Tokyo at rain and Tokyo at night MOVIE!

東京の夜景動画ブログです。

過多と過少の中間線

2006-09-29 23:18:16 | 展示準備2006年12月

昨日、やっとこさっとこで原稿をあげ、今日は展示解説を書いたのだが、これまた難航に難航を重ね、苦しみぬいた末になんとかまとめるという、非常に情けない有様だった。


もともとこの手の文章は苦手なのだが、どうも展示の主題とはかけ離れた方向へ脱線しがちで、何度も書き出しては書き直しを繰り返すうちに、しまいには文を練ること自体が嫌になり始めてしまう。そもそも、今回の展示では作家の作家性や私性を前面に出すことなく、ただ「そこにあるもの」をストレートに表現したいと考えているので、その意味でも文字にしづらい部分が多々ある。もちろん、単に展示内容を要約するだけでは話にもならないのだが、そうはいっても解説には「第三者に展示概要を説明する」という目的もあり、展示の一部でありながら展示の外に存在する文章としての難しさがある。


まぁ、最後には終わりよければで何とかしちゃったのだけれど、会場には別の文章を掲示することになるかもしれない。


語りすぎるのはよくないが、なにも語らないのはもっと悪い。
告知というものは、ほんとに難しいぬぅ~


準備作業本格化

2006-09-23 23:53:13 | 展示準備2006年12月

今日は思ったよりも天気がよかったので、当初の予定を変更して少し撮影した。
まぁ、ほんの思いつきでちょこちょこ撮っただけだから、撮影結果は高が知れているものの、それでも先日の撮影よりはかなりましだろう。
先月から今月にかけてはほとんど撮影できなかったので、まだまだ完全には勘を取り戻してはいないものの、かなり落ち着いて一連の撮影手順をこなせるようになった。もちろん、かといってまともに撮影できるようになったわけでもないのだが、予想以上に撮影勘を鈍らせてしまったみたいだし、コレばっかりは少しずつ慣らしていくしかないねぇ~


撮影後、少し遅くなったが表参道画廊へ出向いてポストカードの校正をしていただくと共に、事前に準備しなければならない資料のあれこれについて、多少突っ込んだお話を聞かせていただく。
とりあえず、展示紹介と作品画像が目先の優先事項だが、残された時間はほとんどない。特に展示紹介については、ある程度以上はわかりやすさも求められるということを前回より強く念頭に置きつつも、やはりコンセプトからあまり逸脱しないようにしたいところでもあり、どうもなかなかに悩ましい。


夕方には戻ってアニメの最終回近日発売予定ゲームのWEBサイト日本版公式サイトは檄重なのでアメリカ版へリンク、ちなみに日本版サイトはココが元ネタ)をチェックしたりと、展示紹介を書くために写真作家として必要な見聞を広めていたのだが、そこに職場の同僚から相談したいことがあるとの電話を受ける。とりあえず事務所で話を聞いていたのだが、残念ながら少々自分の手に余る案件だったので、やむを得ず知人の助力を仰ぐこととした。
知人には予定があったそうだが、合間を縫って事務所まで来てくれた上、遅くまであれこれ相談にも乗ってくれた。
本当に心から感謝している(とはいえ、遅くなった原因は「セガのおっさんを放置してたら、手持ち無沙汰にあれこれいぢ繰り回す」ことを検証したからなんだが…)。


それにしても、今月末は忙しくなるなぁ~


再びポストカード

2006-09-20 23:35:35 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

今日は朝からよく晴れたこともあり、かなり早めに家を出たのはいいのだが、いわゆる普通の勤め人が出勤する時間にあたってしまった。
もともと、天気がよければ撮影しようと思っていたのだが、いろいろの関係で打ち合わせを少し前に倒したため、玉突きでものすごく早くなってしまったというわけ。
ただ、ここしばらくは天気も自分の精神も仕事もなにもかもがひどく不順で、そもそも半月以上もまともに撮影していなかったため、気持ちや視覚を撮影状態へ持っていくのにかなり苦労させられた。


まぁ、どうせそんなこったろうと思って、撮影といってもリハビリみたいなもんだったんだし、端から作品にするつもりはかけらもなかったのだが…
案の定というかなんと言うか、撮影しながら露骨にフィルムを消費しているだけなのが自分でもわかってしまうと、これまたかなりへこんでしまう。
このままでは、リハビリどころか精神に悪影響を及ぼしかねないので、とりあえず撮影を中断して昼飯でも喰おうかと思っていると、打ち合わせの相手から時間を少しずらしたいとの連絡が入る。ちょうど気分を変えたかったところでもあるし、少し足を伸ばして日本橋のギャラリー・ショウへ向かった。
ギャラリーでは美夜・安藤・スタノフMIYA ANDO STANOFF EXHIBITIONを開催しており、とりあえずバフがけされた金属板を観てだらだらと時間をつぶそうかと思ったところ、会場にいたバイヤーかマネージャーと思しき人物と目が合ってしまい早々に退散する。


俺をいくら見つめてても、絶対に買わないからさ~ と自意識過剰なバカが独り語ちるのでした…


打ち合わせまではまだ時間があったので、仕方なく散歩しながら撮影を再開するのだが、朝方の鬱々とした気分がウソのように晴れやかになっていて、自分でもかなぁりびっくりする。


コ、コレがアートのぃゃι効果なのか!


まぁ、単に昔の勘を取り戻してきたところに、歩きつかれて余計なこと考えなくなってきただけなんだけど、とりあえずそういうことにしておくほうが、芸術の実利的効用を騙る意味からも都合がいいだろうねぇ~
とはいえ、やっぱりまともなカットはひとつも撮れないまま、打ち合わせの直前にとんでもないエラー報告が上がってきたりして、やはりgdgdなものはgdgdという、なんともしまらない有様でございました。


打ち合わせは無事に終了し、事務所に戻ってエラーの対処も済ませたころ、ポストカードの版下データが届く。
デザイナー氏によると「イメージゆがんでたんで、適当に直してトリミングしときました」とのことだが、気心の知れた作業者だったので思った以上にいい感じである。
ただ、ゆがんでたはないだろう、ゆがんでたはさぁ~
確かに、イーゼルがたがただったし、フレームラインもへろへろだったけどさ…
ともあれ、ポストカードを印刷に回せば、いよいよ展示準備も本格化するわけで、気合入れなおしてスパートかけますかね。


と‥取り返しのつかないこと…取り返しのつかないことをしてしまったァァァァ

2006-09-10 23:27:14 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

まぁ、心底むかつく男が寝取った女につぃうっかり「ビームサーベルを突き刺した」とか、そういうわけではないのだけど、久々におもっきりやらかしてしまいました…
原因は自分でも情けなくなるような単純ミスだったため、比較的簡単に再発防止策も講じられたのはいいとしても、なにしろ本当に取り返しのつかないミスだったので、判明したときは流石にかなぁりへこみましたょ…
他人に迷惑をかけるミスだったしね。


ただ、いつまでもへこんではいられないし、今日を逃すとしばらくは晴天に恵まれなさそうなので、気持ちを切り替えるためにも撮影に出かけました。
とりあえずシートフィルムを14枚消費した後、いったん帰宅して知人と連絡を取り合い、夜に秋葉原で合流しました。
知人は秋からセツ・モードセミナーに通うということで、面白そうだから話を聞きに行ったと言うワケ。


よく知られているように、セツ・モードセミナーは実技中心というか、実技しかないような教育方針なので、受講生自身に強固な目的意識と自律心が求められます。もちろん、知人はそのことを十分に理解しているのですけど、自分としてはその目的に興味があったわけです。


まぁ、知人の目的そのものはさておくとして、やはり芸事には反復練習が必要不可欠であり、まずそれに耐えられるかどうかでかなりふるいにかけられます。確かに、最終段階ではセンスの勝負になっていくのですけど、ほとんどの人はそれよりもはるかに手前の段階で消えていく。
もともと、自分自身にはその反復練習をこなしていないのではないか、そして「自分にはそれをこなすことができないのではないか」という思いが強くて、実際に今回しでかしたような失敗に直面するともぅすっかりまいっちゃうんですよ。



というわけで、知人との話はいろいろと身につまされることばかりだったのですが、まぁ「練習はいくらでも重ねることができる」ということで、これからは同じ失敗を繰り返さないように精進するしかありませんね。


いやいや、ほんとにご迷惑をおかけしました。


こいつ違うぞキヤノンなんかとは! 階調も!色味も!

2006-09-08 23:44:22 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

オチご容赦…


さておき、新型スキャナを導入して、ここ1年ほど悩んでいた問題に、ようやく蹴りをつけることができた。
まぁ、蹴りをつけることができたといっても、自力で解決したわけじゃないので、あまりたいそうなこともいえないのだけど、それでも事実上解決したのだから、終わりよければなんとやらといったところであろうさ。
もちろん、スキャナは事務所においてあるというか、あまりにもでかい代物なんで、自宅には置くところなんかないからねぇ~
たとえ自分の私物だったとしても、事務所で使わせてもらっただろうな。というか、この大きさもあって導入を躊躇していたところだっただけに、本当にありがたかったでございますよ。


ともあれ、おかげでコンタクトはスキャンで済ませられそうだし、素材としてのプリントもラボへ外注することとしたので、苦手な暗室作業はかなり回避できるようになった。ほんとにやれやれでございますです。
ただ、恐らくこれが最後の「民生用高性能フィルムスキャナ」ってことになるんだろうし、こいつを使いつぶした後のことはあんまり考えたくないなぁ~


ただ、ドローイングの世界にしたって、画材をはじめとする工業生産物との関わりは避けられない。例えば絵具の技術発展は西洋絵画に大きな影響を与えたし(特に鉛チューブの発明は大きく、その後も絵具容器の発展は、絵画技法にも大きな影響を及ぼしている)、日本画にしたって新しい岩絵具の登場による技法の変化が始まっている。版画にいたっては写真に匹敵する大変革を過去に経験しているのだが、いつでも「技術が先行し、それによって人々の意識が変革する」という図式に変わりはない。


人々の意識変化が技術革新をもたらしたわけではない


確かに、自分自身もこうしてぼやくように、嘆きたくなる気持ちもわからなくもないが、最近になって反近代の逆襲というか、個人が個人として生きることを否定したい人々による粗暴な言動が目に付く(乙武ブログの炎上など、粗暴な言動を端的に表す事件であろう)。こういう粗暴さの背後には、技術のもたらす利便性のみは享受しつつも、自らは意識を変革することなく、前近代的なムラ社会に留まり続けたいという、非常に手前勝手で貧しい精神が潜んでいるように思えてならない。


自分としては、技術変化のもたらす意識変容を冷静に受け止めつつ、あくまでも「その先にある何か」へ目線を向けて、今後も制作し続けたいと思う。


豊洲でTOYO-VIEW

2006-09-03 23:34:28 | 撮影とテーマ設定2006年3月~12月

タイトルと内容はなんの関係も無いが、山崎まさよし主演の映画「8月のクリスマス」では主人公が古いトヨビューを使っていた。もちろん、本筋とまったく関係ない細部なのだが、そのこと以外はあまり記憶に残っていない。
まぁ、所詮は単なるカメラオタクに過ぎないので、映画を観てもその程度なんだけど、製作者サイドにとってはたまったものじゃないだろうね。


今日はよく晴れたので、朝から撮影に出かけた。
先日、修理が完了した機材のテストも兼ねて、フィルム5本(40カット)と10シートを消費した。
昼過ぎにいったん帰宅、夕方から知人と合流して、有楽町でタイ料理を食べた。


知人とは、先日まで汐留で公開されていた岡本太郎の「明日の神話」話で盛り上がった。中でも、会場のあちこちに作家自身のマニフェストが大書されているにもかかわらず、主催者サイドは明らかに「きれいで心地よい空間」を用意して作家の力量を誇示し、また観客も「すっかりいい気分で鑑賞している」という、なんともパラドキシカルと言うかアイロニカルなシチュエーションには、2人とも激しくツボを刺激されていた。
まぁ、商業的には受け手に上手さも、美しさも、心地よさも「感じさせない」作品では困っちゃうし、とりあえず「反語」として処理するほかは無いのだろうが、それにしても浮世のつらいところだねぇ、切ない話だねぇなどと、巨大商業資本が資金を提供しなければ絶対に修復されなかったってことはすっかり棚上げして、えらそうに上から目線で語っていたが、今にして思うと痛い話してたなぁ~


ただ、そのことに引っ掛けて、次回の展示に関するアイディアもいただいた。
特に重要なのは「鑑賞者に対して展示意図を明確に打ち出す」ことで、自分のやり方は「鑑賞者の自主性尊重を口実にした責任放棄」のように受け取られかねないと、いささか厳しい言葉もいただいている。
確かに、少なくとも一定以上の鑑賞経験を持っている鑑賞者を想定していることと、作品ではなく展示空間も含めて鑑賞してほしいことの2点については、よりはっきりとした態度表明が必要なのだろう。とはいえ、現状ではインスタレーションという単語の意味が非常に混乱しており、また混乱している割には安易に流通しているため、態度表明といっても最大限の注意を要する。
とりあえず、作品そのものにセルフアプロプリエーション的な要素を持たせつつも、ある程度以上は解説でフォローせざるを得ないだろう。


大半の鑑賞者は「作品」を、それも「作品に内在するテーマ、あるいは作品の内容」を鑑賞しようと思っており、貸し画廊で展示するという「形式」についてはまったく頓着しない可能性が高いため、その点については文章による断り書きを掲示せざるを得ないかもしれない。
より性質が悪いのは、形式などは内容を補完する要素でありなどと、形式と内容を分離可能でしかも対立的に捉えている連中で、えてしてそういう連中が展示手法だけ匿名性を取り入れつつ、臆面も無くバリバリに作家性を打ち出した作品を展示したりするから、少なくとも同一視されないような工夫は必要だろうねぇ~


とはいえ、作家たるもの「すべからく作品をあまねく世に広めるように務めるべきで、鑑賞者を選ぶなどは傲慢のきわみ」という思い込みが幅広く、しかも強力に流通していることが、さらに話をややこしくしている。


かつて、とある実験的なパフォーマンスを世に問うていた舞踏家が、某評論家に「そんなに観客を選びたいのなら、自宅の庭ででも演ってればいいだろう」と評されたことがあるそうだ。舞踏という、空間との結びつきが非常に強い分野ですら、このようにナイーブかつ愚かな発言がまかり通るのだから、複製芸術である写真ともなれば、どれだけ風当たりが強いかわかったものではない。
さらにうんざりさせられるのは、件のナイーブかつ愚かな発言に対し、無批判に首肯した人々が少なくなかったらしいということだ。


まぁ、自分もエルトン・ジョンくらいの金持ちだったら、自宅に自分好みのギャラリーをこしらえて、そこで自作を一般公開したいところだけどね(あくまでも一般公開ってのがミソ)。


ただ、公開したらしたで「8月のクリスマス」観てもカメラばっかりチェックしてるカメヲタのような奴が来て、くだらねぇことほざいてうんざりさせられるんだろうけどねぇ~~