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来るべき「誰でもピカソ」時代

2007-06-01 18:48:52 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月


今日は「電波の日」でもあり、エントリもそれにちなんで「ゆんゆん」してみました。
まぁ、今日は同時に「写真の日」でもあるし、また展示に重要な変更があったりもしたのですけど、それはまた別の日に送ります。



さて、今日は月初ということで作業の進捗状況を確認したり、今後の方針などを話し合ったが、思ったよりも時間がかからなくて助かった。



まぁ、打ち合わせの後はお決まりの雑談になるのだが、著作権がらみのきな臭いあれこれや、麻生外相のぶち上げた国際マンガ賞(正式表記は国際漫画賞)なんかが話題に上る。とはいえ、自分らが現在手がけているような美少女ゲームは、お上から目の敵にされるようなことがあっても顕彰されるようなことは全く無いし、それどころか「第1回国際漫画賞実行委員会」メンバーに名を連ねている浜野保樹という変節漢なんかは、ゲームを目の敵にし始めているぐらいだから、まぁやっかみ半分の冷やかし半分といったところだったけどね。



むしろこのような賞が創設されることによって、これからはオタク産業へ進出する個人や企業がますます増え、競争が激化することを迷惑がる空気さえあった。まぁ、企業のほうは収益が上がらなければさっさと撤退するか、あるいは倒産するだけだからいいとして、問題は個人のオタク作家志望者たちとどのように向き合うかであろう。



というのも、人種に出自、性別や性的志向、あるいは貧困等によって社会の主流から排除された人々の多くは、ほとんど無資本で自由に参入できるアートやエンターテイメントセクタへ流入する傾向があり、その一環としてオタク産業への流入が予想されるからだ。もちろん、全てがアートやエンターテイメントセクタへ流入するのではなく、スポーツや政治セクタ、軍事セクタ、宗教セクタも一定数の人々を吸収する。
だが、これらのセクタは競技成績や選挙、部隊の定員、あるいは宗教的戒律などによって、ある程度以上の流入規制が存在しており、そこからもあふれた人々は私的もしくは公的な援助に頼るか、悲惨な場合は犯罪に走るか路上生活を余儀なくされることとなる。



日本においても、アートやエンターテイメントセクタが多くの性的少数者在日コリアンを吸収してきたのは公然の事実であり、スポーツや政治セクタ、宗教セクタも同様で、軍事セクタの代わりにパチンコ産業を設定すれば、諸外国と同様の事態が発生しているといえよう。その上、恐ろしいことに今後は家族や社会の援助余力が急速に減少するのは確実であり、両親などが養っていた若年無職層や、公的支援でなんとか息をつないでいた貧困層もまた、アートやエンターテイメントセクタへ関心を向けることは明らかといえよう。



もちろん、アートやエンターテイメントセクタで成功する確率なんぞ宝くじに当たるよりもさらに小さく、しかも宝くじを買うよりもはるかに大きな労力と時間を必要とするのだが、それでも「当たれば人生イッパツ逆転」という魅力に惹かれる人は少なくないと断言できる。



つまり、まもなく「誰でもピカソ(を目指さないと喰っていけない)時代」が到来するのだ。



では、その「誰ピカ時代」が天から降ってくる前に、自分たちは何をなすべきかというと…



ちょっとココではいえないぬぅw



ただ、逆に「やってはならない」ことは、非常にはっきりしていると思う。
具体的には、他山の石というか反面教師にすべき事例として、某掲示板で「勝利宣言」としてあざけりの対象となっていた、次のような文章を周囲の人々へ紹介した(引用部は斜体表記、元ねたはこちら)。
この文章はとある個人のサイトで公開しているものだが、文章自体がある種のテンプレートといえるほどありふれたものであり、既に高い社会的評価を得ている芸術の周辺に存在する人々の、オタクをはじめとするサブカル関係者に対する「WEBでの態度」として非常に一般的だと思われたので、この場にも引用させていただいた。



あ、そういえば、昔から時計でも弓でも写真でも度々*ちゃんネタにされてたり攻撃されてますが、私はそういったのに全然興味ないので 何処~で書かれてたよ~ といった様なご報告は無用ですよ~
私は*ちゃんは一切みませんし、ブログとかも自分で情報を求めて検索してみる事はあっても他の意図?で読みに行く事もしない人間なもんですから、、、
そもそも、ネットでのそういったものというのは僻み妬みが根本ですから、読むに値しませんし、それにいちいち反応する価値もありません。
ゴチャゴチャ書いたところで、所詮は僻み妬みでしょ の一言で片付いてしまう事に時間を割く事の無意味さを承知しておりますから、、



仕事柄色々と著名な方と交友させていただいてますが、皆さんそういった事の対処は同じです、、
能力の無い人の僻み妬みに付き合う暇があったら己を磨く事に時間を割く と、、



まぁ、そんな事はどおでもいいんですが、度々書いている様に、私自身まるで興味ないのでご連絡は必要ありません~~
私の成りすましも居たりしますけど、、 自分にとってその他大勢の存在の方にどう思われようがどおでもいいですし、私を知ってる人は成りすましかどうかはすぐ判ってくれますので、放置してます、、
ネット上でいくら文章を書きなぐったところで、リアルの 己の技量 がなければ空しいだけです。



この文章において「僻み妬み」がひとつのキーワードになっているが、確かにこの文章を書いた人物が攻撃されたのは「僻み妬み」によるものであり、その点についての認識は間違っていないといえよう。しかし、その「僻み妬み」は決して文章を書いた人物の「才能や業績」に向けられたものではなく、文章を書いた人物が自慢げに語っている「己の経済的文化的資産」であり、さらにそれらの資産を「さしたる努力もせずに親から受け継いだのではないか?」という疑念を呼び起こしたことが、多くの人々からの「僻み妬み」を買ったのだ。



ぶっちゃけ、この文章を書いた人物は「自らが銀の匙をくわえて生まれてきたことを自慢していた」ように受け止められ、そして当然のように「僻み妬み」によって攻撃されたというわけだ。



また、この文章を書いた人物は、自身の才能や業績をほとんど公開しておらず、たとえ一部に公開していたとしても、それは「僻み妬みのあまり攻撃している人々に全くといってもいいほど届いていない」のだ。特に致命的だったのは。非常に不用意な形で「コスプレの芸術的な魅力に気づいている人は少ないが、自分はその魅力を理解している」という趣旨の発言をしたことらしく、にもかかわらず当事者たちから「あんまりコスプレのことわかってナイっぽい」と判断されたため、実力とは無関係に「口だけの人」というイメージが流通することとなったそうだ(伝聞情報)。



それに加えて、この文章を書いた人物の基本スタンスは「私は優れた文化的教養を持っており、よいものと悪いものを見抜く力を持っているから、間違った作品を称揚したりマナーの悪い『自称写真家や作家連中』には容赦なく筆誅を加える」という、極めて悪い意味で評論家的なものとなっている。



もちろん、ここまであからさまに読み手の反感を買うような文章だけをピックアップすれば、誰しも「こういうことはしない」と思うだろうが、自分はそれほど単純なものではないと考えている。というのも、この文章を書いた人物が「高い文化的経済的資産」をもっている、つまり、まず自身が優れた知識と教養をもち、同時に同レベルかそれ以上の知識や教養を備えた人々とのネットワークもあり、さらにその優れた知識や教養にふさわしい高価な機材や制作環境を手にしていることは間違いない。



つまり、この文章を書いた人物の「優れた文化的教養を持っており、よいものと悪いものを見抜く力を持ってい」という自己認識は、恐らく十分な根拠を持っているであろうということなのだ。



では、なにが問題となったのかというと、ここにおいて問題となったのは「この文章を書いた人物の才能や業績が、その人物を攻撃している人々へ伝わらなかったか、あるいは理解できなかった」ことではないかと思う。



これは非常に危険なことで、自らの才能や業績をきちんと伝え、ある意味では「受け手を圧倒し続け」ない限り、常に攻撃されるリスクを伴うということではなかろうか?



少なくとも、自分たちは美少女ゲームというジャンルで業務として製作活動に携わっており、その段階で既に受け手より上位の存在である。そのうえ、個人としても既にオタクとして相応の年季をつんであり、蓄積がものをいうオタク世界においては、比較的強い立場いるのだ。特に自分たちが先に生まれて「オタクとしての経験を積んでいる」という部分は、問題の文章を書いた人物が裕福な家に生まれて文化的に優れた環境に育ったことと同じぐらい、ある種の僻み妬みを刺激する要素となりえる(ガンダムの「本放送見た自慢」すると激しく嫌われるようなものだ)。



自分たちにしても、最初に触れた国際漫画賞に対してやっかんでいるし、これが切羽詰った状況で「ゲームにかけるしか人生を拓くすべは無い」と思いつめた若いオタクなら、もっと激しい反応があっても不思議ではないだろう。



たとえ衆目が認める才能や業績があったとしても、異なる世界の住人や知識と経験が不足している後輩の言動に対して、ただ一方的に「僻み妬み」と決め付けるのは、控えめに言っても傲慢なこととみなさざるを得まい。まして、その才能や業績がきちんと伝わっていなかったなら、むしろ「僻み妬み」と決め付けた方が人間的な問題を抱えているとすらいえよう。



そのことをよくわきまえ、不用意に自らの価値観を自明としたり、あまつさえ上からものを言うような言動は決してしないよう、日々自らを戒めていかねばならないと思う。



といいつつ、そろそろ始まるサッカーが気になって仕方ないぬぅ


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