今日は朝からいい天気だったが、撮影ではなく部屋の模様替えをして、ついでに不用物を処分した。特にテストプリントの類は量が多く、しかもかなり重かったので、運び出すのが少ししんどかった。夕方杉に家を出て、買い物のついでにロールフィルムを3本消費したが、思ったより寒くなかったので楽しかった。
夜には事務所で知人と合流し、企画について軽く打ち合わせをしたが、納期を割り込んでいるにもかかわらず、なおクオリティを追求するという態度には、いささか厳しく苦言を呈せざるを得なかった。クライアントより得られる報酬と比較して、過剰ともいえる労力やコストをかけてもクオリティを追求しようとする、いわゆるオーバークオリティの問題とも言えなくはないのだが、納期を割っているようではお話にも何にもならない。
また、いわゆるオーバークオリティの問題だったとしても、やはり企業側としては労力なり資金なり、あるいは施設といった様々な制限の中で、最大限の利潤を追求して組織の存続なり安定を図らねばならないわけで、クライアントやエンドユーザの評価が高かったとしても、金銭的利益に結びつきづらいコストに対しては渋くならざるを得ない。例えクオリティの差が倍以上に開いたとしても、時間や労力などのコストが倍以上かかっていたら話にならないし、少々の差であれば手の早い作業者が喜ばれるのは当然だと思う。
自分の経験で言えば、デビュー直後の新人さんが勢いに任せて描いた原画と、中堅どころの原画家氏が丁寧に描いた原画とで、売り上げがほとんど変わらなかったという事例もある。中堅どころの原画家氏は仕事も非常に丁寧で、中間段階の加工も非常にやりやすかったのに対して、新人さんは絵が荒くて中間段階での加工コストが発生したのだが、それでも圧倒的に手が早くて新人さんの方が先に全て納品したため、ペンディングだったパートの追加発注に至っている。
もちろん、最終的なグラフィックのクオリティは中堅どころの作家氏に軍配が上がっているのだが、悲しいことに単位アタリの売り上げがほとんど変わらなかったので、量の多い新人さんの方がより大きな利益を生み出すという構図になってしまった。
まぁ、これはいささかわかり易すぎる事例でもあるのだが、企画のトータルコストを管理する立場から言うと、やはりオーバークオリティは避けたいところである。
とはいえ、作家としてあくまでもクオリティを追求したいという心情は痛いほどわかるし、また「クライアントの要求する以上のクオリティを目指す」ことの重要性も理解できるので、本当に悩ましいところではある。それに、作家個人としては作品のクオリティで全てが判断されるという、より差し迫った利害にもつながるところがあり、本当に答えを出しづらい難題だね~
自分自身にしても、先日鑑賞した個展において、最終出力段階での選択ミスが、作品そのものを台無しにしてしまっている実例を見たばかりだし、作家としてはクオリティの追求が大事だと思い知らされたばかりでもある。モノクロネガをデジタル出力した作品で、作家氏はスピードを重視した結果のようなことを言っておられたが、自分にはコストを削った結果としてクオリティが致命的に低下しているようにしか思えなかった。しかも、プリント以外の要素がよさそうな感じだっただけに、なおさら痛々しく感じられるほどの大失敗だったのだ。
銀塩で撮影してデジタルで出力するという部分は自分も同じだし、それこそ他山の石というか前車の轍というか、他人事と思わずに自分も気をつけねばならないのだが、そういう自分がオーバークオリティには渋い顔をせざるを得ないのだから、世の中ほんとに難しいぬぅ~