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芸術の証明

2007-07-13 17:28:21 | 業務関連


昨日の午後に成果物を引き渡し、ヨウヤク一息ついた。とはいえ、企画そのものはまだ完了していないので、自分の立場では達成感がどうのという感覚も無い。むしろ、作業者の方々にはずいぶん無理をさせてしまったし、もうちょっとなんとかならなかったのかという、後悔というか作業の進め方に対する反省の念を強く持った。



まぁ、それでもある程度の目処が立ったのは確かなことだし、担当者とのやり取りにも軽口が混ざる。
中でも面白かったのは、今回の事態を引き起こした張本人とのやり取りを確認した際、その人物が「アーティストであること」にこだわっていたことが、自分と担当者の記憶や記録から改めて明らかになったことで、正直言って2人とも失笑を禁じえなかった。



美術方面の方々には「アーティストであること」にこだわるといってもピンとこないかもしれないが、言い換えるなら「芸術家であること」にこだわっているのだ。いや、まだピンとこないかもしれない。
なぜなら、美術分野では作家として作品を制作すること自体が「芸術家であること」の証明であり、作品を公開してもなお「芸術家であること」の証明を求めるというのは、非常に考えにくい事態とさえいえるであろうからだ。



むしろ、美術分野では「芸術家ではない」と表明することの方が目に付くし、特に現代美術の世界では作品を公開しつつも「旧来の芸術なりアートといった価値観、概念との距離感」を作家自らがどのように捉え、かつ対外的に表明するのかが、作家にとってはひとつの大きな課題となっているともいえよう。だから、作家がわざわざ「アーティスト」とか「芸術家」といった表明をすることや、ましてそういう肩書きにこだわるというのは、それ相応の作家的戦略性に基づいた行為とみなしてしかるべきなのだ。



もちろん、作品や作家を紹介する際におけるひとつの惹句や方便として、あえて「アーティスト」とか「芸術家」といった単語を用いることはよくある。だが、そういった場合においても「何気なく見過ごしている日常の風景を、作家独自の視点で切り取り、芸術作品とした」なんて紹介をされた日には、作家自身が凍え死んでしまいかねない。少なくとも、自分がそういう紹介をされたら、恥ずかしくて展示会場には足を踏み入れられないだろう(もちろん、それが「ネタ」だったら話も変わってくるがね)。



ともあれ、作品を世に問ういているにもかかわらず、それでもあえて「アーティスト」とか「芸術家」と自認することは、やはりいささかトリッキーな行為だと思うし、作者自ら作品を「アート」とか「芸術」と称して恥じないというのは、ほとんど喜劇的なまでに恥ずかしい行為だと思うんだよな。



えっ?
村上隆の名刺には「アーティスト」と記されていて、電話をかけるときにも「アーティストの村上です」と名乗るって?



それこそ、戦略的にネタを振っているのだよ!
でも、かなぁり恥ずかしいし、やっぱり寒いと思うけどね。


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2 コメント

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肩書き ()
2007-07-18 10:41:07
日本人は結構肩書きを気にしますからね。
何か背負っているものがないと背中が寒いのかもしれません(笑)
これに似ているかは判りませんが「先生」という呼称。
漫画家に良くこれを付けて呼んだりしますが、如何なものかと私は思います。
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先生… (m_m1941)
2007-07-18 17:20:41
先生は寒いですよね~
同人作家さんに先生なんて肩書きつけた日にゃ、かえって小ばかにしたような感じさえ漂ったりしますが、意外と普通に先生つける人もいて、なんだかもにょります。
とはいえ、本当に面識もなにもない作家さんとはじめてやり取りするときには、自分も先生ってつけたりしますけどね。
でも、原画家やイラストレータを「絵師」と呼ぶのは、ほんとにマジでやめて欲しい今日この頃ですw
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