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東京の夜景動画ブログです。

いぢられてぶちぎれ

2007-02-10 22:19:22 | 業務関連


結論の見えない企画会議が延々と続き、席についていた誰もが堂々巡りにうんざりし始めたころ、あるライター氏がいささか興味深いことを指摘した。



いわく「オタクはオタクの悪いところを見せられると萎えてしまうので、オタクの悪い部分を描写してはイカンのです」とのこと。



もちろん、オタクの困った習性と言うか行動様式を描写しつつ、ある程度以上の成功を収めた作品も無くはない。しかし、例えば「げんしけん」のような作品がかつての「オバタリアン」や「だめんず・うぉ~か~」と同じようにオタクを揶揄しているかどうかとなると、それはいささか微妙なところだろう。
そういえば「NHKにようこそ!」では引きこもりやメンヘルとオタクは違うといった格好で、いわばある種の逃げ道を用意していたように思える。また、作品世界の中でオタクの困った習性と言うか行動様式を描写すると、それが作品世界の中でもよくないこととして描写されたとしても(あるいはよくないこととして描写されているからこそ?)、オタクから「本当のオタクはあのような行動をしない」とかなんとか、トニカクそういう意味のクレームも寄せられる。



最近では無邪気にオタク趣味や同好の士との交流を楽しむサイトやブログも増え、相対的に存在感が希薄になりつつあるが、かつてはオタクの困った習性と言うか行動様式をことさらに取り上げ、こんな「キモイオタクがいて困る」とかなんとか、トニカクそういう意味のサイトや掲示板のスレッドをオタクが熱心に作っていた。ただ、同好の士に対してことさらに厳しいのは、いわゆる狭い意味のオタクに限ったものではなく、例えば写真方面でもマナーの悪い写真愛好者をバッシングするサイトやブログのエントリー、掲示板発言などは多く、最近ではむしろ狭い意味でのオタクより過激な発言が見受けられるほどだ。
まぁ、流石に「D51撮影、線路侵入男まで…緊急停車相次ぐ」というニュースとなると、みんなからぼろくそに言われても仕方ないとは思うがね。



いずれにしても、オタクの抱えているいぢられることに対する恐怖は、オタクが抱えた疎外感の裏返しというかなんというか、やはりいぢられることは内的全能感の否定に直結するがゆえの恐怖感なのだろう。また、現代芸術、現代美術(アート)について考える場であるART CONTEMPORARY IN JAPAN内のテキスト「-現代芸術(アート)と時代をかんがえるキーワード「疎外」-」における言説から展開するなら、オタクの行動は日本社会からの「疎外」を打ち消そうとする営為であり、そして日本社会の圧倒的な同一化要求に個の感覚で対抗するという、絶望的なまでに分の悪い戦いだったといえるだろう。
こうして考えると、オタクによるオタクバッシングとは「社会という外敵からわが身を護らんがための過剰反応」であり、集団が弱小であればあるほど「団結して外敵に当たるより内部抗争が激化して自壊しやすくなる」の法則が顕在化したものだったといえるだろう。



まぁ、最近はそのオタクでさえもそこはかとなく社会的承認を得たせいか、全体としてはオタク外の世界に対するアピールが目立つようになり、冒頭のライター氏が主張するファナティックな反応は影を潜めているかのように思うが、本当のところはどうなのだろうかねぇ~



となると、相変わらず一部の不品行な同好の士をあげつらって愚痴をたれたりぼやいたりしてばかりいる人々、例えば夜景や紅葉、花の名所などにおける撮影マナーについてことあるごとにWEBや雑誌で文句を言うくせ、当事者に直接文句を言ったり、管理者に善処を求めたこともないらしい一群の写真愛好者などは、まだまだ社会的な承認が不足しているということになるのでしょうかね。



もちろん、こうして「厨を厨と決め付ける厨」である自分自身もまた、社会的承認が不足しているのは言うまでもないことですよ。



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