それは政治の世界では昔からよくある話です。有権者が怒り、その感情を政治的エスタブリッシュメント(主流派)にぶつけるという構図です。カリフォルニア州の市民は2003年、グレイ・デービス知事(民主党)の再選から1年もたたないうちに同知事の解任(リコール)運動を始めた。同州では過去にリコールが成立したことはなかったが、そのときは成功の望みがありました。
後任として立候補した1人が映画界のスーパースター、アーノルド・シュワルツェネッガー氏だった。同氏はシステム刷新を約束するアウトサイダーでした。自らを共和党員だと述べていたが、その人気は党とは全く関係ないものでした。
シュワルツェネッガー氏の映画を見ていたカリフォルニア州民は、「自分は決して買収されない」という彼の大見得に魅了されたのです。選挙で選ばれた人々、つまりプロの政治家が多く出馬するなかで、シュワルツェネッガー氏は瞬く間にフロントランナーになりました。
このカリフォルニア州でのリコール選挙を、2016年の共和党の大統領候補指名争いになぞらえたい気持ちになります。つまり、シュワルツェネッガー氏をドナルド・トランプ氏の先例とみる気持ちです。だが、そこには重要ないくつかの違いがあります。
シュワルツェネッガー氏は、映画「ターミネーター」で主演を務めたボディビルの元世界王者だが、政策を好み、納得がいくまで争点を理解しようとしました。選挙陣営のアドバイザーたちは個別指導の機会を設け、エネルギー、財政、労働問題や教育について特訓を行ったのです。陣営は全米各地のシンクタンク関係者や専門家を集めました。その中には、富豪投資家のウォーレン・バフェット氏やニクソン・レーガン両政権で閣僚を務めたジョージ・シュルツ氏も含まれていました。これらの「講義」は、ピート・ウィルソン元加州知事の側近だったジョー・ロドタ氏が中心になって実施されたもので、「シュワルツェネッガー大学」と呼ばれました。
学生であるシュワルツェネッガー氏は講義内容をどんどん吸収していきました。同氏のジム通いに敬意を表し、側近たちはブリーフィングペーパーの文字サイズを大きくして印刷しました。トレッドミルで走っている最中でも読めるようにするためです。
ロドタ氏はインタビューで、「彼は準備と向上に熱心だった。そのアプローチは候補者としてのゲームでトップにならなければならないというものだった」と話していました。
シュワルツェネッガー氏は集会で、トゥイステッド・シスターのヒット曲「We’re Not Gonna Take It(もう我慢しない)」を流していました。ちなみに、トランプ氏もこの曲を流しています。
しかし、2人のアプローチは違います。トランプ氏は、自らの説明によれば、主要な政策論争で直感に頼ることがしばしばです。一方、シュワルツェネッガー氏は一般の認識とは対照的に、政策の細部に深く入り込むのを好みました。
03年のシュワルツェネッガー氏の選挙活動に関わった共和党系の政治コンサルタント、ロブ・スタッツマン氏は、「アーノルド(シュワルツェネッガー氏)は争点を学ぶことに専念していた。リコール運動が突然に起こったため、彼は選挙運動をしながら勉強と準備をしなければならなかった。トランプ氏は、もし本当にこれ(選挙運動)をする気があったのなら、何年もかけて準備ができたはずだが、していないのは明らかだ」と指摘しています。
リコールは成功しました。有権者はデービス知事を引きずり下ろし、シュワルツェネッガー氏を新知事に据えたのです。06年には同氏は再選を果たしました。しかし有権者は、同氏の任期が終わると、後任として究極のインサイダーであるジェリー・ブラウン氏を選出しました。カリフォルニア州は有名人のアウトサイダーにはもう飽きたかのように見えました。
地元紙サクラメント・ビーの論説委員ダン・モレイン氏は、「シュワルツェネッガー氏が有能で聡明(そうめい)な人物だったことに疑いはない。しかし、ジェリー・ブラウン氏が備えていたさまざまな政治経験を持っていなかった」と述べています。そして、「ブラウン氏は州知事と市長の経験があり、州の司法長官を務めた。そして再び州知事になった。彼はカリフォルニア育ちだ。(州知事職というのは)まさにブラウン氏のすべき仕事だ。ブラウン氏ほど州政府を知る人は他にいない。それが彼の強みになった」と付け加えています。
シュワルツェネッガー氏は政界を離れました。そして、トランプ氏が司会を務めたテレビ番組「アプレンティス」で、後任の司会を務めます。彼はトランプ現象についてどう考えているのだろうか。
シュワルツェネッガー氏は取材要請を断わりましたが、先週末の行動に手掛かりがありました。何カ月間も表舞台に登場していませんでしたが、先週末はオハイオ州にいました。それは、現在残っている4人の共和党大統領候補の1人、ジョン・ケーシック氏の応援のためでした。(ソースWSJ)
後任として立候補した1人が映画界のスーパースター、アーノルド・シュワルツェネッガー氏だった。同氏はシステム刷新を約束するアウトサイダーでした。自らを共和党員だと述べていたが、その人気は党とは全く関係ないものでした。
シュワルツェネッガー氏の映画を見ていたカリフォルニア州民は、「自分は決して買収されない」という彼の大見得に魅了されたのです。選挙で選ばれた人々、つまりプロの政治家が多く出馬するなかで、シュワルツェネッガー氏は瞬く間にフロントランナーになりました。
このカリフォルニア州でのリコール選挙を、2016年の共和党の大統領候補指名争いになぞらえたい気持ちになります。つまり、シュワルツェネッガー氏をドナルド・トランプ氏の先例とみる気持ちです。だが、そこには重要ないくつかの違いがあります。
シュワルツェネッガー氏は、映画「ターミネーター」で主演を務めたボディビルの元世界王者だが、政策を好み、納得がいくまで争点を理解しようとしました。選挙陣営のアドバイザーたちは個別指導の機会を設け、エネルギー、財政、労働問題や教育について特訓を行ったのです。陣営は全米各地のシンクタンク関係者や専門家を集めました。その中には、富豪投資家のウォーレン・バフェット氏やニクソン・レーガン両政権で閣僚を務めたジョージ・シュルツ氏も含まれていました。これらの「講義」は、ピート・ウィルソン元加州知事の側近だったジョー・ロドタ氏が中心になって実施されたもので、「シュワルツェネッガー大学」と呼ばれました。
学生であるシュワルツェネッガー氏は講義内容をどんどん吸収していきました。同氏のジム通いに敬意を表し、側近たちはブリーフィングペーパーの文字サイズを大きくして印刷しました。トレッドミルで走っている最中でも読めるようにするためです。
ロドタ氏はインタビューで、「彼は準備と向上に熱心だった。そのアプローチは候補者としてのゲームでトップにならなければならないというものだった」と話していました。
シュワルツェネッガー氏は集会で、トゥイステッド・シスターのヒット曲「We’re Not Gonna Take It(もう我慢しない)」を流していました。ちなみに、トランプ氏もこの曲を流しています。
しかし、2人のアプローチは違います。トランプ氏は、自らの説明によれば、主要な政策論争で直感に頼ることがしばしばです。一方、シュワルツェネッガー氏は一般の認識とは対照的に、政策の細部に深く入り込むのを好みました。
03年のシュワルツェネッガー氏の選挙活動に関わった共和党系の政治コンサルタント、ロブ・スタッツマン氏は、「アーノルド(シュワルツェネッガー氏)は争点を学ぶことに専念していた。リコール運動が突然に起こったため、彼は選挙運動をしながら勉強と準備をしなければならなかった。トランプ氏は、もし本当にこれ(選挙運動)をする気があったのなら、何年もかけて準備ができたはずだが、していないのは明らかだ」と指摘しています。
リコールは成功しました。有権者はデービス知事を引きずり下ろし、シュワルツェネッガー氏を新知事に据えたのです。06年には同氏は再選を果たしました。しかし有権者は、同氏の任期が終わると、後任として究極のインサイダーであるジェリー・ブラウン氏を選出しました。カリフォルニア州は有名人のアウトサイダーにはもう飽きたかのように見えました。
地元紙サクラメント・ビーの論説委員ダン・モレイン氏は、「シュワルツェネッガー氏が有能で聡明(そうめい)な人物だったことに疑いはない。しかし、ジェリー・ブラウン氏が備えていたさまざまな政治経験を持っていなかった」と述べています。そして、「ブラウン氏は州知事と市長の経験があり、州の司法長官を務めた。そして再び州知事になった。彼はカリフォルニア育ちだ。(州知事職というのは)まさにブラウン氏のすべき仕事だ。ブラウン氏ほど州政府を知る人は他にいない。それが彼の強みになった」と付け加えています。
シュワルツェネッガー氏は政界を離れました。そして、トランプ氏が司会を務めたテレビ番組「アプレンティス」で、後任の司会を務めます。彼はトランプ現象についてどう考えているのだろうか。
シュワルツェネッガー氏は取材要請を断わりましたが、先週末の行動に手掛かりがありました。何カ月間も表舞台に登場していませんでしたが、先週末はオハイオ州にいました。それは、現在残っている4人の共和党大統領候補の1人、ジョン・ケーシック氏の応援のためでした。(ソースWSJ)
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