Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

熱との戦い

2006-08-30 23:42:52 | 業務関連

事務所で動画編集用に使っているマシンの調子がおかしいと、作業者から何回かクレームが寄せられたため、とりあえずマシンの状態をチェックしたのだが、S.M.A.R.T.診断の結果を見てびっくり!


動画作業空間に設定したドライブの温度が60度を軽ぅく超えてるじゃぁあぁ~~りまちぇんか!


これじゃ調子も悪くなるよってんで、とりあえず冷却ユニットを増強することとして、作業者が薦める鎌平(KAMABAY)を買ってきたのはいいものの、動画編集マシンの筐体はHDD間の隙間がほとんど無いため、期待したほどの効果が得られなかった。
おまけに、そいつは自分が苦心惨憺している後ろから、鎌平で駄目なら「メイドさんにふぅふぅしてもらえばいいかも」なんて抜かしやがった。とりあえず、目の前でぶらぶらしてた作業者の足裏をベッセルクリスタルラインドライバーの柄でぐりぐり刺激しつつ「死ね」と言ってやったら、ハメ撮りでフィニッシュを迎えた仁村ヒトシ監督のような叫び声を発しつつ悶絶していた。
作業者は「俺、内臓弱いんすよ」などと意味不明の文句を言っていたが、自分と彼との間には八重山商工ナインと伊志嶺監督との間に匹敵する信頼関係が存在しているので、このぐらいのことではどうということもない。



しかし、平はベイなのでいいとしても、なぜ「鎌」なのか?
なんちゅうか、微妙に意味不明で、しかもちょっとペドっぽくて、なんとなくいやぁな感じがしたのだけど、こうなってくると無関係なはずの製品名が気になり始めるから、人間というものは不思議というかおろかというか…
ともあれ、明日にはHDD直付け型の冷却ユニットを買ってきて、再挑戦するしかないねぇ~


それとも、いっそ水冷に挑戦しようかな!


朝のガスパッチョ

2006-08-23 23:04:14 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

今朝はちょっとびっくりするほど寝苦しく、7時前には起きてしまった。
自分は朝食をきちんと摂るほうなので、しばらくするとものすごい空腹感にさいなまれ始めたのだが、こういうときに限ってなんにも無い。
とりあえず、干からびたパンとトマト缶、ベーコンのかけらとチーズ、たまねぎでガスパッチョでもこしらえようかと思ったら、間の悪いことにフードプロセッサも故障したままだった…
結局、パン粥にして食べたのだが、この段階で気分はgdgdである。


挙句、メールを見たら不具合報告ときてやがる…


今日は遅めの盆休みを取って、撮影にでも出かけようかと思っていたが、こうなったら仕方ないので出社した。
とはいえ、不具合の大半は「自力解決不能」であり、技術者へ報告だけあげてぼんやりしていたら、同僚も「今日はGDGDでどうしようもない」とか、うれしくも無い愚痴をこぼしている。
とかなんとかgdgdしていたら、自分宛の宅配便が来た。


おや、ウィッカーマンじゃないか!


以前、ケルト好きの社長をたきつけ、ろくに内容も説明しないまま買わせていたのだが、いくつかの作為と不作為が工作した末、社長本人がバカンスを取っている時、しかも「担当者である自分宛」に到着したというわけだ。
どうせ今日は仕事にならないし、さっさと帰ってのんびり観ようかと思っていたところ、だいぶ前に修理完了の連絡を受けたまま、まだ引き取っていなかった機材があったことを思い出す。
この機会を逃したら、今度は月末まで引き取りにいけなさそうだし、ちょっと考えた末に機材を引き取りにいった。


電車を乗り継いで修理工房へ向かうと、いつもの技術者が丁寧に修理状況を説明してくれる。修理の結果、機能はほぼ完全に回復したのだが、使用に際してはいささかの注意を要する状態であり、タフに使うことは到底出来ないこともわかった。
実際、工房周辺でフィルム1本消費してみたのだが、やはりおっかなびっくり使ってみるというのが正直なところで、日没までにはまだしばらく時間があったものの、さっさと切り上げて事務所へ戻ってしまう。


夜になって、知人の造形作家氏から電話があり、今週後半に夕食をとる予定だったのを、可能ならば今夜に出来ないかと告げられる。
まぁ、最初は今夜の予定でもあったことだし、気乗りしないといっても始まらないので、造形作家氏に紹介する知人を伴って約束の場所へ赴いた。
果たせるかな、待ち合わせ場所を勘違いして合流には失敗するは、店のスタッフには何度もシカトされるはで、本日の締めにふさわしいgdgdぶりだったが、それでも知人と造形作家氏をうまく引き合わすことが出来、とりあえずの義務は果たせたということでよしとしようか。


あ、料理はうまかったね。
まぁ、世の中悪いことばかりじゃないと、そういうことなのだろう。


大停電の朝に

2006-08-14 23:39:38 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

テレビでイッセー尾形アドリブドラマを観ながら、メガネをはずしたイッセー尾形は黒木瞳と似ていることに気がつく。
ということは、メガネをかけた黒木瞳イッセー尾形、ひいては裕仁にも似てるのではないかと、なかなか愉快な空想が膨らむ。


いつか、機会を見て黒木瞳のヒロヒトコラでも作ってみようかと思うが、公表するとただじゃすまないだろうなぁ~
でも、ブログが嫌になったら、最後のネタに投入するかも。


朝、いつものように事務所へ向かい、なんとなく嫌な予感がしたので、あえて機材を持ち出した。
打ち合わせ場所へ向かおうと、駅についてみれば大混雑。聞くと、停電で地下鉄が運休していると告げられ、仕方なく山手線で目的地へ向かった。
どうやら先方はもろにやられたらしく、身動きも取れないし携帯もなかなかつながらないしで、もぅすっかり大弱り。


とりあえず昼飯食って時間をつぶすも、まだまだ時間がかかりそうとのこと。
ちょうどいい天気だったし、近場の量販店でフィルムを買い込んで、その辺をぶらぶらしながら2本(16カット)消費する。
夏季休暇中とはいえ、ビジネス街でも大型商業ビルには人があふれ、あんまり休みという感じがしない。
あまり調子も出ないし、そろそろ切り上げようかというときに先方より電話があり、やはり「今日の打ち合わせは中止」とのこと。
まぁ、こういう日もあるねって感じの、どうにも中途半端な1日だった。


キャンプと呼ぶにはなにかが、いやなにもかもが足りない

2006-08-07 23:26:59 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

強烈に暑い日だったが、台風の接近による天候悪化が避けられないため、ちょっと無理して撮影に出かける。
とはいえ、シートフィルムを10枚ほど消費した段階で、体全体がだるくなってギブアップ…


慣用句で言うところの、年寄りの冷や水なのだが、感覚的には真逆だねぇ~


今日はワークショップの期別最終回なので、ぶっちゃけ打ち上げ目的で出かける。
というのも、夏休みに入ったためか、暗室が押さえられなかったので(学校の設備を使えなくなった写学生があふれたのかな?)、コンタクトもテストプリントも間に合わなかったのだ。
正直、行こうかどうしようか、迷うところもなくはなかったが、来期は参加しないこととしているため、まぁ最後のご挨拶というわけだ。
ただ、来期は参加しないといっても12月には展示を予定しているし、受講生の方々と完全に縁が切れるというわけでもないので、別になにがどうというものでもないし、いつものように写真の話をして、いつものように別れて、それでおしまい。


ちょっと面白かったのは、自分が最近はまっている「キャンプ」についてあれこれ話した時で、案の定というかなんと言うか反応は極めて鈍く、むしろ反応できるヒトがいて驚いたくらい。わかるヒトにはわかると思うのだが(そして、わからないヒトには永久にわからないとも思う)、キャンプというのは、それを感じられるか否かで反応がきっぱりと別れてしまい、ほとんどすべての場合は「なんのこっちゃわからない」まま、話を流されてしまう。
英語圏では辞書に収録されているほどのポピュラリティを獲得している言葉なのだが、残念ながら日本では定着しないまま死語と化したようだ。


話を戻すと、先日鑑賞した干田哲平展「母と」に対して、自分があまりにも「アレはキャンプだよぉ~」と言い張ったことから、当然のように「キャンプってなんだよ」という話となり、5月にプレイスMで開催された川口和之展「DISTANCE OSAKA」と「DISTANCE TOKYO」とか、あるいはスペンサー・チュニックを「キャンプのしゅばらちぃ実例」として引き合いに出しつつ、なんとかキャンプを伝えようと四苦八苦していたというわけ(いや、なんだかんだで自分は会話をかなぁり楽しんでいたのだから、これまた感覚的には真逆だねぇ)。


でまぁ、そこまではよかったのだが(というか、ヨシとしておこうやって感じ)、その後でいつの間にか自分の展示に関する話となり、例によって「テーマが見えない」という話となってしまう。まぁ、自分としてはテーマを作家の側から提示するなんて、鑑賞者を小ばかにしたようなものだと思っているので、その部分についてはどうしても話が平行線のままなのだが、問題は写真の複製可能性や機械的要素の介在に伴う「本物性と偽物性」というテーマそのものについて、参加者から「それは写真というメディアを扱っている段階で当然のように現れるため、ことさら展示してまで打ち出すものではないのでは?」という疑問を呈されたことだった。


まぁそのぅ~
なんともぅしますかぁ~そのぅ~
自分は当然のように現れるからこそ、そこになんとか新しい見方やら、当然過ぎて見過ごしていた要素やらを盛り込もうとしていたのでありまして、そういう風に評価されるということは、とりもなおさずすなわち全否定なのですよ…
まぁ、これも自分の力の至らなさがもたらしたものでありますから、謙虚にありがたく受け止めたいところではあります。
というか、これって「バカがソンタグのまねをしたこと自体が大失敗」というところにつきる、のでしょうかねぇ~


やれやれ、おぉしょぼぼぉ~~んぬぅ~


倉内でアウト

2006-08-05 23:27:40 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

めちゃめちゃ暑かったが、よく晴れていたので撮影に出かける。
夏場は日差しが強いのだが、特に正午の前後は太陽位置が高くて光が平均的に回ることと、湿度や埃のため見た目よりもずっとヘイズがひどいので、光量の割にはコントラストが低くなる。陽炎が立ったりし始めるとある意味最悪で、いわゆる「ヌケのよい画」を撮ることは非常に困難となってしまう。
まぁ、たいていの人は「コントラストが低くなることを嫌ってPLフィルターを使ったり、あるいは夏場日中の撮影そのものを控えたりもするのだけど、自分はそのもやもや感もまた悪くないと思っているから、暑い昼下がりでも機材を担いでひなたをぶらぶらするわけです。


とりあえずフィルム3本(24カット)と10シート消費して帰宅したんだけど、今日は携帯電話の契約もしなければならなかったので、日が暮れてからまた街に出た。


以前、ちょこちょこ35で夜景を撮っていたのだが、あからさまにメインとはかけ離れたテーマなのに、コンタクトを管理する負担が非常に重く感じれたことから、いつしかやめてしまっていた。ただ、最近になってデジタルで撮るようになり、管理負担が激減したことから、またぼちぼち撮るようになっている。
まぁ、管理は便利でも画像の質は銀塩の圧勝で、特に被写体がぶれた際のグラデーションなど、作品の肝となる要素でデジタルの弱点が表面化してしまうのは困ったものだ。
いろいろ試しているのだが、時として写りこんだ人々の表情やポーズが「クラウチ」と化してしまい、まったく使い物にならなくなってしまうのは大弱りだねぇ~


クラウチ本人にはなんの罪も無いんだけど、作品としてはまったく使い物にならないのも確かなので、ただ困るしかないんだよねぇ~


愛の彼方に見えてしまうもの

2006-08-03 23:20:45 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

ようやく夏らしい晴天となったので、すかさず機材を持ち出してフィルム2本(42カット)ほど撮影する。
あらかじめ、昼過ぎに空き時間ができてしまったのはわかっていたので、事務所に機材と感材を持ち込んでいたのだが、こんなによく晴れてくれるとは思わなかった。
作家氏からポストカードをいただいていたこともあり、撮影のついでにギャラリーにも顔を出したのだが、重い機材を担いで炎天下をとぼとぼ歩いたので、すっかりばててしまった。


まず、最初はロータスルートギャラリーで藤巻いづみ写真展「さすらいの丘 vol.2」を鑑賞したのだが、よい意味でテイストが全く同じといってもよく、非常によい形で前回の展示を継承しつつ、その延長線上に新たな到達点を見出したのではないかと思う。
そして、なによりも写真に対する真摯な姿勢が展示にも現れていて、口ばかり大層で手を動かさない自分のだらしなさを思うと、別の意味で非常に刺激的な展示になっていた。


次に立ち寄ったのはプレイスMで、こちらの金子友洋写真展「Botany ―無風帯」は絡みつくように繁茂する植物をテーマにした作品で、壁ごとに作品をくっつけて横一列に展示していたため、あたかも巨大なパノラマ写真であったかのような印象を与えていた。絡みつくように繁茂する植物といえば、やはりリー・フリードランダーを想起してしまうのだが、フリードランダーの作品が広角レンズの描写を活かした立体パズル的な奥行き感を備えていたのに対して、金子氏の作品はあくまでもストレートに地表を覆うテクスチャとしての植物を描写しているのは、決定的な違いと観てもよいだろう。
この試みについて、個人的には非常に興味深いと思うのだが、果たしてどのように受け止めてよいものやら、いささか戸惑うところがなくはない。また、途中から黒のアルミフレームが少しずつゆがんでいたり、また細かな傷が付いていたことや、また壁面の多孔ボードが持ってしまうテクスチャ感といった雑音が気になり始めてしまい、集中して作品を鑑賞できにくくなってしまったという問題もある。


展示会場にあわせた展示を組み立てるのか、あるいは展示内容に合わせて会場を探すのか、非常に難しい問題ではあるが、その点についてもきちんと目配りしなければならないと思った。


最後は、メーカー系のギャラリーをテキトウに流して締め。ただ、こういってはなにだが、ニコンサロンの干田哲平展「母と」は、思わぬ掘り出し物だった。
正直、自分はある種の先入観を持って観て頂きたいがために、あえてこういう表現を用いるのだが、ぶっちゃけ風俗写真すれすれのキワモノっぽさがあふれかえっており、その点のみですっかりマイマインド鷲捉まれ状態となってしまったのだ。
作品紹介の画像を観ていただくだけでも、わかる人にはかなりの部分が伝わると思うのだが、もはや出オチというかイッパツ芸の連鎖というか、繰り返しギャグというか猫ヒロシというか、そういうテイストもコミコミでヘテロによる無自覚なキャンプ感覚が横溢していて、個々の作品を観るたびにひざかっくん状態となってしまうのだ。


ただ、確信を持って言えることは、作家氏自身にはそのような自覚が全く無く、かつこのような読みをされること自体は不本意であり、極めてストレートに家族への愛と、そしてほんのヒトさじのいたずら心を表現した作品であるということだ。
恐らく、広告写真的な技法を家族写真へ応用したことによる、偶発的なキャンプテイストなのだろうが、それにしてもすばらしい。


ただ、全く言葉通りの意味で「二度と同じ手は使えない」から、今後はどうするつもりなのか、本当に気になるな~~


追伸
はてなの「はてなキーワード」システムは、検索エンジンに大量のごみをばら撒き続けているため、本当にいつもいつも悩まされているのだが、キャンプって「野営の意味じゃない」からわざわざ筆者が注釈つけてるのに、勝手にキーワードリンクを貼って台無しにしているのを見ると、本当に心から腹が立った。
以前より思っていたのだが、はてなは本当に「少数意見を汲み取ろうとしない、多数派の横暴が無制限にまかり通る、独裁的なシステム」というのが、非常によくわかりました。


身体性の逆襲

2006-08-01 23:30:27 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

昨日は久しぶりというか、最後に残った銀塩クライアントの撮影だったが、正直言って勘が鈍っているような気がして仕方なかった。おまけに、朝からなんとなく嫌な予感にさいなまれ、撮影が始まるまではテンション下がりっぱなし…
とはいえ、撮影そのものは思ったより順調に進み、まぁなんとか無事に収まったかと思っていたのだが、ふたを開けてみたら全然そんなことは無かった。


今日、ポジが上がったというので、自分もチェックしたのだが、これがまぁなんともかんとも大弱り。
さすがに、基本的なエラーをやらかすほどぼんくらじゃなかったとはいえ、もちろん「単に撮れているだけ」では話にもならない。仕上がりはクライアントが期待していたものとは微妙に異なる点もあり、お互いの意思疎通も含めて反省点の多い撮影となってしまった。
特に頭が痛かったのは自身の身体性に起因する部分で、この点を克服するために新たな撮影スタイルを模索しなければならなくなったことだ。


もちろん、これはよいきっかけでもあることだし、実を言えば「ちょっと楽しみ」だったりもするのだが、作家的な観点からは何の得にもならないし、それどころか悪影響が及ぶ危険性すらある。


商業カメラマンとしては、多くの引き出しを持っているほうがよいに決まっているし、いささか不本意な結果であったにもかかわらず、自分を好意的に見てくださっているクライアントにも感謝している。だが、本当に思いもよらなかったところから、それも自身の身体性がきっかけとなって作家性と商業的要請との矛盾に躓くというのは、興味深くもあり、また頭の痛い問題でもある。


まぁ、とかなんとかぐだぐだいいながらも、とりあえず新しい撮影スタイルの練習をはじめるんだけどね。


実際、新しいことって、なんにしてもおもしろそうだから。