ベートーヴェン:ピアノソナタ第9番/第10番
ピアノ:スヴャトスラフ・リヒテル
録音:1963年
発売:1979年
LP:日本フォノグラフ(フィリップスレコード) 13PC‐87
ベートーヴェンは、ピアノソナタの第5番から第10番までを並行して作曲したようである。それらの中でも第7番と第8番「悲愴」において、初期のピアノソナタの頂点を築く。そしてそれらに続くのが、今回のスヴャトスラフ・リヒテルが録音した、第9番と第10番の作品14の2つのピアノソナタである。これらの2曲では、ベートーヴェンの作品の特徴である、激しい葛藤と闘争の情熱といったものは姿を消し、ほのぼのとした精神性に包まれた安らぎの世界を垣間見せるのである。第10番は、時折、“夫婦の会話”といった副題で紹介されることがある。ピアノソナタ第9番と第10番について、シントラーは自著「ベートーヴェンの生涯」で次のように書き遺している。「2曲とも夫妻の会話、あるいは恋人同士の会話をその主題としている。第2ソナタ(第10番)では、その意味とともに、すこぶる力強く表現されている。この夫婦の対立は、第1ソナタ(第9番)よりいっそうはっきりと表れている。ベートーヴェンは、この夫婦間での懇願と拒絶という2つの要素を代表させようとした」(横原千史著「ベートーヴェン ピアノソナタ全作品解説」アルテスパブリッシング刊)。ピアノソナタ第9番は、1798年に作曲されたと考えられており、簡潔で、抒情さに溢れた愛すべき作品だ。何か聴いていてホッとするような作品ではある。ここでのリヒテルの演奏は、日頃見せる激しく鍵盤を叩きつける姿から遠く離れ、一人静かに鍵盤に向かうリヒテルの姿を髣髴とさせる。柔らかく歌うように演奏する、そのピアノの音を聴いていると、リヒテルという天才ピアニストの芸域の広さを見せつけられる思いがする。このような平穏でほのぼのとする表現でも、リヒテルは誰にも負けないような優美さを見せてくれる。聴き進むうちに何か安心して身を任せてもいい感じにもなってくる。これが別のピアニストならいざ知らず、リヒテルの演奏からこのような雰囲気が生まれるというのは、何か不思議なようにも感じられるほどだ。一方、ピアノソナタ第10番は、1798年から1799年にかけて作曲されたと言われている。第1楽章の心地よく、滑らかな曲の進行を聴いていると、やはりこれは夫婦の会話のやり取りを描写しているようにも聴き取れる。ここでのリヒテルの演奏は、第9番の平穏さから一転して、饒舌なものに変わる。静かなやり取りの後には、賑やかに会話が盛り上がるといった雰囲気が、リスナーに直に伝わってくるかのようでもある。第2楽章、第3楽章は、ご機嫌なベートーヴェン横顔が浮かび上がるようだ。リヒテルは軽快に一気に弾き進む。(LPC)