Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

雨でうんざり

2008-05-05 19:52:24 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月
Ikebukuro050


先月の予報では連休後半に好天が続くことになっていたが、現実は降ったり止んだりのぐずついた天気が続いている。この時期は天気が短い周期で変動するため、冷静に考えれば仕方のないことでもあるのだが、先月の後半からここ3週間ばかりこういう天気が続いているので、そろそろいい加減にうんざりもしてくる。



仕事もなにやかやで不安定なことが多く、急な予定の変更などもあって落ち着かない。天気が天気な上、仕事までそんな調子だから、昼間の撮影は全くといってもいいほどはかどっていないのだが、それに反比例するがごとくに夜の撮影は急ピッチで進んでいるのが、これまたなんともかんともいいがたいところではある。



というのも、夜の撮影となればむしろ雨のほうが好ましく、また夜は基本的に小型1眼レフで撮影するため、思いついたときにさっと撮影できるという強みもあるからだ。それに、昼間に撮影していた都市風景はややもすると堅苦しくなりすぎていた嫌いもあり、ここしばらくはその堅苦しさを活かすべきか崩すべきかで悩んでいたこともあるので、思いもかけない形ではあるものの、撮影の手を休める機会が得られたのは悪いことでもなかろうかと思う。



ともあれ、連休明けからは仕事のペースを上げねばならず、また原稿の締切りも迫ってきているため、そもそも撮影どころではなくなってしまうだろう。せっかくなので、気持ちと体を休める、文字通りの休暇としましょうかね。



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展示テーマをさらに煮詰める

2007-12-19 21:26:35 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月
Ochanomizu001


今日は朝から曇っていて、しかも非常に寒かった。撮影どころか布団から出るのさえ億劫だったが、そんなことをいっていても始まらないので事務所へ向かう。とりあえず日々の業務を淡々とこなしつつ、ひまを作っては展示のテーマや内容を紹介する文章を練る。



今回の展示では知人にディレクションをお願いしたのだが、自分の認識の甘さや至らなさ、見識の足りなさ加減に、日々汗顔の至りといった有様だ。トニカク「展示の中心になる核」と、さらに「作家としての意思」について、繰り返し問われ、かつその点を煮詰めるという作業から先に進まない。



自分としては複製芸術であることが最大の特徴であり、かつ特長であったはずの写真が、なぜか「一回限りの繰り返し不能なアウラ」を獲得しようともがき、かつオリジナル作品としての神格化(個人的にはネ申木各イヒと表記したいがね)をもくろんでいることに対する、限りない幻滅とやるせなさと寂しさと疎外感とあきらめを表現したいと願っているのだが、問題はそれを作品という形で伝えられるだけの力量を持っているかどうかだね。



明日も打ち合わせの時間を持つが、そろそろ時間的に差し迫ってもいるし、またしても見切り発車となってしまうのかどうか、これからが本当に正念場だ。



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展示テーマを煮詰める

2007-12-07 20:27:05 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月
Tsukishima004


今日も朝からいい天気だったが、洗濯とHDD/DVDプレイヤの設定をしただけで、そそくさと事務所へ向かった。



ここしばらく煮詰まり状態が続いていて、中でも展示テーマについては考えあぐねていたのだが、知人がブログジャストなネタをエントリしていたことから、一気に突破口が開けそうな予感がしてきた。とりあえず、展示のディレクションを依頼する知人へ電話し、その勢いで展示概要説明の草案を組み立てる。



展示タイトルとサブタイトルについては、とりあえず最初に告知したままとするが、告知対象は根本から再検討せねばならない。写真関係にこだわることなく、より多様な分野へ積極的にアプローチする必要がある。というか、むしろ写真関係を全スルーするくらいの思い切りが必要だし、ヨウヤクその踏ん切りがついてきたようにも思える。



明日はギャラリーへ出向いて、告知やポストカードの締切りを確認しなければならない。



だんだんテンション上がってきたね~



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ギャラリーのはしご

2007-05-26 23:14:44 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月


今日は朝から本当によい天気だったが、遠方から上京する知人を迎えることもあり、小型カメラのみで出かけた。
結局、ロールフィルムを2本消費しただけで、撮影という点ではいささかフラストレーションを感じた。



ただ、知人と別れた後で廻ったギャラリーはどれも大当たりで、その意味では大成功の1日だった。



まず表参道画廊へ寄り道し、本日で最終日を迎えた市川哲男写真展と高橋昇展L'INNOMMABLE(名づけえぬもの)を鑑賞する。感想については直前のエントリーを参照して欲しいが、今日はたまたま宮内克彦氏と出会ったこともあり、展示を観た後であれやこれやを話して和んだりもした。



その後、経堂のロバロバカフェへ向かい、渡辺貴子展「うつろふ」を鑑賞する。こちらは本日が初日ということもあり、渡辺氏ご自身からもいろいろ興味深いお話を聞かせていただいた。
白状してしまうと、自分はちょっと立体美術が苦手なのだが、たまたま訪れた巷房ギャラリーの「階段下の音」展ではまってしまい、それから機会があると展示を観に行くようになったというわけ。
とはいえ、いかんせん立体を表現する言葉を持たない悲しさで、なにか感想を書こうとしても困るばかり。
ただ、今回の作品はこれまでの作品にあった近寄りがたさがちょっと抜けて、より「生っぽく」なってきたように思う(セラミックの作品を捕まえて、生っぽくも何もないものだとも思うんだけどさ)。
ともかく、非常にお勧めの展示だから、時間を割いてでも観に行ったほうがいいと思う。そして、ジャスミンティーをおいしくいただき、次のギャラリーへ向かう。



今度は東北沢の現代HEIGHTS「Gallery Den」にて開催中の林隆文展「これら重要な日々」だが、相変わらず力のめいっぱいこもった作品で、しかも大伸ばしにしているものだから、ギャラリーへ入った瞬間に圧倒されてしまった。
相変わらずというのは、林氏もまた金村ワークショップで一緒に受講したことがあるので、そのときに検討用のプリントをいくつも拝見させていただいていたのだ。ただ、ワークショップを受講していた当時の林氏は、非常に匿名性を重視した力強い作風だが、同時にある種の硬さや戸惑いもあったように記憶していた。
しかし、今回の展示では過去のことを棚上げして、とにかく作家自身の表現したいこと、表現できることを追及していったそうだし、実際に伸びやかさというかおおらかさを感じさせるセレクトになっていると思う。
ほんの2~3回しか一緒に受講していなかったのだが、林氏は自分のことを覚えていてくれて、作品やこれからの制作についても突っ込んだお話を聞かせていただいた。あまりにお話が面白かったので、少し長居をしすぎてしまったかもしれないが、その点は平にご容赦をということで…



ともかく、この展示も非常に観る価値が大きいので、特にストリートフォトがお好きな方は、無理してでも足を運んだほうがよいと思う。



さて、明日こそは腰をすえて撮影したいところだが、こういうときに限って曇ったりヘイズが出たりするんだよね。
へ、東京まで黄砂来てるって



勘弁して欲しいぬぅ~



林隆文 「これら重要な日々」
会場: ゲンダイハイツ・ギャラリー・デン
スケジュール: 2007年05月17日 ~ 2007年05月29日
住所: 〒155-0031 東京都世田谷区北沢 1-45-36
電話: 03-3469-1659 ファックス: 03-3469-1659


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うれしい誤算

2006-11-23 23:37:09 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

昨日の天気予報では雨だったけど、幸いにして曇りだったこともあり、今日は美術館やギャラリーを廻った。
とりあえず、手始めに開館時間の最も早い近美から鑑賞し始めたのだが、ぶっちゃけ特別展はスルー上等だったように思えてならない。
もちろん、趣味の合わない作品や展示からも、なにかと得るものはあるのだが、出鼻をくじかれてしまったのは確か。
ただ、お目当ての写真の現在3「臨界をめぐる6つの試論」は非常によかったし、併設されている所蔵作品展「近代日本の美術」でも、写真コーナーでロバート・フランクウィリアム・クラインが特集展示されているなど、トータルでの収支はプラスだったからまぁよかったといえばよかった。


しかし、いまこうして振り返ってみれば、午後のギャラリーめぐりを暗示するような展開だったなぁ~


とりあえず腹ごしらえをした後、今度は写真ギャラリーを廻り始めたのだが、まぁ特に書くようなことも無かったね。
ただ、ギャラリーRoonee247Photography『merry tokyo』を鑑賞した際、作家の大山勝巳氏と久々にお会いできたことと、ガレリアQの「seven times」はちょっとよかったと思う。


腹ごなしついでに駅方面でちょっとぶらぶらした後、大して期待もせずにコニカミノルタプラザを覗いたところ、これがまたびっくりするくらいよい展示もあって、それまでの分を一気に取り戻したね。
特によかったのは木内美羽写真展「mius」で、ぶっちゃけメーカー系ギャラリーでこういう展示が観られるとは思わんかった。まぁ、例によってネタばれ回避という名目で詳細はパスさせていただくけど、ここまで正面切ってテクスチャを前面に持ってこられると、後はただついていくか背を向けるかしかの、二択しかないようにさえ思える。
もちろん、自分はこの手の作品が大好物なので、笛吹き男に誘われるねずみよろしくついていくわけなのですけど、展示設計もちゃんとしているのがまたよくって、しかも作家氏本人もなかなか面白いという、本当においしい展示でございました。


とりあえず、テストプリントの日程も確定したことだし、終わりよければ全てよし。


砂とバターと、時々お寺

2006-07-30 23:14:49 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

長かった梅雨もようやく明けて、いかにも夏らしい天気になったことだし、今日もまた撮影に出かけようと思っていたところ、知人からメール着信。
近所で砂曼荼羅をこしらえてるから、いっしょに見物しようとのお誘い。
興味がまったく無いわけではなかったが、そもそもスピリチュリアル系のあれやこれやがかなり苦手なので、イベントそのものよりも「客層が嫌だ」と告げたところ、バター彫刻もあるとかなんとかわけのわからないことを言い始めたので、仕方なく「入場料は知人が負担する」ということで妥協した。
まだ、朝も早い時間だったのだが、知人が「こういうのは朝から行かないとだめだ」と、これまたやたら強硬に言い張るので、取るものもとりあえず家を出た。


会場となった寺院へたどり着いてみたら、既にかなりの人だかりが出来ている。
僧侶の読経が流れる中、焚き染められた香の煙にむせ返りつつ待っていると、砂曼荼羅を描き始めるのは、お経を唱えて曼荼羅の意味を解説した後ということがわかり、とりあえず知人と2人で遅めの朝食を取ることとした。再び寺のお堂へ向かったところ、まだ解説が続いており、仕方ないので隣の売店を物色するなどして時間をつぶす。
ようやく砂曼荼羅を描き始めたかと思ったら、既にほとんど出来上がっていて、残されていたのは外周部の装飾のみだった。
そうは言っても、まぁめったに観られるものでもないし、バター彫刻もなかなか面白かったので(個人的には、こっちのほうが楽しめたかも)、なんだかんだ言いながらも楽しい時間をすごすことが出来た。


そうこうしている間に、昼を過ぎたころからどんどん人が増え始め、砂曼荼羅の周囲は人で埋め尽くされてしまう。さすがに暑くなってきた上、解説も2周目がはじまり、しかも「なぜだか眠くて仕方なくなってしまった」ので、とりあえず木陰のベンチで軽く昼寝した。その後は、知人と中国茶館でだらだらし、適当に用事を済ませて帰宅した。


それにしても、紛うことなき宗教行事であるにもかかわらず、全体の雰囲気がとにかくゆるい。
いっちゃぁなんだが、盆踊りか縁日、せいぜいが初詣なみのゆるさである。まぁ、自分も堅苦しいのは苦手だし、初詣はもちろん、盆踊りも縁日も「宗教行事」であることを考えると、東洋的というか仏教的な「ゆるさ」なのかもしれない。
また、この砂曼荼羅パフォーマンスはかなりの人気があるらしく、ここ数年は「毎年のようにどこかでやっている」というのも興味深い。


小難しく言うなら、最も究極的かつ激しい形で「礼拝的価値から展示的価値への転換」が行われたということになるのだが、ベニヤミンあたりがこの光景を見たらなんといっただろうか…


ここ数年の間に日本で制作された砂曼荼羅や、その製作過程を記録した「画像」を観ながら、生で観た砂曼荼羅にも「アウラは無かった」し、1回きりであるはずなのに「既視感にあふれていた」のはどういうことなのだろうかと、ぼんやりした頭で考えてしまった(とりあえず、過去世において自分がその場に立ち会っていたとか、そういうスピリチュリアルすぎるのはなしだよ)。


そうそう、焚き染められていたお香には「薬草粉」が練りこんであったそうで、観ていると眠くて仕方なくなって困った。
もしかして、アウラを感じられず、既視感にとらわれていたのは、そのせいかもしれないなぁ~


私性からの跳躍

2006-07-16 23:51:15 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

やらねばならないことは山積みなのだが、合間を縫って福居伸宏氏と宮内克彦氏の二人展「と ま れ 、み よ」を鑑賞する。
会場となったgallery Archipelagoは新川の表通りからちょっと入ったところにあり、日曜の夕暮れ時には人影もほとんど見当たらなかった。


昨日が初日でオープニングパーティーだったのだが、残念ながら仕事の関係で参加できなかった。とりあえず、本当にささやかさ差し入れを持参し、両氏にご挨拶をさせていただく。
両氏とも金村ワークショップの受講生であり、旧知とは行かないまでも既に見知った間柄だったため、何とはなしに互いの制作状況や展示の準備などに関する話をしつつ小1時間ほどだらだらすごし、会場を後にしたのは閉廊時刻が迫った19時少し前だった。


両氏の作品について、自分が賢しらにあれこれ言うのもいささかおこがましい話ではあるのだが、あえて言うならば「私性を完全に超越した視線」に、否応無しに引き寄せられ、絡み捕られてしまったというか、それほどまでに深いレベルでの共感を得た。


私性といっても、自分は作家性と別次元の概念だと捉えている。


ただ、私性と作家性を同一視して、作品によって私性を主張することが作家の務めであるかのように活動している人々も数多く存在しており、またそのような考え方が一定の支持を得ているのは事実だ。かつて流行したガーリーフォトなどはその極端な事例だと思うが、自分はいわゆるクラシックカメラブームやロモブームでもまた、私性と作家性の同一視が前提となっていると思う。


既にスーザン・ソンタグの論考にも軽く触れられているのだが、作家や写真愛好者には特定の機材(それも、大半の場合は使い勝手の悪い旧式機か、性能の劣る大衆機)や感材を使うことにプライドを持つというか、機材によって他者との差別化を図る人々が少なくない。いや、少なくないどころか、そのような考え方は、写真の世界全体に蔓延しているといっても過言ではなかろう(HIROMIXとBigMiniのエピソードを持ち出すまでもなく、いわゆるガーリーフォトを代表する作家たちの中にも、機材や感材に対するフェティッシュなこだわりを隠そうともしない人々は少なくない)。
もちろん、そのような考え方は私性と作家性の同一視と極めて容易に結びつくし、そこから作品、あるいは「機材」を利用して私性を主張することまでは、ほんのわずかな距離しかないのだ。


自分自身をも含め、特定の機材や感材に拘泥する人間は、ほぼ例外なく「自己の作家性を表現するためには、その機材や感材が必要なのだ」と主張するが、ほぼ例外なく「特定機材や感材を使いたいがために、作家性なるものをでっち上げている」に過ぎない。
ただ、それでも私性と作家性とを峻別しているのであれば、破滅的な事態は避けられるのではないかと思う。


もし、私性と作家性を混同したまま機材や感材に拘泥し始めたならば、機材や感材によって私性を主張することが作品のテーマとなり、作品製作の目的になってしまうのはほぼ間違いないし、つまるところ本人の承認欲求を満たすためだけの作品が世の中に垂れ流されることになるのだろう。


まぁ、たとえ1台9千円のホルガだろうが、あるいはかつて1本100万円したこともあるニコラ・ペルシャイトだろうが、作品観るほうには機材関係ないやんって、正直そうおもうんやけどねぇ…


少数報告

2006-03-18 23:17:57 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

これまでのあらすじ


知人から過去の恥ずかしい写真が収められたポートフォリオを返却された松代守弘は、捨てるには忍びないものの、手元に置いとくのも機分が悪いということで、どうにもこうにも弱り果てていた。


ごりごりのストレートフォトグラフィ原理主義者であり、また実践者でもある松代にとって、下手な小細工を弄して下らぬ作家的意図を前面に押し立てた写真を撮影していたという過去は、闇に葬り去ってしまいたい汚らわしい黒歴史そのものであったのだ。
しかし、
ビッグブラザーでもあるまいし、過去を改変したり、ましてや抹殺できるはずもなく、松代はただ途方にくれ、ひとりたたずむのであった。


つづく


基本的に、最近の自分はアルフレッド・スティーグリッツからF64にいたる、ストレートフォトグラフィ写真史の流れから捉えた解説はこちら)の流れに則って撮影している。だが、ストレートフォトグラフィ自体がピクトリアリズムへのアンチテーゼから生まれただけに、ピクトリアリズムという概念というか芸術運動を支えていた写真的技法が陳腐化していくに伴って、ストレートフォトグラフィの概念もまた大きく揺らぎ、さらには存在意義すら失っていくこととなる。
実際、こちらではストレートフォトグラフィについて「現在では、その本来の目的はまったく失われ、技巧を用いないというその特質のゆえに、かえって、あたりまえの、平凡でごく一般的な表現手段として、アマチュアの間でも普及している」とも解説しているし、また飯沢耕太郎氏第2回写真新世紀の選評において「ストレートフォトグラフィって、最近何もいじってない写真のことを言ってるけどさ、『素直に気持ちが出ている。』そーゆーのを言うんだよ」と、旧来の定義とはいささか異なる精神的なストレートフォトグラフィ観を披露しているように(もっとも、飯沢氏はピクトリアリズムの再評価を熱心に進めているので、この発言についてはある種の「戦略性」が含まれている可能性がある)、もはや単なるレッテルとしての意味すら喪失した言葉であるかのような状況とさえいえよう(もちろん、これらの解釈には強烈な違和感を覚えるが、ここでは触れない)。


しかも、ピクトリアリズム的な流れが絶えたかというと、そんなことはぜんぜんないわけだったりもする。確かに技法は変化したものの、その絵画志向的な精神は、現在に至るまで脈々と受け継がれている。それに、カーボン印画やゴム印画法、オイルプリント、ブロムオイルなどのさまざまな技法もまた、古典技法として一定の支持者を獲得し続けているのだ。
古典技法ではないものの、こちらのピクトリアリズム解説にも記されているようにソフトフォーカスをはじめとする技法を駆使して幻想的な映像を「創出する」作家も多く、また作家的意図を表現する観点からボケもう少し詳しい解説はこちら)に異様なまでのこだわりをみせる作家は少なくない。


挙句、ボケがいまいちなデジカメやCGにもボケを後から加工できるようになったり専用アプリまである)、さらには日本発の新たな写真表現(Bokeh)として、ストレートフォトグラフィの本場ともいえるアメリカでも広く認知されているのだから、ピクトリアリズム的な流れは「写真表現において主流となっている」とすら言えるだろうね。


まぁ、さすがにAlex Shechkovほどになると、ボケがどうこうとかいった次元を軽く超越して、マニピュレイテッド・フォトグラフィの領域に達しているわけだけどね(ただし、政治性、批評性の有無という点が微妙なんだけどさ)。


さておき、厳しい批判にさらされ、一時は衰退したかに思えたピクトリアリズム的な流れが、なぜ絶えることなく現在まで受け継がれ、それどころか形を変えつつ隆盛を誇っている理由だが、やはりそれは「わかりやすいこと」に尽きるのではないか。そして、その「わかりやすさ」は鑑賞者にとってだけではなく、製作者にとっても「自身の制作活動を把握しやすくなる」という、ある種の「わかりやすさ」をもたらしたと考えている。


ピクトリアリズムにしても、絵画的写真にしても、芸術写真にしても、あるいはマニュピレイテッド・フォトグラフィにしても、撮影者の「作家的意図」を前面に打ち出し、そして「作家的意図に従って観客を誘導する」ことが重要視されているのは変わらないだろう。
作家は観客にみせたいものだけを選択的に作品へ取り入れ、あるいは「みせたくないものを作品から排除」し、また観客も作家の意図を汲み取って「作家のみせたいものを観、みせたくないものを無視する」ことで、作家と観客との間で世界を共有することが可能となる。その世界は互いに居心地のよい、いわば「安心安全かつ安定した世界」かも知れないが、作品の受け止め方は作家の用意した「たった一つの冴えたやりかた」しか存在しない世界でもある。
しかし、作家と観客との共犯関係がなければ成立しない世界に、新たな発見や驚きは存在するのだろうか?



作品を制するものは解釈を制する
解釈を制するものは観客を制する


この点については、古くはベンヤミンが厳しく批判している。また、長谷正人氏も撮影者の意図を写真に反映させるのではなく、写真の持つ「無意識の知覚」とでも言うべき機能、つまり「撮影者の意図しなかったもの」が写ってしまうことをより積極的に評価すべきと論じている(映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン)。長谷氏の論考にはとかくいろいろと引っかかるところも多いとはいえ、少なくともこの点については非常に共感するところが多いと受け止めている。個人的にも、撮影者のみせたいもの「だけ」に、鑑賞者の視線を誘導しすぎることについては、やはり批判的に捉えざるを得ない。


どうせ他人にみせるなら、作家自身でさえ気がつかなかった世界を、素材編集から展示に至る過程で再発見し、また観客の側からも「作家の意図を超えた新たな解釈」を提示する余地のある作品をみせたいと、そう考えているのだ。


展示初日まであと7日


過去の清算

2006-03-16 23:18:55 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

知人からポーションをいただく。


いちおう、お疲れのようだから「コレでも飲んで回復して」ということだったが…
もちろん回復するはずもなく、それどころかダメージを受ける(どうせ俺はアンデッドだよ)。
挙句に「飲んだらビンは返してくれ」という始末…


でもまぁ、ご飯をおごってくれたからいいや!


晩飯うまうまと喰らいながら、ぼちぼちと世間話などするわけですが、知人は今月末に引越しをするので、まぁその話がメインとなりまさぁなぁ。引越しともなればなにかと物入りだし、不用品を処分しなければならないよと、引き伸ばし機の引き取り手が見つかったよと、そぃつぁめでてぇななどと、適当なこといっていたところ…
やぶからぼうに「押入れから古いポートフォリオが見つかった」なんて言いはじめた。


おい、ちょっとまて!



知人は自分がЛОМО写真撮ってたころからの付き合いなので、あれこれと恥ずかしい過去も知ってるし、自分もかつてはそういう写真を撮っていたし、中にはそれなりにウケのよかったカットもあるんだけどさぁ…
案の定というかなんと言うか、予想通り、過去の恥ずかしい写真がぞろぞろ出てきやがった。


たとえば、こんなんとか


こんなんとか  


それから、こんなんが出てきたんですね。
 


ごめんなさい、ごめんなさい、もぅしないから許してください~~


若気の至りとしか言いようのない代物ばかりだが、こんなのを撮影していた時点で、自分は既に三十路を迎えていたんだよ。
ほんと、顔から火の出る思いとはこのことだね。
まぁ、過去は過去として受け止めなければならないのだけど、それにしても重い過去だなぁ~


とりあえず、この路線は全否定というわけで、知人からも「恥ずかしい過去はさっさと清算したほうがいい」と、なんともいえない励ましの言葉をいただく。意地が悪いんだかなんだか、ほんと反応に困る知人だが、あえてこの時期に恥ずかしい過去を突きつけてくる根性というのは、なかなか得がたい人物でもあり、そういうひねりの利いたところが自分には心地よかったりもする。
いや、ほんとに得がたい知人だと思うよ。


展示初日まであと9日


Welcome to this CRAZY AGE

2006-03-12 23:45:51 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

今日は思ったよりも天気がよかったので、早起きついでに出かけて撮影した。


本当は撮影なんかしている暇なんかかけらもないのだが、どうせ日曜は朝から早起きしてアニメ観てるし、プライベートでも煮詰まってるんでちょっとむしゃくしゃしていたしで、このままでは仕事にならないという口実を「自分の中でだけ」正当化して、アニメ観終わったらメールの返事してそそくさと出かけた。
出かけた直後はやや雲が多く、これじゃだめかもと思っていたが、目的地へ到着したころにはそこそこきれいに晴れていて、思っていたよりも快調に撮影を進めることが出来た。まぁ、時期が時期なのでややヘイズが厳しいのは仕方ないとして、なんだか景色全体がアンバーがかってるような気がするのは、気のせいとかじゃなさそうだったのでちょっと嫌かも。
とりあえず、フィルム1本と10枚で計18カット撮影し、そのまま飯も食わずに引き上げる。
今回の撮影結果が反映されるのは「次の次の展示」だが、感材とかいろいろの要素も変えたし、調子がよいようならしばらくの間はこのスタイルで撮影してみようと思っている。


帰宅後、共同で仕事をしている作家氏から連絡があり、長期間棚上げされていた案件についてやり取りする。予想よりはるかによい状態だったのはよかったが、データフォーマットの問題が隘路となっていることも判明し、それはそれで困ってしまう。
データフォーマットの問題についてはいつも悩まされるのだが、デジカメだとどんなことになるのか、つい連想してしまう。いずれ、デジタル画像データでも同様の問題に直面するかもしれないし、長期保存を前提とする作品については、やはり銀塩のほうが無難なのかもしれない。


相変わらず自分自身の仕事の進みは遅く、正直言って他人様のことなど構ってはいられない。
だが、こういうときに限って構ってほしがる人が現れるのはマーフィーの第?法則だったっけ?


最悪から二番目の真実

2006-03-08 23:29:42 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

渋谷まで出る用事があったので、ちょっと無理して撮影した。


既に締め切りまで1週間となっており、本来ならそんなことをしている時間もないのだが、久々の好天と言うこともあって半ば無理やり時間をひねり出した。撮影そのものはまぁぼちぼちといったところだが、とりあえずフィルム2本(29カット)撮影し、途中でギャラリーNADAR/SHIBUYA355へ立ち寄り、ポストカードもおかせていただく。そろそろ会期も迫っているので、こういう機会は無駄にできない。
また、ギャラリーでは藤野文子氏の「幸せな時」が展示されており、ご本人とも少しお話させていただいた。


NADARでは、スタッフスペースのフロントでもHOLGAをはじめとするトイカメラを販売していたり、かなりポップアートよりの方向性を持っているように感じられた。もしかしたら、ギャラリーコンシール渋谷に集まるような人々とも相性がよいかもしれないけど、まぁ東京都写真美術館でもロモグラフィーが展示されるご時勢ですから、コンサバとまではいかなくてもごく普通に市民権を得ている存在なのかもしれない。


そうそう、今度HOLGAの本が出るそうだね。


とまぁ、そんなこんなで事務所へ戻り、とりあえず仕事に手を付けはするのだが、コレがまた全然進まない…
どうしようもないので、優先度は低くてもこなせそうな仕事からやっつけつつ、担当者と昨日の撮影結果についてあれこれやり取りする。
でまぁ、それでさぁ~
昨日の撮影結果がよかったのはうれしいんだけどね。


コレなら銀塩でいけるから、そういうことでよろ!


って、昨日の話しはどうなのよ?


まぁ、同じフロアのカメラマン氏が新機材を導入したんで、しばらくはそっちで様子見というのは健全な判断だと思うし、機材費を圧縮するのも当然なのだけどね。電話で「今までで一番よかったから、早く観に来たほうが良い」とか言ってくれるし、それよりなにより大エラーしでかしてなくって安心もしてるんだけどね。
でもさぁ~


あまり、あまりうれしくないでござる…


あ、先生!実はそっち違うんですぅぅぅ…

2006-03-06 23:44:46 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

久しぶりに金村修ワークショップへ参加した。


かなぁり久しぶりだったが、だからといって雰囲気が特に変わっているわけでもなく、いつものように淡々と作品を検討していただく。
自分は展示するプリントを最終的に確定し、出来れば会場に掲示するコメントについても意見をいただこうと思っていたのだが、ギャラリーコンシールへ提出したポートフォリオに検討用のプリントをはさんできたため、思いがけず「ギャラリーへ提出した展示説明」がまず俎上に上ってしまう。
その後、検討用プリントから展示作品の選考に移り、ほぼ自分の狙い通りとなったのはよかったのだが、問題はその後だ。
用意してきた「展示用のコメント」を読んでいただいたところ、あっさり「さっきのほうがよかったよ」と即答。
自分でも、いささか狙いすぎかと思ってはいたのだが、さらに重ねて「さっきのはちゃんとまじめに書いてるからいいけど、こっちはダメ」とまで釘を刺されてしまい、もはや万策尽きた。


まぁ、ギャラリーへ提出した文面なので、本番で使用しても無問題といえば無問題ではある。だが、内容的にいささか変更もあったし、そもそもそのとき限りの文章だったので、個人的にはちょっと微妙な気持ちがしないわけでもない。
それに…


テキストファイルがどっかいっちゃってるんだよねぇ~


しょうがないから、また打ち直すとしましょうかね。


そして、作品検討が一段落した後、珍しく金村氏も交えた懇親会となり、取って置きのヴィンテージプリントをいくつか拝見させていただく。
いやぁ、今日は本当に運がよかったなぁ(ねぇ、ほんと?)。


黄金の4人

2006-03-04 23:08:01 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

ほんとに久しぶりに晴れたこともあり、今日は家事を放り出して撮影に出かける。


週末の官庁街は人影もまばらで、さくさくと快調に撮影が進み、あっという間にフィルム3本(50カット)を消費した。
仕事や天候不順などの要因もあって、昨日までいささか気持ちがふさいでいたこともあり、正直言ってどうなるか不安なところもあった。だが、いい感じにテンションも低くて、なかなか好結果が期待できそうな感じだ。
まぁ、エンジンが温まり始めるとついつい調子に乗ってシャッターを切ってしまうのだが、いいタイミングで警官が職質してくるため、撮りすぎるというところまではいかなかったと思うけど、さてさて実際はどうなってることやら。


その後、知人と合流して一緒に昼食をとり、これまたいい感じに楽しい時間をすごす。本来なら、そのままのんびり休日を過ごしたいところだが、今日は外注スタッフとの打ち合わせがあるため、食事の後は早々に事務所へ戻る。
外注スタッフとの打ち合わせはきわめて順調に進むが、顧客訴求力のあるキャラをひねり出さなければならないところで思い切り躓いた。
まぁ、サボっていたつけといえばその通りなのだが、自分はこういうのが苦手なのであります。そりゃぁさぁ、インパクトさえあればいいってのなら、やおいちゃんでもなんでもアリだろうけど、いくらなんでも萌えるとか萎えるとか以前の問題だろうね。
というわけで、すったもんだの末に決まったのが以下の4にんなんだけど、鉄板というか保守本流というか、まぁ「黄金の4人」としか言いようがない。


1:巨乳おねぇさん(母属性)
2:ツンデレ
3:どじっ娘めがね巨乳冥途(ツインテール)
4:幼馴染(妹属性)


というわけで、後は任せたよ、と(誰に?)。


その後、面子入れ替えを経て別件の打ち合わせが始まるが、こっちはまぁぼちぼちという感じ。
別件については、ちょっとややこしい話もあるにはあったのだが、夕方からはまた別の打ち合わせが入っていたため、いささか強引にばらして待ち合わせ場所へ移動する。
こっちは文章関連の仕事なのだが、まぁ多少なりとも経験をつんでいる分野なので、いろいろと話が早い。しかも、担当氏がちょっといい感じというか、まぁあえて言えば「うほっ」な感じで(とか書くと、みんなそういう理解をするんだろうなぁ)、ついついにまにましてしまう。軽く要件を済ませた後、さらに別の方も加わって食事というかなんというか、まぁ「軽く飲みましょう」となるわけだね(土曜日だし)。
ちびちびと泡盛なんぞをすすりながら、最初は様子伺いというところだが、思いもかけないところからあれやこれやがつながって、ひょんなことから長年手をつけかねていた案件に目処がつきそうな雲行きとなる。


ただ飯は食えるし、酒は旨いし、ビンのふたは抜けるしで、本当にうれしい1日でございました。


虚空の二眼

2006-03-01 23:44:55 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

ひどい雨で、しかも寒い1日だった。


しかし、撮影の報酬やら機材を処分したお金やらが入ってきた上、知人が焼肉をご馳走してくれるというわけで、気持ちはすっかりぬくぬくである。
とはいえ、これらのお金は全て「展示費用として消え行く運命にある」ので、調子ぶっこいて無駄遣いするわけには行かないのだが、気がついたらJAZZANOVAのCDなんかを握り締めてレジ前に立つ自分がいたよ。


それはさておき、夕方になって知人と合流し、割引クーポンと日付の確認も怠りなく、そそくさと焼肉屋へ向かう。天気のせいかがら空きの店内で、うまうまと肉を喰らいながらも、飛び交う話はいささかしょっぱい。
なにせ、この期に及んで「秋葉原は死んだ」ですからねぇ、そんな夕刊紙しか読まないサラリーマンだって知ってるようなことを賢しらにまくし立てられても、こっちはただうなづきながら肉を喰らうぐらいしかリアクションできないっすよ。それに、若いから生前の新宿は知らないかもしれないけど、渋谷や六本木の死はリアルタイムで経験してるんだから、ある程度は秋葉の運命も予見可能だったろうに…
まぁ、秋葉はやられ方がいささか、いやかなぁりえぐかったから(おまけに、本当の止めを刺したのは電気用品安全法だったし)、気持ちの治まりがつかないのは痛いほどわかるんだけど、かといって死んだ子の年を数え続けていてもしょうがない。それに、そういうことはいちいち「芸術」だの「文化」だの「創作活動」だのといった勿体をつけないと「コスプレ写真の1枚も撮れない」ような、身も心も老いたお芸術家気取りのフォトグラファーにでも任せて、自分らはさっさと新しい地平を目指すべきだと思うんだよね。
それどころか、あまりいつまでも「懐かしの地」なんてものにこだわってると、いまだにゴールデン街アタリをうろうろしてエッヂランナーを気取っている、見苦しい大人のようになっちゃうよとかなんとか、もぅすっかり言いたい放題。まぁ、知人も日ごろから「ノマド最高イカス!」なんて言ってるような人間なので、その辺はお互い気兼ねなしでいいやね。


ただ、こうやって面白い場所が次々と、それも行政の陰湿なやり方でつぶされていったことに対しては、自分も言いたいことがないわけじゃない。
都庁をはじめとしてセルリアンタワーやマークシティ、クロスフィールド、UDXビル、そしてキルビルといった街の墓標を見るたび、むかむかとこみ上げてくるものが、自分にも間違いなくある。
だから、次か、あるいはその次の展示では、もっとストレートに街を殺していった連中に対する自分の思いをぶつけてみたいと、今からそう心に決めている。


もちろん、その前にやんなきゃならないことが山ほどあるけどね。


現像バットの日々

2006-02-25 23:37:45 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

今日の撮影は中止。




というわけで、不意に休みをもらったのだが、気持ちはすっかり仕事モードだったので、ちょっともてあましてしまう。まぁ、実際には中止じゃなくて、スタッフの都合で急遽撮影の順番を入れ替えなければならなくなってしまい、自分の撮影順を譲ったということなのだ。


現在、自分が仕事をさせていただいているチームは、今でもなお銀塩主体という、ちょっと(というか、かなり)珍しい現場である。チームのスタッフに言わせると、写真をデジタル化する目的は編集工程でのハンドリングを容易にし、印刷工程で低価格の処理を可能にするためで、それ以外のクオリティコントロール的な意味はまったくないそうだ。彼らにしてみれば、純粋に画像としての品質は銀塩のほうが圧倒的に優れているのだから、コストや印刷工程とは無縁であるはずの作家が、作家的必然性もないのに品質低下を伴うデジタル化を推進するのは疑問ということになるし、自分も基本的には同意見ではある。
ただ、商業出版の現場で今後も銀塩主体の方針を貫けるのかというと、正直に言ってそれはかなり疑問だし、おそらくこのチームとの仕事は最後の銀塩現場になるのだろうね。


とまぁ、そういう話はさておくとして、せっかくいい天気だし、気持ちも程よく盛り上がっていたので、適当に家事を済ませて自分用の撮影に出かける。


今日は四谷から信濃町を経由して、新宿方向へ抜けるルートを選択したのだが、外苑が近くなってくると国立方面がやけに騒がしい。
どっかで聞いたことのあるリズムというか、こういう日に国立が騒がしい理由はただひとつ。


もちろんサッカーである。


当初の予定は仕事だったので、今日の試合はすっかり頭から消し去っていたのだが、浦和ソングが聞こえた瞬間から、やっぱり「家でテレビ観てればよかったかも」と後悔し始める。とはいえ、こんな大事な試合のチケットがあまってるはずもなく、またそういうつもりで来てもいないので、気持ちだけ競技場において撮影を続行。
といいつつ、なんかちょっと癪に障るので、知人数名に「飯でもどうよ」メールを飛ばして、とりあえず憂さを晴らす。


とりあえずフィルム4本(58カット)撮影し、新宿で一休みしていると、知人から返信あり、お茶だけならOKということになる。
知人の都合もあって南新宿で合流となったのだが、真っ赤な格好でものすごいハイテンション。


おまえ、あそこ(国立)にいたな!


聞くと、夜は赤羽で「お祝い」をするから、茶を飲んだ後は池袋で解散となる。
まぁ、いいや。
たまたま、ものすごく大好きなチェーンのバールを見つけていたので、そこで軽く食事でもと思ったら、シチューは渋谷本店だけかいな…
まぁ、いいや。
呼び出した手前、知人の分も持つのだが、初手からビール&ソーセージですか…
もぅ、いいや。


でまぁ、当然ながら試合の経過を聞くことになるのだが、どう考えても面白い試合だったようで、ますます癪に障ってきた。
そのため、かなり無理やり話を変える。
でまぁ、知人は某有名大の現役学生で、家庭教師のバイトもしているから、気がつくと「受験産業」の話になったのだが、その流れで塾講師の勤務実態が劣悪なことを聞かされる。
なにしろ、今日から「2次試験」が始まるそうだが、塾の講師ともなれば受験会場への送り迎えは必須で、それどころか合格祈願のお参りやら合格グッズの手配まで、学習とは無関係の雑事までこなさなければならなくなるから、ぶっちゃけやってられないものらしい。しかも、そういう「どうでもいいこと」は全て「サービス残業」で、合格グッズは「講師の自腹」だなんて、部外者にとっては異常事態としか思えないことが堂々とまかり通っているらしい。
まぁ、そういう「馬鹿らしいしきたり」につき合わされるのは、たいてい教員資格を持たない非学生の「おじさんフリーター講師」で、知人に言わせると「塾の講師しか出来ない人たち」だそうだから、なんちゅうかまぁもにょもにょって感じですね。しかも、有名大学の学生にしてみれば、低賃金で長時間労働を強いられている年長の平講師は軽蔑の対象でしかないらしく、何度も「あぁいう大人にだけはなりたくない」と繰り返すのだが、聞いてるこっちが切なくなっちゃったよ。
モーレツ社員の流れがまだ残っているのは出版とオタク業界ぐらいかと思っていたが、教育現場もそうだったのねぇ~