米国はリセッション(景気後退)に向かっているのでしょうか。市場はそう示唆しています。
ダウ工業株30種平均は12日時点で2015年5月につけた過去最高値から12.7%安の水準にあります。安全逃避先としての需要が高い米国債の利回りが低下する一方、高リスク債券の利回りは上昇し続けています。そして、原油価格は約12年ぶりの安値を記録しました。とはいえ、経済指標からはリセッション入りの気配は見受けられません。1月の雇用の伸びは堅調で、雇用主は人員補充に苦労しています。
こうした乖離(かいり)は、調査研究機関コーナーストーン・マクロが発表している二つの指標にはっきりと表れています。株式市場や社債利回りといった金融指標から算出される一つ目の指標によると、米国がリセッション入りする確率は現在50%。しかし、融資延滞率や実質賃金などのマクロ経済指標に基づくもう一つの指標では、この確率はわずか28%です。
当然ながら、市場がリセッション入りを読み誤ることは多いです。しかし、市場の悪化が原因で経済がリセッションに陥る場合もあります。景気は金利や所得など量的要因だけでなく心理の変化によっても左右されるため、景気の転換点は予測できません。この心理に影響を及ぼすのが市場です。企業は市場からのシグナルを手掛かりに投資や雇用の是非を判断するからです。つまり、リセッションの懸念は自己成就的である可能性があるのです。
投資家の心理を圧迫しているのは経済成長や原油価格への懸念だけではなく、政策への不安もあります。米連邦準備制度理事会(FRB)は追加利上げを推し進めるのか。中国は再び人民元の切り下げを実施するのか。英国は欧州連合(EU)を脱退するのか。米国民は既存の経済秩序をひっくり返そうとする大衆主義の大統領を選ぶのか。政策の不確実性が「リスクプレミアム」を生み、それが株価や債券価格を押し下げているのです。
経済に重圧がかかっていることは確かで、輸出低迷やエネルギー設備の受注急減を背景に製造業は明らかにリセッションの状況にあります。カーライル・グループのジェイソン・トーマ氏によると、国内総生産(GDP)に占める設備投資の割合は2008年時点でわずか6%だったのですが、09年にはGDPの減少幅の50%近くが設備投資の落ち込みによるものでした。これは景気循環に影響します。企業は機械設備などの購入を簡単に取り消したり延期したりするからです。一方、住宅や自動車の購入といった個人消費も自由裁量によるものですが、こちらは相対的に堅調さを維持しています。
今のところ、景気全般に関しては腰折れには至っていません。1月の雇用統計では、非農業部門就業者数が前月から15万1000人増加し、平均的な労働者の労働時間が増えたことから全体の週平均労働時間は昨年7月以来の大きな伸びとなってしまいました。また、1月に増加傾向にあった新規失業保険申請件数は2月6日までの週に急減しました。
もちろん、市場の混乱が家計資産の目減りや企業向け融資の減少を招き、経済成長を押し下げる可能性はあります。FRBが10日公表した半期に一度の金融政策報告を見る限り、企業が融資を受けられなくなるような危機が起きている証拠はなく、短期金融市場は正常に機能しています。そして大半の世帯にとって、株安による資産の目減りは昨年の住宅の値上がりほど重大なことではありません。それでも、エネルギー関連企業の社債などの利回りはデフォルト(債務不履行)の可能性だけでは説明がつかないほど大きく上昇しており、銀行は貸出基準を引き締め始めました。
このような金融環境の変化は消費者や企業の動向を大きく変えることにもなり得るのです。スタンフォード大学のロバート・ホール経済学教授は2年前に発表した論文で、従業員を1人雇うことは機械設備を一つ買うようなものだと指摘した上で、将来見込まれる利益を現在価値に割り引く際に用いる「割引率」が、想定されるリスクの増加に伴い上昇すると、そうした投資の利益率は低下すると説明しています。つまり、株価の下落と失業率の上昇はどちらもリスク回避志向の拡大と割引率の上昇を反映しているため、同時に起きることが多いというのです。
相場の下落、心理の悪化、景気低迷は相互に影響し合う可能性があります。そのような悪循環をきっかけにリセッション入りの恐れが生じれば、中央銀行が介入してサーキットブレーカーの役割を担います。しかし最近では、中銀が使える政策手段は限られてきています。
米連邦準備制度理事会(FRB)がまだ非常ボタンを押していないのも無理はありません。米経済が完全雇用に近づく中、FRBは昨年12月の連邦公開市場委員会(FOMC)で政策金利を0.25%引き上げ、2016年に合計1.0%の追加利上げを行う方針を示唆しました。投資家はFRBのイエレン議長が先週の議会証言でこの追加利上げの計画を否定することを期待していましたが、今更驚くことではないものの、そのような判断は「時期尚早」で利上げは「あらかじめ決められた」路線にのっとったものではない、というのが議長の発言だったのです。
それでも、FRBの政策に関して心配なのは、利上げを見送るかということよりもむしろ、必要に応じて利下げに転じなおかつ十分な効果を生むことができるかどうかです。日本銀行は1月29日、欧州中央銀行(ECB)が2014年に実施したようにマイナス金利の導入を決定しました。理論的には、マイナス金利の導入は投資家心理を改善させるはずです。政策金利がゼロに達しても中銀にまだ他の政策手段があることを示しているからです。しかし、投資家は困惑しているようです。マイナス金利は実際に景気支援になるのだろうか。あるいは、単に銀行の利益を圧迫するだけなのだろうかと。
政策をめぐる不透明感がもたらす悪影響は他にもあります。欧州銀行株が大きく売られているのは、一部の銀行を対象に規制当局が資本バッファー維持のために強制的に債券を株式に転換させるのではないか、という株式の希薄化に対する懸念が広がっているからでもあります。皮肉なことに、当局がこうした株式への転換を政策手段の一つに加えたのは、金融危機が起きたときに納税者が支援負担を強いられないようにすることが目的だったのです。しかしエバーコアISIのクリシュナ・グハ氏は、政策効果は「景気循環を増幅させる」もの、つまり景気への負荷を緩和させるどころか増大させるものだと指摘します。株式市場で狙い撃ちされている銀行は融資に消極的になりやすいのです。
その上、今年は政治的不透明感も薄れるどころか深まる見通しです。まず、英国が欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票を実施する公算が大きいのです。英国がEU脱退を決めれば、スコットランドが住民投票で英国からの独立を図るかもしれません。米国では、大統領選の候補者氏名争いの第2戦となる9日のニューハンプシャー州予備選で、共和党は富豪の実業家ドナルド・トランプ氏が、民主党はバーニー・サンダース上院議員が勝利を収め、11月の本戦で革新的な経済改革を公約に掲げる大衆主義の大統領が選出される可能性があります。
コーナーストーン・マクロの政治アナリスト、アンディ・ラペリエール氏は「(米大統領)選挙が極端な結果になれば株式市場にとって大きなリスクが生じるが、投資家はその可能性を排除できない」と言います。(ソースWSJ)
ダウ工業株30種平均は12日時点で2015年5月につけた過去最高値から12.7%安の水準にあります。安全逃避先としての需要が高い米国債の利回りが低下する一方、高リスク債券の利回りは上昇し続けています。そして、原油価格は約12年ぶりの安値を記録しました。とはいえ、経済指標からはリセッション入りの気配は見受けられません。1月の雇用の伸びは堅調で、雇用主は人員補充に苦労しています。
こうした乖離(かいり)は、調査研究機関コーナーストーン・マクロが発表している二つの指標にはっきりと表れています。株式市場や社債利回りといった金融指標から算出される一つ目の指標によると、米国がリセッション入りする確率は現在50%。しかし、融資延滞率や実質賃金などのマクロ経済指標に基づくもう一つの指標では、この確率はわずか28%です。
当然ながら、市場がリセッション入りを読み誤ることは多いです。しかし、市場の悪化が原因で経済がリセッションに陥る場合もあります。景気は金利や所得など量的要因だけでなく心理の変化によっても左右されるため、景気の転換点は予測できません。この心理に影響を及ぼすのが市場です。企業は市場からのシグナルを手掛かりに投資や雇用の是非を判断するからです。つまり、リセッションの懸念は自己成就的である可能性があるのです。
投資家の心理を圧迫しているのは経済成長や原油価格への懸念だけではなく、政策への不安もあります。米連邦準備制度理事会(FRB)は追加利上げを推し進めるのか。中国は再び人民元の切り下げを実施するのか。英国は欧州連合(EU)を脱退するのか。米国民は既存の経済秩序をひっくり返そうとする大衆主義の大統領を選ぶのか。政策の不確実性が「リスクプレミアム」を生み、それが株価や債券価格を押し下げているのです。
経済に重圧がかかっていることは確かで、輸出低迷やエネルギー設備の受注急減を背景に製造業は明らかにリセッションの状況にあります。カーライル・グループのジェイソン・トーマ氏によると、国内総生産(GDP)に占める設備投資の割合は2008年時点でわずか6%だったのですが、09年にはGDPの減少幅の50%近くが設備投資の落ち込みによるものでした。これは景気循環に影響します。企業は機械設備などの購入を簡単に取り消したり延期したりするからです。一方、住宅や自動車の購入といった個人消費も自由裁量によるものですが、こちらは相対的に堅調さを維持しています。
今のところ、景気全般に関しては腰折れには至っていません。1月の雇用統計では、非農業部門就業者数が前月から15万1000人増加し、平均的な労働者の労働時間が増えたことから全体の週平均労働時間は昨年7月以来の大きな伸びとなってしまいました。また、1月に増加傾向にあった新規失業保険申請件数は2月6日までの週に急減しました。
もちろん、市場の混乱が家計資産の目減りや企業向け融資の減少を招き、経済成長を押し下げる可能性はあります。FRBが10日公表した半期に一度の金融政策報告を見る限り、企業が融資を受けられなくなるような危機が起きている証拠はなく、短期金融市場は正常に機能しています。そして大半の世帯にとって、株安による資産の目減りは昨年の住宅の値上がりほど重大なことではありません。それでも、エネルギー関連企業の社債などの利回りはデフォルト(債務不履行)の可能性だけでは説明がつかないほど大きく上昇しており、銀行は貸出基準を引き締め始めました。
このような金融環境の変化は消費者や企業の動向を大きく変えることにもなり得るのです。スタンフォード大学のロバート・ホール経済学教授は2年前に発表した論文で、従業員を1人雇うことは機械設備を一つ買うようなものだと指摘した上で、将来見込まれる利益を現在価値に割り引く際に用いる「割引率」が、想定されるリスクの増加に伴い上昇すると、そうした投資の利益率は低下すると説明しています。つまり、株価の下落と失業率の上昇はどちらもリスク回避志向の拡大と割引率の上昇を反映しているため、同時に起きることが多いというのです。
相場の下落、心理の悪化、景気低迷は相互に影響し合う可能性があります。そのような悪循環をきっかけにリセッション入りの恐れが生じれば、中央銀行が介入してサーキットブレーカーの役割を担います。しかし最近では、中銀が使える政策手段は限られてきています。
米連邦準備制度理事会(FRB)がまだ非常ボタンを押していないのも無理はありません。米経済が完全雇用に近づく中、FRBは昨年12月の連邦公開市場委員会(FOMC)で政策金利を0.25%引き上げ、2016年に合計1.0%の追加利上げを行う方針を示唆しました。投資家はFRBのイエレン議長が先週の議会証言でこの追加利上げの計画を否定することを期待していましたが、今更驚くことではないものの、そのような判断は「時期尚早」で利上げは「あらかじめ決められた」路線にのっとったものではない、というのが議長の発言だったのです。
それでも、FRBの政策に関して心配なのは、利上げを見送るかということよりもむしろ、必要に応じて利下げに転じなおかつ十分な効果を生むことができるかどうかです。日本銀行は1月29日、欧州中央銀行(ECB)が2014年に実施したようにマイナス金利の導入を決定しました。理論的には、マイナス金利の導入は投資家心理を改善させるはずです。政策金利がゼロに達しても中銀にまだ他の政策手段があることを示しているからです。しかし、投資家は困惑しているようです。マイナス金利は実際に景気支援になるのだろうか。あるいは、単に銀行の利益を圧迫するだけなのだろうかと。
政策をめぐる不透明感がもたらす悪影響は他にもあります。欧州銀行株が大きく売られているのは、一部の銀行を対象に規制当局が資本バッファー維持のために強制的に債券を株式に転換させるのではないか、という株式の希薄化に対する懸念が広がっているからでもあります。皮肉なことに、当局がこうした株式への転換を政策手段の一つに加えたのは、金融危機が起きたときに納税者が支援負担を強いられないようにすることが目的だったのです。しかしエバーコアISIのクリシュナ・グハ氏は、政策効果は「景気循環を増幅させる」もの、つまり景気への負荷を緩和させるどころか増大させるものだと指摘します。株式市場で狙い撃ちされている銀行は融資に消極的になりやすいのです。
その上、今年は政治的不透明感も薄れるどころか深まる見通しです。まず、英国が欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票を実施する公算が大きいのです。英国がEU脱退を決めれば、スコットランドが住民投票で英国からの独立を図るかもしれません。米国では、大統領選の候補者氏名争いの第2戦となる9日のニューハンプシャー州予備選で、共和党は富豪の実業家ドナルド・トランプ氏が、民主党はバーニー・サンダース上院議員が勝利を収め、11月の本戦で革新的な経済改革を公約に掲げる大衆主義の大統領が選出される可能性があります。
コーナーストーン・マクロの政治アナリスト、アンディ・ラペリエール氏は「(米大統領)選挙が極端な結果になれば株式市場にとって大きなリスクが生じるが、投資家はその可能性を排除できない」と言います。(ソースWSJ)