Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

まだ作品じゃない

2006-02-28 23:52:07 | 業務関連

今日、先日流れた撮影を行った。


天気はいまいちで、気温も低かったのだが、撮影そのものは思いのほか順調に進んだ。
途中の休憩時間で、思いもよらず電気用品安全法の話になり、スタッフの親しい演奏家やオーディオ愛好者が困っていることなどを聞かされる。
自分自身は参加していないのだが、既に販売されている製品、中古品については自由に流通できるよう、法の改正を求めて活動している人々もいると、いくつかのサイトやブログなどを紹介させていただく。


いろいろあって、自分自身はこういう社会的な活動に懲りているのだが、個々人が趣味を守るために活動するのは立派なことだと思うし、可能ならば多少なりとでも応援していきたいとすら思う。
事実、この問題は写真方面にも多大な影響を及ぼすのだが、写真方面の動きはお世辞にも敏感といえないアタリ、いささか情けない思いすらある。
それどころか、常々写真の文化性、芸術性を力説しつつ、感材が製造中止となった際には「日本と違って欧米では写真は文化として、芸術として認知されていますから、そういう文化意識・哲学を持つメーカーというのは多々ある」から大丈夫などと高らかに宣言していた御仁ですら、今回の騒動については「パワーアンプとかキーボードとかミキサーとか暴落してくれないかな~~~~」などと、はげたか根性丸出しのさもしい発言をするような有様だから、他ジャンルの方々から「写真関係者のお里が知れた」などと揶揄されても仕方ないだろう。


少なくとも、そういう御仁がいるからこそ「欧米と違って日本では写真が文化として、芸術として認知されていないし、そういう文化意識・哲学を持つメーカーも存在しない」というのは、ちょっと言い過ぎなのだろうか?


とまぁ、ちょっとやさぐれ気分で帰宅し、サッカーを見始めたのだが…


終わりよければ全てよし


現像バットの日々

2006-02-25 23:37:45 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

今日の撮影は中止。




というわけで、不意に休みをもらったのだが、気持ちはすっかり仕事モードだったので、ちょっともてあましてしまう。まぁ、実際には中止じゃなくて、スタッフの都合で急遽撮影の順番を入れ替えなければならなくなってしまい、自分の撮影順を譲ったということなのだ。


現在、自分が仕事をさせていただいているチームは、今でもなお銀塩主体という、ちょっと(というか、かなり)珍しい現場である。チームのスタッフに言わせると、写真をデジタル化する目的は編集工程でのハンドリングを容易にし、印刷工程で低価格の処理を可能にするためで、それ以外のクオリティコントロール的な意味はまったくないそうだ。彼らにしてみれば、純粋に画像としての品質は銀塩のほうが圧倒的に優れているのだから、コストや印刷工程とは無縁であるはずの作家が、作家的必然性もないのに品質低下を伴うデジタル化を推進するのは疑問ということになるし、自分も基本的には同意見ではある。
ただ、商業出版の現場で今後も銀塩主体の方針を貫けるのかというと、正直に言ってそれはかなり疑問だし、おそらくこのチームとの仕事は最後の銀塩現場になるのだろうね。


とまぁ、そういう話はさておくとして、せっかくいい天気だし、気持ちも程よく盛り上がっていたので、適当に家事を済ませて自分用の撮影に出かける。


今日は四谷から信濃町を経由して、新宿方向へ抜けるルートを選択したのだが、外苑が近くなってくると国立方面がやけに騒がしい。
どっかで聞いたことのあるリズムというか、こういう日に国立が騒がしい理由はただひとつ。


もちろんサッカーである。


当初の予定は仕事だったので、今日の試合はすっかり頭から消し去っていたのだが、浦和ソングが聞こえた瞬間から、やっぱり「家でテレビ観てればよかったかも」と後悔し始める。とはいえ、こんな大事な試合のチケットがあまってるはずもなく、またそういうつもりで来てもいないので、気持ちだけ競技場において撮影を続行。
といいつつ、なんかちょっと癪に障るので、知人数名に「飯でもどうよ」メールを飛ばして、とりあえず憂さを晴らす。


とりあえずフィルム4本(58カット)撮影し、新宿で一休みしていると、知人から返信あり、お茶だけならOKということになる。
知人の都合もあって南新宿で合流となったのだが、真っ赤な格好でものすごいハイテンション。


おまえ、あそこ(国立)にいたな!


聞くと、夜は赤羽で「お祝い」をするから、茶を飲んだ後は池袋で解散となる。
まぁ、いいや。
たまたま、ものすごく大好きなチェーンのバールを見つけていたので、そこで軽く食事でもと思ったら、シチューは渋谷本店だけかいな…
まぁ、いいや。
呼び出した手前、知人の分も持つのだが、初手からビール&ソーセージですか…
もぅ、いいや。


でまぁ、当然ながら試合の経過を聞くことになるのだが、どう考えても面白い試合だったようで、ますます癪に障ってきた。
そのため、かなり無理やり話を変える。
でまぁ、知人は某有名大の現役学生で、家庭教師のバイトもしているから、気がつくと「受験産業」の話になったのだが、その流れで塾講師の勤務実態が劣悪なことを聞かされる。
なにしろ、今日から「2次試験」が始まるそうだが、塾の講師ともなれば受験会場への送り迎えは必須で、それどころか合格祈願のお参りやら合格グッズの手配まで、学習とは無関係の雑事までこなさなければならなくなるから、ぶっちゃけやってられないものらしい。しかも、そういう「どうでもいいこと」は全て「サービス残業」で、合格グッズは「講師の自腹」だなんて、部外者にとっては異常事態としか思えないことが堂々とまかり通っているらしい。
まぁ、そういう「馬鹿らしいしきたり」につき合わされるのは、たいてい教員資格を持たない非学生の「おじさんフリーター講師」で、知人に言わせると「塾の講師しか出来ない人たち」だそうだから、なんちゅうかまぁもにょもにょって感じですね。しかも、有名大学の学生にしてみれば、低賃金で長時間労働を強いられている年長の平講師は軽蔑の対象でしかないらしく、何度も「あぁいう大人にだけはなりたくない」と繰り返すのだが、聞いてるこっちが切なくなっちゃったよ。
モーレツ社員の流れがまだ残っているのは出版とオタク業界ぐらいかと思っていたが、教育現場もそうだったのねぇ~


薄気味悪い朝食

2006-02-24 23:35:44 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月
そろそろ、展示の準備に本腰を入れなければならないので、各方面に機材の手配などをお願いし始める。






とりあえず、現段階では特に大きな問題が発生していないものの、計算してみると余裕がほとんどないことがわかる。
本来なら「最悪の事態」に備えて、なにか予防策を講じておかねばならないのだろうが、時間的にも資金的にもそんな余裕は全くないので、後はただ祈るほかないねぇ~

夜には知人と合流し、世間話などしつつ夕食を共にする。
知人はデザイン関連が専門なので、スキャナに関するアレやコレやをいろいろと教えてもらうが、どうやらいろいろなことを根本から誤解していたらしく、やっぱり付け焼刃はろくなことがないと、いまさらのように思い知らされる。
自分は写真関係者とイラストレーター、そして印刷関係者からスキャナに関する情報を得ていたのだが、知人に言わせると「写真関係者の言うことは聞いても意味がない」そうだ。ちょっとショックだったが、自分でも写真関係者の発信している情報には首を傾げたくなるような部分もあり、過剰にスペックばかり気にしているような節も見受けられたので、気持ちとしては大いにシンパシーを感じてしまった。

ただし、印刷関係者は「出来るだけ軽くてハンドリングしやすいデータにしてほしい」という気持ちが見え隠れするし、大半のイラストレーターは画像の鮮鋭度もグラデーションの幅も、色彩空間の大きさ、階調のなだらかさにいたるまで、実写より「はるかに鈍く、狭く、小く、段階的ですむ」ため、こちらの要求する性能は単なるオーバースペックとしか思えないという問題がある。

とまぁ、こんな調子で総合的に判断すると、紙焼きから民生用の普及機でスキャンして、自分で納得のいくようにオペレートするのがよいということになったのだが…

だったら銀塩でもえぇやん!

ということで、また振り出しに戻ってしまった、ある寒い雨の夜でした。

デウス・エクス・マキネッテ

2006-02-22 23:53:33 | 業務関連

今日はのんびりサッカーを観た。
愉快である。


 


 とはいえ、愉快になったのはここ数時間かそこいらのお話で、朝から昼過ぎまでは絶不調といっても過言ではなかった。
久々にいい天気で、しかもやたらぬくいから、とりあえず布団干して洗濯して、ちょっくら撮影にでも行こうかと思っていたのだが、なんだか妙に気が乗らないやら、洗濯物が偏って洗濯機が止まってたやらで、モチベーションは下がりまくり。


こういうときに「女神とか天女とか、突然天から舞い降りてこないかなぁ~?」なんて腐れたオタクみたいなことを考えてしまうのが、自分の人間としてだめなところなんだけど、まぁほかにもだめなところはいっぱいあるからいいや。
とかなんとか言ってると、珍しく社長が事務所に来るという。こりゃ夕方までにネタをひねり出さないとまずいってことになったんだけど、こういうときはほんとになにやってもだめだね。しょうがないので、ちょっと食事のついでに気分転換とかなんとか、無理やりこじつけて近所をチョコチョコ撮影してみるのだが、もちろんそんな調子でうまくいくはずもない。結局、フィルム1本無駄にしたようなもんだね。
いや、無駄にしたどころじゃないかも…
過去撮影分を再検討した段階で、どれだけ近所をたらたら撮影しても、肯定的な結果はもたらさないことは十分に理解できていたはずだし、仕事の合間にチョコチョコ撮影してもいいことはないなんて、それこそ何度も何度も経験していたわけだから、カメラをいじって悦に入っていただけといわれても仕方ないだろうなぁ~
カメラをいじって喜ぶだけだったら、フィルムなんか使わずに空シャッター切ってればよかったし、そもそもそのほうが地球に優しい(笑)
まぁ、機材に淫するなんてのは撮影者として以前に、人間としてのステージを下げるようなもんだから、ほんとに気をつけようっと…


とまぁ、こんな調子だったので、ネタのひとつも思い浮かばないまま、社長を迎える羽目に陥るわけだ。
ネタといえば、いつかマキナつかってみたいけど、あれってやっぱ難易度高いよね。
自分なんかがマキナ使ったら、二重の意味で全否定されるんだろうねぇ~
でも、人気作品には意外とマキナ落ちが多くって、ちょっとびっくり。実はCATSとかそうだし、初代ウルトラマンもそうだったな。
だいたい、オタクってマキナすきなんだよね、超絶的ななにかにあこがれるというか、作家のエゴやわがままに寛容というか。ぶっちゃけ、キャラが立ってたらちゃぶ台返しもありだし、社長もマキナ好きだから割と行けるかも、なんて思いつつ、思うだけでやめるのは大人の証だね。


ネタはともあれ、社長がポケットマネーでスキャナを買ってくれたおかげで、作業が一気に進んじゃったのはびっくり。
民生用の低価格スキャナのくせに、当座の役にはそれで十分ってのが、まぁなんともかんともでんな。
なんの伏線もなく機械が登場し、揉め事一気に解決なんて、それこそマキナねたかいな。


なんてぼやいててもしょうがないし、スポーツニュースでゴールシーンでも見るか。
あ、怪奇大作戦が始まった。


4×5の迷宮

2006-02-21 23:40:42 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

確定申告を出し、検討用プリントを再チェックしたら日が暮れた。


 まぁ、展示作品そのものは既に決めているので、再チェックといっても保険的な意味だった。だが、過去撮影分は保険にもならないことを、改めて思い知らされる。かつては、過去に撮影したカットをファイルしなおして、ライブラリにでもしておこうかなんて、のんきなことを考えてもいたのだが、そんなことをしている場合じゃないね。
ぶっちゃけ、ネガだけ残して廃棄するほかはないだろうな。


また、仕事の後で量販店に立ち寄り、最終段階で必要な品々をチェックしたのだが、当初予想の倍近い金額になることがわかり、ちょっとというかかなりあせる。


せっかく量販店に行ったのだから、というわけがあったりなかったりするが、ついでに売り場を廻って情報を集めてみたりもする。
どうやら、銀塩派の方々は銀塩のポジをデジタル出力する方向へ流れていらっしゃるようだが、まぁわからなくもない。なにしろ、水を使わなくてもすむからね。
とはいえ、問題はポジのデジタル化なのだが、とりあえず8ビットではお話にもなんにもならないので、フラットベッドでも16ビット入出力可能なスキャナをそろえることから話が始まる。ピクセル数については少々妥協しても、ダイナミックレンジと階調については妥協できないということなら、やっぱ高級フィルムスキャナということらしいが、それでも平面性の問題は残るので、可能ならばドラムスキャナに準じた高級機でと…


たっけぇなぁ~


既に個人で使うレベルじゃないような気もするが、そうは言っても舶来高級機並のお値段ではあるから、おっちゃんたちには手が届かなくもないのか…


展示が終わったら、お金ためてスキャナ買おうかな~
冬までにお金たまったら、寒い時期に水使わなくてもすむもんな。


そういう問題じゃないか…


変人第七号

2006-02-18 23:38:09 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月
ちょっと時間も空いたし、知人と合流する前に撮影でもしようかと用意をしていたら、見る見るうちに空が曇ってきた。

というわけで、仕方なく撮影は中止。まぁ、こういう日もあるさね…

静岡の日本代表戦が気になりつつも、夕方にギャラリー白石で知人と合流し、新山拓展「聖曲の地へ」を鑑賞する。
日本画については本当に門外漢なので、とにかく知人の話についていくのが精一杯のところだが、こういう形で刺激を受けていないと「知の引きこもり」状態に陥ってしまうので、機会を見つけては混ぜてもらうことにしている。
でまぁ、肝心の作品は山岳風景なのだが、あくまでも「山」そのものがテーマで、よい意味で「山しかない」ため、実は山岳写真やその類が苦手な自分は、ちょっと途方にくれてしまう。というか、もっとはっきり言ってしまうと「ちょっと高尚過ぎやしない?」というもので、あぁ「あのときの知人はこういう気分だったのか」と、追体験したような気持ちになってしまう。
山も日本画も知らない(鑑賞経験の乏しい)鑑賞者にとって、こういう『物語的要素がありそうでまったくない』というか、実は物語要素のように見えるあれこれが思いっきりフェイントのような作品と1対1で向き合ったとき、ブロックするどころか足が止まってしまう。まぁ、岩絵の具を盛ってエンボス状にしている表現とか、非常に優れた色彩感覚と力強くも荒さのないグラデーションとか、そういう技巧的な部分にフックはあるので、ガラスの壁状態ではなかったのが救いといえば救いなのだが、中途半端に理屈っぽい人間にとってはタフなひと時だったように思える。
なんちゅうか、猫ひろしのようで実は友近のコントだったような、そういう展示でございました。

その後、知人に夕食をご馳走になりつつ、別の知人の作品集を見せていただく。
率直に言って、知人からあらかじめ聞かされていた話が「ちょっと微妙」だったし、その前にいささかタフな時間をすごしていたので、作品を見るまではかなり警戒していた。だが、予想に反して作品の傾向が自分の好みと非常に近かったので、本当に安心した。
知人の知人というポジションの作家ともなれば、なんだかんだ言っても「赤の他人」的な付き合いはできないし、かといってべたべたした関係にもしたくないわけで、それも「客観的な評価」と「主観的な好み」が著しく乖離していた場合は、まぁかなり「大人の対応」を迫られてしまうのだが、そういうことから逃れられたのは本当にありがたかった。ただ、ここから作家的な関係が発展していくかどうかという点になると、自分だけではなんとも言いかねる部分もあるし、とりあえずは現状維持というところだろうなぁ~
学生時代のサークル活動や同人活動でもいくつかの苦い経験はあるし、中には本当に高い授業料を払ったこともあるので、こういう時にはどうしても「まずガードを固める方向」で対応したくなってしまう。もちろん、知人は非常に信頼できる人物だし、その作家氏とも制作者としての相性はよさそうなので、まぁいずれ機会を見つけてお会いさせていただければよいかとは思う。

まぁ、他にもいろいろとやり取りはあったのだが、個人的に面白かったのは知人が「制作ではなく、製作することを自明とし」つつ、オタクという小さなカテゴリーを越えた「産業的な観点からの製作」について、やたら熱心に語り始めたところだったりもする。

知人に言わせると、プロとアマとの違いは技術的な巧拙とか、あるいは創作物(もちろん「二次創作も含みます」よw)によって商業的な利益を得ているかどうかなんて部分には存在せず、ただひたすらに「産業としての意識があるか否か」ということになる。つまり、例えば技術的に高度で、しかも利益をもたらしている作品であったとしても、それが産業として社会の要求に応じていないのであれば、単なる個人的なガレージワーク、つまりアマチュアの域を出ないと、そういうことらしい。

ちょっと意地悪な気持ちになってしまったので、自分は「アマチュア写真家たちの関心は次第に35ミリカメラに移っていったのだが、プロの世界では、カラー印刷が盛んになって、大判、中判サイズのカメラへの比重はかえって高くなっていった。製版が大判フィルムを要求したからである。プロの写真家、カメラマンのあいだでは「印刷を前提とした写真」つまり写真は印刷されマスコミュニケートされなければ意味がないということが流行のように言われていて時代だから、印刷の技術が写真の撮りかたにまで直接影響していたのだ。印刷の製版技術者がカラー印刷は35ミリフィルムでは駄目だと言えば、これはなんとしてでも大判フィルムを使わざるを得なかった」という元朝日新聞写真出版部長吉江雅祥氏の回想を引き合いに出しつつ、作家は社会的な要請によって作家自身の表現手段まで決められてしまうのかと、そういう具合にまぜっかえした。
案の定というかなんと言うか、知人は「もちろんそのとおり」と答えた上で、だから「松代のやってるようなことは自己満足であり、お作家様ごっこに過ぎない」と畳み掛けてくる。

この段階で、知人の目的は「卓上プロレス」だということに気がついたのだが(作家氏を連れてこなかった理由も判明した)、食うもの食っちまってる分だけこっちが不利だし、ひとまずディフェンスを固めて相手の疲労を誘うほかないと判断。適当に話をあわせつつ、マークを厳しくしてパス(話の流れ)を切るよう努めるのだが、知人の「普通に働いてるオタクなら月に5万は趣味に突っ込めるし、人間として大事な何かを切り詰めれば月に10万だって大丈夫」発言に、不覚にも爆笑させられてしまう。
まぁ、ほんとにそのとおりというか、引きこもりのニートでさえ1体数万円するエロフィギュアをバンバン買っているんだから(いや、ちゃんとバンバン買ってる根拠はあるけど、ここではいえないにゃ)、濃ゅぅい連中は月5万以上なのかもしれないんだけど、そのことだけに引っ掛けて「展示費用だかなんだか知らないが、同じくらい回収不能な無駄金使ってるお前もそいつらと同じ」攻撃は、さすがに拙速だったと思うね。

というわけで、自分はFwにまちゃまちゃを投入し、1トップでカウンターを狙う「はぁ?」戦術に切り替え、サイドチェンジというわけでカフェへ移動した後は、完全にリズムをつかんだ攻撃を繰り出す。流れはすっかりこっちのものだったが、いかんせん食事もカフェも知人持という「完全アウェー状態」だけに、どうしてもいまひとつ攻めきれないというか、決定力を欠いたまま試合終了でドロー。

ただ、知人が指摘した「マンガは娯楽産業として確立しているのだから、生産技術の進歩と作品制作が無縁なはずはないのでは?」という疑問と、また「金銭的な利益を無視するのであれば、なおさら展示の目的性を明確にしないと、単なる自己承認欲求の発露に終わるだろう」という苦言については、重く受け止めなければならないとは思うね。

というわけで、静岡を気にしつつ帰宅し、即TVをつけると、いい試合しているじゃあぁしませんか!
これだったら、自宅でサッカー観てればよかったかも

流れはガチホモ、と掲示板の彼女は言った

2006-02-16 23:38:06 | 業務関連

最初、タイトルを「アンチBL腐女子田亀源五郎の夢を見るか?」にしようかと思ったんだけど、タイトルにはリンク貼れないっぽかったんでやめた。


さておき、今日は天気が悪かったり、朝からいろいろ予定が変わったりで、なんとも落ち着かない1日でございました。
夜にはまた知人と食事することとなり、霧雨煙る繁華街の裏路地を抜け、とぼとぼといつものファミレスへ急ぐ。


でまぁ、ちまちまと話を聞いていたのだが、想像を絶するひどい有様に、ただ絶句するばかり…
若い人向けの仕事とはいっても、だからといって手を抜けるはずもなく、決して楽な商売じゃないとは思っていたけど、舞台裏というのはどこも似たようなところがありますなぁ~
ただ、知人が憤慨しているように、消費者をほんとにないがしろにしてるところがあるのは、部外者である自分にも感じられる。また、そういうときこそ評論という装置に期待したいのだけど、評論家と呼べる存在はないに等しく、それどころか評論の名を借りた宣伝が消費者を積極的にだましているような節さえあり、知人の悩みはますます深まるばかりだった。


慰めにもなんにもならないけど、写真の世界もいろいろ大変ですよ。たとえ、スタイケンの写真がオークションで高値を呼んだといっても、日本にはなぁんの関係もない話だし、評論家がだらしないのは写真評論家も同じですからね、最終的には自分でなんとなするしかないと思うさ。

(追記)ニュースの作品映像を見て「なんじゃこりゃ」と思った人も少なくないだろうが(ちゅうか、自分も「こりゃひでぇ」とおもった)、まぁあぁいうかたちで諧調をぶっ飛ばしてしまうのがデジタルの限界だと思っても、それほど間違いじゃぁない。スタイケンの写真は印刷媒体でもなかなか表現できない、オリジナルプリントならではの要素を持つ作品であり、だからこそオークションでアレほどまでの高値を呼んだのだけど(ただ、あえてうがった観方をするなら、アメリカの保守的な傾向がオークションにも反映されたといえるかもね)、まぁあのデジタル画像ではそういった部分が全く表現されていないので、普通は「なんでこんなんがあんな値段になるの?」と思うだろうね。
正直、スタイケンは好きな作家じゃないし、今回の値段はいささか異常だとも思うけど、あんなデジタル画像で作品を評価されてしまうのはさすがにかわいそう、というか他の作家にとっては迷惑ですらあるだろうなぁ…


とかなんとか書いていたら、マンガのほうもいろいろ大変らしい。
ただ、門外漢が評論などを見る限りだけど、マンガについては写真にある「デジタル化」といった技術変化の影響から逃れられてるっぽくて、印刷技術や作画技術の進歩も作品の質とは無関係のように見えるから、その点はちょっとうらやましいかもね。


技術と評論の結びつきってのは、写真にとってお家芸みたいなものなんだけど、まぁ美術分野の中では特異な現象なのかもしれない。
マンガ評論を例に出したけど、作品論だけで完結する世界と違って、写真というメディアについては否が応でも技術的な部分を視野に入れなければならないし、最近では「市場原理の中で表現手段が失われていくかもしれない」というプレッシャーについても、個々の作家自身が何らかの答えを出さなければならないのだが、そういう時代性こそが、自分にとってはものすごく面白くて、エキサイティングでもある。
だが、そうは思っていない人もいるというか、実はそういう人のほうが多いのだろうね。

彼方にカメラ横たわりて…?

2006-02-15 23:40:39 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

ところで、WUBってのは「ウーブ」なんすかね?
それとも「ワブ」なんすかね?


たぶん、サンリオだと「ウーブ」だったと思うけど、早川と創元は両者が混在してるように思える。
そういやぁ、中公文庫ってのもあったなぁ~
まぁ、どうでもいいって言えばどうでもいいことなんだけどね…


ただ、デジカメをぼんやりといじくりながら、これってある意味じゃ「撮影した風景をカメラそのものが記憶し続ける」ってことなんだよなと、それってちょっとディック的にいやらしいことなんじゃないかなと、そんなことを考えていただけです。まぁ、メモリーというか「記憶」も転送したり「模造」したり、そういうことできるしね。


今日は朝からなにやかやと忙しく、おまけに知人がちょっと煮詰まったらしくて、午後から相談に乗ることとしたため、ますます持ってあわただしくなる。
とりあえずいろいろの用事を済ませて、メンテナンスに出しておいた機材を受け取り、駅で知人と合流って流れ。
でまぁ、機材を受け取るってのが実はちょっと曲者でしてね、うっかりするとほかの用事そっちのけで遊んだり、技術者と話し込んじゃったりしかねないんだけど、ぶっちゃけ今日もやばかったっすね。話の種にでもなればと思って、レンズの片割れを持参したんだけど(って、そういうことする俺も俺だよな)、これが意外ときっちり結像するんで2人とも大喜び。新しいおもちゃを手に入れた子どものようなもの、というかそれそのものなんだけど、よく考えればダブル・アナスチグマットの片割れなんだし、結像して当たり前といえば当たり前なんだよね。古い人には、ジンマーの前玉外しみたいなもんだといえばいいんだが、さてどう説明したものかな?
ともかく機材を受け取って、新たに機材をメンテに出したんだけど、やっぱメンテに出した機材はいいね。
ちょっと前にメンテナンスした機材もすっごくよくなってて、試写結果を見たときなんか「腰が抜けた」ほどよくなってたんだけど、さて今回はどうなんでしょうかねぇ~


とかなんとか馬鹿というかヲタクというか、そういうことでひとしきり盛り上がった後、知人と合流して話を聞くこととする。
聞き始めてすぐに感じたのは、単純だけと時間は食いそうだなってこと。
要するに思考が堂々巡りに陥っているんだけど、こうなっちゃうと堂々巡りに陥ったポイントを「煮詰まっている本人が自力で発見」しなければならないので、思考の堂々巡りを一定以上「再現」しつつ引っかかりポイントを検証するという、単純だけど手間のかかる作業が必要になる。しかも、これは「ひとりじゃ出来ない作業」なので、腰をすえてお付き合いすることになる。


TRPGのマスタリングガイドじゃないけど、人間ってのは本当に「なんでもあり」だと、かえってなにをやっていいのかわからなくなってしまうので、ある程度は「行動を規制する枠組み」が必要となる。でまぁ、会社勤めなんかしてると枠組み装置が最初から存在しているもんで、そういうことに悩まなくてもすんじゃうものだけど、ヤのつかない自由業とかだとそうも行かないから、自分で自分に枠をはめる術を覚えるようになるんだが、時として枠がきつすぎて文字通りの自縄自縛に陥ることもあるわけ。
お釈迦様の手の中で暴れているだけなのに、自らを「自由な存在」と思い込んでるお猿さんも困り者だけど、本来なら自由に動かせるはずの手足に「枷がはまっている」と思い込むのもまた厄介だ。とまぁそういうわけで、本人がそのことに気がついたら、そこでほぼ解決という寸法。
ちょっと時間はかかったけど、こういうのは本当にお互い様だし、夕飯もご馳走になったからまぁよしとしましょうかね。


そういえば、お釈迦様の手の中でちょっと連想したんだけど、デジタル作画ってのはアドビRGBというお釈迦様の手の中で作業してるわけなんだよね。もちろん、アナログであっても印刷物やポジの色空間(カラースペース)はそんなに広くないし、如何に銀塩のネガやプリントが表現力を持っているといっても、事実上使用可能な領域というものは存在しているのだから、有限であることには変わりがない。
ただし、その空間領域が仕様として数値化され、公開されていることと、作家の経験と勘の中にだけ存在していることとは、根本的な相違がある。


デジタルの色空間は文字通りデジタルに、あたかもベルリンの壁がごとく厳然として「そこにある」のに対して、アナログの色空間は「霧の彼方に見えるお釈迦様の手」のようなもので、やはり文字通りアナログ的に曖昧模糊としている。
その違いを理解しているかいないかは、なんだかんだ言っても大きな違いになっていくのだろうなと思う。


青山でうんざり

2006-02-11 23:49:46 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

天気がよくて暖かい日なので、撮影をかねて今日もギャラリーへ出かける。


本当は朝から出かけるつもりだったが、食事の支度をしたり、部屋を掃除したり、たまった洗濯物を片付けたりしている間に、気がつけば昼を廻っていた。
それどころか、サッカー日本代表の試合時間が迫っていて、出かけてしまうと観戦できなくなるんだけど、観てから出ると日が傾いてしまうので、今度は撮影どころじゃなくなってしまう。いろいろ迷ったんだけど、前半15分と経たない間に流れがおかしくなって、なんとなく嫌な予感がしたので、思い切って出かけることにした。


とりあえず渋谷へ向かうと、明治通りを北上中だったと思われる極右政治結社の車列が、東口バスターミナル付近で警官隊に意味不明の言葉を叫んでいた。警官隊も拡声器で応酬するが、出力の差が大きくて話にならない。
ともあれ、思いっきり出鼻をくじかれた格好で、早くも「家でサッカー見ていたほうがよかったかも」なんて思いが頭をよぎる。
その上、今日もまた最初に訪れた画廊が休廊中で、もぅかなぁりうんざりしてしまう。


とはいえ、ここで帰ってしまったら元も子もないので、青山トンネル方面へ移動しつつ、青学の脇を抜け、その辺をぼちぼち撮影する。
まったく正反対のことを言う人がいるのは知っているのだが、少なくとも自分は「撮影時のテンションは低いほうがうまくいく」ので、比較的フラットな気持ちのまま、淡々とシャッターを切っていく。
青学横を抜けると円形劇場前に出て、その辺にはいろいろと思い入れのある施設も点在しているのだが、まぁそれはそれとして押さえるべき被写体があれば撮影し、そうでなければスルーという感じで、だらだらと歩く。


とかなんとかやってると、いつもより全然人が多くて、表参道の交差点にたどり着いたころには、人ごみで身動き取れないほどになる。
まぁ、コミケの企業ブース周辺とは比べ物にならないものの、なんじゃこらと思っていたら表参道ヒルズがオープンしていたそうで、またまたげんなり…
しょうがないのでわき道へ逃れるものの、ロイヤルホストのアタリまで人があふれかえっているんだから、もぅほんとになんだかなぁって感じ。


とまぁ、そんな調子で表参道画廊へたどり着いたころには、ちょっと疲れてしまっていたよ。
いちおう、お目当ては併設されているMUSEE Fで開催中の川鍋友美子写真展「MITSUKYO」だったが、表参道画廊で開催中の天沼有貴展もなかなかよくて、どちらも最終日というのが非常にもったいないような思いを強く覚えた。


その後、傾き始めた太陽に追われるかのごとく、外苑西通りを北上して千駄ヶ谷、代々木と、フィルム2本で29カット撮影し、ついでにショップへ寄ろうと思ったら、日祝休みということで、またしても無駄足となる。またまたげんなりしつつ、新宿3丁目方向へ抜け、せっかく近くまで来たんだからというわけで、またポルトリブレに顔を出す。
采女未和氏は非常に愛想のよい人好きのする、ある意味では作家っぽくないパーソナリティなので、アコースティックライブ直前のばたばたした時間だったというのに、いろいろと話し込んだりして楽しく過ごさせていただいた。


でまぁ、ちょっとばっかし気分がよくなったところで、さすがにそろそろ帰宅しようとバスに乗ったんだが…
そろそろ暖かくなってきたし、世間にはいろいろな人もいますね。


げんなりというか、いい加減くたびれ果てて帰宅すると、サッカーはかなりひどいことになっていたようで、世の中は少し荒れ模様だった。


ちゅうことはなにかい、家にいてサッカー観ててもあれだったってことかい?
こいつぁほんとにしょうがねぇなぁ~


新宿巡礼

2006-02-10 23:53:19 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

四谷方面に用事があったので、ついでにギャラリーを回ってポストカードをおかせていただいた。


非常に簡単な用事だったので、本来であれば自分が出かけるほどのことでもないのだろうが、まぁ昨日までがあんまりばたばたしていたものだから、ついでに多少の息抜きはありだろうとかなんとか、そういう手前勝手な屁理屈をこねてお出かけというわけだ。
朝はえらい寒かったのだけど、天気がいいせいか昼過ぎにはすっかり暖かくなって、のんきに撮影などしながらギャラリーへ向かう。
四谷から新宿通りを西へ移動し、調子よく6カットほど消費した段階で、最初のギャラリーに到着。


ところが、残念ながら休廊中だったため、近所にあるロータスルートギャラリーへ移動する。


LOTUS ROOT GALLERY有元伸也氏元田敬三氏が共同で主宰するギャラリーで、今年に入ってオープンしたばかりの新しいスペースだ。
現在は元田敬三氏の個展「路上のこと e.t.c 」を開催中だが、街道からちょっと奥に入ったお寺の裏にある、都会の喧騒がウソのように静かな(ということにしておきましょうよ、ねぇ)公園の隣に位置していた。まぁ、展示内容の解説にも現れているように、ぶっちゃけサブカル感覚全開で、エッヂ走りまくりの、ソリッドな展示ではあるのだけど、スペースそのもののいなたさはいかんともしがたい。
自分、こういうミスマッチ感覚は大好きなんだけどさ、鑑賞経験を積んだ方々にはどのように映るのか、かなり興味がわいているところです。
ともあれ、ギャラリースタッフも本当に写真が好きないい人で、展示スペースとしてはかなり使い勝手もよさそうだから、個展とかを計画している人は足を運んでみるべきかもしれない。


さらに御苑付近を4カットほど撮影しながらだらだら歩き、プレイスM水谷幹治氏の個展「Cold Sun」を鑑賞した後、新宿2丁目のギャラリー「ポルトリブレ」に向かう。そこでは采女未和氏の個展「宇宙の罠」が開催していたが、作品はいささかぶっきらぼうに展示しながらも、内容そのものは感受性に富んでいるというミスマッチに遭遇する。
しかし、しばらく見ている間に、作品の持つ優しさというか、イノセントな雰囲気と、壁面にプリントを直張りしている無造作さとは、思ったよりミスマッチではないような気がしてくるから、まぁちょっと面白い。
なんというか、教室の壁というか、そういう感覚なのかなと思っていたら、作家さんのほうから話しかけてきた。


それからしばらくの間、采女未和氏といろいろな話でちょっと盛り上がったが、その際に以前展示したカラーの作品を見せていただいたりした。今回の展示はモノクロ作品だったが、カラーもかなり良いというか、個人的にはカラーのほうが印象に残ってしまう。まぁ、自分はカラー作品を手がけているので、個人的な好みの問題から離れて客観的に評価するのは、やはりなかなか難しいねぇ。
ともあれ、明日の夜にはアコースティックパーティーも開かれるそうなので、興味のある方は参加してみればよいかと思います。


とかなんとかやってる間に、気がついたら予定時間をほとんど全部食いつぶしていた。
こりゃいかんということで、あわてて駅に向かうんだけど、やっぱ2丁目は遠いね。途中、紀伊国屋の裏アタリでなにかをあきらめてしまい(で、なにを?)、毒皿ってわけでもないけど、まぁせっかくだからというわけでコニカミノルタギャラリーへ足を運ぶが…


気分転換にお買い物って、既に本末転倒もいいところ。しかも、こういうときに限って、前から探していた品にばったり遭遇したりするんだから、もぅ世の中なにがあるかわかんないねぇ~
それにしても、毒皿っつったって、皿のついでに毒食っちゃぁ話になんねぇよなぁ~


ともあれ、なんのかんので12カットほど撮影できたし、整備に出した機材は絶好調なのもわかったし、思いがけずほしかった品も手に入ったしで、仕事さえうまくいってれば本当に最高の1日でしたね。


さて、やり残した仕事でも片付けるかのぅ~


のろわれた被写体・のろわれた1日

2006-02-09 23:22:56 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

今日は朝からいろいろなことがうまくいかず(いや、出勤する「まで」は順調だったのだが…)、なんともかんともよろしくなかった。


昨日は昼過ぎにいろいろの案件を一段落させ、午後は「かなぁりまたぁりとあぁんどすうぃ~と」と言う、なかなかもっていぃ塩梅だったのだがねぇ…
今にして思うと、昨夜見たMXテレビの「怪奇大作戦」が「すっげぇはずれ」の回だったことが、今日の伏線になっていたのかもしれない。


さて、話を元に戻そう。


今日は朝からすこぶるいい天気で、いささか寒いとは言え撮影日和だったこともあり、昼過ぎまでは「すっかりやる気まんまんなのであります」だったのだが、午後から「自分の周囲3メートル限定」でどんどん雲行きが怪しくなっていき、それでもなんとかしようとあがいてはみたものの、現像したフィルムを回収した段階で士気崩壊したでケロ。
最後は砂漠に放置されたケロン星人よろしく、ただしおれるのみの「名状しがたきアレ」と成り果てていましたとさ(あらかじめ言っておくけど「名状しがたきもの」ではありません)。


というのも、こないだエラーと思って捨てたフィルムが「実はアタリ」で、自分はエラーを現像に出していたってぇ寸法なんすよ。ぶっちゃけ「二重遭難」というわけで、現像費を節約するどころか傷口を広げていたという始末。まぁ、自分から言うのもなんだけど、明らかに自分は粗忽者なので、この手の失敗は結構多いんだけどさ。以前にも、引き蓋の向きを間違えた挙句、多重露光を恐れて撮影しなかったら、案の定未露光だったとか、そういうポカはかなり多い。
そればかりか、今回の捨てちゃったほうのアタリフィルムに写っていたはずの被写体は、そのとき実に「9回目」の撮影で、しかも5カットがエラーという、なんともかんともいやぁなお話までついてくるわけです。もちろん、基本的には全部自分が悪いわけで、しかも「調子が悪い機材のチェック」に撮影していたのもあるから、歩留まりが悪くても当然といえば当然ではあるのだが、そいつはいわゆる「サラ金」の看板なもんで、もしかしたら怨念がこもっているのかもしれない。


でもなぁ、みんな知ってる将門の首塚だって普通に写ったし(このサイトの人も普通にデジカメで撮ってるし)、怨念がどうこう言うならエラーになって写らない、じゃぁなくって「写らないはずのものが写る」ってのがスジだよなぁ~


よく考えたら、戦争やら関東大震災やらを抜きにしても、かつてあぁんなことこぉんなことそぉんなことがおきた場所でも、みぃんな普通に暮らしているんだし、自分だって巣鴨刑務所戦犯が処刑されたアタリで飯食ったり用足したんだから(よく考えたら、あの便所の位置っていやみだよな)、のろいだの怨念だのを気にするほうがどうかしてるんだろうけどね。
ただ、写真関係者って、なぜか「かつぐ」人が多いんだよ。そういえば、金村氏も墓の写真を嫌っていたっけ(別にのろいがどうとか、そういう理由じゃないけどねw)。


作業と評価

2006-02-06 23:25:51 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

久々にプレイスMで暗室作業。


わざわざ休日出勤したのも、暗室作業の時間を作るためなんだから、少しでも元を取りたいなんて、そんなさもしい考えを起こしたら最後、つまらない失敗して大損するというのが自分である。
というわけで、上達しなくてもいいから(いや、よくないけど)、多少でも作業手順になじんでおきたいところなのだが、相変わらずのどたばたぶりに、自分でもちょっと嫌になる。とりあえず、いつものようにネガのコンタクトを取り、当たりを選んで検討用に引き伸ばすのだが、夕方手前あたりから緊張感が薄れたらしく、ケアレスミスを連発してしまう。
仕方ないので、一息入れて巻きなおし、どうにかこうにか最低限の検討用プリントをこしらえると、軽く食事して金村ワークショップへ向かう。


いつものごとく厳しい評価が待っているのかと思いきや、少なくとも自分で思っていたよりはウケがとれたので、まぁこれはこれでよしとするしかないね。
でも、まだまだ超えなければならないハードルはいくつもあるし、しかもそろってかなり高いときていやがる。先が思いやられるとはこのことさね。


ワークショップ終了後、ほかの参加者と作業の手伝いや感材の手配などをチョコチョコやり取りするが、やはりコニカミノルタのフォト事業撤退は大きな衝撃をもたらしたようだし、金村氏自身もニコンが銀塩カメラから事実上撤退した話をワイドショーまで取り上げたことにちょっと驚いていたようだ。
まぁ、ワークショップ参加者の大半はコダックユーザーなので、さほど関係ないといえば関係なのだが、ちょうどプレイスMで嫌な話を聞いた後だったので、なにやかやでちょこっと盛り上がる。モノクロのほうは最小ロットが小さいので、まだなんとかなるらしいのだが、カラーは最小ロットが巨大なので(ロットを小さく出来なくもないのだが、エマルジョンロットごとのカラーバランスを安定させにくくなるそうだ)、実はカラーのほうが危ないってのはげんなりだね。


最後に、先日このブログで紹介した伊藤剛氏の横浜国大における公開講義について、ご本人によるレポートがアップされました。
興味のある方は閲覧してください。


久々の撮影

2006-02-05 23:38:01 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

今日も事務所で仕事だが、打ち合わせのついでにちょっと撮影する。


昼食を早々に切り上げ、昼前後から撮影を始めるのだが、2カット目で早速チョンボして、ちょっとしおれる。それも、やった瞬間にわかる単純エラーだったため、とりあえずホルダーからフィルムを引き抜いて、現像段階での無駄な出費を抑えた。
まぁ、こういうときは「あせりスパイラル」に陥りがちなので、できれば一息おいてから撮影再開したかったんだけどね。ただ、打ち合わせの時間もあったし、またこの時期は日の傾きが激しいので、昼前後でないと撮影が難しくなるから、とりあえず腹をくくって撮影続行となる。


さらに4カット撮影した段階で待ち合わせ場所付近へ移動し、さらに2カット撮影してはみたんだけど、まぁせいぜいがぼちぼちってところだったね。
だいたい、無理やり撮影時間をひねり出した動機にしたところで、ここ数日のバタバタでストレスがたまっていたことと、先日メンテナンスした機材を試したかったという、まぁどうにもこうにもオタクくさい、いわば「すっぱい動機」だったわけだから、アタリが撮れなくてもいいといえばいいってことなんだろうけどさ。


打ち合わせを終えた頃には、案の定というかなんと言うか、日が傾きすぎていて撮影どころじゃない。というわけで、個人的にひいきしているカフェチェーンの某店で甘いものをうまうまと食べ、夜食用のパンを買って事務所へ戻るという、久しぶりにちょっとのんびりした1日だった。


とブログに書いたところで、知人から連絡があり、いつもの喫茶店へ向かう。作品の構想についてあれこれと相談するが、先日のエントリーについてちょっと盛り上がったりして、いつもながらどこまでが仕事でどこまでが雑談だかわからないねぇ~


さて、仕事再開と行くか…


でもさぁ~マァジ客ダネ悪いっスよぉ~親方ぁ~

2006-02-03 23:01:55 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

 どうにかこうにか一段落と思っていたが、予想もしない大どんでん返しに腰抜けた。


というわけで週末どころか、来週まで仕事確定で、明日も出勤と相成りました。
もちろん、のんきに撮影なんかしている時間があろうはずもなく、打ち合わせが息抜きだったりするんだけど、こういうぽかぽか陽気の日に働いているなんて、人間として負けた気持ちになっちゃうねぇ~


でまぁ、ちゃぶ台がひっくり返った案件とは別件で、製作者サイドと発注者サイドの意見対立が深刻化する。あくまでも個人的な心情のみでいってしまうと、やはり製作者サイドに立ちたいのではあるけど、これがどうにも分が悪い。
それも、発注側と製作側の力関係が云々とか、そういう問題ならまだ気持ちの落としどころもあるのだけど、そういうわけじゃないところがややこしい。なにしろ、製作者側のやりたいことが、ことごとく発注者側の用意した顧客動向データに反しているのだから、こりゃぁもぅ万歳するほかないっすよ。
ともかく、自分たちのやってることは「製作であって制作にあらず」なのだから、その辺はわきまえていただくほかない。


まぁ、しょんぼりする気持ちはわかるけどね~


とまぁそんなこんなをやり取りしつつ、自分は昨夜観た「怪~ayakashi~の四谷怪談編最終回」なんかを思い出しておりました。


番組では鶴屋南北がいわゆる「お岩のたたり伝承」を紹介しつつ、怪談で扱われる殺人事件などは「全くの作り話」であったにもかかわらず(ただし、お岩稲荷の由来を記した小説「四谷雑談集」を参考にしたとの説あり)、そこから派生した伝承のみが現在もなお脈々と語り継がれていると述べている。そして、観客自身が「お岩のたたりが存在することを望んでいた」からこそ、現在もなお語り継がれているのだと、南北に語らせているのだ。
つまり、作品を提示するのは確かに送り手である作家の側だが、その作品をどのように受け止めるのか、あるいは拒否するのか、そしてその作品からいかなる物語を生成するのか、あるいはしないのかを決めるのは、あくまでも受け手の側である。そして、どのような作品が積極的に好まれるのか、あるいは作品からどのような物語が生成されるのか(あるいはされないのか)を決める最も大きな要素は、やはり受け手のリテラシー能力と言わざるを得ないだろう。


しかし、商業的な観点から言ってしまえば、物語を自己生成できる観客は扱いづらく、そういう「大向こう受け」を狙っている限り、大ヒットは期待しにくい。つまり、受け手のリテラシー能力は「低いほうが望ましい」わけで、これまでも観客のリテラシー能力を向上させるような作品よりは、むしろ観客のリテラシー能力に期待しない作品のほうが数多く流通してきた。
とはいえ、あまり観客を侮ってしまうと、時として手痛いしっぺ返しを食らうし、そもそも送り手の能力が低下してしまう。もちろん、この辺の事情は物語性に依拠しやすいグラビアやポートレート、報道、ポルノなどの方面で活動している人にとっては百も承知だろうけどね。ただ、自分自身もそういったジレンマに直面しつつ、安きに流れたくなる誘惑というのは「かくも強烈なものなのか」と、いまさらのように驚かされているのです。


伊東家の食客、実は刺客?

2006-02-02 23:39:15 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

知人から連絡があり、病院でタミフルを処方されたとのこと。それを聞いた自分はついつい


暴れた?


と聞いてしまう。


しかし、先方も慣れたもので、単に「病気だからそんな元気ない」と、素で返されてしまった…


さておき、先日メンテナンスに出した機材が帰ってきているということで、別件のついでに引き取ってくる。すっかりきれいになったのはまことに喜ばしいのだが、傷がやけに目立つのはしおしお…
とりあえず、明日は天気がよさそうなので、合間を見て撮影に行こうかと思う。なんとか仕事もひと段落したことだしね(といいつつ、まだ全部は終わってないんだけど)。


でまぁ、出先では今日も今日とて馬鹿話に花が咲くわけで、相変わらず「デジタルだとなんでも出来ると思い込んでる人」とか、あるいは「デジタルプリントだと色のコクが出ないと、延々銀塩の自慢話をひけらかす老人とか、そういうお客様にてこずらされてる人々と渋茶をすすりつつ一休み。
でもまぁ、浜崎はちょっと無理だけど、自分だってデジタルだったらスターリンフルシチョフぐらいにはなんとかなるわけで、そういう意味ではやっぱりすごい技術なんだと思うわけですよ。
もちろん、出来ればなんでもいいってわけじゃないし、やりすぎは逆効果ってのも承知なんだけど(不気味の谷現象ってのもあるね)、グラビアから広告から、果ては風俗の指名写真(本当の呼び方があったら、誰か教えてね)にエロ動画サイトのカタログ画像に至るまで、どいつもこいつも修正やりまくりなんだから、もはや「無修正のほうが不自然」に見えてしまいかねない。
そして、そういう時代にもかかわらず、なぜ「お前はあえて銀塩なの?」という問いに対して、もっとストレートな回答を用意しておかねばならないと思う、今日この頃なのでした。


おまけ
どうでもいいけど、よくわからんけど、伊東は「不気味の谷第3段階」だと思うんだよね。
某化粧品のポスター見るたびにそう思っていたけど、こないだ電車の中吊り見たときに確信した。


こいつぁテクスチャ張ってるだけだ!