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今日は朝から天気がよかったので、布団を干して洗濯を済ませたが、風が強かったので取り込んでから家を出た。先日、北九州で撮影した際にレンズボードを破損したので、工房へ持ち込んで修理の打ち合わせをするためだ。工房付近で知人と合流し、知人も機材をメンテに出したのだが、機材整備のコスト負担は悩みの種だ。
なにしろ、最近またぞろデジタル化の話も出ているので、正直言うと銀塩撤退の機会でもあったのだが、情が移ったというかなんと言うか、まぁなんとはなしに修理することとしてしまった。あまり合理的な判断ではないが、実は深く考えたくないテーマでもあるので、今回はこれでヨシとしたいところだけどね。
その後、知人とニコンサロンで蒔田恵理展「視覚の収束」を鑑賞したが、視覚の軽やかさとプリントの丁寧さが強く印象に残った。タイトルこそ「視覚の収束」となってはいるのだが、なにか意識が拡散していくような、そういうとらえどころの無さが、観るものにとって心地よく響く作品だったように思う。
また、プリントの丁寧さやトーンのなだらかさが作品の浮遊感を支えており、全体として非常に良く計算された展示であったといえよう。まぁ、プリントに関しては目を覆いたくなるような大失敗を目の当たりにしたばかりなので、ちょっと美化しすぎている可能性が無きにしも非ずとはいえ、丁寧な仕事をされているのは間違いない。
それから新宿へ移動し、コニカミノルタプラザで山田夏樹展「優しい闇」を鑑賞したが、こちらは素朴な撮影態度が内政的な作品のよさを引き出しており、計算されざる美しさを醸していたように思う。また、個人的には撮影に関する素朴さを大切にして欲しいと思う。
こういうことを書いてしまうと角が立つかもしれないが、新人作家にやたらと撮影技術や機材の知識を教え込もうとする「先輩方」が数多く存在していて、もしかしたらそれはそれでありがたいのかもしれないけれど、たいていの場合は中途半端にオタク化した挙げ句、こぎれいでフォトジェニックな「お写真」しか撮れなくなってしまうものだ。しかし、作家として活動を継続するのであれば、特に自身の感性に忠実なタイプの作家であれば、技術や機材の知識は時として作家の感性を摩滅させてしまいかねないことを、周囲の人間はもっとよく知るべきではなかろうかと思うのだ。
まぁ、自分のように「外部からネタを仕込まないとなぁんも出てこない」タイプは、反対に技術と知識で勝負するしかないのだけど、悲しいかな「天然には絶対勝てない」定めなんだよな~
『蒔田恵理 「視覚の収束」』
会場: 銀座ニコンサロン
スケジュール: 2008年02月20日 ~ 2008年03月04日
住所: 〒104-0061 東京都中央区銀座7-10-1 STRATA GINZA1階 ニコンプラザ銀座内
電話: 03-3248-3783
『山田夏樹 展』
会場: コニカミノルタプラザ
スケジュール: 2008年02月23日 ~ 2008年03月03日
住所: 〒160-0022 東京都新宿区新宿3-26-11 新宿高野ビル4F
電話: 03-3225-5001 ファックス: 03-3225-0800
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![Kayabachou004](http://farm2.static.flickr.com/1301/568097686_7f4720af74.jpg)
今日は朝からすばらしい天気に恵まれたが、門司へ逝った間にたまっていた仕事があり、仕方なく撮影をあきらめて用事を片付ける。マズ最初に手をつけたのは縄の処理と洗濯で、縄をゆでている間に洗濯を済ませ、それぞれ天日と陰干しにした。その後、事務所でたまっていたメールへ返信しつつ原稿をチェックしたが、いろいろと気ぜわしくて集中できない。
こういう時は、なにかおいしいものでも食べて気持ちを切り替えたりするのだが、なにせ九州でおいしいものをたらふく食べてきたばかりなので、そういう気にもなれないというのは困ったものだ。それどころか、九州はおいしいものがたくさん、それも手軽に安く手に入る土地なので、再び東京での食事になれるには時間がかもしれないぐらいだ。
特に違いが際立っていたのはラーメンで、近所にある某行列店ですら地元民しか行かない小倉の某店や門司のちょっとしたチェーン店(ウソです、小倉の某店は九州ランキング9位だったそうです)の方が全然おいしかったのだから、東京の味になれていたつもりでも味覚の根底にあるものは変わっていなかったのだろう。念のため逝っておくけど、某行列店はあまりにも有名だったので、本店が移転する前から知人にせがまれるなどして何回か足を運んでいるものの、自分の評価は「3号線沿いの店以下」だし、連れて行った知人もほぼ同感だった。また、関西ランキングトップの某店も自分や周囲での評価が非常に低いから、ラーメンという食べ物に対する考え方が根底から異なっているのだろう。
さておき、この期に及んで縄の処理を始めるというのは正しく文字通りの泥縄で、笑い事ではないが笑うしかない。いちおう、縄と自分との間にはそこはかとなくご縁があったのだから、これも浮世の定めとあきらめるほかは無いのだろうが、間に合うかどうかということになるとひじょ~~に心もとない。
こんなことなら、去年アタリからちゃんと練習しとけばよかったよ...orz
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今日は朝からいい天気だったが、撮影ではなく部屋の模様替えをして、ついでに不用物を処分した。特にテストプリントの類は量が多く、しかもかなり重かったので、運び出すのが少ししんどかった。夕方杉に家を出て、買い物のついでにロールフィルムを3本消費したが、思ったより寒くなかったので楽しかった。
夜には事務所で知人と合流し、企画について軽く打ち合わせをしたが、納期を割り込んでいるにもかかわらず、なおクオリティを追求するという態度には、いささか厳しく苦言を呈せざるを得なかった。クライアントより得られる報酬と比較して、過剰ともいえる労力やコストをかけてもクオリティを追求しようとする、いわゆるオーバークオリティの問題とも言えなくはないのだが、納期を割っているようではお話にも何にもならない。
また、いわゆるオーバークオリティの問題だったとしても、やはり企業側としては労力なり資金なり、あるいは施設といった様々な制限の中で、最大限の利潤を追求して組織の存続なり安定を図らねばならないわけで、クライアントやエンドユーザの評価が高かったとしても、金銭的利益に結びつきづらいコストに対しては渋くならざるを得ない。例えクオリティの差が倍以上に開いたとしても、時間や労力などのコストが倍以上かかっていたら話にならないし、少々の差であれば手の早い作業者が喜ばれるのは当然だと思う。
自分の経験で言えば、デビュー直後の新人さんが勢いに任せて描いた原画と、中堅どころの原画家氏が丁寧に描いた原画とで、売り上げがほとんど変わらなかったという事例もある。中堅どころの原画家氏は仕事も非常に丁寧で、中間段階の加工も非常にやりやすかったのに対して、新人さんは絵が荒くて中間段階での加工コストが発生したのだが、それでも圧倒的に手が早くて新人さんの方が先に全て納品したため、ペンディングだったパートの追加発注に至っている。
もちろん、最終的なグラフィックのクオリティは中堅どころの作家氏に軍配が上がっているのだが、悲しいことに単位アタリの売り上げがほとんど変わらなかったので、量の多い新人さんの方がより大きな利益を生み出すという構図になってしまった。
まぁ、これはいささかわかり易すぎる事例でもあるのだが、企画のトータルコストを管理する立場から言うと、やはりオーバークオリティは避けたいところである。
とはいえ、作家としてあくまでもクオリティを追求したいという心情は痛いほどわかるし、また「クライアントの要求する以上のクオリティを目指す」ことの重要性も理解できるので、本当に悩ましいところではある。それに、作家個人としては作品のクオリティで全てが判断されるという、より差し迫った利害にもつながるところがあり、本当に答えを出しづらい難題だね~
自分自身にしても、先日鑑賞した個展において、最終出力段階での選択ミスが、作品そのものを台無しにしてしまっている実例を見たばかりだし、作家としてはクオリティの追求が大事だと思い知らされたばかりでもある。モノクロネガをデジタル出力した作品で、作家氏はスピードを重視した結果のようなことを言っておられたが、自分にはコストを削った結果としてクオリティが致命的に低下しているようにしか思えなかった。しかも、プリント以外の要素がよさそうな感じだっただけに、なおさら痛々しく感じられるほどの大失敗だったのだ。
銀塩で撮影してデジタルで出力するという部分は自分も同じだし、それこそ他山の石というか前車の轍というか、他人事と思わずに自分も気をつけねばならないのだが、そういう自分がオーバークオリティには渋い顔をせざるを得ないのだから、世の中ほんとに難しいぬぅ~
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![Tsukishima015](http://farm2.static.flickr.com/1364/568098700_41f59fe287.jpg)
今日は朝から本当にいい天気だったが、撮影は最近マンネリ気味なところもあったので、おとなしく事務所で仕事をこなした。まぁ、制作面でも展示を控えた微妙な時期だし、むやみに撮影しても仕方ないところではあるのだが、やはりせっかくの好天を無駄にしたようで、いささかもったいない気もしなくはない。
とりあえず、午後は企画の打ち合わせに立会い、大まかな流れを実と届けた上で、展示のアートディレクションをお願いした知人と合流する。知人はPAGE2008の帰りだったこともあり、半ば当然のように展示そっちのけで業界話に興じてしまう。中でも面白かったのは、いま巷で大流行の中国ギョーザならぬ、中国へのアウトソーシングで、大連からきた業者がいくつもブースを構えて、積極的に営業攻勢をかけていたことだった。
自分は発注側と受注側の中間的な立場でもあり、こういう話になるとなんともいえないところはあるのだが、それにしても中国側の価格的優位は圧倒的なものがある。ただ、品質や時間的なコストを考えると、よくて価格相応か下手すると「リテイクリスクの分だけ損」という結論にならざるを得ず、解決しなければならない課題はまだまだ多そうだ。
それにしても、大連から来たと称するコンパニオン嬢は、あでやかなチャイナドレスをまとって「高品質!迅速!」をうたい文句にしていたそうだが、現地の通信インフラ状況はようやくADSLが普及した程度で、オンラインのワークが出来る環境だとは到底思えない。むしろ、現地に大規模な撮影スタジオや流通センタが出来つつあるほうが興味深く、いずれは「商品も商品撮影も中国」なんてことになるかもしれない。
そうなったら、商品撮影系のカメラマンたちは、相当に困るのではないかと思うのだが、さてどうなることやらネェ~
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今日は昼前からすっかり曇ってしまい、寒々とした空が広がった。昼すぎには事務所へ向かい、ちまちまと作業を始めたが、合間を見て次回個展用に作成していただいたチラシを出力する。
ポストカードも仕上がったし、だんだん自分のテンションも上がってきた。
というか、早く会期が来ないか、本当に待ち遠しいね。
以下、チラシ本文(展示紹介コメント)
写真という表現手法には、いまだ価値基準の定まらないところがあり、その時々の流行によって作品への評価も大きく変化する。最近では、出来るだけ人間の手をかけて限定制作されたオリジナルプリントの評価が高まりつつあるが、他方で印刷媒体のように機械的に大量複製された写真については、そもそも作品とすらみなされないような風潮もある。
かつては複製芸術であることが最大の特徴であり、かつ特長とされたはずの写真が、なぜか「一回限りの繰り返し不能なアウラ」を獲得しようともがき、かつオリジナル作品としてのネ申木各イヒをもくろむことに対しては、限りない幻滅とやるせなさと寂しさと疎外感とあきらめを強く感じてしまう。
本展は「作品とさえ評価されないようなデジタル複製画像」に、作家自身が日々自らの手を加えることによって、写真という複製芸術にとって大切ななにかが変容してしまう有様を表現する。
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