かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上本門寺・松濤園 これもボランティア・ガイドといえる?

2011-09-16 | 池上本門寺

せんだって池上本門寺・松濤園の一般公開で、いの一番でやって来て、撮った写真をブログに公開。やれやれ、ということでした。
これでおしまい、のはずが数日後、ひょんなことから松濤園を案内することになったのです。お相手は妙齢の(すみません、すこしご年配の)女性。
場所は本門寺境内、といっても大堂裏手の片隅、定番の休憩所。この日は、親の月命日で墓参り。近くに住んでいる妹とは行き違いになり、ひとりで昼食。夕方、上野での予定があるので移動しようか、まだ早いか。松濤園・・・うーん、撮り損ねた場所もある、今日は旧知の住職さんの説話もある。どうしようと思いながら、ふと顔をあげると、「松濤園に行きたいのですが・・・」と目の前の女性からお声がかかった。なんというタイミング。決定。「自分も行くところです。ご一緒しましょう。案内しますよ。」
歩きながら、話を聞いていると、那須へ行く予定だったが、新聞で池上松濤園の期間限定公開を知り、急遽、こちらに予定変更して駒込からやってきた。家族は、もうすぐひ孫が生まれるので10人になるけれど、ひとりでどこへでも(海外も)出かけるとのこと。池上本門寺と池上梅園は前に一度きたけれど、松濤園は初めてとのことでした。こちらも、ここ本門寺の「池上市民大学」に参加していることと、ご年配の女性も、男性も参加していることを話しました。私も、と北区の歴史サークルの話。都立公園散策の話。おまけに池上とは別系統だが、三条・本成寺の東京のお寺のこと等、話がつきない。
園内での「説話」を、中央で神妙になって聞いていました。その後、松濤園をいっしょに散策。(もちろん説明もしましたよ、雑談形式でしたが。散策の所要時間は30分くらい。合計では1時間強。)
で、表題にもどる。これでもボランティア・ガイドになっていたのかな。

松濤園の園内で、午後1時すぎから行われた法話を拝聴しました。



話し手は、早水日秀「イキイキ推進委員会」委員長。比企谷・妙本寺のご住職です。

追記
案内をすませ、朗峰会館を出る。五重塔への坂道で、さきほどひきあいに出した「池上市民大学」のSさんにお会いした。可愛い可愛いお嬢さん二人と一緒。(お孫さんかな?)ちょっと、てれが入って挨拶がぎこちなかったかなー。




写真 E家の囲炉裏部屋で、鮎パーティ

2011-09-13 | その他
鮎の塩焼き。しかも炭火でじっくり時間をかけて。





E氏。この夏、秋田の湯沢市にある〇〇川に留まること一ヶ月半。鮎は、友釣り専門。今年の釣果は延1,000匹以上。(頭の中に概数を記憶しておくだけで、記録には残していない、とのこと。)ゆえに、この夜は呑みながら食べながら、話を聞くことと相なりました。
れいによって、イワナの骨酒、まわし飲み。引き続き、焼肉パーティへ。とても、おいしかったです。ご馳走さま!



巳成金大祭(みなるかね・たいさい) 上野・不忍池 弁天堂

2011-09-12 | 都内散策 寺院・神社
2011年9月11日(日)



江戸検の参考図書 『江戸の名所 お上り武士が見た華の都 』の酒井伴四郎よろしく、「不忍池 弁天堂」参詣してきました。相方のうしろにくっついて、お堂の中まで入ったものの、せまい堂内には善男善女が大勢、満杯(!!)。熱気と湿気で、ずっと中にはいられないと思い、祈祷会のほうは相方にまかせ、外に出てぶらぶらしながら待ってました。

巳成金大祭 (みなるかね・たいさい) 東叡山寛永寺・不忍池 弁天堂(辯天堂)
 9月 第2の巳の日 開堂(開帳)
 今年は、9月11日(日) 己巳(つちのと・み) 午前11時











東叡山 辯天堂(書院)

大黒天堂


九月十一日(日) 開堂 午前五時~午後五時迄
巳成金(ミナルカネ)大祭
午前十一時・午後二時 祈願成就大般若祈祷会
輪王寺門跡・寛永寺一山総出仕  不忍池 辯天堂
〇ご縁日法要 : 毎月 初巳の日 本尊 八臂大辯財天(はっぴだいべんざいてん)
                                  琵琶湖竹生島の宝厳寺から勧請。

不忍池 辯天堂
天海僧正が不忍池を琵琶湖に見立て竹生島辨才天を寛永初年に勧請して建てたお堂です。本尊は八臂の辨才天で、特に芸能や福徳にご利益があるとされています。毎月初巳日(最初の巳の日)に縁日法要を営み、特に毎年九月の巳成金の大法要には多くの人で賑わいます。
 「東叡山寛永寺 開運三堂めぐり」のパンフレットより


参詣記念に、小判のお守りと福財布を手にいれました。





このあと、東京国立博物館に行って、遅ればせながらも 『空海と密教美術展』 を見てきました。ここも、人があまりに多くいて、さすがに疲れました。



追記)
*2012年(平成24年)の巳成金(ミナルカネ)大祭は、9月17日(月・祝日)敬老の日
*2013年(平成25年)の巳成金(ミナルカネ)大祭は、9月24日(火)癸巳(みずのと・み)



単行本『韃靼の馬』、刊行 ― もう一度、振り返り

2011-09-10 | 韃靼の馬

〇図書館で借りる、の顛末。
単行本『韃靼の馬』(辻原登・作)が、7月に発売になってしばらくたった。
日経新聞での連載、愛読いらい、思い入れはあるものの、購入については躊躇した。1000円以下の本については、興味がありさえすれば、衝動買いに近いかたちでも購入する。が、2000円以上となると、うーん、としばし唸る。しかも何度も読み返しているし・・・。ほんとのところは経済的な事情です。
で、最近は、たまに図書館にも行くようになっていたので、新刊の購入はどうなっているのだろうとは思ったものの、当初、図書館の受付も、さァ?、の状態だった。8月になって図書検索してみると、大田区の図書館には10何冊が各館の蔵書となっていた。けれど、全冊貸し出し中。生涯、初めて予約をいれた。タイミングよく、翌日には借りることができた。
■ (独り言)「図書検索」については、すべてを熟知しないといけない。もちろん「都立中央図書館」、「国立国会図書館」を意識してのことです。(理由は略)
 
〇『韃靼の馬』 あらたに感じたこと、知ったこと。
単行本のほうにも、宇野亞喜良(亜喜良)さんの挿画が10枚ほど載っていて、なんとなくうれしかった。雨森と克人(かつんど)、リョンハンとクギン(克人)、妹の利根・・・イメージがふくらむなあ。
とてもお気に入りで、ブログにも引用させてもらった 『閏四月 しだれ柳は老いぼれて・・・』 の阿比留詩。物語の展開でキーとなる詩であった。これが、単行本の末尾のほうに、「作中の詩、「閏四月・・・」は、金鐘漢(1914-1944)『たらちねのうた』中の詩を変奏したものです。」との、ことわりが入っていた。(ここで初めて知った。感想・・・略)

〇『海游録―朝鮮通信使の日本紀行』 申維翰(シン ユハン)・著 姜在彦(カン ジェオン)・訳注 東洋文庫252 平凡社
朝鮮通信使江戸参府の項の種本ではないか、と、どこかに書いてあったような記憶がある。すこし読んでみようと、これも図書館で借りた。ま、詳しい。「付篇 日本聞見雑記録(抄)」も見逃せない。一般的には、図版をよーく見ておけばよいか。

日本財団図書館(電子図書館) 「海と船の図書館」図録:朝鮮通信使
朝鮮通信使の図版、と書いて思い出した。ここは、目で見て読んで学ぶ、の場所かな。

〇「ウルルンドの幻 辻原 登」 日経 2011年(昭和23年)2月13日(日) 「文化」欄
「韃靼の馬」にたいする、作者・辻原さんの創作における感想が載っていて、とても貴重。

かぶとんの購読紙は読売新聞である。日経はとっていない。毎朝、散歩がてら、コンビニで買っている。「韃靼の馬」が終ったら、土曜、日曜版以外は、もう買わない、と思ったものの、安部龍太郎の「等伯」で、引き続きコンビニへ行っている。「私の履歴書」、「交遊抄」、「文化」、どれも捨てがたい。もとい。読売へ。
書評欄 2011年(昭和23年)9月4日
〇韃靼の馬 辻原登著 日本経済新聞社 2400円 評・野家啓一(科学哲学者・東北大教授) -息もつかせぬ大冒険-、と紹介していた。



池上本門寺 東京都旧跡・松濤園 期間限定で一般公開

2011-09-06 | 池上本門寺

池上本門寺 松濤園

9月5日(月)から11日(日)まで、期間限定での一般公開(入場無料)です。
と、いうわけで、さっそく出かけてきました。




池上本門寺・霊宝殿の学芸員、金子さん。語りがほんとにうまいなア、と感心する。話のポイントは、いまでこそ朗峰会館から入って、それから庭園を眺めるのだけれど、もともとは(昔の話)、左手(西側)の山上に池上本門寺・山主の住まいがあって、そこから見下ろすように造られたとのことです。窪地の池を庭園にしたので、行くには下り、帰りは登りだったそうな。基本は「松月亭」あたりからの眺めだそうですが、どうも木々が大きくなりました。




池の中央に「亀島」

案内板 松濤園の園地
 松濤園は中央に池を配する回遊式庭園である。池の水はすべて湧水で賄われ、80トン余りの水を湛えている。池の形は 「水の字形」 と呼ばれるものに近く、趣向の凝らされた園内各所からの景色は、その場所により大きく異なる。大名庭園に共通する風情があり、小堀遠州の趣向が感ぜられよう。




西郷隆盛・勝海舟会見の地






   西郷隆盛・勝海舟会見の碑
 慶応4年(1868)3月、倒幕軍の江戸城総攻撃を前に倒幕軍の首席参謀であった西郷隆盛と、幕府軍の勝海舟がこの地で会見をし、江戸城無血開城の交渉を行った。会見は松濤園内の四阿(あずまや)で行われているが、建物は現存しない。この石碑は昭和16年に建てられたもので、西郷隆盛の甥にあたる西郷従徳の揮毫になる。なお、本門寺には倒幕軍の本陣が置かれていた。

〇西郷従徳(さいごう・じゅうとく) 1878(明治11)~1946(昭和21) 西郷従道の次男、西郷隆盛の甥。陸軍軍人、貴族院議員、華族。西郷家を継ぎ、公爵。(Wikipediaより)

会見の情況が一般には伝わっていないけれど、なぜ勝海舟が洗足池の池畔に別荘を建て、そして墓所としたのか、からめていくと何かが見えてくるかもしれない。


茶室巡り 松月亭・浄庵・鈍庵・根庵

茶室 松月亭




茶室 浄庵










案内板 茶室 「鈍庵」
明治期の茶人・陶芸家大野鈍阿が邸内に建てた四畳半板敷の茶室。平成2年、裏千家より本門寺へ寄贈された。(園内に伝来した茶室等は、昭和20年の戦災ですべてを失っていた。)



敷石と〇本に目がいく(画像拡大)






案内板 茶室 「根庵」
大野鈍阿の邸を改装した茶室。八畳二間。「鈍庵」とともに平成2年に裏千家より本門寺へ寄贈された。




公開期間中は、茶室の雨戸、障子を開放。

  池上本門寺松濤園と茶室
 松濤園は、本門寺の旧本坊の奥庭として、桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州(1579~1647)によって作られたものである。作庭に当たっては、この四千坪に広がる広がる庭に遠州茶道の極意を具現し、渓流と池を回遊する名園とした。それはまた本坊客殿より渓谷美を俯瞰できるように作られたものであるといわれている。
宗祖七〇〇年遠忌の後期事業として修築され、平成三年五月に落慶を見た。 (松濤園の案内パンフレットより)
〇宗祖七百遠忌は1981年(昭和56)。本年2011年(平成23)は七百三十遠忌。

〇池上本門寺のホームページはよく見ています。最近の「イキイキ推進委員会・ブログ」からの情報発信は、中身が濃くて充実していますね。
〇松濤園は年々整備され、来るたびに綺麗になっていく。子どもの頃の頭の中に記憶された、この池はどうだったのか。現代の民俗学風(?)記述(HP)があるので、ここに紹介します。
HP 『我らのぼうず池 東京都大田区の池巡りベリーショートストーリー』 の「その三、ぼうず池(松涛園)」 かぶとん評:秀逸(!?)
〇蛇足ながら、この時期の園内散策に、半そでの人は虫除けスプレー必須です。(入口の横に置いてあります。)