週明けから気持ちよく晴れ渡って、この上ない撮影日和だったのだが、こういうときに限って忙しいのだから、まぁ世の中というのは皮肉なものだ。
とはいえ、どうにかこうにか時間をやりくりして無理やりシートフィルムを8枚も消費しているのだから、コレがほんとのほとんどビョーキ(死語上等)だね。
ただ、まだしばらくは晴天が続きそうなので、機会を見つけてまた撮影に出かけたいところ。
撮影とは別に、ぼちぼちポストカードの配布にも取り掛からなければならないのだが、とりあえず近しい身内や金村ワークショップの皆さんへ配ってみたところ、思ったよりも反応は悪くはなかったのでぶっちゃけかなぁり安心したよ。
今度のポストカードは、画像や印刷所の選択からデザインまで、自分が直接オペレータに指示したので、やはり前回よりも緊張の度合いは高い。もちろん、ポストカードも含めた展示の全てについて、その責任は作家に帰するところではある。
だが、率直に言ってしまえば、作品を世に問うことができる喜びよりも、自らの作品に対する責任の重さがひしひしと感じられてしまう。
まぁ、たかだか1回かそこいら個展を開いただけの駆け出し風情が、自らの作品に対する責任を語るほうがおかしいし、また自信がないくらいの方がかわいげもあろうものかもしれないが、自信がないというのはとりもなおさず責任逃れの逃げ口上に過ぎないから、やはりココはどんなに苦しくてもファイティングポーズをとるしかない。
ただ、とりわけオタクの世界には、作品に対して自信がないことを公言してはばからない作家がたくさんいるけど、個人的には作家の辞書に謙遜という文字があってはならないと思うし、発表してしまった作品に対する全ての責任は作家が担うものと思う。確かに、オタクの世界では「自らの作品に対する自信をおおっぴらに示す」ことを嫌う風潮もあるし、また受け手であるオタク自身も自信を持って作品を選ぼうとしない者が多い。
極論ではあるが、オタクの世界では作り手も受け手も作品に対して責任をとりたがらないので、とにかく自信がないことにして逃げを打っているのではないかと、そう勘ぐりたくもなるくらいに自信喪失状態の人々が群れているんだが、ほんとのところはもうちょっと複雑で情けなかったりもするあたりがまた鬱陶しい。まぁ、平たく言ってしまうと受け手と送り手の共依存関係を成立させるためには、どちらも自信喪失状態であり、また責任を問うてはならないという暗黙の了解が必要ということなのだが、やっぱりそれってまずいと思うわけだ。
ただ、アートの世界はややもすると作家が晦渋の迷宮に逃げ込んで、これまた責任を取ろうともしなかったりもするので、どっちがどうということもできないのだろうが、そもあれ受け手と送り手の共依存関係だけはほんとに勘弁してほしいので、自分はファイティングポーズをとり続けようと思うよ。