Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

具象的抽象から抽象的具象への旅?

2007-09-29 19:52:42 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Hanzomon001


今日は朝から雨模様だったが、昼過ぎにはやんで多少は明るくなってきた。目先の仕事をひとつ片付けた開放感もあり、あまったフィルムを入れっぱなしだった小型1眼レフを持ってギャラリーへ出かけた。



最初に行ったのは巷房ギャラリーで、いつものように地下1階から鑑賞し始める。絵画を見慣れない自分にとって、永井研治氏のリトグラフ作品はあたかもドローイングであるかのように観えたのだが、作家氏はドローイングも手がけているそうだ。ただ、作家氏にとってはリトグラフが先にあって、そこからドローイングが派生したという流れのように思えるし、いずれにしてももっと鑑賞眼を養わねばならないのは確かだ。



また、同じく地下1階の階段下では田口賢治氏のインスタレーションが展示されていたが、空間設計の見事さにただ圧倒されてしまった。



その後、3階の巷房にて再び永井氏の作品を鑑賞するのだが、こちらに展示されていた作品はより抽象的で、多少小ぶりな作品も展示されていた。いまさら、抽象と具象なんて論点から作品を捉えるのもどうかしているとは思うが、しかしながら永井氏の作品からは、抽象的でありつつも作家自身のイマジネーションを具体的に感じることができて、非常に興味深く鑑賞させていただいた。



巷房ギャラリーを後にすると、次に表参道画廊へ向かった。
今日まで竹下都企画「Return To Fairyland - John L Tran」展を開催しており、最終日に何とか間に合ったのだが、モット早く観ておけばよかったと、激しく後悔させられた。先週は表参道画廊のみでの展示だったが、今週は「MUSEE F」に別のシリーズを展示し、より深く作家の世界を堪能できるようになっていた。



作品自体は大判カメラを使用したランドスケープで、この上もないほど具象的というか、写真なのだから具象そのものなのだが、なぜかぼんやりとしたもやのような頼りなさを感じる。これはコンセプトそのものに起因するもので、いうなれば作家の狙いなのだが、その頼りなさが思いのほかか心地よい。



これが「MUSEE F」で展示されていた別シリーズの作品となると、よりいっそう曖昧模糊とした感覚が強くなるのだが、それは作品が被写体の持つ「まがい物」感と正面から向き合い、そしてその「まがい物感」を「抽象的に表現している」ためではないかと思う。



余談だが、拝見させていただいたポートフォリオには、大判カメラを小型1眼レフのように用いた日常風景が収められており、力量の違いをまざまざと見せ付けられてちょっとしょんぼりした。



鑑賞も制作も、とにかく精進あるのみなんやねぇ~

永井研治 展
会場: 巷房
スケジュール: 2007年09月24日 ~ 2007年10月06日 17:00
住所: 〒104-0061 東京都 中央区 銀座1-9-8 奥野ビル3F
電話: 03-3567-8727 ファックス: 03-3567-8727

永井研治 展
会場: Space Kobo & Tomo
スケジュール: 2007年09月24日 ~ 2007年10月06日
住所: 〒104-0061 東京都 中央区 銀座1-9-8 奥野ビルB1
電話: 03-3567-8727 ファックス: 03-3567-8727

ジョン・トラン 展
会場: ミュゼF
スケジュール: 2007年09月24日 ~ 2007年09月29日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469

ジョン・トラン 「Return to Fairyland」
会場: 表参道画廊
スケジュール: 2007年09月17日 ~ 2007年09月29日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469 ファックス: 03-5775-2469


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飛び道具の準備

2007-09-26 22:49:09 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Kita_Akabane003


前日の天気予報では、今日は乾いた好天に恵まれるとのことだったが、思いのほか雲が多くてすっきりしない。とはいえ、雲形ははっきりと秋の空を感じさせるもので、乾いた空気は非常にすがすがしい。もし仕事が無かったら、なんとか時間を作って撮影へ出かけたかったところだ。



仕事の話はさておき、最近は小型1眼レフでの撮影を精力的に進めており、また現像プロセスについても新たな試みに着手している。とりあえず、小型1眼レフである程度のデータを得られたら、より大きなフォーマットへ応用する計画なのだが、もしかしたら元のやり方へ戻るかもしれないし、まだ先のことをどうこう言える段階でもない。



ただ、問題はそのいずれもが失敗続きという点にあるのだが、少しずつだがデータも集まりつつあるので、そう悲観したものでもないだろう。
うまくすればいい感じの飛び道具に仕上がるとは思うのだが、もちろんそれが美的によい結果をもたらすかどうかは別問題で、最悪の場合は単なる素人騙しのびっくり箱に終わってしまうかもしれないが、まぁそれはそれで人生の修行というものなのだろう。



それより、そろそろ本気になって展示の準備をしなければならないし、目先の仕事だって山積している。
それこそ、遊んでいる場合でもないはずなのだが、こういうときに限ってつまらないことに手をつけたくなってしまうのは、本当に何とかならないものかしらね~


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広角レンズの罠

2007-09-23 20:28:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Ikebukuro034


今月に入ってからなにかと調子が悪く、仕事や原稿をためてしまったことから、連休そっちのけで出社する。もちろん、到底撮影どころではなかったが、幸いにも今日は朝から曇りがちだったので、心置きなく「仕事に専念」できるわけだ。



といいつつも、とにかくどうにもこうにも調子が出ない。まぁ、こういうときの逃げ道はいつも用意してあるので、今回も原稿はほとんど「埋めて」いるし、仕事も何とかなりそうなのではあるが、なにか波に乗れていないような希ガス。実際、仕事に専念といいつつも、気づいたら小型1眼レフの撮影結果などを眺めてぼんやりしている。



よろしくないネェ~



おまけに、よろしくないのは撮影結果も同様で、久しぶりに広角レンズを持ち出したのだが、これがいかにも広角レンズで撮りました的なカットになっていて、すっかりげんなりうんざりしてしまう。これじゃ、ますます仕事にならない。
それに、広角レンズといってもたかが知れてる程度の焦点距離で、銀塩高級コンパクトカメラの短焦点や廉価版標準ズームの広角側程度だったというのに、それでも広角的な「歪み」と「遠近感の誇張」が鼻について嫌な気持ちになる。



最近では、超広角域も含んだ広角ズームが手軽に求められるようになったため、トニカクやたらと無意味に画面をゆがませたり、遠近感を誇張してドラマティックかつエモーショナルな作画に走る人も少なくないが、自分までそういう「びっくり箱写真」にお付き合いする必要はないと思うんだな。それに、広角を使うと本当に作画が楽になるのだが、撮影結果からも再認識させられた。



やはり、広角レンズを使うなら使うでその意図を明確にするというか、少なくとも「広角的描写が面白いから使ってみちゃった」的な、カメオタ的思考停止が存在してはならないと思う。だいたい、広角バッカ使ってるとあまりにも安易に作画できるから、頭が悪くなるようなキさえするよ。



ファインダの関係から作画に制約のあるコンパクトカメラや、効率を優先せねばならない仕事撮影ならいざ知らず、かりそめにも作家的に制作しようというのなら、広角レンズの描写特性なんかに依存してはならないよな。といいつつ、なにか気の利いた使い道は無いものかと、仕事を置き去りにしてぼんやりしてしまう自分がそこにいるんだな~


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モデルリリースとアートボランティア

2007-09-20 21:09:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Tsukishima006


今日は朝から見事なほど晴れ渡っていたが、相変わらずあれこれと忙しく、打ち合わせの合間にロールフィルム1本消費するのが関の山だった。早く仕事やらナニやらを片付けて、ゆっくり撮影する時間を取りたいのだが、展示が終わるまでは無理かもしれない。



午後には、知人に紹介していただいたヌードとポートレート中心のカメラマン氏と会ったが、業務が成立するかどうかは極めて微妙ということでお互い納得し、雑談ついでに撮影のあれこれを聞かせていただく。自分のように中途半端な存在にとって、第一線の現場で活躍しておられる方の話は参考になることばかりなのだが、その方は業務とは別個に個人でも撮影しておられるので、自分自身の制作活動にとっても直接的に役立つ情報をたくさんいただいた。



その中でも最も興味深く、ある意味では衝撃的だったのがこれ。



周囲の人々や知人をモデルにするな



とはいえ、ハリー・キャラハンの「エレノア」シリーズや、アルフレッド・スティーグリッツがジョージア・オキーフをモデルにした一連の作品をはじめとして、それこそ枚挙に暇がないほど数多くの作家たちが、周囲の人々や家族をモデルに撮影していることを考えると、いささかおかしな話に聞こえるかもしれない(最近でも、梅佳代氏が周囲の人々をテーマに作品を制作している)。だが、最近では人格権の一環としてのプライバシー権が積極的に認められるようになり、いわゆる肖像権について高度な配慮が求められるようになったため、たとえ知人や家族であってもモデルリリースのない作品については発表できない可能性が非常に高いし、あえて発表した場合は作家自身が大きなリスクを背負うことになる。



それに、そういった堅苦しい話を抜きにしても、周囲の人々や知人をモデルに撮影した場合、作品としての出来不出来とは全く別個に、本人が気に入らなければ公開できないというリスクが付きまとうのだ。ぶっちゃけた話、いわゆる「フォトジェニックなカット」以外は、モデルが公開を渋るケースがほとんどで、下手をすると人間関係に支障を来たす恐れもある。そればかりか、モデルから「フォトジェニックではないカット」を否定されることによって、作家自身が自らの方向性に自信を失うことさえありうるから、それなら最初からプロのモデルかアートボランティアを募ったほうがよいというのだ。



確かに、ハリー・キャラハンがモデルにしたエレノアと、同じくアルフレッド・スティーグリッツのジョージア・オキーフは、いずれも作家と配偶者の関係だったし、エレノア氏の作品に対する献身的な協力ぶりは、ちょっとほかに比較できないものがあったと思う。また、スティーグリッツがオキーフをモデルにした作品が公開されるまでには、相当な紆余曲折があった。そういえば、モンローを撮影したアンドレ・ド・ディーンズにも、かなぁりしょっぱいオチが待っていたっけな~



それに加えて、カメラマン氏が強調していたのは、モデルとの緊張関係が無くなることによって、作品にしまりが無くなるということだった。まぁ、これには異論のある方も少なくは無かろうが、いわゆる「家族アルバム」を超えて、作品としてのカットを撮影するには、撮影者にそれ相応の経験が必要だという話は、自分にとって強い説得力を持っていたのは確かだ。



とはいえ、モデルを雇うには先立つものが不足しているし、学校やサークルに所属していない身とあっては、ボランティアを募るのも難しい。いずれにしても簡単には解決できない問題であり、もう少し準備期間が必要であることを痛感させられた。
それに、自分自身のポートレイトに対する制作姿勢も定まっていないのだから、モット勉強を重ねるのが専決なんだよね。


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デジタルとアナログの界面で

2007-09-17 21:47:08 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Tsukishima005


今日は朝から本当にいい天気で、昼前には機材を担いで家を出た。知人との約束などもあったため、思ったより撮影に時間を割くことができなかったものの、それでもロールフィルムを2本消費して、それなりに満足感を得た。



最近は小型1眼レフでの撮影を積極的に進めているが、ひとたびは放棄した道であるにもかかわらず、始めてみるとなかなか面白い。ただそうは言っても、これまでのところは過去の経験を再びなぞっているようなもので、そこからまたなにか新しいものを掴み取っているわけでもないのだが、デジタル1眼レフで撮影していたときのようなフラストレーションを感じないというのは非常に大きい。



今日は、知人の希望もあって銀座のギャラリーをあてども無く散歩したのだが、なかでも全く偶然に立ち寄ったギンザギャラリーハウス山本KOU個展「光の墨音」では作家氏から非常に興味深く、かつ印象的な話をお聞かせいただき、いろいろと考えるところが多かった。自分自身はについてなんら予備知識を持たない上、デジタル書ともなるとただ「見て」面白がるだけなのだが、作家氏自身が「複製芸術としてのデジタル書」や、あるいは「デジタル美術のエディションコントロール」といった部分に関心を寄せていたことから、自分にとってもいろいろとおいしいお話を聞かせていただけたという次第だ。



その後、近くにあるメーカーのサービスセンターで機材を点検に出したのだが、併設されているギャラリーではまたしても微妙な思いをさせられてしまった。もともと、自分はメーカー系ギャラリーの好むような作品や作家との相性がよろしくないのだが、今回は作家氏自身の方針転換が全くの失敗に終わっているように思えてならないという点で、痛々しい思いすらさせられてしまった。
正直、ポートレート作品の方が数段以上力を持っていたし、なぜその方向性を進めるように後押ししないのか、周囲の人々に対しても多少の疑問を感じてしまったのだ。



とはいえ、酷使による疲労が見られるということで早期のオーバーホールを進められはしたものの、点検に出した機材は全て「とりあえず問題なし」という判定が下り、まぁまぁ一安心というところだったのは本当によかった。



アナログの極致であるはずの書道からデジタルを志向する作家もいれば、デジタルに疲れて銀塩に戻る自分もいる。デジタルとアナログの界面を、自分はもう少しさ迷い歩いてみたいと思う。


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デジタルとアナログの憂鬱

2007-09-14 19:53:14 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月
Toyosu013


今日は昼前ごろから天気が回復し、午後にはなかなかよい天気になっていたのだが、こういうときに限って事務所から離れられない。ただ、それでも合間を見て近所をぶらつきながら撮影し、ずっと入れっぱなしだったフィルムを消費した。



去年から今年にかけて、デジタル1眼レフを精力的に使ってきたが、どうにもこうにもしっくりこない。自分の場合も、大多数の写真愛好者と同様に、銀塩小型1眼レフの代替機としてデジタルへの移行を試みたのだが、結論から言ってしまうと代替にはならなかったということだ。



理由は簡単で、撮影結果に満足できなかったという、ただそれだけのことなのだが、もちろんそれは致命的な不満であり、逆に言えば銀塩へ回帰する十分な理由ともなっている。とはいえ、最近のデジタル1眼レフはきわめて優れた高解像力を備えており、既に銀塩を超えたとの見方をする人さえ少なくない。個人的にも、単なる解像力の比較であれば、デジタル1眼レフは十分な能力を備えていると思うが、撮影結果を総合的に比較した場合となるとまったく別で、どう考えてもデジタルの方が劣って見えるのだ。



まぁ、デジカメをはじめとするデジタル機器の解像力に関しては、カタログスペックどおりの性能を発揮していない疑惑もあるので、その辺の事情も背景にはあるのかもしれないが、率直に言ってしまうと感覚的な部分が大きいように思われる。つまり、あくまでも自分個人の主観として、デジタルは好みじゃないということだ。



だから、自分自身の趣味志向や主観とはなれて製作する商業の仕事については、デジタルの優れた利便性や運用効率が極めて大きな魅力を持つし、実際に仕事でデジタル1眼レフを使うことには何の不満もない。



ただ、撮影結果は好みじゃぁ無いんだよネェ~



まぁ、デジタル画像の味気なさには使えそうなところも無くはないし、うまくキャンプテイストを盛り込んでいければ、自分の評価も変わってくるようなキがしなくもない。でも、デジカメ愛好者の一部に漂う「銀塩は時代遅れ!デジカメ最高!スペックも銀塩を超えたぜ!」臭を感じるたび、ほっとけばいいのに自分は激しく萎えてしまうんだよな。



最近も、オタクの間で大人気のVOCALOIDを熱く語られた際、同じような「ヴォーカリストは時代遅れ!デジタル最高!音程音階再現性は人間を超えたぜ!」臭を嗅ぎ取ってしまい、心の奥底からうんざりしてしまった。知人に教えられてから、キャンプツールとしてそこはかとなくチェックしていたのだが、なんだかもう名前を聞くのもうんざりってところ。
今から思えば、ニコ動初音ミクをチェックした時に感じた、B級アイドルオタのルサンチマンが伏線だったんだなぁ~


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音楽のリアル

2007-09-11 17:18:58 | 業務関連
Toyosu014


今日は朝からぐずついた天気で、昼過ぎには土砂降りの雨に見舞われるなど、どうにもやる気の出ない空模様だった。ただ、知人にPro Tools(プロツールズ)のマシンセッティングを頼まれたので、ぼちぼちと作業しつつ音楽のあれこれを教えてもらう。



まぁ、自分は音楽に関してすっかり門外漢なので、ただ面白おかしく聞かせてもらうばかりだったが、中でも爆笑もんだったのはライブとレコーディングの話で、ライブはライブ感を楽しむためのもので音はよくない。音楽的なクオリティで判断するなら、レコードの方が圧倒的に優れてるということだった。



じゃぁ、原音再生の原音ってなんなんだよ!



どうやら、原音再生の原音とは、ライブの音を指すのではなく、演奏者なり作曲者の脳内にある理想の音らしい。
そのため、ライブ演奏の音とは必ずしも一致しないというか、むしろライブの方が環境にハンデがある分だけ不利で、あえて言うならスタジオ録音の音源がもっとも「原音に近い」のだそうな~



おいおい、それじゃエロゲオタの脳内巨乳とおんなじで、現実には存在しないに等しいじゃないかよ!



要するに、人間は現実に存在するかしないかでリアルを判断するのではなく、自分の脳内世界に合致するか否かでリアルかどうかを判断するというものだけど、なんだかすっごくげんなりするよねぇ~


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撮影日和だったのに?

2007-09-08 18:44:56 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Hanzomon003


台風一過の晴天となることを期待して、昨夜から撮影の準備をしていたのだが、昼前にはもやっとした感じになっいた。最近はそういう天気が非常に多いので、いったんは激しく萎えていたのだが、だらだらしてる間にまた晴れてきたことから、うれしくなってのこのこと出かけた。



現地に到着したのは2時半近くだったが、非常に気持ちよくシートフィルム10枚を消費し、帰りがけに知人と合流する。
コミケからこっち、知人とはなかなか落ち着いて話す機会が無かったのだが、機材がかさばるので先に事務所へ立ち寄らせてもらった。



知人とは本格始動したゲーム企画についてごく簡単に打ち合わせた後、これまたお決まりの雑談となるのだが、まぁ最近のブログスフィアは保守的を通り越して暴力肯定が過ぎるため、どうしても話が否定的な方向へと流れがちになってしまう。既にアメリカではブログブームも終息しており、大半はSNSニューズグループへ移行していることもあって、海外のオタク連中もブログなんか気にするほうがどうかしてるとかなんとか、いろいろと好き勝手なことを発言してもいるのだが、こういう状況を目の当たりにすると自分も同調したくなってしまいそうになる。



そうは言っても、自分は日本国内から日本語でブログ形式で発信しているわけだし、アメリカオタクの真似してもなんら解決にはならないのだけど、日本のブログスフィアは息苦しくってネェ~



あれれ、気持ちよく撮影したはずなのに、最後はすっかり欝だ死のうじゃん!


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ポストカード完成

2007-09-05 17:24:54 | 展示準備2007年10月
Tsukishima001


今日は朝から雨が降ったり止んだりで、とても撮影どころではない。それでも、合間を縫って事務所へ向かい、ぼちぼち仕事をしていたら、印刷所からポストカードが刷り上ったと連絡があった。
先月末には入稿していたので、広告よりかなり時間がかかったような感じだが、広告では輸送にかかる時間を省略していたので、実際には広告どおりのスケジュールということだそうな。まぁ、なにかもやっとしたものが残るものの、価格が手ごろなので仕方ない。



ただ、この天候なので輸送中のダメージが発生すると厄介だ。
あまり考えたくないことだが、最悪の場合は特急で刷り直しせざるを得ないだろう。



そうでなくても、刷り上ったら各ギャラリーを廻って告知に務めなければならないし、いよいよ本格的に忙しくなってきた。



肝心の制作にもそろそろ着手しなければならないし、これからしばらくは気の抜けない日々が続くなぁ~


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芸術!万歳!

2007-09-02 20:32:18 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Nagatachou001


ここ数日ぐずついた天気が続いて、今日もはっきりしない空模様だった。知人に誘われたこともあって、とある展示を観に出かけたので、ついでに小型1眼レフを持ち出したものの、結局はフィルムを半分も使わなかった。



知人に誘われたのは販売メインの某ギャラリーで、性をテーマにした作品が集められていたのだが、当然ながら完全無修正だったこともあり、入り口には「18歳未満の立ち入りお断り」表示が掲げられていた。展示の内容そのものは、人気作家のいかにもな作品がそろっていたため、テーマの割には無難なまとまりだったように思う。



というわけで、本来なら展示なり作品なりの良いところを探して、ここでご紹介させていただいてもよいかと思うのだが、なにしろ完全無修正というのがちょっと引っかかるので、今回はあえて伏せさせていただこうかと思う。なにしろ、あの松文館裁判でも繰り返し明らかとなったように、日本においてわいせつ性の有無を判断はするの司法(裁判官)もしくは行政(警察)なのだ。
その上、特に実写はドローイングよりわいせつ性が高いと認定されていることもあって(松文館裁判判例による)、実写作品も含まれているその展示をWEBで紹介することは、場合によって関係者にご迷惑がかかる可能性もあり、いろいろ思うところはあれども控えさせていただく次第だ。



そもそも、こんなくだらないことに気を使わねばならないこと事態、全くもって不条理なこととといわざるを得ないのだが、それはそれとしてやはり興味深かったのは「完全無修正」という部分だった。



なにしろ、作品の中にはことさらに「芸術性よりもエロチシズムを前面に出した」ものもあり、率直に言って「芸術はいいよな」という感想を抱いてしまった。実際、モザイクかけなんて本当に面倒だし、なにしろ「誰からも歓迎されない作業」だから、出来るなら省略したいというのが本音だからね。



とはいえ、作品が完全に修正から逃れられたのは、あくまでも「少数の関係者のみが鑑賞できる場」での展示だったためで、特に芸術性や表現の自由が認められたわけでもないのだろうというのが、自分の個人的な読みである。もちろん、司法や行政に携わる人々も、作品の芸術性や表現の自由に対して一定の配慮をしており、ギャラリーという展示空間だけが完全無修正の理由でもないのだが、それでもそこで展示されていたような作品を複製して広く頒布することは、決して許されないだろう。



例えば、今回の展示はもっとも穏便な作品がポストカードに選ばれ、カタログはもちろんグッズも制作されていない。販売メインのギャラリーだから、カタログはあったほうがよいように思うのだが、そんなことをしたら警察が黙っていないのだ。



当然ながらカタログは広く頒布する目的で制作されるので、無修正の作品を収録したら刑法175条に真っ向から抵触すると思う。実際にはごく一部の関係者のみが閲覧しただけだったとしても、印刷物として複製することは「頒布を前提とした行為」とみなされる可能性が極めて高いと思うからだ。



そういえば、最近は骨董や美術品の市場で春画も比較的おおっぴらに取引されるようになってきたが、それでも春本となると話はまったく別だそうで、仕方が無いから和綴じ本をばらし「春画」として市場に出すらしい。



とはいえ、それでもギャラリーという解放区が存在しているだけ、芸術の方がまだ自由なのは間違いなく、やっぱりうらやましいと思ってしまう。まぁ、ポルノには反権威とか反権力、反階級のメッセージから生まれたという、ある意味で「出自の正しさ」があるし、ただ一方的にうらやましがることは無いんだけどね。



そもそも、自分自身に性的なテーマの作品を制作する意図があるのかというと…
機会があったらやってみたいかも~


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