モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
歌劇「フィガロの結婚」序曲
交響曲第39番
指揮:オットー・クレンペラー
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(歌劇「フィガロの結婚」序曲)
録音:1962年3月6日~8日、26~28日、キングスウエイ・ホール
(交響曲第38番「プラハ」/交響曲第39番)
1964年10月29日~28日、11月9日、14日、アビー・ロード・スタジオ
(歌劇「フィガロの結婚」序曲)
LP:東芝EMI EAC‐40048
このLPレコードは、20世紀を代表する指揮者の一人である巨匠オットー・クレンペラー(1885年―1973年)が、フィルハーモニア管弦楽団を指揮して、モーツァルトの交響曲を演奏したものだ。ドイツ出身の指揮者らしく、クレンペラーが得意としていたのは、ドイツ古典派・ロマン派の作品である。クレンペラーは、フランクフルトのホッホ音楽院で学び、22歳でマーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者に就任。さらにクロル歌劇場の音楽監督に就任するが、その後、ナチス政権を嫌い、アメリカへ亡命することとなる。アメリカでは、ロサンジェルス・フィルやピッツバーグ交響楽団を指揮し、両楽団の再建に大いに貢献する。しかし、1939年に脳腫瘍を患い、これによりアメリカにおける活動の場は絶たれてしまう。第二次世界大戦後になると、クレンペラーは、ドイツの市民権を回復。そして、1959年このLPレコードで指揮しているフィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者に就任し、以後、同楽団とのコンビで一連の録音を行い、戦前の知名度の復活にものの見事に成功するのである。しかしながら、英国EMIのレコード録音専門のオーケストラであったフィルハーモニア管弦楽団は、その後、フィルハーモニア管弦楽団の創立者であるウォルター・レッグが同楽団を売却したことで、存続できなくなり、楽団員が自主経営し、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と名称が変わる。その後、またもとの名称に戻るのであるが、この時、クレンペラーは会長に就任して、両者の関係はそのまま継続されることとなった。クレンペラーの指揮ぶりは、一般的に「表面的な美しさよりも、遅く、厳格なテンポにより楽曲の形式感・構築性を強調するスタイル」とよく言われるが、このLPレコードのクレンペラーの指揮は、正にこの言葉どおり、ゆっくりとしたテンポで、武骨なほど力強く、曲の全体の構成をことさら強調するような演奏内容である。現在では、このような演奏をする指揮者は少なくなってしまった。つまり、クレンペラーの指揮は、ある意味では大時代がかった、現代感覚とは逆行するような演奏内容とも言える。しかし、そうであるからこそ、今、クレンペラーの指揮の独自性に耳を傾けることは重要なことではあるまいか。そこには、現代の指揮者が見落としている、音楽の本質が隠されているように思われてならない。このLPレコードに収められたクレンペラーのモーツァルトの演奏を聴きながら、ふと、そんなことが頭をよぎった。(LPC)