Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

奥村昭彦展と金村修作品展「 チャイナ・ホワイト 」

2009-05-28 15:47:29 | お知らせ
Marunouchi019


ようやく原稿を仕上げ、オタク向けの文章企画を少し進め、私事の荷物移動も済ませて、やっとこさっとこ一段落はさせたけど、まだまだ先行きは不透明な事だらけで、不安がいっぱいの毎日でもある。



とりあえず、多少は自分の時間がもてなくもなくなったことをいいことに、いわゆるひとつの「こころのりはびり」等と称して気になっていた展示を観にへ出かけた。最初はZEIT-FOTO SALON金村修作品展「 チャイナ・ホワイト 」だったけど、実は少し前にギャラリーへ一度足を運んでいる。その時はスタッフルームからの話し声がうるさく、全然といってもよいほど作品に集中できなかった。たまたま運が悪かっただけだろうと思っていたが、知人の話によると「いつもうるさい」そうなので、これは何とかしたほうがよいように思う。



さておき、肝心の作品についてだが、これもいわゆるひとつの「金村節」全開で、北京だろうが東京だろうが変わらないところには、ある種の安心感が漂う。だがしかし、ヘルシンキや上海でも同じように「金村節全開」だったかというと、微妙に変調していたところに、ごく微かな、本当にごく微かな不安を感じなくもない。
北京と上海、あるいは東京都ヘルシンキとの間にどの程度の差があったかというと、それはジューダス・プリースト (Judas Priest)の曲をロブ・ハルフォードが歌うか、ティム・オーウェンズが歌うかぐらいの差はあるように思えるので、観る人によっては全然違うと思うかもしれないが、観る人によっては全然変わらないと思うぐらいの差だと思う。ただ、少なくとも、ハンマーフォール(HammerFall)のカヴァーバージョンよりは差がないので、微妙といえば微妙な差なのだろうか?



どうでもいいことをぐだぐだと書き連ねてしまったが、自分が感じたのは「もしかしたら、この作品は金村修という作家のセルフカヴァーなのでは?」という不安だ。まぁ、自分は単なる鑑賞者に過ぎないし、金村氏自身が「初めての土地はやりにくい」ような意味のことをもらしていたようにも思うので、たまたま複数回にわたって撮影した土地が北京で、たまたま複数回撮影している間に「本来の金村節」が持つ味わいが前面に出たのであろうとも思うのだけど、それでもなくなどこかに微かな不安が漂うような、そういう作品だった。



次に観たのはMUSEE F奥村昭彦展だったが、こちらの展示にもやはり微かな、本当にごく微かな不安感が漂うっていたように思う。ただ、その不安感は、不安でありながら同時により健全で、しかしながらよりヤバイ感じがした。展示そのものは奥村氏の十八番ともいえるピンホール写真で、また反語的だが今回もいつものようになにか新しいことを盛り込むあたりも含め、非常に高い水準へ到達しているのは間違いない。



でも、自分には作品そのものよりも奥村氏の「制作という行為や制作という行為に対する姿勢」の方がより興味深く、またより美しいのではないかと思えてならなかった。もちろん、現代美術は「制作という行為も含めての作品」なのだから、それはそれでむしろ素晴らしいことだし、評価すべき点でもあるのだが、なにかどこかに危うげなものを感じてもしまう。



そして、これらの展示を振り返りながら、自分が思っていることは、変化したりしなかったり、あるいは危うげだったり安定しているのは、実は観ている自分に他ならなくって、作品や作家は変わらずにそこに存在し続けているだけなのではないかと、そんなことも考えてしまう。まぁ、観ている人間をそういう気分にさせたり、そういうことを考えるきっかけとなることも含めての現代美術なのだけどね。



いずれにせよ、これらは鑑賞者が作品に自己を投影しているのか、作品が鑑賞者に何かを示しているのか、その点が曖昧な作品であり展示でもあり、そして自分がそういう作品や展示を非常に好ましく感じていることだけは、いちおう間違いないことといえるのではなかろうか?



奥村昭彦 展
会場: ミュゼF
スケジュール: 2009年05月25日 ~ 2009年05月30日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469

金村修 「チャイナ・ホワイト」
会場: ツァイト・フォト・サロン
スケジュール: 2009年05月08日 ~ 2009年06月03日
住所: 〒104-0031 東京都中央区京橋1-10-5 松本ビル 4F
電話: 03-3535-7188 ファックス: 03-3535-7112

T O W E R 中藤毅彦写真展

2009-05-18 21:38:54 | お知らせ
Roppongi004


締切りは刻々と迫っているのに、原稿は全く進んでいない。いつもの悪い癖なのだが、手を広げすぎてしまい、収拾がつかなくなっているのだ。こういう時は、あきらめて素直に時間を取り、落ち着いて現在の状況を整理しなおすほかないのだが、それをする気持ちの余裕がないほどに煮詰まっている。



というわけで、気持ちをほぐすとかなんとか適当な言い訳を自分にしつつ、先週から気になっていた中藤毅彦写真展「T O W E R」を鑑賞するため、神保町のgallery福果へ足を運んだ。



かねてから、中藤氏の作品には人柄のよさがにじんでいると思っていたが、今回の展示は特にそれが際立っていたように思える。端的に言ってしまうと、とても無邪気に塔が存在していることを受け止め、そしてなんのてらいもなくシャッターを切っているような、そんな作品が展示されていた。
中藤氏は下から塔を見上げるでもなく、また塔から下界を見下ろすでもなく、あるときは遠くから、またあるときはその足元から、塔が存在している光景とありのままに向き合っている。そういう作家のストレートな心理が、これまたストレートに作品へ反映されていると、自分にはそう思えた。



自分は、塔だの高楼だのを眺めるたび、つい「そこから自分を見下している何者か」を想像してしまい、どうしても素直にその存在を受け止めることが出来ない。そもそも、神話の頃から高楼は人間の持つ野心や傲慢さの象徴だし、バベルの塔やタロットの塔を引き合いに出すまでもなく、塔はいつか必ず崩壊する存在ではないか。



しかし、中藤氏の作品にはそういった塔と言う存在に対する否定的なところがかけらもなく、しかしながらそれでいて塔の持つなにか威圧的なところまで含めた、いわば圧倒的な存在感が本当に素直な形で表現されているところに、よき人々のよき世界があるように思える。中藤氏の作品にある塔の中には、どこか不安定ではかなげに見えるものもあるのだが、それでも決して崩れることはないのだろう。



出来れば、時間を作って足を運んでいただきたい。


中藤毅彦 展
会場: gallery 福果
スケジュール: 2009年05月11日 ~ 2009年05月23日
住所: 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-11 2F
電話: 03-3259-6555 ファックス: 03-3259-6555

ストリートフォトは本当に他人の心を傷つける?!

2009-05-11 14:21:38 | 業務関連
Zoushigaya090329048


諸般の事情から、最近になってまたしてもオタク向けの文章仕事に関わるようになった。以前はオタクの病んだところが嫌で嫌で仕方なく、同じ病人を相手にするなら写真や現代美術関連の方がまだマシとか思っていたのだが、少し距離を置いて眺めるとさほど鼻にもつかず、むしろ写真や現代美術関連のビョーキっプリが文字通り嫌らしく思えてしまうのだから、結局は隣の芝生なのか、あるいは自分が過剰に過去を美化しているのか、いずれにせよこんな調子ではジャンルごとの振り子運動を繰り返しつつ歳を取るという、ある意味では最悪の人生を歩んでしまいそうな予感がして怖くもある。



心の闇と言うか病みと言うか、ぶっちゃけビョーキといえば、しばらく以前にチェックした展示から、そういう話にハッテンしたことを思い出す。



その展示は街を歩く人々の顔をテーマにしており、恐らくは望遠レンズで撮影したであろうアップの画像がポストカードに使われていた。自分は街角で望遠レンズを使っている人々をしばしば目撃していたが、彼らが生成する画像をちゃんと観たことはなかったので、白状すると「完全に興味本位」で会場へ足を運んだものの、予想以上に質が低くて早々に退散したというものだった。
なにしろ、どう考えてもポートレート的な撮り方にもかかわらず、はっきりと「顔からピントがずれている」ばかりか、そのピンボケ画像を「大伸ばし」しているのだから、少なくとも自分にとっては作品と呼ぶべきではない代物にしか思えなかった。また、被写体となった人々の表情にしても「否定的な意味でカメラの存在を意識している」ように思えてしまい、望遠レンズを使っている意味を感じられなかった。
いちおう、同行した知人は「人間の内面をえぐるような印象」を受けたらしいが、自分は「カメラの存在を意識した瞬間に顔を背け、心を閉ざした人々の顔」にしか思えなかったし、むしろテーマと画質の両面で二重にピントのずれた展示としか思えなかったのだ。



でまぁ、その話を別の知人としたところ、その知人はあっさりと「撮るほうも撮られるほうも、それを観たがる連中も含めて、みんなビョーキなんだから仕方ないよ」と笑った。
知人はストリートビューをめぐる騒動を引き合いに出しながら、アレに噛み付いてる連中みればすぐわかるだろうとかなんとか、面白おかしく話を膨らませていたし、自分も某ストリートビュー反対派の主婦を観て、ちょっと病的なのではないかと「ドン引き」したことがあるから、まぁ言わんとすることはよくわかる。



もちろん、知人は半ば冗談でネタをフッタのだが、ちょっと冗談では済まされない部分も無くはなかった。というのも、鬱や統合失調の傾向がある人にとって、見知らぬ他人に「写真を撮られる」というのは、かなりしんどいというか、ぶっちゃけ「心を傷つけられる」行為なのだそうだ。問題はその鬱や統合失調の傾向がある人がどの程度まで存在しているかということなのだが、統計によると東京ではうつ病の通院患者だけでも「1000人中8~9人」の割合で存在しているそうで、軽度の鬱や統合失調症の患者を含めると、その10倍は存在していると考えてよいらしい。
つまり、雑踏で1フレームに十数人ほど収めてストリートフォトを撮影した場合、程度の差はあれどもほぼ全てのカットに「鬱や統合失調の傾向がある人」が入ってくるという、なんとも気が滅入る計算も成り立つ。もちろん、病状の深刻な人々は基本的に人気の多い盛り場などを避けるので、そこまで極端なことにはならないだろうけど、そういうリスクが存在していることは認識しておくに越したことはないだろう。



ただ、本当に問題なのは見知らぬ他人に写真を撮られる「かもしれない」と考えるだけで病状が悪化してしまうほどに病状が深刻な人々が少なからず存在していることで、しかもそういう人々をうっかり本当に撮影してしまい、さらに「敵として認識されてしまう」リスクが存在している事だろう。



とりあえず、町田で専業主婦は撮らないよう、自分も気をつけたほうがよさそうだね。