その1 よくある会話 |
「 ××ってもんかな 」 |
「 ××って何? 」 |
「 え、知らないの? 」 |
「 教えて 」 |
「 自分で調べろ 」 |
その2 本を読んでて思いついた想像の会話 |
「 この本面白いよ 」 |
「 なんて本? 」 |
「 ○○っ本に題名は似てるけど視点が全然違う 」 |
「 ○○って何? 」 |
「 え、○○って聞いたこともないの? 」 |
「 どんな内容? 」 |
「 ! 」 |
その1、調べろと言ったのは自分の知識があやふやってのがある。なのでちゃんと調べた方が良い、という言い訳。その2、読んでも忘れちゃうんじゃ読まないのと同じじゃないか。
コーヒー淹れる時、粉の量と湯の量、粉の粗さ、湯の温度で味が違う。条件を変えてどれが良いかと考えるとそれだけでも物凄い組み合わせになる。だけど問題はそれではない。違いが分かってもどの条件の時にどんな味だったから覚えられないのだ。試すたびに記憶が上書き。一流の人の話を見聞きしていると皆記憶力が良いんだなと最近思う。今から記憶力が強くならないもんかな、というより落ちないことを気にした方が良いよ、かな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d9/07088bc640933073782d2c4578ca9810.png)
教育制度はしょっちゅう変わっている。俺の頃は詰め込み教育だったのかな。覚えるの嫌だから何でこんなの覚えるんだなどと思ってたから身が入らなかった。でも今思うと意味の無いことでは無かったような気がする。覚えた事に意味は無くても記憶力や頭の持久力を鍛えるのに詰め込み教育は有効だったのかもしれない。少なくとも円周率=3なんて教育より遥かにマシだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/de/68436921520dbc0464b795058627e59a.png)
詰め込み教育の後は考える力だ、試験は○×式ではなく記述式だ、論文だと何度も変わった。だけどそういう教育を受けて自分で考えてやってる人ってどれほど居るんだろと思う今日この頃。
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