Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

デジタルとアナログの憂鬱

2007-09-14 19:53:14 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月
Toyosu013


今日は昼前ごろから天気が回復し、午後にはなかなかよい天気になっていたのだが、こういうときに限って事務所から離れられない。ただ、それでも合間を見て近所をぶらつきながら撮影し、ずっと入れっぱなしだったフィルムを消費した。



去年から今年にかけて、デジタル1眼レフを精力的に使ってきたが、どうにもこうにもしっくりこない。自分の場合も、大多数の写真愛好者と同様に、銀塩小型1眼レフの代替機としてデジタルへの移行を試みたのだが、結論から言ってしまうと代替にはならなかったということだ。



理由は簡単で、撮影結果に満足できなかったという、ただそれだけのことなのだが、もちろんそれは致命的な不満であり、逆に言えば銀塩へ回帰する十分な理由ともなっている。とはいえ、最近のデジタル1眼レフはきわめて優れた高解像力を備えており、既に銀塩を超えたとの見方をする人さえ少なくない。個人的にも、単なる解像力の比較であれば、デジタル1眼レフは十分な能力を備えていると思うが、撮影結果を総合的に比較した場合となるとまったく別で、どう考えてもデジタルの方が劣って見えるのだ。



まぁ、デジカメをはじめとするデジタル機器の解像力に関しては、カタログスペックどおりの性能を発揮していない疑惑もあるので、その辺の事情も背景にはあるのかもしれないが、率直に言ってしまうと感覚的な部分が大きいように思われる。つまり、あくまでも自分個人の主観として、デジタルは好みじゃないということだ。



だから、自分自身の趣味志向や主観とはなれて製作する商業の仕事については、デジタルの優れた利便性や運用効率が極めて大きな魅力を持つし、実際に仕事でデジタル1眼レフを使うことには何の不満もない。



ただ、撮影結果は好みじゃぁ無いんだよネェ~



まぁ、デジタル画像の味気なさには使えそうなところも無くはないし、うまくキャンプテイストを盛り込んでいければ、自分の評価も変わってくるようなキがしなくもない。でも、デジカメ愛好者の一部に漂う「銀塩は時代遅れ!デジカメ最高!スペックも銀塩を超えたぜ!」臭を感じるたび、ほっとけばいいのに自分は激しく萎えてしまうんだよな。



最近も、オタクの間で大人気のVOCALOIDを熱く語られた際、同じような「ヴォーカリストは時代遅れ!デジタル最高!音程音階再現性は人間を超えたぜ!」臭を嗅ぎ取ってしまい、心の奥底からうんざりしてしまった。知人に教えられてから、キャンプツールとしてそこはかとなくチェックしていたのだが、なんだかもう名前を聞くのもうんざりってところ。
今から思えば、ニコ動初音ミクをチェックした時に感じた、B級アイドルオタのルサンチマンが伏線だったんだなぁ~


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No Tripod

2006-11-21 23:27:08 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

ちょっといい感じのロケーションがあったので、とりあえず撮影許可を取ったのはよいのだが、当然のように三脚は使用禁止となっており、さてどうしたものかと思案に暮れた。
まぁ、そもそもからして公共の場所だし、もちろん手持ちで撮る他ないのだけど、こうなると撮れなくてもいいやとかなんとか、天邪鬼な気持ちが頭をもたげてきたり、ワレながらなんとも難しいところではあります。
以前、学校を撮影する企画が持ち上がったときにも、こういう手続き上の問題があれこれ発生したのだけど、最近はどこでも本当に撮影許可を取るのが難しくなっているから、制限付きでも許可が下りたことを喜ぶべきなんだよね。実際、中野正貴氏東京窓景を撮影した時にも、窓口になった編集さんが相当苦労されたそうです(NHKの番組では作家本人が訪ね歩いていたことになっていたのはご愛嬌)。ともあれ、撮影した素材をどうするかとか、いろいろの問題もクリアしなければならないので、まだまだ先は長いんだけどね~


とりあえず、今週は時間を作ってギャラリーを回ったりしつつ、いよいよテストプリントを出力しますよ。
いや、まだこの段階では、ほんとに楽しみなんだよ。負け惜しみ抜きでね。


ニューカラーパラダイス

2006-11-16 23:08:09 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

エントリータイトルが思いっきりかぶってるけど、この際だからまぁいいや…


ここしばらくは本業のほうも少しずつ忙しくなってきてて、まぁだんだん年末気分が盛り上がってるんだけど、まだかろうじて撮影したり展示を観たりという余裕はある。ただ、残念なことに撮影も展示もいまいちぱっとしなくって、ロータスルートギャラリーで石塚元太良写真展「WWWWW」を観た際に、作家氏本人と少しお話して刺激を受けた以外では、いまさらのようにスティーブン・ショアーUncommon Placesを引っ張り出して、ぺらぺら眺めてるといった体たらくだったりもする。
とはいえ、展示の初日も迫っているし、そうそうのんびりもしていられないのだが、まだ近美世田谷美術館で開催中の写真の現在3「臨界をめぐる6つの試論」ルソーの見た夢、ルソーに見る夢「アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち」は観ていないし、ワークショップで一緒だった中里寿郎氏の個展「翻訳者の課題」が現代HEIGHTS Gallery DENで開催されるので、それらの展示はなんとかして観に行きたい。
そういえば、あのBunkamuraザ・ミュージアムスーパーエッシャー展「ある特異な版画家の軌跡」も開催されているんだけど、ほとんどの作品はかつて開催された甲賀正治コレクションの展示で観ているし、こっちはちょっと微妙かもかも…


それにしても、ダリ展がらみなのかどうか知らないけど、ここに来て急にシュルレアリスムを盛り上げようとしているのは、なんだか作為的でちょっと引いてしまいそうになる。まぁ、ダリ自身はかなぁり商売っ気たっぷりだったそうだし、ルソーも相当な俗物だったそうだから、こういう持ってき方もありといえばありなのだろうし、なんにしても作品を鑑賞する機会が得られるというのはありがたいことだ。


だいたい、シュルレアリスムにしたって、今じゃそんなにたいそうなものではない。一般的にはシュールへ展化してそれっきりだし、マシになったところでシュルレアリムっつぅライブドアキーワードやら、しょこたそブログでテキトーに消費されてる体たらくなんだから、小難しいことは抜きにして投売りされてたタッシェンの画集とか引っ張り出し、ぺらぺら眺めてるぐらいがちょうどなのかもしれないねぇ~


他にもセツの入学式話とかあったんだけど、この際だからまぁパスでいいや…


オタクのキャンプ

2006-11-03 23:40:35 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

いよいよ個展まで1ヶ月となり、そろそろ最後の追い込みをかけなければならないのだが、なんだかんだで妙に忙しくって集中できないのが悲しいところ。それに、そろそろコミケの準備も始まってきたし、周囲のオタクさんまで忙しくなってきてるよ。
まぁ、オタクからもっと距離を置いておけばよいのかもしれないけど、なんだかんだで離れがたいのは、やっぱりキャンプを愛してやまない自分がそこにいるからだと思う。


過去のエントリーでもチョコチョコ触れているのだが、自分はキャンプが本当に大好きで、できればキャンプな作品を制作したいのだけど、悲しいかなそっち方面の才能は全く皆無であったりするため、とりあえずキャンプの周辺、あるいは辺縁でうろうろしている。まぁ、勘のいい人は既にわかっているとも思うが、オタク的感性を全く有していないにもかかわらず、自分がオタク周辺から離れようともしないのは、オタク世界がキャンプの宝庫、いやキャンプの宝石箱やぁ~状態であるためだ。


ただ、注意しなければならないのは、オタクやオタク周辺の人々は、ある意味でアートシーンの最先端に位置していながらも、個々人の感性は極めてコンサバというか保守的というか、時として守旧的ですらあったりもするのため、特にポストモダンがらみの話題をふるときは、本当に細心の注意を要求される。もちろん、ご多分にもれずというか、当然のようにキャンプなんかはその代表格で、知っている人が少ない上に伝わりづらい上、下手すると誹謗中傷しているかのような誤解を招くという、リアルねぎダクというかなんというか、とにかく素人にはお勧めできないのは間違いない。


まぁ、日本の場合はキッチュの方が人口に膾炙しているのだろうが、現代美術においてはやはりキッチュよりキャンプ、それも断然かつ圧倒的にそれなんだけど、どっちにしても文脈を知らない当事者にとっては、あまりうれしいものではないらしい。実際、せっかくいぃ具合にキャンプだったにもかかわらず、周辺の人間が勝手に(しかも当事者の意思とは無関係に)芸術として社会に認知させようとした結果、かえってアート文脈で取り上げづらくなってしまった例もいくつかある。卑近なところでは、いわゆるコスプレなどが、ちょうどよい実例ではないかと思う。


そのためか、第9回ヴェネチアビエンナーレ建築展日本館における展示では、残念ながらコスプレ関係はほぼ全スルー状態となって千載一遇の好機を逸した。同時に、当初から単なるミスコンに近いイベントだった世界コスプレサミットは、芸能色をより前面に押し出す形で商業的な進化を遂げている。こういった流れは、基本的に当事者であるレイヤーさんたちが望んだ結果であり、外野がどうこう言うようなものではないのは重々承知だが、やっぱり微妙に残念な気持ちになってしまう。


ただ、こういった現在のコスプレ状況については、やはりそれはそれとして激しくキャンプなので、残念でありながらもしてやられたという心地よさがある。


とはいえ、こういったコスプレ作品やイベントを紹介しているのが、大半がアクションカメラまがいの似非グラビア写真か、多少マシになったところでなんだか微妙なお芸術写真風ポートレートやファッション写真もどきが精一杯という状況を、当事者自身がよしとしている限りは、その心地よさすらいつまで持続するかどうか、わかった物ではないのだけどね。


初めてのdigi予約

2006-11-01 23:33:31 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

諸事情から、月末発売予定のデジタル1眼レフを予約したのだが、なんだかものすごい人気商品らしく、ちょっとびっくりしてしまった。
白状してしまうと、新品機材の予約発注をするのはこれが初めてで、またボディの新品を購入するのも生まれて初めてのことだったから(レンズやトイカメラは新品を購入したことがあるんだけどね)、ファーストフードよろしく店員からアクセサリーの予約も勧められたときは、年甲斐も無くうろたえてしまったよ。


というわけで、いよいよ本格的にデジタル制作を開始するのかというと、残念ながら全然そんなことなくって、まぁ事実上の社用機材だったりする。ただ、今後はデジタルの比重が高くなりこそすれ、低くなることは考えられないので、もう少しまじめにデジタル制作と向き合わなければならないだろうね。


とはいえ、デジタルには銀塩とは比較にならないほどの複製性と加工性があり、その点をよくわきまえて取り組まないと、本当に悲惨な結果を招いてしまうだろう。まぁ、ほとんど文字通りの意味で四十の手習いとなるのだが、デジタル分野では往々にして後手が先んじることもあるし、落ち着いてじっくり運ぶのがよいだろうな。


亡者の暗箱

2006-10-27 23:20:30 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

最近、展示に備えて現代美術に関する様々な言説をチェックしているが、やはり写真は死んだメディアだという意を強くしてしまう。
もともと、自分はファインプリント志向がほとんどなかったところに、写真の持つ「複製可能性」への傾斜がますます強まってしまったため、展示という行為の持つファインアート的な胡散臭さからの決別を図っておきたかったのだ。


白状してしまうと、ややもするとアウラの捏造に走りがちなオリジナルプリント(ヴィンテージプリント)信仰から、多少なりとも距離を置いて活動したいという、作家としてはいささか不穏な動機も皆無とはいえないのだが、そんなことを心配する必要も無い気楽な立場だから、そこんところはのんきなものだったりもする。どちらかといえば、様々な言説と触れ合っていった過程において、会場で作品と相対したときは反感しか覚えなかったローナ・シンプソン展から、思いのほか大きな影響を受けていたことを自覚させられたことの方が、自分にとってはよほど不穏な出来事だったといえる。


たぶん、今度の展示を終えるころには、次の目標がより明確になっているだろう。
それは、自分にとっても楽しみな、わくわくすることだと、そう確信できる。


ハプニングアートの憂鬱

2006-10-07 23:47:02 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

秋の嵐が過ぎ去った後、久々に驚くほどの晴天に恵まれたこともあり、朝から撮影に出かける決意を固めた。
しかし、ここしばらく雨続きだったこともあり、すっかり洗濯物はたまっているやら、部屋はすっかり埃っぽくなってるやらで、実際に家を出られたのは実にお昼過ぎのことだった。


ともあれ、いつものように機材を担いでその辺をほっつき歩き、シートフィルムを14枚消費した段階で帰宅。かなりいい感じだったので、基本的には満足。
ただ、今日は本当に光線状態がよくって、抜けのいいカットがいくつか取れているので、作品用に勝負フィルムを持参すればよかったかと、少し後悔したりしなかったり…


帰宅後はギャラリーに提出する展示資料をまとめたり、明日の準備をしたりでなんとなく時間をつぶそうとするも、なんだかうまくまとまらない。
ただ、デジタルなので準備といっても知れているし、明日は珍しく朝から現場だったりもするので、ちゃっちゃと夕食を摂って寝てしまおうかとも思いつつ、今度は近所のインドカレー屋へ出かける。ついでにDVDでも借りようかと、レンタルショップに立ち寄ってびっくり!


長年のもやもやが一気に解消したのですョ!


以前、なにかのテレビドキュメンタリーで草間彌生草間弥生)のハプニングだかパフォーマンスアートだかを観た時、ものすごい強烈なデジャヴュ(既視感)におそわれ、コレは絶対にどこかでみたことがあると思い込んでいたのだが、まぁなんというか当然のように思い出すことができないまま現在に至っていたわけだ。
もちろんリアルタイムで観ているはずもないし、93年の第45回ヴェネチアビエンナーレ以降であれば、いくらなんでも多少は覚えているだろう。


となると、リア娼時代にヲチした記憶がどこかにあったのか…
ふふふ、ワレながらセンスのよろしい娼だったものよのぅ…


などと勝手に思い込んでいたのだが、レンタルショップでモニターを観て全てが解決した。


デジャヴュって、ごっつのネタやん!


まぁ、現代という立ち位置から振り返ってしまえば前衛芸術なんて存在自体がギャグみたいなところあるし、特に舞台芸術の世界では60年代のネタをコントに引っ張ってくるのが伝統芸となりつつあるらしいのですが、それにしてもほんとに危ないところだったよ。
なにしろ、もうちょっとで草間彌生が松本からパクッたってぇことになってたからねぇ~


再びポストカード

2006-09-20 23:35:35 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

今日は朝からよく晴れたこともあり、かなり早めに家を出たのはいいのだが、いわゆる普通の勤め人が出勤する時間にあたってしまった。
もともと、天気がよければ撮影しようと思っていたのだが、いろいろの関係で打ち合わせを少し前に倒したため、玉突きでものすごく早くなってしまったというわけ。
ただ、ここしばらくは天気も自分の精神も仕事もなにもかもがひどく不順で、そもそも半月以上もまともに撮影していなかったため、気持ちや視覚を撮影状態へ持っていくのにかなり苦労させられた。


まぁ、どうせそんなこったろうと思って、撮影といってもリハビリみたいなもんだったんだし、端から作品にするつもりはかけらもなかったのだが…
案の定というかなんと言うか、撮影しながら露骨にフィルムを消費しているだけなのが自分でもわかってしまうと、これまたかなりへこんでしまう。
このままでは、リハビリどころか精神に悪影響を及ぼしかねないので、とりあえず撮影を中断して昼飯でも喰おうかと思っていると、打ち合わせの相手から時間を少しずらしたいとの連絡が入る。ちょうど気分を変えたかったところでもあるし、少し足を伸ばして日本橋のギャラリー・ショウへ向かった。
ギャラリーでは美夜・安藤・スタノフMIYA ANDO STANOFF EXHIBITIONを開催しており、とりあえずバフがけされた金属板を観てだらだらと時間をつぶそうかと思ったところ、会場にいたバイヤーかマネージャーと思しき人物と目が合ってしまい早々に退散する。


俺をいくら見つめてても、絶対に買わないからさ~ と自意識過剰なバカが独り語ちるのでした…


打ち合わせまではまだ時間があったので、仕方なく散歩しながら撮影を再開するのだが、朝方の鬱々とした気分がウソのように晴れやかになっていて、自分でもかなぁりびっくりする。


コ、コレがアートのぃゃι効果なのか!


まぁ、単に昔の勘を取り戻してきたところに、歩きつかれて余計なこと考えなくなってきただけなんだけど、とりあえずそういうことにしておくほうが、芸術の実利的効用を騙る意味からも都合がいいだろうねぇ~
とはいえ、やっぱりまともなカットはひとつも撮れないまま、打ち合わせの直前にとんでもないエラー報告が上がってきたりして、やはりgdgdなものはgdgdという、なんともしまらない有様でございました。


打ち合わせは無事に終了し、事務所に戻ってエラーの対処も済ませたころ、ポストカードの版下データが届く。
デザイナー氏によると「イメージゆがんでたんで、適当に直してトリミングしときました」とのことだが、気心の知れた作業者だったので思った以上にいい感じである。
ただ、ゆがんでたはないだろう、ゆがんでたはさぁ~
確かに、イーゼルがたがただったし、フレームラインもへろへろだったけどさ…
ともあれ、ポストカードを印刷に回せば、いよいよ展示準備も本格化するわけで、気合入れなおしてスパートかけますかね。


と‥取り返しのつかないこと…取り返しのつかないことをしてしまったァァァァ

2006-09-10 23:27:14 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

まぁ、心底むかつく男が寝取った女につぃうっかり「ビームサーベルを突き刺した」とか、そういうわけではないのだけど、久々におもっきりやらかしてしまいました…
原因は自分でも情けなくなるような単純ミスだったため、比較的簡単に再発防止策も講じられたのはいいとしても、なにしろ本当に取り返しのつかないミスだったので、判明したときは流石にかなぁりへこみましたょ…
他人に迷惑をかけるミスだったしね。


ただ、いつまでもへこんではいられないし、今日を逃すとしばらくは晴天に恵まれなさそうなので、気持ちを切り替えるためにも撮影に出かけました。
とりあえずシートフィルムを14枚消費した後、いったん帰宅して知人と連絡を取り合い、夜に秋葉原で合流しました。
知人は秋からセツ・モードセミナーに通うということで、面白そうだから話を聞きに行ったと言うワケ。


よく知られているように、セツ・モードセミナーは実技中心というか、実技しかないような教育方針なので、受講生自身に強固な目的意識と自律心が求められます。もちろん、知人はそのことを十分に理解しているのですけど、自分としてはその目的に興味があったわけです。


まぁ、知人の目的そのものはさておくとして、やはり芸事には反復練習が必要不可欠であり、まずそれに耐えられるかどうかでかなりふるいにかけられます。確かに、最終段階ではセンスの勝負になっていくのですけど、ほとんどの人はそれよりもはるかに手前の段階で消えていく。
もともと、自分自身にはその反復練習をこなしていないのではないか、そして「自分にはそれをこなすことができないのではないか」という思いが強くて、実際に今回しでかしたような失敗に直面するともぅすっかりまいっちゃうんですよ。



というわけで、知人との話はいろいろと身につまされることばかりだったのですが、まぁ「練習はいくらでも重ねることができる」ということで、これからは同じ失敗を繰り返さないように精進するしかありませんね。


いやいや、ほんとにご迷惑をおかけしました。


こいつ違うぞキヤノンなんかとは! 階調も!色味も!

2006-09-08 23:44:22 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

オチご容赦…


さておき、新型スキャナを導入して、ここ1年ほど悩んでいた問題に、ようやく蹴りをつけることができた。
まぁ、蹴りをつけることができたといっても、自力で解決したわけじゃないので、あまりたいそうなこともいえないのだけど、それでも事実上解決したのだから、終わりよければなんとやらといったところであろうさ。
もちろん、スキャナは事務所においてあるというか、あまりにもでかい代物なんで、自宅には置くところなんかないからねぇ~
たとえ自分の私物だったとしても、事務所で使わせてもらっただろうな。というか、この大きさもあって導入を躊躇していたところだっただけに、本当にありがたかったでございますよ。


ともあれ、おかげでコンタクトはスキャンで済ませられそうだし、素材としてのプリントもラボへ外注することとしたので、苦手な暗室作業はかなり回避できるようになった。ほんとにやれやれでございますです。
ただ、恐らくこれが最後の「民生用高性能フィルムスキャナ」ってことになるんだろうし、こいつを使いつぶした後のことはあんまり考えたくないなぁ~


ただ、ドローイングの世界にしたって、画材をはじめとする工業生産物との関わりは避けられない。例えば絵具の技術発展は西洋絵画に大きな影響を与えたし(特に鉛チューブの発明は大きく、その後も絵具容器の発展は、絵画技法にも大きな影響を及ぼしている)、日本画にしたって新しい岩絵具の登場による技法の変化が始まっている。版画にいたっては写真に匹敵する大変革を過去に経験しているのだが、いつでも「技術が先行し、それによって人々の意識が変革する」という図式に変わりはない。


人々の意識変化が技術革新をもたらしたわけではない


確かに、自分自身もこうしてぼやくように、嘆きたくなる気持ちもわからなくもないが、最近になって反近代の逆襲というか、個人が個人として生きることを否定したい人々による粗暴な言動が目に付く(乙武ブログの炎上など、粗暴な言動を端的に表す事件であろう)。こういう粗暴さの背後には、技術のもたらす利便性のみは享受しつつも、自らは意識を変革することなく、前近代的なムラ社会に留まり続けたいという、非常に手前勝手で貧しい精神が潜んでいるように思えてならない。


自分としては、技術変化のもたらす意識変容を冷静に受け止めつつ、あくまでも「その先にある何か」へ目線を向けて、今後も制作し続けたいと思う。


豊洲でTOYO-VIEW

2006-09-03 23:34:28 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

タイトルと内容はなんの関係も無いが、山崎まさよし主演の映画「8月のクリスマス」では主人公が古いトヨビューを使っていた。もちろん、本筋とまったく関係ない細部なのだが、そのこと以外はあまり記憶に残っていない。
まぁ、所詮は単なるカメラオタクに過ぎないので、映画を観てもその程度なんだけど、製作者サイドにとってはたまったものじゃないだろうね。


今日はよく晴れたので、朝から撮影に出かけた。
先日、修理が完了した機材のテストも兼ねて、フィルム5本(40カット)と10シートを消費した。
昼過ぎにいったん帰宅、夕方から知人と合流して、有楽町でタイ料理を食べた。


知人とは、先日まで汐留で公開されていた岡本太郎の「明日の神話」話で盛り上がった。中でも、会場のあちこちに作家自身のマニフェストが大書されているにもかかわらず、主催者サイドは明らかに「きれいで心地よい空間」を用意して作家の力量を誇示し、また観客も「すっかりいい気分で鑑賞している」という、なんともパラドキシカルと言うかアイロニカルなシチュエーションには、2人とも激しくツボを刺激されていた。
まぁ、商業的には受け手に上手さも、美しさも、心地よさも「感じさせない」作品では困っちゃうし、とりあえず「反語」として処理するほかは無いのだろうが、それにしても浮世のつらいところだねぇ、切ない話だねぇなどと、巨大商業資本が資金を提供しなければ絶対に修復されなかったってことはすっかり棚上げして、えらそうに上から目線で語っていたが、今にして思うと痛い話してたなぁ~


ただ、そのことに引っ掛けて、次回の展示に関するアイディアもいただいた。
特に重要なのは「鑑賞者に対して展示意図を明確に打ち出す」ことで、自分のやり方は「鑑賞者の自主性尊重を口実にした責任放棄」のように受け取られかねないと、いささか厳しい言葉もいただいている。
確かに、少なくとも一定以上の鑑賞経験を持っている鑑賞者を想定していることと、作品ではなく展示空間も含めて鑑賞してほしいことの2点については、よりはっきりとした態度表明が必要なのだろう。とはいえ、現状ではインスタレーションという単語の意味が非常に混乱しており、また混乱している割には安易に流通しているため、態度表明といっても最大限の注意を要する。
とりあえず、作品そのものにセルフアプロプリエーション的な要素を持たせつつも、ある程度以上は解説でフォローせざるを得ないだろう。


大半の鑑賞者は「作品」を、それも「作品に内在するテーマ、あるいは作品の内容」を鑑賞しようと思っており、貸し画廊で展示するという「形式」についてはまったく頓着しない可能性が高いため、その点については文章による断り書きを掲示せざるを得ないかもしれない。
より性質が悪いのは、形式などは内容を補完する要素でありなどと、形式と内容を分離可能でしかも対立的に捉えている連中で、えてしてそういう連中が展示手法だけ匿名性を取り入れつつ、臆面も無くバリバリに作家性を打ち出した作品を展示したりするから、少なくとも同一視されないような工夫は必要だろうねぇ~


とはいえ、作家たるもの「すべからく作品をあまねく世に広めるように務めるべきで、鑑賞者を選ぶなどは傲慢のきわみ」という思い込みが幅広く、しかも強力に流通していることが、さらに話をややこしくしている。


かつて、とある実験的なパフォーマンスを世に問うていた舞踏家が、某評論家に「そんなに観客を選びたいのなら、自宅の庭ででも演ってればいいだろう」と評されたことがあるそうだ。舞踏という、空間との結びつきが非常に強い分野ですら、このようにナイーブかつ愚かな発言がまかり通るのだから、複製芸術である写真ともなれば、どれだけ風当たりが強いかわかったものではない。
さらにうんざりさせられるのは、件のナイーブかつ愚かな発言に対し、無批判に首肯した人々が少なくなかったらしいということだ。


まぁ、自分もエルトン・ジョンくらいの金持ちだったら、自宅に自分好みのギャラリーをこしらえて、そこで自作を一般公開したいところだけどね(あくまでも一般公開ってのがミソ)。


ただ、公開したらしたで「8月のクリスマス」観てもカメラばっかりチェックしてるカメヲタのような奴が来て、くだらねぇことほざいてうんざりさせられるんだろうけどねぇ~~


朝のガスパッチョ

2006-08-23 23:04:14 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

今朝はちょっとびっくりするほど寝苦しく、7時前には起きてしまった。
自分は朝食をきちんと摂るほうなので、しばらくするとものすごい空腹感にさいなまれ始めたのだが、こういうときに限ってなんにも無い。
とりあえず、干からびたパンとトマト缶、ベーコンのかけらとチーズ、たまねぎでガスパッチョでもこしらえようかと思ったら、間の悪いことにフードプロセッサも故障したままだった…
結局、パン粥にして食べたのだが、この段階で気分はgdgdである。


挙句、メールを見たら不具合報告ときてやがる…


今日は遅めの盆休みを取って、撮影にでも出かけようかと思っていたが、こうなったら仕方ないので出社した。
とはいえ、不具合の大半は「自力解決不能」であり、技術者へ報告だけあげてぼんやりしていたら、同僚も「今日はGDGDでどうしようもない」とか、うれしくも無い愚痴をこぼしている。
とかなんとかgdgdしていたら、自分宛の宅配便が来た。


おや、ウィッカーマンじゃないか!


以前、ケルト好きの社長をたきつけ、ろくに内容も説明しないまま買わせていたのだが、いくつかの作為と不作為が工作した末、社長本人がバカンスを取っている時、しかも「担当者である自分宛」に到着したというわけだ。
どうせ今日は仕事にならないし、さっさと帰ってのんびり観ようかと思っていたところ、だいぶ前に修理完了の連絡を受けたまま、まだ引き取っていなかった機材があったことを思い出す。
この機会を逃したら、今度は月末まで引き取りにいけなさそうだし、ちょっと考えた末に機材を引き取りにいった。


電車を乗り継いで修理工房へ向かうと、いつもの技術者が丁寧に修理状況を説明してくれる。修理の結果、機能はほぼ完全に回復したのだが、使用に際してはいささかの注意を要する状態であり、タフに使うことは到底出来ないこともわかった。
実際、工房周辺でフィルム1本消費してみたのだが、やはりおっかなびっくり使ってみるというのが正直なところで、日没までにはまだしばらく時間があったものの、さっさと切り上げて事務所へ戻ってしまう。


夜になって、知人の造形作家氏から電話があり、今週後半に夕食をとる予定だったのを、可能ならば今夜に出来ないかと告げられる。
まぁ、最初は今夜の予定でもあったことだし、気乗りしないといっても始まらないので、造形作家氏に紹介する知人を伴って約束の場所へ赴いた。
果たせるかな、待ち合わせ場所を勘違いして合流には失敗するは、店のスタッフには何度もシカトされるはで、本日の締めにふさわしいgdgdぶりだったが、それでも知人と造形作家氏をうまく引き合わすことが出来、とりあえずの義務は果たせたということでよしとしようか。


あ、料理はうまかったね。
まぁ、世の中悪いことばかりじゃないと、そういうことなのだろう。


大停電の朝に

2006-08-14 23:39:38 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

テレビでイッセー尾形アドリブドラマを観ながら、メガネをはずしたイッセー尾形は黒木瞳と似ていることに気がつく。
ということは、メガネをかけた黒木瞳イッセー尾形、ひいては裕仁にも似てるのではないかと、なかなか愉快な空想が膨らむ。


いつか、機会を見て黒木瞳のヒロヒトコラでも作ってみようかと思うが、公表するとただじゃすまないだろうなぁ~
でも、ブログが嫌になったら、最後のネタに投入するかも。


朝、いつものように事務所へ向かい、なんとなく嫌な予感がしたので、あえて機材を持ち出した。
打ち合わせ場所へ向かおうと、駅についてみれば大混雑。聞くと、停電で地下鉄が運休していると告げられ、仕方なく山手線で目的地へ向かった。
どうやら先方はもろにやられたらしく、身動きも取れないし携帯もなかなかつながらないしで、もぅすっかり大弱り。


とりあえず昼飯食って時間をつぶすも、まだまだ時間がかかりそうとのこと。
ちょうどいい天気だったし、近場の量販店でフィルムを買い込んで、その辺をぶらぶらしながら2本(16カット)消費する。
夏季休暇中とはいえ、ビジネス街でも大型商業ビルには人があふれ、あんまり休みという感じがしない。
あまり調子も出ないし、そろそろ切り上げようかというときに先方より電話があり、やはり「今日の打ち合わせは中止」とのこと。
まぁ、こういう日もあるねって感じの、どうにも中途半端な1日だった。


キャンプと呼ぶにはなにかが、いやなにもかもが足りない

2006-08-07 23:26:59 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

強烈に暑い日だったが、台風の接近による天候悪化が避けられないため、ちょっと無理して撮影に出かける。
とはいえ、シートフィルムを10枚ほど消費した段階で、体全体がだるくなってギブアップ…


慣用句で言うところの、年寄りの冷や水なのだが、感覚的には真逆だねぇ~


今日はワークショップの期別最終回なので、ぶっちゃけ打ち上げ目的で出かける。
というのも、夏休みに入ったためか、暗室が押さえられなかったので(学校の設備を使えなくなった写学生があふれたのかな?)、コンタクトもテストプリントも間に合わなかったのだ。
正直、行こうかどうしようか、迷うところもなくはなかったが、来期は参加しないこととしているため、まぁ最後のご挨拶というわけだ。
ただ、来期は参加しないといっても12月には展示を予定しているし、受講生の方々と完全に縁が切れるというわけでもないので、別になにがどうというものでもないし、いつものように写真の話をして、いつものように別れて、それでおしまい。


ちょっと面白かったのは、自分が最近はまっている「キャンプ」についてあれこれ話した時で、案の定というかなんと言うか反応は極めて鈍く、むしろ反応できるヒトがいて驚いたくらい。わかるヒトにはわかると思うのだが(そして、わからないヒトには永久にわからないとも思う)、キャンプというのは、それを感じられるか否かで反応がきっぱりと別れてしまい、ほとんどすべての場合は「なんのこっちゃわからない」まま、話を流されてしまう。
英語圏では辞書に収録されているほどのポピュラリティを獲得している言葉なのだが、残念ながら日本では定着しないまま死語と化したようだ。


話を戻すと、先日鑑賞した干田哲平展「母と」に対して、自分があまりにも「アレはキャンプだよぉ~」と言い張ったことから、当然のように「キャンプってなんだよ」という話となり、5月にプレイスMで開催された川口和之展「DISTANCE OSAKA」と「DISTANCE TOKYO」とか、あるいはスペンサー・チュニックを「キャンプのしゅばらちぃ実例」として引き合いに出しつつ、なんとかキャンプを伝えようと四苦八苦していたというわけ(いや、なんだかんだで自分は会話をかなぁり楽しんでいたのだから、これまた感覚的には真逆だねぇ)。


でまぁ、そこまではよかったのだが(というか、ヨシとしておこうやって感じ)、その後でいつの間にか自分の展示に関する話となり、例によって「テーマが見えない」という話となってしまう。まぁ、自分としてはテーマを作家の側から提示するなんて、鑑賞者を小ばかにしたようなものだと思っているので、その部分についてはどうしても話が平行線のままなのだが、問題は写真の複製可能性や機械的要素の介在に伴う「本物性と偽物性」というテーマそのものについて、参加者から「それは写真というメディアを扱っている段階で当然のように現れるため、ことさら展示してまで打ち出すものではないのでは?」という疑問を呈されたことだった。


まぁそのぅ~
なんともぅしますかぁ~そのぅ~
自分は当然のように現れるからこそ、そこになんとか新しい見方やら、当然過ぎて見過ごしていた要素やらを盛り込もうとしていたのでありまして、そういう風に評価されるということは、とりもなおさずすなわち全否定なのですよ…
まぁ、これも自分の力の至らなさがもたらしたものでありますから、謙虚にありがたく受け止めたいところではあります。
というか、これって「バカがソンタグのまねをしたこと自体が大失敗」というところにつきる、のでしょうかねぇ~


やれやれ、おぉしょぼぼぉ~~んぬぅ~


倉内でアウト

2006-08-05 23:27:40 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

めちゃめちゃ暑かったが、よく晴れていたので撮影に出かける。
夏場は日差しが強いのだが、特に正午の前後は太陽位置が高くて光が平均的に回ることと、湿度や埃のため見た目よりもずっとヘイズがひどいので、光量の割にはコントラストが低くなる。陽炎が立ったりし始めるとある意味最悪で、いわゆる「ヌケのよい画」を撮ることは非常に困難となってしまう。
まぁ、たいていの人は「コントラストが低くなることを嫌ってPLフィルターを使ったり、あるいは夏場日中の撮影そのものを控えたりもするのだけど、自分はそのもやもや感もまた悪くないと思っているから、暑い昼下がりでも機材を担いでひなたをぶらぶらするわけです。


とりあえずフィルム3本(24カット)と10シート消費して帰宅したんだけど、今日は携帯電話の契約もしなければならなかったので、日が暮れてからまた街に出た。


以前、ちょこちょこ35で夜景を撮っていたのだが、あからさまにメインとはかけ離れたテーマなのに、コンタクトを管理する負担が非常に重く感じれたことから、いつしかやめてしまっていた。ただ、最近になってデジタルで撮るようになり、管理負担が激減したことから、またぼちぼち撮るようになっている。
まぁ、管理は便利でも画像の質は銀塩の圧勝で、特に被写体がぶれた際のグラデーションなど、作品の肝となる要素でデジタルの弱点が表面化してしまうのは困ったものだ。
いろいろ試しているのだが、時として写りこんだ人々の表情やポーズが「クラウチ」と化してしまい、まったく使い物にならなくなってしまうのは大弱りだねぇ~


クラウチ本人にはなんの罪も無いんだけど、作品としてはまったく使い物にならないのも確かなので、ただ困るしかないんだよねぇ~