Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

想定内(外)は口に出すのも恥ずかしい元流行語と成り果ててしまいましたが

2006-11-28 23:49:11 | 展示準備2006年12月

今は想定外より予想外か?


などと新橋あたりのリーマンオヤジが言いそうな悲しいフレーズから入りますが、ココに来てちょっとどうしようかと思う事態に直面し、正直途方にくれております。


まぁ、思えば知人よりちょっと古めの第三世代iPod(HDD40GBモデル)を借り、脊髄反射でiTunesをインストールしたところ、ローカルHDDの最下層に放置していたムネオハウスを勝手に引っ張り出した挙句、あれよあれよという間に完全同期してしまったあたりから、現在に連なる想定外の連鎖が始まっていたのだと思う。もちろん、当時から好きで集めていたし、見つけたときは素で懐かしかったんだけどね。
とはいえ、なにしろアルバムだけで20枚もあるから、ストレージを無駄に食ってしょうがないし、もちろん良い曲ばかりとは限らないから、ついついデータの整理なんか始めちゃって、気がついたら想定外に時間喰ってた…


そんなこんなで夕方になり、今度はテストプリントを開始したんだけど…


なんか、微妙に違う…


実寸で出力したら、観たときの印象が全く変わってしまうのは当然だけど、それにしてもこの変わり方はヤヴァイ…


挙句、途中でペーパーアウトという、もぅなんともかんともな結末を迎えてしまいまちた。
まぁ、問題点を洗い出すためのテストプリントだし、乾燥をかね事務所でゲネプロしてから最終的に判断するけど、既にデータ差し替え止む無しって感じだね。
今からどれだけのことができるか、こりゃ正念場を迎えたっぽいぬぅ~


うれしい誤算

2006-11-23 23:37:09 | 撮影とテーマ設定2005~06年3月

昨日の天気予報では雨だったけど、幸いにして曇りだったこともあり、今日は美術館やギャラリーを廻った。
とりあえず、手始めに開館時間の最も早い近美から鑑賞し始めたのだが、ぶっちゃけ特別展はスルー上等だったように思えてならない。
もちろん、趣味の合わない作品や展示からも、なにかと得るものはあるのだが、出鼻をくじかれてしまったのは確か。
ただ、お目当ての写真の現在3「臨界をめぐる6つの試論」は非常によかったし、併設されている所蔵作品展「近代日本の美術」でも、写真コーナーでロバート・フランクウィリアム・クラインが特集展示されているなど、トータルでの収支はプラスだったからまぁよかったといえばよかった。


しかし、いまこうして振り返ってみれば、午後のギャラリーめぐりを暗示するような展開だったなぁ~


とりあえず腹ごしらえをした後、今度は写真ギャラリーを廻り始めたのだが、まぁ特に書くようなことも無かったね。
ただ、ギャラリーRoonee247Photography『merry tokyo』を鑑賞した際、作家の大山勝巳氏と久々にお会いできたことと、ガレリアQの「seven times」はちょっとよかったと思う。


腹ごなしついでに駅方面でちょっとぶらぶらした後、大して期待もせずにコニカミノルタプラザを覗いたところ、これがまたびっくりするくらいよい展示もあって、それまでの分を一気に取り戻したね。
特によかったのは木内美羽写真展「mius」で、ぶっちゃけメーカー系ギャラリーでこういう展示が観られるとは思わんかった。まぁ、例によってネタばれ回避という名目で詳細はパスさせていただくけど、ここまで正面切ってテクスチャを前面に持ってこられると、後はただついていくか背を向けるかしかの、二択しかないようにさえ思える。
もちろん、自分はこの手の作品が大好物なので、笛吹き男に誘われるねずみよろしくついていくわけなのですけど、展示設計もちゃんとしているのがまたよくって、しかも作家氏本人もなかなか面白いという、本当においしい展示でございました。


とりあえず、テストプリントの日程も確定したことだし、終わりよければ全てよし。


No Tripod

2006-11-21 23:27:08 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

ちょっといい感じのロケーションがあったので、とりあえず撮影許可を取ったのはよいのだが、当然のように三脚は使用禁止となっており、さてどうしたものかと思案に暮れた。
まぁ、そもそもからして公共の場所だし、もちろん手持ちで撮る他ないのだけど、こうなると撮れなくてもいいやとかなんとか、天邪鬼な気持ちが頭をもたげてきたり、ワレながらなんとも難しいところではあります。
以前、学校を撮影する企画が持ち上がったときにも、こういう手続き上の問題があれこれ発生したのだけど、最近はどこでも本当に撮影許可を取るのが難しくなっているから、制限付きでも許可が下りたことを喜ぶべきなんだよね。実際、中野正貴氏東京窓景を撮影した時にも、窓口になった編集さんが相当苦労されたそうです(NHKの番組では作家本人が訪ね歩いていたことになっていたのはご愛嬌)。ともあれ、撮影した素材をどうするかとか、いろいろの問題もクリアしなければならないので、まだまだ先は長いんだけどね~


とりあえず、今週は時間を作ってギャラリーを回ったりしつつ、いよいよテストプリントを出力しますよ。
いや、まだこの段階では、ほんとに楽しみなんだよ。負け惜しみ抜きでね。


ニューカラーパラダイス

2006-11-16 23:08:09 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

エントリータイトルが思いっきりかぶってるけど、この際だからまぁいいや…


ここしばらくは本業のほうも少しずつ忙しくなってきてて、まぁだんだん年末気分が盛り上がってるんだけど、まだかろうじて撮影したり展示を観たりという余裕はある。ただ、残念なことに撮影も展示もいまいちぱっとしなくって、ロータスルートギャラリーで石塚元太良写真展「WWWWW」を観た際に、作家氏本人と少しお話して刺激を受けた以外では、いまさらのようにスティーブン・ショアーUncommon Placesを引っ張り出して、ぺらぺら眺めてるといった体たらくだったりもする。
とはいえ、展示の初日も迫っているし、そうそうのんびりもしていられないのだが、まだ近美世田谷美術館で開催中の写真の現在3「臨界をめぐる6つの試論」ルソーの見た夢、ルソーに見る夢「アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち」は観ていないし、ワークショップで一緒だった中里寿郎氏の個展「翻訳者の課題」が現代HEIGHTS Gallery DENで開催されるので、それらの展示はなんとかして観に行きたい。
そういえば、あのBunkamuraザ・ミュージアムスーパーエッシャー展「ある特異な版画家の軌跡」も開催されているんだけど、ほとんどの作品はかつて開催された甲賀正治コレクションの展示で観ているし、こっちはちょっと微妙かもかも…


それにしても、ダリ展がらみなのかどうか知らないけど、ここに来て急にシュルレアリスムを盛り上げようとしているのは、なんだか作為的でちょっと引いてしまいそうになる。まぁ、ダリ自身はかなぁり商売っ気たっぷりだったそうだし、ルソーも相当な俗物だったそうだから、こういう持ってき方もありといえばありなのだろうし、なんにしても作品を鑑賞する機会が得られるというのはありがたいことだ。


だいたい、シュルレアリスムにしたって、今じゃそんなにたいそうなものではない。一般的にはシュールへ展化してそれっきりだし、マシになったところでシュルレアリムっつぅライブドアキーワードやら、しょこたそブログでテキトーに消費されてる体たらくなんだから、小難しいことは抜きにして投売りされてたタッシェンの画集とか引っ張り出し、ぺらぺら眺めてるぐらいがちょうどなのかもしれないねぇ~


他にもセツの入学式話とかあったんだけど、この際だからまぁパスでいいや…


ハラシマあがって有頂天

2006-11-10 23:23:57 | 業務関連

ほとんど徹夜状態でハラシマうぷ後、すっかりいぃ気分で夕方から打ち合わせ。
まぁ、内容そのものはどうということもないのだけど、ついでに近所のメーカー系ギャラリーを冷やかしたりしつつ、そのままカラオケという展開になったのはおおびっくりだったね~


もっとびくぅりちたのはカラオケになぜか有頂天が入ってて、しかも大好きな「マリオネットタウンでそっくりショー」が収録されてたってことにゃ!
もちろん即入れ即歌上等!
誰も知らない曲だったけど、そんなことはまったく気にせず、当然「BYE-BYE」も勝手に熱唱して自分だけいい気分。
まぁ、いまだに蒸しパン見るたび「オードリーヘプバーン泥棒」が脳内でチューニングされちゃうような自分ですから、その辺は老人のわがままとして大目に見てほしいところ。


さておき、打ち合わせの合間にはお決まりの雑談となるのだが、ちょっと面白かったのはストーリー性とゲーム性を対立的に捉えている人が少なくなかったことと、ゲームを知らないと公言してはばからない人々によるゲーム批評に対する強烈な苛立ちを感じている人々もまた、決して少なくはなさそうだということだった。
ストーリー性とゲーム性とを対立的に捉えること関しては、どうやら直接的には現代思想家A氏によるエロゲー批判がきっかけとなっているらしく、さらには背景にゲーム理論の流行もあるようなのだが、とりあえずざっくばらんに「両立可能なんで無いの?」とかなんとか、てきとーなことでお茶を濁してしまった。これはプレイ経験の多寡と批評眼との問題にもかかわってくるので、正直、雑談のネタとしては重すぎたというわけ。


まぁ、もうひとつのネタも決して軽くは無いのだが、こちらは社会的常識なり個人の品位なりの問題に還元しやすかったので、その意味では比較的楽だったよ。


実際、プレイ経験を鑑賞経験に読み替えれば、そのまま芸術論に置き換わるわけで、結論は既に出ているともいえる。
つまり、ゲームは非常に複雑かつ多様な娯楽であり、ゲームに関する教養や修練をつんでいるほうがより深く楽しめるが、かつての高級芸術とは異なり、プレイ経験がほとんど無いような人物にはまったく楽しめないというものではない。
逆に、直感的に楽しむことができ、かつ理解したような気持ちになることがゲームのよさであり、ゲームを楽しむためにはある程度以上のプレイ経験が必要であると捉えることは、むしろゲームの魅力をそぐことになる。確かに、ゲームをプレイしないと公言しつつゲームを語ったり、ひどい場合にはゲームを語るのにゲームをプレイする必要が無いかのように放言してはばからない人物には、感情的な反感を覚えるのが当然だと思う。
しかし、かつてヴァルター・ベンヤミンが専門用語で語られ、専門的な理論や文脈のみに基づいて制作される前衛芸術に対して、大衆の反感をあおると批判したように、ゲームをオタク的な理論や文脈のみに基づいて、オタクの言葉で語るのであれば、そのような行為は当然のように反感をあおるだろう。ゲームをプレイしないと公言しつつゲームを語ったり、ひどい場合にはゲームを語るのにゲームをプレイする必要が無いかのように放言してはばからない人物は、ゲームオタクに対する反感をナイーブな形で表現していると捉えるべきで、そのような人物にゲームをプレイすることの重要性を説くことは、反感を募らせるばかりで無意味だとさえいえるのだ。


実は写真にも同じような状況があって、同様に写真も直感的に楽しむことができ、かつ理解したような気持ちになれることから、過去の写真作家や作品を知らないと公言しつつ写真を語ったり、ひどい場合には写真を語るのに写真を鑑賞する必要が無いかのように放言してはばからない人物が少なくない。また、そういう人物に限ってむやみにほかの愛好者をカメコ呼ばわりしたり、ストリートスナップを盗撮と非難したりと、まぁ控えめに言ってもナイーブなことおびただしいのだが、下手にいじるとますます反感を募らせるので放置するほかないというのがもどかしいところ。


その意味では、自分も彼らの苛立ちが痛いほどわかるが、ともかくそういう人間は下品で無教養なんだから仕方ないとあきらめて、静かに立ち去るほかはないということで一同げんなりという、なんともしまりの無い落ちでございました。


オタクのキャンプ

2006-11-03 23:40:35 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

いよいよ個展まで1ヶ月となり、そろそろ最後の追い込みをかけなければならないのだが、なんだかんだで妙に忙しくって集中できないのが悲しいところ。それに、そろそろコミケの準備も始まってきたし、周囲のオタクさんまで忙しくなってきてるよ。
まぁ、オタクからもっと距離を置いておけばよいのかもしれないけど、なんだかんだで離れがたいのは、やっぱりキャンプを愛してやまない自分がそこにいるからだと思う。


過去のエントリーでもチョコチョコ触れているのだが、自分はキャンプが本当に大好きで、できればキャンプな作品を制作したいのだけど、悲しいかなそっち方面の才能は全く皆無であったりするため、とりあえずキャンプの周辺、あるいは辺縁でうろうろしている。まぁ、勘のいい人は既にわかっているとも思うが、オタク的感性を全く有していないにもかかわらず、自分がオタク周辺から離れようともしないのは、オタク世界がキャンプの宝庫、いやキャンプの宝石箱やぁ~状態であるためだ。


ただ、注意しなければならないのは、オタクやオタク周辺の人々は、ある意味でアートシーンの最先端に位置していながらも、個々人の感性は極めてコンサバというか保守的というか、時として守旧的ですらあったりもするのため、特にポストモダンがらみの話題をふるときは、本当に細心の注意を要求される。もちろん、ご多分にもれずというか、当然のようにキャンプなんかはその代表格で、知っている人が少ない上に伝わりづらい上、下手すると誹謗中傷しているかのような誤解を招くという、リアルねぎダクというかなんというか、とにかく素人にはお勧めできないのは間違いない。


まぁ、日本の場合はキッチュの方が人口に膾炙しているのだろうが、現代美術においてはやはりキッチュよりキャンプ、それも断然かつ圧倒的にそれなんだけど、どっちにしても文脈を知らない当事者にとっては、あまりうれしいものではないらしい。実際、せっかくいぃ具合にキャンプだったにもかかわらず、周辺の人間が勝手に(しかも当事者の意思とは無関係に)芸術として社会に認知させようとした結果、かえってアート文脈で取り上げづらくなってしまった例もいくつかある。卑近なところでは、いわゆるコスプレなどが、ちょうどよい実例ではないかと思う。


そのためか、第9回ヴェネチアビエンナーレ建築展日本館における展示では、残念ながらコスプレ関係はほぼ全スルー状態となって千載一遇の好機を逸した。同時に、当初から単なるミスコンに近いイベントだった世界コスプレサミットは、芸能色をより前面に押し出す形で商業的な進化を遂げている。こういった流れは、基本的に当事者であるレイヤーさんたちが望んだ結果であり、外野がどうこう言うようなものではないのは重々承知だが、やっぱり微妙に残念な気持ちになってしまう。


ただ、こういった現在のコスプレ状況については、やはりそれはそれとして激しくキャンプなので、残念でありながらもしてやられたという心地よさがある。


とはいえ、こういったコスプレ作品やイベントを紹介しているのが、大半がアクションカメラまがいの似非グラビア写真か、多少マシになったところでなんだか微妙なお芸術写真風ポートレートやファッション写真もどきが精一杯という状況を、当事者自身がよしとしている限りは、その心地よさすらいつまで持続するかどうか、わかった物ではないのだけどね。


初めてのdigi予約

2006-11-01 23:33:31 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

諸事情から、月末発売予定のデジタル1眼レフを予約したのだが、なんだかものすごい人気商品らしく、ちょっとびっくりしてしまった。
白状してしまうと、新品機材の予約発注をするのはこれが初めてで、またボディの新品を購入するのも生まれて初めてのことだったから(レンズやトイカメラは新品を購入したことがあるんだけどね)、ファーストフードよろしく店員からアクセサリーの予約も勧められたときは、年甲斐も無くうろたえてしまったよ。


というわけで、いよいよ本格的にデジタル制作を開始するのかというと、残念ながら全然そんなことなくって、まぁ事実上の社用機材だったりする。ただ、今後はデジタルの比重が高くなりこそすれ、低くなることは考えられないので、もう少しまじめにデジタル制作と向き合わなければならないだろうね。


とはいえ、デジタルには銀塩とは比較にならないほどの複製性と加工性があり、その点をよくわきまえて取り組まないと、本当に悲惨な結果を招いてしまうだろう。まぁ、ほとんど文字通りの意味で四十の手習いとなるのだが、デジタル分野では往々にして後手が先んじることもあるし、落ち着いてじっくり運ぶのがよいだろうな。