Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

Cathedral de ダンス

2008-05-26 16:47:03 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Ikebukuro044


いろいろ事情があって週末は北九州へ行ったのだが、やはり九州は食い物がうまくて困る。郷里の親族からふくの唐揚や御寿司、ホウボウの刺身、そしてラーメンなどをご馳走していただいたのだが、こんなにうまいものばかりご馳走になっては帰京後の食事がまずく感じられたり、腹に肉がついたりしそうで心配だ。
というか、アレだけうまいものを食べてもこのお値段なんだから、こちらも遠慮なく頂戴しようかと思うところだし、身内ならではのなんとやらというものだろうかね?



さておき、そんなこんなもあって仕事は恐ろしいほど遅延しており、帰京すると同時に仕事まみれと言う有様。特に原稿はしゃれにならない状態なのだが、トニカクがんばって進めるほかないのが実情だったりなかったり。ただ、少し前に教えてもらったLOHASはなかなかいい感じで、最近はカテドラル (Cathedral)がガンガン廻っている。自分はボドムからLOHASの世界に入ったので、順当に行くなら同じフィンランドのソナタ・アークティカ(Sonata Arctica)か、あるいは再結成で盛り上がってるカーカス(CARCASS)へ行きそうなものだけど(いや、カーカスは実際に聞き始めてるけどね)、なぜか自分はカテドラル (Cathedral)だったってわけw



理由は簡単で、なんとなく観たライブやミュージックビデオのリー・ドリアン(Lee Dorrian)踊りがあまりにもすばらしすぎて、それから曲の世界にはまってしまったんだな(・谷・)



自分がプロジェクトを進めるにあたっては、常にバザール方式を採ろうとしているし、実際にとある政治的な活動においてはそれでそこそこうまく行ってると思う。むしろカテドラル(伽藍)には反発を抑えることができなくて、かつてはそれで失敗したことさえもあるんだけど、ドリアンの伽藍ならどんな臭気でも我慢できるね。



ちゅうか、むしろドリアンまみれ、踊りまみれ上等って感じw


最近は魔女狩り将軍マシュー・ホプキンスならぬ、オタク狩り議員ま○●とか、ま○●○とかが跳梁跋扈してるから、ドリアン先生ならずとも踊りたくなろうというものよ。キミも、不眠不休で問い詰められたら、しずかちゃんの裸を頒布目的であ~たらう~たらとか書いた調書に、ついつい「はんこ押しちゃう」ちゃうかもなぁ...orz

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写真の世界よりもオタクの世界

2007-10-14 20:34:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Arakawa005


今日は朝から曇り空で、どうにもこうにも出かけるキがしなかった。
ところが、プリントのマッティング加工を依頼していた業者より「予定より早く仕上がった」との連絡があり、とりあえず引き取りに出かけようかと支度を始めたところ、さらに知人に誘われて某美術館における展示鑑賞にお付き合いすることとなる。



少し考えた結果、天候が思わしくなかったこともあり、作品の引き受けを延期して、知人の展示鑑賞にお付き合いする。



でまぁ結論から言ってしまうと、プリントだけさっさと回収して、家でごろごろしとけばよかった。



否定的な印象を持った展示についてあまり多くは語りたくないし、また多くを語るべきでもないのだが、久しぶりに「写真という表現手段を用いることを恥じた」ことだけは、来場者も含めた展示の感想として述べておこう。
まぁ、敢えてイイとこ探しをするならば、インスタレーションは極めてすばらしく、作品の配列や順路の構成も含め、キュレーターはよい仕事をしたと思う。



ただ、知人には申し訳ないことをしたと思うが、知人も展示を観て少し後悔していたようなので、その辺はお互い様といったところか。



どうにも収まりがつかなかったこともあり、途中でコニカミノルタプラザへ寄り道して、口直しに渕上勝写真展「GLARE」を鑑賞しようかとも思ったのだが、時間が中途半端だったのでそれもあきらめざるを得なかった。



渕上氏の作品は、色彩に対する感覚という点で自分の対極に位置するものだが、実は近い方向を目指しているのではないかと思う。自分は色彩も含めてコントロールされた空間を被写体として選択しつつ、その「非人間性」を批判的に作品化することを目指しているのだが、渕上氏の作品は「混沌とした色彩の持つ人間性」を作品化することで、逆説的に行過ぎた秩序の非人間性を描いているのではないかと思うのだ。



もし、写真という表現手段が「秩序だった美の追求」でしか評価されないのであれば、自分はむしろ評価して欲しくないし、写真という表現手段そのものも投げ捨ててかまわないと思う。作りこみ系の作家氏たちには申し訳ないが、そういう価値観を絶対視する人々とは同じ空気をすえないし、だからこそ自分は写真の世界よりもオタクの世界に身を置き続けたいと思うのだ。


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流行と孤高

2007-10-08 21:09:31 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Toyosu011


今日は昼前から雨がひどくなり、知人からのお誘いも断って家でごろごろしていた。
ところが、だらだらしているうちに雨は止んでしまったので、チケットをもらったままだった東京都写真美術館の展示を観に出かけた。



お目当てはキュレーターズ・チョイス07「対話する美術館」で、最終日になったからあわてて出かけたという体たらくだったのだが、正直言ってもっと早く観に行っておけばよかったと後悔させられた。確かに、この「キュレーターズ・チョイス」はより多くの人々を美術館にいざなうことを目的とした、いわば入門者向けの展示企画という色彩もあり、そのため総花的というかいささか散漫な部分もなくはないのだが、それでも貴重な展示物を目の当たりにするよい機会であり、侮ってはならないことを再認識させられた。
特に、トリミングやプリントの違いによって作品の印象が大きく異なることや、オリジナルとオマージュというかエピゴーネンを並べて展示したコーナーなどは、ある意味で写真ならではの楽しみでもあり、その部分をきっちりと押さえたところは高く評価したいと思った。



その後、写真美術館から表参道画廊へ移動して、初日を迎えた田原喜久江写真展「the over lapping things」を鑑賞する。前回も30点以上出品していたのだが、今回は実に100点を超えており、トニカクそのボリュームに圧倒される。前回からの間隔も決して長くはないのだが、展示の直前まで撮影されていたとの事で、月並みな表現だがそのひたむきな情熱にはただ頭を下げるほかない。



作品については、やはりその熱心さが表われており、特に旺盛な好奇心がそのまま定着しているかのような、若々しくかつパワフルなプリントは、多くの人々に強い印象を与えるだろう。個人的には、前回よりも作品の力が増しているように思え、なにか差をつけられてしまったような印象すら受けた。



ほんと、自分も初日が迫ってることだし、家でごろごろしてる場合じゃないよなぁ~


キュレーターズ・チョイス07 「対話する美術館」
会場: 東京都写真美術館
スケジュール: 2007年08月11日 ~ 2007年10月08日
住所: 〒153-0062 東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
電話: 03-3280-0099 ファックス: 03-3280-0033

田原喜久江 「The Overlapping Things」
会場: 表参道画廊
スケジュール: 2007年10月08日 ~ 2007年10月13日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469 ファックス: 03-5775-2469

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大きなまごころをもてあますの巻

2007-10-05 20:20:27 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Arakawa002


今日は朝から好天に恵まれたが、知人から自治体の体育施設へ誘われていたため、とりあえずそちらへ向かう。
出勤前にひと汗流すなんてのは、なんだかヤッピー(死語上等)みたいでちょっといやぁんだったが、体を動かしてみるとそれはそれで気持ちよかったりもする。



その後、日本橋の金融街へ移動し某地銀の東京支店で用事を済ませ、ついでに日本橋三越の「天女(まごころ)像」を見物する。当時は相当に物議をかもしたらしいのだが、近年は再評価も進んで修復もされたということなので、せっかくだから観に行こうというわけだ。



ところが、作品は聞きしに勝る大きさで、ファッション雑貨のひしめく1階からは、全体を眺めることさえ難しそうだった。結局、2階吹き抜けのバルコニーから眺めたのだが、鑑賞というより「見物」というのがしっくり来る大きさであり、かつそういう「ありがたみあふれる作風」だった。



作家の佐藤玄々氏は西洋美術や近代彫刻にも通じていたそうだが、とりあえずこの「天女(まごころ)像」は東洋と言うか仏教美術テイストが濃すぎて、公開当事には相当な物議をかもしたというのがよくわかった。正直に言ってしまうと、天女というより観音といった風情もあり、自分も知人と「三越観音」などといって面白がっていたけど、そう思う人は少なくないんじゃないかなぁ?



近年では再評価もされているという話なのだが、化粧品ブースの隙間からちらちら見える作品の姿は、どうにもこうにももてあまされているように見えて仕方がない。心なしか、フロアを行き交うお客や働く美容部員たちも、出来るだけ作品の方向を見ないようにしているように見え、ある意味で共感してしまったりもしたのだけど、まぁ失礼といえば失礼な話ではある。



美とは価値観であり、また人の価値観はあても無く移ろい続けるものだが、それにしても越えられないなにかを強く感じさせてくれる作品だった。


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具象的抽象から抽象的具象への旅?

2007-09-29 19:52:42 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Hanzomon001


今日は朝から雨模様だったが、昼過ぎにはやんで多少は明るくなってきた。目先の仕事をひとつ片付けた開放感もあり、あまったフィルムを入れっぱなしだった小型1眼レフを持ってギャラリーへ出かけた。



最初に行ったのは巷房ギャラリーで、いつものように地下1階から鑑賞し始める。絵画を見慣れない自分にとって、永井研治氏のリトグラフ作品はあたかもドローイングであるかのように観えたのだが、作家氏はドローイングも手がけているそうだ。ただ、作家氏にとってはリトグラフが先にあって、そこからドローイングが派生したという流れのように思えるし、いずれにしてももっと鑑賞眼を養わねばならないのは確かだ。



また、同じく地下1階の階段下では田口賢治氏のインスタレーションが展示されていたが、空間設計の見事さにただ圧倒されてしまった。



その後、3階の巷房にて再び永井氏の作品を鑑賞するのだが、こちらに展示されていた作品はより抽象的で、多少小ぶりな作品も展示されていた。いまさら、抽象と具象なんて論点から作品を捉えるのもどうかしているとは思うが、しかしながら永井氏の作品からは、抽象的でありつつも作家自身のイマジネーションを具体的に感じることができて、非常に興味深く鑑賞させていただいた。



巷房ギャラリーを後にすると、次に表参道画廊へ向かった。
今日まで竹下都企画「Return To Fairyland - John L Tran」展を開催しており、最終日に何とか間に合ったのだが、モット早く観ておけばよかったと、激しく後悔させられた。先週は表参道画廊のみでの展示だったが、今週は「MUSEE F」に別のシリーズを展示し、より深く作家の世界を堪能できるようになっていた。



作品自体は大判カメラを使用したランドスケープで、この上もないほど具象的というか、写真なのだから具象そのものなのだが、なぜかぼんやりとしたもやのような頼りなさを感じる。これはコンセプトそのものに起因するもので、いうなれば作家の狙いなのだが、その頼りなさが思いのほかか心地よい。



これが「MUSEE F」で展示されていた別シリーズの作品となると、よりいっそう曖昧模糊とした感覚が強くなるのだが、それは作品が被写体の持つ「まがい物」感と正面から向き合い、そしてその「まがい物感」を「抽象的に表現している」ためではないかと思う。



余談だが、拝見させていただいたポートフォリオには、大判カメラを小型1眼レフのように用いた日常風景が収められており、力量の違いをまざまざと見せ付けられてちょっとしょんぼりした。



鑑賞も制作も、とにかく精進あるのみなんやねぇ~

永井研治 展
会場: 巷房
スケジュール: 2007年09月24日 ~ 2007年10月06日 17:00
住所: 〒104-0061 東京都 中央区 銀座1-9-8 奥野ビル3F
電話: 03-3567-8727 ファックス: 03-3567-8727

永井研治 展
会場: Space Kobo & Tomo
スケジュール: 2007年09月24日 ~ 2007年10月06日
住所: 〒104-0061 東京都 中央区 銀座1-9-8 奥野ビルB1
電話: 03-3567-8727 ファックス: 03-3567-8727

ジョン・トラン 展
会場: ミュゼF
スケジュール: 2007年09月24日 ~ 2007年09月29日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469

ジョン・トラン 「Return to Fairyland」
会場: 表参道画廊
スケジュール: 2007年09月17日 ~ 2007年09月29日
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-17-3 アーク・アトリウム B02
電話: 03-5775-2469 ファックス: 03-5775-2469


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飛び道具の準備

2007-09-26 22:49:09 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Kita_Akabane003


前日の天気予報では、今日は乾いた好天に恵まれるとのことだったが、思いのほか雲が多くてすっきりしない。とはいえ、雲形ははっきりと秋の空を感じさせるもので、乾いた空気は非常にすがすがしい。もし仕事が無かったら、なんとか時間を作って撮影へ出かけたかったところだ。



仕事の話はさておき、最近は小型1眼レフでの撮影を精力的に進めており、また現像プロセスについても新たな試みに着手している。とりあえず、小型1眼レフである程度のデータを得られたら、より大きなフォーマットへ応用する計画なのだが、もしかしたら元のやり方へ戻るかもしれないし、まだ先のことをどうこう言える段階でもない。



ただ、問題はそのいずれもが失敗続きという点にあるのだが、少しずつだがデータも集まりつつあるので、そう悲観したものでもないだろう。
うまくすればいい感じの飛び道具に仕上がるとは思うのだが、もちろんそれが美的によい結果をもたらすかどうかは別問題で、最悪の場合は単なる素人騙しのびっくり箱に終わってしまうかもしれないが、まぁそれはそれで人生の修行というものなのだろう。



それより、そろそろ本気になって展示の準備をしなければならないし、目先の仕事だって山積している。
それこそ、遊んでいる場合でもないはずなのだが、こういうときに限ってつまらないことに手をつけたくなってしまうのは、本当に何とかならないものかしらね~


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広角レンズの罠

2007-09-23 20:28:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Ikebukuro034


今月に入ってからなにかと調子が悪く、仕事や原稿をためてしまったことから、連休そっちのけで出社する。もちろん、到底撮影どころではなかったが、幸いにも今日は朝から曇りがちだったので、心置きなく「仕事に専念」できるわけだ。



といいつつも、とにかくどうにもこうにも調子が出ない。まぁ、こういうときの逃げ道はいつも用意してあるので、今回も原稿はほとんど「埋めて」いるし、仕事も何とかなりそうなのではあるが、なにか波に乗れていないような希ガス。実際、仕事に専念といいつつも、気づいたら小型1眼レフの撮影結果などを眺めてぼんやりしている。



よろしくないネェ~



おまけに、よろしくないのは撮影結果も同様で、久しぶりに広角レンズを持ち出したのだが、これがいかにも広角レンズで撮りました的なカットになっていて、すっかりげんなりうんざりしてしまう。これじゃ、ますます仕事にならない。
それに、広角レンズといってもたかが知れてる程度の焦点距離で、銀塩高級コンパクトカメラの短焦点や廉価版標準ズームの広角側程度だったというのに、それでも広角的な「歪み」と「遠近感の誇張」が鼻について嫌な気持ちになる。



最近では、超広角域も含んだ広角ズームが手軽に求められるようになったため、トニカクやたらと無意味に画面をゆがませたり、遠近感を誇張してドラマティックかつエモーショナルな作画に走る人も少なくないが、自分までそういう「びっくり箱写真」にお付き合いする必要はないと思うんだな。それに、広角を使うと本当に作画が楽になるのだが、撮影結果からも再認識させられた。



やはり、広角レンズを使うなら使うでその意図を明確にするというか、少なくとも「広角的描写が面白いから使ってみちゃった」的な、カメオタ的思考停止が存在してはならないと思う。だいたい、広角バッカ使ってるとあまりにも安易に作画できるから、頭が悪くなるようなキさえするよ。



ファインダの関係から作画に制約のあるコンパクトカメラや、効率を優先せねばならない仕事撮影ならいざ知らず、かりそめにも作家的に制作しようというのなら、広角レンズの描写特性なんかに依存してはならないよな。といいつつ、なにか気の利いた使い道は無いものかと、仕事を置き去りにしてぼんやりしてしまう自分がそこにいるんだな~


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モデルリリースとアートボランティア

2007-09-20 21:09:14 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Tsukishima006


今日は朝から見事なほど晴れ渡っていたが、相変わらずあれこれと忙しく、打ち合わせの合間にロールフィルム1本消費するのが関の山だった。早く仕事やらナニやらを片付けて、ゆっくり撮影する時間を取りたいのだが、展示が終わるまでは無理かもしれない。



午後には、知人に紹介していただいたヌードとポートレート中心のカメラマン氏と会ったが、業務が成立するかどうかは極めて微妙ということでお互い納得し、雑談ついでに撮影のあれこれを聞かせていただく。自分のように中途半端な存在にとって、第一線の現場で活躍しておられる方の話は参考になることばかりなのだが、その方は業務とは別個に個人でも撮影しておられるので、自分自身の制作活動にとっても直接的に役立つ情報をたくさんいただいた。



その中でも最も興味深く、ある意味では衝撃的だったのがこれ。



周囲の人々や知人をモデルにするな



とはいえ、ハリー・キャラハンの「エレノア」シリーズや、アルフレッド・スティーグリッツがジョージア・オキーフをモデルにした一連の作品をはじめとして、それこそ枚挙に暇がないほど数多くの作家たちが、周囲の人々や家族をモデルに撮影していることを考えると、いささかおかしな話に聞こえるかもしれない(最近でも、梅佳代氏が周囲の人々をテーマに作品を制作している)。だが、最近では人格権の一環としてのプライバシー権が積極的に認められるようになり、いわゆる肖像権について高度な配慮が求められるようになったため、たとえ知人や家族であってもモデルリリースのない作品については発表できない可能性が非常に高いし、あえて発表した場合は作家自身が大きなリスクを背負うことになる。



それに、そういった堅苦しい話を抜きにしても、周囲の人々や知人をモデルに撮影した場合、作品としての出来不出来とは全く別個に、本人が気に入らなければ公開できないというリスクが付きまとうのだ。ぶっちゃけた話、いわゆる「フォトジェニックなカット」以外は、モデルが公開を渋るケースがほとんどで、下手をすると人間関係に支障を来たす恐れもある。そればかりか、モデルから「フォトジェニックではないカット」を否定されることによって、作家自身が自らの方向性に自信を失うことさえありうるから、それなら最初からプロのモデルかアートボランティアを募ったほうがよいというのだ。



確かに、ハリー・キャラハンがモデルにしたエレノアと、同じくアルフレッド・スティーグリッツのジョージア・オキーフは、いずれも作家と配偶者の関係だったし、エレノア氏の作品に対する献身的な協力ぶりは、ちょっとほかに比較できないものがあったと思う。また、スティーグリッツがオキーフをモデルにした作品が公開されるまでには、相当な紆余曲折があった。そういえば、モンローを撮影したアンドレ・ド・ディーンズにも、かなぁりしょっぱいオチが待っていたっけな~



それに加えて、カメラマン氏が強調していたのは、モデルとの緊張関係が無くなることによって、作品にしまりが無くなるということだった。まぁ、これには異論のある方も少なくは無かろうが、いわゆる「家族アルバム」を超えて、作品としてのカットを撮影するには、撮影者にそれ相応の経験が必要だという話は、自分にとって強い説得力を持っていたのは確かだ。



とはいえ、モデルを雇うには先立つものが不足しているし、学校やサークルに所属していない身とあっては、ボランティアを募るのも難しい。いずれにしても簡単には解決できない問題であり、もう少し準備期間が必要であることを痛感させられた。
それに、自分自身のポートレイトに対する制作姿勢も定まっていないのだから、モット勉強を重ねるのが専決なんだよね。


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デジタルとアナログの界面で

2007-09-17 21:47:08 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Tsukishima005


今日は朝から本当にいい天気で、昼前には機材を担いで家を出た。知人との約束などもあったため、思ったより撮影に時間を割くことができなかったものの、それでもロールフィルムを2本消費して、それなりに満足感を得た。



最近は小型1眼レフでの撮影を積極的に進めているが、ひとたびは放棄した道であるにもかかわらず、始めてみるとなかなか面白い。ただそうは言っても、これまでのところは過去の経験を再びなぞっているようなもので、そこからまたなにか新しいものを掴み取っているわけでもないのだが、デジタル1眼レフで撮影していたときのようなフラストレーションを感じないというのは非常に大きい。



今日は、知人の希望もあって銀座のギャラリーをあてども無く散歩したのだが、なかでも全く偶然に立ち寄ったギンザギャラリーハウス山本KOU個展「光の墨音」では作家氏から非常に興味深く、かつ印象的な話をお聞かせいただき、いろいろと考えるところが多かった。自分自身はについてなんら予備知識を持たない上、デジタル書ともなるとただ「見て」面白がるだけなのだが、作家氏自身が「複製芸術としてのデジタル書」や、あるいは「デジタル美術のエディションコントロール」といった部分に関心を寄せていたことから、自分にとってもいろいろとおいしいお話を聞かせていただけたという次第だ。



その後、近くにあるメーカーのサービスセンターで機材を点検に出したのだが、併設されているギャラリーではまたしても微妙な思いをさせられてしまった。もともと、自分はメーカー系ギャラリーの好むような作品や作家との相性がよろしくないのだが、今回は作家氏自身の方針転換が全くの失敗に終わっているように思えてならないという点で、痛々しい思いすらさせられてしまった。
正直、ポートレート作品の方が数段以上力を持っていたし、なぜその方向性を進めるように後押ししないのか、周囲の人々に対しても多少の疑問を感じてしまったのだ。



とはいえ、酷使による疲労が見られるということで早期のオーバーホールを進められはしたものの、点検に出した機材は全て「とりあえず問題なし」という判定が下り、まぁまぁ一安心というところだったのは本当によかった。



アナログの極致であるはずの書道からデジタルを志向する作家もいれば、デジタルに疲れて銀塩に戻る自分もいる。デジタルとアナログの界面を、自分はもう少しさ迷い歩いてみたいと思う。


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撮影日和だったのに?

2007-09-08 18:44:56 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Hanzomon003


台風一過の晴天となることを期待して、昨夜から撮影の準備をしていたのだが、昼前にはもやっとした感じになっいた。最近はそういう天気が非常に多いので、いったんは激しく萎えていたのだが、だらだらしてる間にまた晴れてきたことから、うれしくなってのこのこと出かけた。



現地に到着したのは2時半近くだったが、非常に気持ちよくシートフィルム10枚を消費し、帰りがけに知人と合流する。
コミケからこっち、知人とはなかなか落ち着いて話す機会が無かったのだが、機材がかさばるので先に事務所へ立ち寄らせてもらった。



知人とは本格始動したゲーム企画についてごく簡単に打ち合わせた後、これまたお決まりの雑談となるのだが、まぁ最近のブログスフィアは保守的を通り越して暴力肯定が過ぎるため、どうしても話が否定的な方向へと流れがちになってしまう。既にアメリカではブログブームも終息しており、大半はSNSニューズグループへ移行していることもあって、海外のオタク連中もブログなんか気にするほうがどうかしてるとかなんとか、いろいろと好き勝手なことを発言してもいるのだが、こういう状況を目の当たりにすると自分も同調したくなってしまいそうになる。



そうは言っても、自分は日本国内から日本語でブログ形式で発信しているわけだし、アメリカオタクの真似してもなんら解決にはならないのだけど、日本のブログスフィアは息苦しくってネェ~



あれれ、気持ちよく撮影したはずなのに、最後はすっかり欝だ死のうじゃん!


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芸術!万歳!

2007-09-02 20:32:18 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Nagatachou001


ここ数日ぐずついた天気が続いて、今日もはっきりしない空模様だった。知人に誘われたこともあって、とある展示を観に出かけたので、ついでに小型1眼レフを持ち出したものの、結局はフィルムを半分も使わなかった。



知人に誘われたのは販売メインの某ギャラリーで、性をテーマにした作品が集められていたのだが、当然ながら完全無修正だったこともあり、入り口には「18歳未満の立ち入りお断り」表示が掲げられていた。展示の内容そのものは、人気作家のいかにもな作品がそろっていたため、テーマの割には無難なまとまりだったように思う。



というわけで、本来なら展示なり作品なりの良いところを探して、ここでご紹介させていただいてもよいかと思うのだが、なにしろ完全無修正というのがちょっと引っかかるので、今回はあえて伏せさせていただこうかと思う。なにしろ、あの松文館裁判でも繰り返し明らかとなったように、日本においてわいせつ性の有無を判断はするの司法(裁判官)もしくは行政(警察)なのだ。
その上、特に実写はドローイングよりわいせつ性が高いと認定されていることもあって(松文館裁判判例による)、実写作品も含まれているその展示をWEBで紹介することは、場合によって関係者にご迷惑がかかる可能性もあり、いろいろ思うところはあれども控えさせていただく次第だ。



そもそも、こんなくだらないことに気を使わねばならないこと事態、全くもって不条理なこととといわざるを得ないのだが、それはそれとしてやはり興味深かったのは「完全無修正」という部分だった。



なにしろ、作品の中にはことさらに「芸術性よりもエロチシズムを前面に出した」ものもあり、率直に言って「芸術はいいよな」という感想を抱いてしまった。実際、モザイクかけなんて本当に面倒だし、なにしろ「誰からも歓迎されない作業」だから、出来るなら省略したいというのが本音だからね。



とはいえ、作品が完全に修正から逃れられたのは、あくまでも「少数の関係者のみが鑑賞できる場」での展示だったためで、特に芸術性や表現の自由が認められたわけでもないのだろうというのが、自分の個人的な読みである。もちろん、司法や行政に携わる人々も、作品の芸術性や表現の自由に対して一定の配慮をしており、ギャラリーという展示空間だけが完全無修正の理由でもないのだが、それでもそこで展示されていたような作品を複製して広く頒布することは、決して許されないだろう。



例えば、今回の展示はもっとも穏便な作品がポストカードに選ばれ、カタログはもちろんグッズも制作されていない。販売メインのギャラリーだから、カタログはあったほうがよいように思うのだが、そんなことをしたら警察が黙っていないのだ。



当然ながらカタログは広く頒布する目的で制作されるので、無修正の作品を収録したら刑法175条に真っ向から抵触すると思う。実際にはごく一部の関係者のみが閲覧しただけだったとしても、印刷物として複製することは「頒布を前提とした行為」とみなされる可能性が極めて高いと思うからだ。



そういえば、最近は骨董や美術品の市場で春画も比較的おおっぴらに取引されるようになってきたが、それでも春本となると話はまったく別だそうで、仕方が無いから和綴じ本をばらし「春画」として市場に出すらしい。



とはいえ、それでもギャラリーという解放区が存在しているだけ、芸術の方がまだ自由なのは間違いなく、やっぱりうらやましいと思ってしまう。まぁ、ポルノには反権威とか反権力、反階級のメッセージから生まれたという、ある意味で「出自の正しさ」があるし、ただ一方的にうらやましがることは無いんだけどね。



そもそも、自分自身に性的なテーマの作品を制作する意図があるのかというと…
機会があったらやってみたいかも~


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そして、味がない

2007-08-30 18:05:16 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Ariake014


先日撮影したフィルムをラボから受け取ったのだが、恐れていた通り半分は使い物にならない。案の定、シャッタの不調が失敗の原因なのだが、修理となるとかなりいい金額になるため、やむなくレンズの使用を一時中止した。
気に入ってるレンズではあるのだが、展示まではなにかと出費がかさむし、そもそも修理可能かどうかという問題もあり、いずれにせよ我慢するほかはないだろう。



午後には付き合いのある編集者氏と軽く打ち合わせしたが、先行きが極めて不透明な情勢でもあり、抽象的な話に終始してしまう。どちらかといえば、受け取ってきた自分の写真を観て、なんだか「カタログみたいだよね」って話になったことの方が面白く、かつ興味深い流れにもなった。



以前にもチラッと書いたかと思うが、自分はテイストレスな作品を目指しているので、カタログみたいというのはむしろほめ言葉なのだが(展示タイトルも「秩序の目録」だし)、その辺の感覚を伝えることは非常に難しいんだよね。
というのも、芸術的なイメージを喚起しやすい画像には一定の傾向があり、その傾向を受け入れるか拒否するかが作家の制作姿勢そのものといっても過言ではない。例えば、廃墟写真家として有名な丸田祥三氏は全く無批判にその傾向を受け入れているし、また「妖しい人々」というブログの作品では分かりやすい作品に距離を置きつつも、最終的には芸術的なイメージ喚起に真正面から取り組んでいる。
また、自分のように芸術的イメージを喚起しない、させないことに力点を置いた制作姿勢をとる作家もいるが、その場合は作家に「デュシャンレディメイドに対する姿勢」を説明することが求められる。でまぁ、現代哲学の領域に達しつつあるデュシャン的美術論と、芸術的なイメージ喚起との違いがどこにあるかといえば、それは「芸術作品を特別な存在として認めるか否か」に収斂されるのではなかろうか?



ただ、これまでにもアウラ話で散々ぼやいてきたように、芸術に「特別ななにか」を求める人々は山ほどいて、また彼らの声はうんざりするほど強く響き渡っている。もちろん、その声が最も強く轟いているのは芸術批評なる領域なのだが、例えば「ART TOUCH 美術展評」なるブログでは芸術が特別なものであることが全く自明となっていて、芸術の特別性や非日常性を否定する作品や言説に対して、極めて攻撃的に全否定を試みている(ただ、作品ではなく作評を攻撃している場合がほとんどなので、反批評としてのスタイルなのだろうけど)。
また北大路魯山人は、ほとんどテイストレスといってもよいほどシンプルかつミニマルな内容を繰り返しながら、自身の卓越した感覚と破滅的といってもよいほどの攻撃性によって、グロテスクなまでに濃い味付けの言説を展開したのだが、これもまた芸術が(そして魯山人自身が)特別な存在であってほしい、そして特別な存在であらねばならないという思い込みが反映しているのだろう(恐らく「ART TOUCH 美術展評」のうんざりするような攻撃性も、同様の思い込みから生まれているのだろう)。



まぁ、世の中には種田山頭火のように、どう考えても特別な人生を歩んだ特別な存在であったにも関わらず、最小限の言葉で単純に語り続けた作家もいるから、その辺はそれぞれといったところなのだろう(簡単な言葉でありながら、山頭火の句は難しいしね)。



ともあれ、自分にとっての芸術とは、あくまでも普通でありふれて、そして味がない存在だから、ある意味ではおのようなものなんだよね。



えっ?
お麩のように味が無いものを好んで食べる奴はほとんどいないし、それだけで十分に特別な存在だって?
わかってないなぁ~芸術はお麩のように普通でありふれて、そして味がない存在だけど、それを生み出す作家はそうじゃないんだよ。実際、お麩工場は普通でもありふれてもないし、味が無くもないだろう。
ついでに言っとくと、作家の世界となるとやはり特別で、しかも一般人は立ち入り禁止なんだよ。
なぜかというと、魯山人やどっかの評論家みたいに攻撃性たっぷりの人がうようよしてて、野蛮に作家を攻撃しまくってるからねw


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脚立

2007-08-27 19:56:00 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Tsukishima018


今日はいちおう晴れていたものの、スモッグが立ち込めていて条件はよくなかった。ただ、明日以降は曇りベースで推移するとの予報もあり、少し無理して撮影に出かけた。
なんだかんだと文句をたれつつ、最終的にはシートフィルムを10枚消費したが、シャッター音が怪しかったように思えてならない。まぁ、精度を要求できないような骨董品を騙し騙し使ってるもんだから、ある程度のばらつきはあきらめるほかないのだが、今日のように無理して撮影した時に限って派手に狂ったりするから、今回は現像結果がかなり不安だ。



とはいえ、ロケーションはかなりよかったので、機会を見てまた撮影に出ようと思う。



それから、今日ははじめて撮影に脚立(というか踏み台)を持参した。最近ではほとんどあらゆる撮影で脚立は必需品とされていて、むしろ、今まで脚立をつかってなかった方が驚かれるくらいだ。とはいえ、自分は撮影時に2~3キロ、時には数キロほど歩き回ることがあるし、ただでさえ旧式のアルミ三脚が重いので、便利だと分かっていても敬遠していたのだ。
まぁ、これがアイドルや鉄道、飛行機なんかの撮影になると、脚立無しでは本当になんにも撮れない(それと、報道もそうだね)。彼らはどんなに重く、かさばっても脚立だけは持ち歩くし、置いた脚立は絶対に動かさない。というか、うっかり他人の脚立を動かした日には、どんな揉め事が起こっても不思議ではないね。
そういえば、最近は山にも脚立を持ち込むつわものがいるそうだが、本当に大丈夫なのかしらねぇ~



まぁ、自分が脚立を持ち歩かなかったのは、そういう騒動をいくつか知っていることもあったし、ぶっちゃけいっしょにされたくないって気持ちもあったね。



ところが、持ち歩いてびっくりというかなんと言うか、ほんとに便利なんだよね~これが。



特にフェンス越しのカットを楽に決められるのがポイントで、それまではあきらめていたような場所でも、気軽にほいほい撮影できるんだから、こりゃほんと病み付きになるよ。



バカと煙は高いところへ登るというけど、撮影可能ポイントがぐっと広がるのだから、この際バカでもなんでもいいや。


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いまさらBoot Camp

2007-08-15 18:48:48 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Toyosu019


今日もまた好天に恵まれたので、大喜びで撮影に出かけた。ただ、夏が大好きな自分もうんざりするくらい暑く、シートフィルムを8枚消費した段階でギブアップ。
なにしろ、グレイハンマートーン仕上げのアルミ三脚でも、ちょっと置いといただけで熱くなるくらいだから、これが黒仕上げの製品だったらどんなことになっていたか、ちょっと恐ろしいかもしれない。でも、カーボン三脚だったら黒くても熱くならなかったかなとか、ほんとにどうでもいいことを考えてしまった。



知人がノート機を導入するというのでいろいろ相談に乗っていたのだが、要求するスペックがどう考えてもノート機のそれではない。おとなしくデスクトップ機に切り替えた方がよいとは思うのだが、使用状況から考えるとそうも言ってられないのが困ったところだ。



そうして、予算などとも含めあれこれ考えた挙句、出た結論が「MacBookBoot Camp」ってのはどうなのよ?



まぁ、自分もMacBookはマジ最強だと思ってるし、そろそろBootCampも悪くないとは思うけど、マルチOSってのはどうも気分がよろしくなくってねぇ~



とりあえず、自分は次のメジャーアップデートを待ってから、状況を見つつじっくり考えようと思ってるのだが、知人のほうはそうも行かないし、ちょっと悩ましいところではある。いずれにしても、自分が実際にBootCampを使うかどうかは別問題として、アップグレードするときは言っちゃうんだろうなぁ~



チェンジ!レオパルドン!

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イメージは逃げ去った

2007-08-12 17:31:04 | 撮影とテーマ設定2006~07年11月
Toyosu023


今日も笑っちゃうくらいよい天気だったので朝から撮影に出かけたのだが、出掛けに近代美術館アンリ・カルティエ=ブレッソン「知られざる全貌」展が最終日だったことに気づき、予定を少し変更して竹橋へ向かった。だが、人気作家の展示最終日に会場へ足を運んだのは失敗としか言いようが無かった。



午後の最も混雑する時間だったこともあり、トニカク人が多すぎて作品を鑑賞するどころではないし、自分自身も気持ちが萎えてしまったので、とりあえず15分ほどで会場を1周して常設展へ逃げた。常設展で岡本太郎や草間弥生の作品を観て、少し気持ちを落ち着かせてからアンリ・ミショー展「ひとのかたち」を鑑賞する。ただ、こちらもアンリ・ミショー本人や彼の制作観を全くといってもいいほど知らないまま鑑賞したため、率直に言って消化不良気味だった。
まぁ、余計な先入観抜きで鑑賞出来たのよかったのだが、シンボリカル(象徴的)な要素とアレゴリカル(比喩的)な要素が分かちがたく混在しているように思え、その意味では向き合うのに少々しんどい作品だったように思える。予習してから、再度鑑賞したかったが、さて次はいつ、どこでお目にかかれるのでしょうかね。



ともあれ、あくまでもデータ収集が目的だったとはいえ、今日はロールフィルムを4本半も消費して、久々に楽しくシャッタを切りまくった。まぁ、再び35には見切りをつけようかとも思わなくはないのだが、テストとして気軽に撮影できるのはありがたい。



それに、テストがうまく行くようなら、飛び道具の仕込みにかかろうかと思うしね。



アンリ・ミショー 「ひとのかたち」
会場: 東京国立近代美術館
スケジュール: 2007年06月19日 ~ 2007年08月12日
住所: 〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
電話: 03-5777-8600

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