所を失ったように音だけでは聴こえましたが実際何が起こったかは不明。)
その大荒れの後半に、とどめを刺すかのように、レイミーが歌うクトゥーゾフ将軍、
なんと、歌詞を忘れたのか、一小節、まるまるすっとばして歌ってしまった箇所が!
それはノセダ氏のせいではないのですが、あせりまくったに違いありません。
オケがなんとか先回りして(すごい。。)何とか完全崩壊の危機を逃れましたが、
ノセダ氏の汗だくの姿が目に浮かぶようです。。

実際に複数回の公演を観た人の話では、声はポプラフスカヤが、芝居とか役作りの面ではマターエワが勝っている、
とのことなのですが、今日は残念ながら声の比較しかできません。
確かに、ポプラフスカヤに比べると、マターエワの歌唱には、若さがないかもしれません。
特にこのナターシャの役では、この若さが、役のキャラクターを構成する非常に重要な要素の一つになっているので、
無視するわけにはいかないのが辛いところ。
声を伸ばしたときに、最後の最後のコンマ1秒ぐらいで音がぐらつく、またはかすれるのも、
元気一杯な歌唱を披露したポプラフスカヤに比較すると、聴き劣りしてしまう。

そして、アンドレイ役を歌ったLadyukは一生懸命歌っていて、その健気さをつい応援したくなるのですが、
ふと、ちょっと待てよ?と思うのです。
そんなキャラクターじゃないだろう、アンドレイは、と。
この役に関しても、少し固さはあったけれども、世慣れている風に見えて、
その世慣れてる中に不器用なところを隠しもっているアンドレイの性格を、
マルコフが持ち前の声で表現していたのと比べると、やや弱いと言わなければならないでしょう。
今考えて見ると、マルコフ、声が男前なんです、なかなかに。
特に死のシーンは、今日Ladyukで聴いて、
ああ、やっぱりマルコフは良かったんだな、と実感した次第。
前にも書きましたが、あの、ピチピチ、、と繰り返す箇所では、音が出てくるタイミングがこれ以上ないくらい巧み。
それに比べると、今日のLadyukはタイミングが甘い。
そうじゃないだろう!とラジオに向かって叫びそうになってしまいました。
マルコフ、もう一歩、歌唱と役作りが深くなると、とてもいい歌手になるんではないか、
と思えてきました。

これらの理由から、もちろん、どんな公演も観にいくのは無駄だとは思わないのですが、
諸事情を勘案した結果、私の今シーズンの『戦争と平和』鑑賞は、
二回で終了することとなりました。

ということは、今年の最後の鑑賞は冒頭に書いたとおり、『ヘンゼルとグレーテル』か?
いいえ。
私の連れが、数日前、言ってはいけない言葉を私に吐いてしまったのです。
”オペラヘッドが大晦日をオペラハウスで過ごさないなんて、駄目だねー。”

............。

大晦日の、『ロミオとジュリエット』のチケットが売り切れで手に入らず、
泣きが入っていたこの私に、そんなことを言うなんて。ひどすぎる。

しかし!
神はまたしても救いの手をさしのべてくださったのでした。
このシリウスの放送終了後、ふとメトのサイトに立ち寄ったところ、
今まで、むなしくSOLD OUTの文字が並んでいたチケット購入の画面に、
なんと!キャンセルであがってきたチケットが出ているではありませんかー!!

よっしゃー、もらったー!!!

というわけで、大晦日は、正しいオペラヘッドとしての姿をまっとうするため、オペラハウスに出没、
ポレンザーニが歌うロミオが楽しみな、そして指揮がドミンゴからネードラーに代わる(ほっ。)
12/31の『ロミオとジュリエット』が私の年越しの演目となりました。

Irina Mataeva (Natasha Rostova)
Vasili Ladyuk (Prince Andrei Bolkonsky)
Kim Begley (Count Pierre Bezukhov)
Samuel Ramey (Field Marshal Kutuzov)
Ekaterina Semenchuk (Sonya)
Vassily Gerello (Napoleon Bonaparte)

Conductor: Gianandrea Noseda
Production: Andrei Konchalovsky
Set designer: George Tsypin
ON

***プロコフィエフ 戦争と平和 Prokofiev War and Peace***

Sirius: ROMEO ET JULIETTE (Thurs, Dec 20, 2007)

2007-12-20 | メト on Sirius
今日はシリウスで『ロミ・ジュリ』鑑賞。
主役と準主役の歌手の歌唱についての印象を、メモ程度に少し。

ネトレプコのジュリエット。
今まで実演で聴いたもの、ラジオで聴いたものを合わせて、最も声が重たく聴こえる。



12月に始まったロミ・ジュリの後半の公演(前半は9月から10月だった)から、
前半にあったのびと軽やかさが失われているような気がするのが大変残念。
特に一幕で、この重たさは辛い。
そのことと関係があるのか、細かい音符の動きが今日は追えていないのと、
高音も音は出ているのですが、無理やりに押し出しているような響きになってしまっています。
ライブ・イン・HDの日の歌唱について、
ローカルのオペラヘッドの間でも、彼女の(そしてアラーニャの、も)歌について
真っ二つに意見が分かれていて、
傾向的に実際にオペラハウスにいた人、もしくは映画館で観た人はわりと擁護する人が多いのですが、
ラジオ聴衆組からかなり厳しい声があがっていたような気がします。
確かに、今聴いているように聴こえていたとしたら、
厳しいことを言える要素はあるかもしれません。
ただ、それでも私は調子のよい時の彼女の歌うこの役は、とてもいいと思っています。

高音もさることながら、少し低めの音を聴くと、彼女が調子がいいか、悪いかがわかりやすいかもしれません。
今日も絶好調ではないのですが、それは、低い音を歌うたびに、
土台を失ってふらふらしていることでもわかります。
彼女が調子のいいときは、もっとどしっとした音を出します。

ああ、今、毒薬を前に逡巡 Amour ranime mon courage、のシーンですが、
冒頭の高音、まるで、くぎ抜きをまわしながら無理やり釘を抜いているような強引な音を出してます。
後に続くさびの部分も、同じように根性で乗り切ってましたが、このような声に負担となるような発声がキャリアを縮めるのです。
いけません!!断固、いけません!!!!

カイザーのロミオ。
こうして改めて聴いてみると、少し声そのものの魅力と個性に欠けるか。
(ただし、私は彼の歌は、オペラハウスで生で聴いたことはないので、
あくまで今日のラジオから受けた印象で。)
丁寧に歌ってはいますが、これから活躍していくには、
もう少し、声そのものに、彼らしさがないときついかな、という気もします。
”太陽よ、のぼれ Ah! leve-toi soleil"の最後の音は、音程は正しくアタックしているのですが、
まるで喉が閉まっているように感じられるような、聴いているこっちが辛い声でした。
両家が争って死者が出るシーンあたりから、かなり声が出てきてはいますが。



カナダのモントリオール出身だそうで、モントリオールのケベックなんかは
フランス語と英語がちゃんぽんの都市なので、
フランス語へのエクスポージャーが幼少から高いのではないかと思うのですが、
なぜか、彼の歌うフランス語には柔らかさが欠けているように思います。
ディクションの面では、圧倒的にアラーニャの勝利。
カイザーの優れているところは、アンサンブル力か?
寝室のシーンでは、ネトレプコとの音量のバランスと掛け合いのタイミングが絶妙でした。
ただ、声の質が二人、マッチしているか?と聞かれると、最悪の組み合わせでも、
最高の組み合わせでもない、と答えましょう。

ガンのマキューシオ。
この人こそは、舞台で見てこそ魅力が光る歌手かも。
舞台での立ち回りと役の光らせ方が上手なので。
ラジオで聴くと、舞台で見た場合の80%くらいしかよさが伝わっていないように思います。


(メトの前で、『魔笛』に出演した際のパパゲーノの衣装のまま
ミッキーマウスとのツー・ショットに走るガン。こののりが舞台で生きるわけです。)

今日の放送、インターミッションでメトに出演中の歌手を呼んでのインタビューは、
パーソナリティのマーガレットに、”たった今死んだばかりの”
(注:両家の争いで、マキューシオが命を落とす場面のすぐ後にインターミッションがある。)
と紹介されながら、なんとそのガンが登場。

今日の公演では、けんかが始まる際に回転を始めるはずだった中央の円形の床が、予定よりも何音か後まで動かず、フレーズが終わるタイミングと立ち位置が非常に細かく決められているシーンなので、
つじつまをあわせるのが大変だったようです。
最近、歌手の話し声と歌声の関連性についてリサーチをすすめている私ですが、
今日のガンは、歌声が、まんま話し声という、興味深いサンプルでした。
しかも、話しているときも歌っているときのように表情(声音)がくるくる変わるのがおもしろかった。

『フィガロの結婚』で大変魅力的なケルビーノを演じたリンゼイが歌うステファーノ。
メゾが歌うズボン役。
今までの公演で歌ったイザベル・レナードと比べると、しっかりしたメゾ声で、
レナードの声がソプラノ的な響きである、と確かNYタイムズだったかが
指摘していたように記憶していますが、確かに、という気がします。
ただ、リンゼイのケルビーノは、ややその声の質のせいで、音だけ聴いていると、若い男の子というよりは、ちょっとおばんくさく聴こえる気も。
ケルビーノの時は全然気にならなかったのですが。
付け加えておくと、レナードも、リンゼイも、二人とも、実際はうら若くて、かなり美人。


(写真はレナード。リンゼイの写真は上でリンクを貼ったフィガロの記事中にあります。)

フィガロのケルビーノでは、演技が上手いのが印象的だったリンゼイなので、
トータルでの判断はできませんが、今回のステファーノに関しては、
歌だけなら、私はレナードをとるかもしれません。



Anna Netrebko (Juliette)
Joseph Kaiser (Romeo)
Kate Lindsey (Stephano)
Nathan Gunn (Mercutio)
Robert Lloyd (Friar Laurence)
Marc Heller (Tybalt)
Charles Taylor (Capulet)
Louis Otey (Paris)
Jane Bunnell (Gertrude)
Conductor: Placido Domingo
Production: Guy Joosten
ON

***グノー ロメオとジュリエット ロミオとジュリエット Gounod Romeo et Juliette***

Sirius: NORMA (Mon, Nov 26, 2007)

2007-11-26 | メト on Sirius
怒涛の鑑賞スケジュールが一段落した途端、免疫力が低下し、
あっという間に軽くオペラのシーズン・オフと同様の症状、つまり生きる気力を失うという症状に陥り、
インフルエンザにかかってしまいました。
先週の木曜日は午前中養生したうえで、夕方の感謝祭の食事会に這うようにして出席したものの、そのまま事絶え、
その後週末を含むまる三日ほど頭を切り落としたいほどの頭痛と、せつない喉の痛みと、
自分がおっさんに生まれ変わったのではないかと思うほど下品な咳の連続に悩まされながら、
寝床にふせっていた次第です。

私の連れも、しっかりと感謝祭の食事の場で私から菌を分け与えられたとみえ、
軽症でありながらも、同様の症状を呈していたのですが、
見事に寝床から出れない私のために、昨日の日曜日には、
私の大好物であるお粥を中華街まで調達しに行ってくれました。大感謝。
私は、”また菌を追加献呈してはいけないので、そのお粥は、私のアパートのドアノブのところにかけたまま帰ってちょうだいね。”
とお願い。
”今、ドアのところにお粥置いたよ!”と、下の通りから電話をくれた連れに向かい、
”ありがとう!!”とアパートの窓から手を振る私。
ロミ・ジュリみたい(どこがどのように!?)、自由に会う事もできないなんてせつなすぎるわ!
と思っていたので、今日、お医者さんに行ったときに、
”せんせい、彼といつになったら自由に会えますか?辛いです。”
と、この出来事も含めてお話すると、この先生、
とっても優しいお医者さんなのだけど、突然、まるでおもしろいものでも見るような目をして私を見ながら、
”彼はその様子じゃすでに君から菌をもらっているようだね。だったら、会うのを避けても意味ないよ。
二人で最後まで苦しみぬくしかないね。とことんお会いなさい。”
え?
ってことは、あのロミ・ジュリごっこは意味なかったってこと?!
ばかップルだ、あたしたち。。

菌とは一回あげてしまうともうそれでおしまいで、追加献呈というのはないらしいです。
無知とはかくも恐ろしく、かくも滑稽な。。

さて、そのお粥の効果か、今日あたりからやっと少しづつ力が回復してきたものの、
それでもまだ辛いので、横になりながら、今日のシリウスの放送、
ノルマ役がグレギーナに代わった初日のパフォーマンスを目を閉じて聴いていたのですが、
一幕ですでに眉がぴくっ!となり、ニ幕が終わるころには、
もう横になってはおれん!と毛布を床に飛ばして、PCをたちあげてしまいました。
一言書いたら寝ます。

いつぞやの、ルネ・フレミングの『椿姫』の時にも言いましたが、
役に必要な条件を満たしていない人が歌うのを聴くほど辛いことはありません。

Aキャストのパピアンが予想していたよりも技術がしっかりしていたので、
これは、グレギーナ、比較されると苦戦しそうだな、と思ってはいたのですが。。

序曲。
なんだか、早いです。ものすごく早いです。
でも、早い=生き生きしてる、ということでないのがなんとも。
もっともっと一つ一つの音を大切にしてほしいなあ。
ベッリーニのオーケストレーションは単純と言われ、
それをただ単純に演奏すると本当に面白くなくなりますが、
しかし、その単純なメロディーが、突然演奏のされ方によって命を吹き込まれることがあるのですから。

ポリオーネ役、ファリーナ。
だめだ、これは。今日は本当にひどい。ひどすぎる。
ノルマが登場するまでのかなりの時間、彼がしっかりと支えなきゃいけないのに。
こうやってラジオなんかであらためて聴くと、彼の罪も結構大きいことに気付く。
もうちょっとちゃんとこの役を歌える人がいるんではないかと思うのですが。。
とにかく、声の力が伴わない強引な歌い方ほど、聴いていて辛いものはないです。

グレギーナ。”清き女神”。
出だしの声のトーンなんか、悪くないんですが、ああ、こんなにも小回りが利かないのはきつい。
特に、装飾音、同じ長さのはずの音の粒がばらばら。
音階の移行が滑らかでない。
たくさん出てくる下降音階、フレージングがあまりに大体すぎます。
確かに彼女は声のサイズがでかいので、こういった細かい技が苦手になるのはわかるにはわかるんですが、
限度ってものが。
それから、この曲はメロディーが二度繰り返されますが、
二回とも同じところで音がはずれてました。それもかなり大胆に。

このCasta Divaについては、聴くのがつらいくらいの出来といってしまいましょう。
なのに、なのに、歌い終わった後、大きな声でブラボー!と叫ぶ輩が。
私はここで、思わず
”勘弁してよね!”と寝床から起き上がってしまいました。
私はどんな歌唱であったとしても、ブー出しには大反対の人間ですが、
(拍手をしなければよいだけの話なのです。)
それ以上に大嫌いなのは、ブラボーの価値のない歌にブラボー出しすること。

まあ、サクラとまではいいませんが、彼女のコアなファンのようで、
グレギーナの公演によく登場するのです。『マクベス』の時にもいましたし。
特にラジオの放送があるときに頻繁に登場します。
だけど、ここまで歌がひどいときに、ブラボー出してもなあ、、と思うのですが。
そこまで聴衆の耳はごまかせないでしょう、あなた、、と。

ブーとはまた違う、”そのブラボーには賛同しない!”という意味の言葉が出来てくれないかな、
と思うときが時々あります。
ブーには、こてんぱんに歌手を打ちのめす力があって、そこまで言いたくはないのだけど、
だけど、ブラボーというほどの歌じゃないでしょ?という意思表示はしたい!という微妙なケース。

ザジックとの掛け合いの中で、ノルマが二回決めなきゃいけない高音は、なかなか良く出ているのですが、
各音の後の下降音階がまったく駄目。
あの高音は、その後の下降音階が決まってこそなのに、がっくり。
同じ幅の階段をころころころっと転がり落ちるように歌わなければいけないのに、
彼女の歌を聴いていると、階段の幅が一段一段違っているうえに、
一段抜かしもあり、くらいに聴こえます。

二幕。
この公演の長所といえば、ザジックとグレギーナの声の相性がわりとよいこと。
グレギーナが音を外さない限りは(そして、時に外れるのだが)、
二人で一緒に歌うシーンはなかなか聴かせてくれます。
しかし、たった今、独唱にもどったときに、グレギーナ、低音で、びっくりするような汚い音を出して、
また私のどぎもをぬきました。

このまま書き続けると病がぶり返しそうですので、このあたりで。
結論。パピアンを呼び戻しましょう。
パピアンの時と同じレベルの厳しさでこの公演のことを書いたならば、
グレギーナはもっとけちょんけちょん。比較にもなりません。

追記:たった今、公演が終了しました。グレギーナ、すごい拍手もらってます。
彼女はあのでかい歌声のおかげで、オペラハウス内では、細かいところは免除!となる傾向があるように思います。
でもラジオで聴いていると、そういう細かいところ、ごまかせません。

Maria Guleghina (Norma)
Franco Farina (Pollione)
Dolora Zajick (Adalgisa)
Vitalij Kowaljow (Oroveso)
Eduardo Valdes (Flavio)
Julianna Di Giacomo (Clotilde)
Conductor: Maurizio Benini
Production: John Copley

***ベッリーニ ノルマ Bellini Norma***

Sirius: AIDA (Thurs, Oct 4, 2007)

2007-10-04 | メト on Sirius
新しくSiriusというカテゴリーを作りました。
ここでは、衛星ラジオ、Siriusのメト・チャンネルで放送される"Live from the MET”、
つまりメトからのライブ放送を聴いての感想を書き留めていきたいと思います。

生の舞台を見ているわけではなく、ラジオ放送にのったものを自宅のスピーカーで聴いているので、
必ずしも実演で受ける印象とは一致しない場合もあることは強調しておきたいと思います。
また同じキャストを実演で聴いた場合はできるだけ印象の違いについてもふれていきたいと思います。

さて、Siriusシリーズの記念すべき第一回目は『アイーダ』。
先週土曜日、実演でのザジックの不調に大ショックの私は、軽くリベンジを決意。
ザジックがアムネリスを歌うのはあと二回。今日、10/4と10/16。
席状況も考え、10/16の公演を観にいくことにし、今日はありがたいことにSiriusでの放送があるので、
自宅鑑賞会(聴くだけですが。。)とすることにしました。

今、第二幕が終わって二度目のインターミッション中ですが、
もう、今すぐにでもメトに飛んで行きたいくらいです、まじめに。

ちなみに、そんなことは絶対あるはずがない、と思いつつ、
指揮の大野氏に私の前回の記事を読まれたのではないかと一方的な被害妄想をもったほど、
今日の第一幕、第二幕はきびきびとしていて、よかった!(というか私好み。)
時に、そんなさくさく行って大丈夫ですか?!すっころびませんか!?と思うほどの箇所も、
オケがついていってました。

一幕四場の神殿のシーン、正直言って少し退屈でアイーダの中ではあまり好きなシーンではないのですが、
演奏(歌唱よりもむしろオケの)がよくて今日は聴き入ってしまいました。

それから凱旋の場。頭、少しまた重めか?とほんの一瞬危惧するも、
今日はそこからアクセル全開で、
また歌唱陣がよくがんばっている。っていうか、今日はザジック、調子いいじゃないですかー!!
そして、ブラウンもいい。
ああ、今日観に行くんだった。涙。
ただし、場の後半、ある時点から少し集中力がきれたか、
オケと合唱の演奏・歌唱がやや散漫になった部分があったのが残念。
特に、オケよりも合唱の方で、指揮者のテンポ指示への反応が悪い部分があったのが多少気になりました。

前後しますが、ベルティ。
”清きアイーダ”、ラジオで聴くと歌唱が甘くなっているところがオペラハウスで聴くよりもはっきりと露呈してしまってます。
それと、少し全体的に歌いぶりが平板か?
それにもかかわらず拍手が大きかったのは、やっぱりあのでかい声のせいでしょう、きっと。
しかし、あんなにものすごく大きな声なのに、ラジオで聴くと全然その大きさが伝わらないのがちょっと驚きでした。
ラジオだけ聴いている人はきっと、”え?なんでこの拍手?”と思うかもしれません。

では涙をぬぐって、三幕突入。
このアモナズロを歌うDobberという人は、岩山をのろのろとのぼるあの姿が瞼に焼きついてしまったために、
鈍くさい人、という刷り込みがなされてしまっているのですが、
歌の方も、ラジオで聴いていると、ここ一番声に張りが欲しいところで
空気が抜けていく浮き輪のような。。
エチオピア王なんだから、もう少し力強さがほしいところ。

四幕。
少し、オケ疲れたか、若干の乱れが見られる。
ベルティ、重唱になるとかなり節が微妙になるところも見られました。
(重唱でないところも微妙なところが随所にありましたが。)
重唱でも気をぬかないように!
ザジックは、ラジオで聴く限り、今日は彼女の最高の歌唱には及びませんが、
それでもかなり調子はよかったのではないでしょうか?
全盛期より少し息が続かなくなっている感もありますが
(以前はすべての音に余裕があって、楽々と歌っているような雰囲気がありましたが、
そういう感じがなくなってきてわりとぎりぎりで歌っているように聴こえましたし、
昔は息継ぎなしか、それとはわからないほどさりげない息継ぎだったか、で歌っていたフレーズでも、
はっきりそれとわかる息継ぎが途中で入っている箇所がありました。)
それでもやはり押さえるところは押さえた貫禄の歌唱。
10/16、期待してます。

ラジオのゲストの男性が、インターミッションで、
”ブラウン演じるアイーダは見た目もとってもおしゃれなアイーダ、まさに高級奴隷(upper-class slave)といった雰囲気ですね”
と言ってましたが、まさに歌唱の方もそんな雰囲気。
もう一枚突き抜けるともっとよくなる気もしますが、
この上品さは彼女の持ち味なのでこれからも大事にしていってほしいです。

今シーズンのメトの『アイーダ』の公演は、なんと、みずほコーポレート銀行がスポンサー。
Live at the METのパーソナリティのマーガレット嬢が、
舌をもつれさせながら、”カズシ・オーノ”とか”ミズホ・コーポレート”と言っているのを聞くと、
日本人としてとても誇らしい思い。
これからも大野氏を含むいろんな日本人の方にどんどんメトで演奏して欲しいし、
日本企業のスポンサーがもっと増えてくれるといいな、と思います。

Angela M. Brown (Aida)
Dolora Zajick (Amneris)
Marco Berti (Radames)
Andrzej Dobber (Amonasro)
Carlo Colombara (Ramfis)
Dimitri Kavrakos (The King)
Courtney Mills (A Priestess)
Conductor: Kazushi Ono
Production: Sonja Frisell
SB

***ヴェルディ アイーダ Verdi Aida***