最近、展示に備えて現代美術に関する様々な言説をチェックしているが、やはり写真は死んだメディアだという意を強くしてしまう。
もともと、自分はファインプリント志向がほとんどなかったところに、写真の持つ「複製可能性」への傾斜がますます強まってしまったため、展示という行為の持つファインアート的な胡散臭さからの決別を図っておきたかったのだ。
白状してしまうと、ややもするとアウラの捏造に走りがちなオリジナルプリント(ヴィンテージプリント)信仰から、多少なりとも距離を置いて活動したいという、作家としてはいささか不穏な動機も皆無とはいえないのだが、そんなことを心配する必要も無い気楽な立場だから、そこんところはのんきなものだったりもする。どちらかといえば、様々な言説と触れ合っていった過程において、会場で作品と相対したときは反感しか覚えなかったローナ・シンプソン展から、思いのほか大きな影響を受けていたことを自覚させられたことの方が、自分にとってはよほど不穏な出来事だったといえる。
たぶん、今度の展示を終えるころには、次の目標がより明確になっているだろう。
それは、自分にとっても楽しみな、わくわくすることだと、そう確信できる。