今日は朝から曇り空で、どうにもこうにも出かけるキがしなかった。
ところが、プリントのマッティング加工を依頼していた業者より「予定より早く仕上がった」との連絡があり、とりあえず引き取りに出かけようかと支度を始めたところ、さらに知人に誘われて某美術館における展示鑑賞にお付き合いすることとなる。
少し考えた結果、天候が思わしくなかったこともあり、作品の引き受けを延期して、知人の展示鑑賞にお付き合いする。
でまぁ結論から言ってしまうと、プリントだけさっさと回収して、家でごろごろしとけばよかった。
否定的な印象を持った展示についてあまり多くは語りたくないし、また多くを語るべきでもないのだが、久しぶりに「写真という表現手段を用いることを恥じた」ことだけは、来場者も含めた展示の感想として述べておこう。
まぁ、敢えてイイとこ探しをするならば、インスタレーションは極めてすばらしく、作品の配列や順路の構成も含め、キュレーターはよい仕事をしたと思う。
ただ、知人には申し訳ないことをしたと思うが、知人も展示を観て少し後悔していたようなので、その辺はお互い様といったところか。
どうにも収まりがつかなかったこともあり、途中でコニカミノルタプラザへ寄り道して、口直しに渕上勝写真展「GLARE」を鑑賞しようかとも思ったのだが、時間が中途半端だったのでそれもあきらめざるを得なかった。
渕上氏の作品は、色彩に対する感覚という点で自分の対極に位置するものだが、実は近い方向を目指しているのではないかと思う。自分は色彩も含めてコントロールされた空間を被写体として選択しつつ、その「非人間性」を批判的に作品化することを目指しているのだが、渕上氏の作品は「混沌とした色彩の持つ人間性」を作品化することで、逆説的に行過ぎた秩序の非人間性を描いているのではないかと思うのだ。
もし、写真という表現手段が「秩序だった美の追求」でしか評価されないのであれば、自分はむしろ評価して欲しくないし、写真という表現手段そのものも投げ捨ててかまわないと思う。作りこみ系の作家氏たちには申し訳ないが、そういう価値観を絶対視する人々とは同じ空気をすえないし、だからこそ自分は写真の世界よりもオタクの世界に身を置き続けたいと思うのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます