Long Ming Diary ~I'll show you myself honestly~

イルミネーションが街を彩ります。このblogは幅広い話題で彩りますよ

何のために...

2003年10月31日 00時14分05秒 | ハオハオ!北京滞在記
西安で日本人留学生と日本人教師による信じがたい出来事がありました。

西安はちょうど今月の初めに旅行で訪れたところで、そのときに昼食を取った場所の店員に、西北大学外国語学院日本語学科の学生がいました。彼女は日本語の勉強のためか、日本人の客が来ると日本語で接客をしているそう。

そんなことがあった場所ですが、今回はその、西北大学外国語学院の留学生らによる卑猥な寸劇により、かなり大変なことになっているそうです。いくらなんでも、冗談、ジョークと捕らえられるかどうかがわからない年でもないでしょう。普通に考えて、ブラジャーをして劇をしたり、下腹部にそれらしいものをつけたりして踊るなんて行動は、常識外とわかると思うのです。ましてや、教師まで加わっていたというのであいた口がふさがりません。

私も、外国語大学で外国語を勉強した身ですが、外国語はやはり、話されている国で学ぶことが大切なことでもあります。言葉だけなら日本の学校でもそれなりに教えてもらえるし、練習もできるでしょう。でも、言葉の裏には、その言葉が作られていた歴史、環境、人々の考えや趣向、行動など、さまざまな要素がちりばめられているんです。そういうことを含めた上で教科書などは作られていますが、やはりしっくり来ないんですね。そういうこともあり、現地でどっぷりと生活してみる。そういうところから理解できることも大きいと思うのです。だから、みんな海外に留学するんだと思うんですね。

きっと彼らもそんなことを思い、中国へ留学したのでしょうが、彼らはいったい、何を学び、感じてきたのでしょうか?彼らにとって、今回の留学の意味は何なのか、問いかけてみたいです。

でも、この件が原因で、西北大学の日本人留学生が襲われ怪我をしたようです。確かに同じ日本人ですけど、むやみやたらに無関係の人物にまで暴力を振るうのは賛成できません。その点ではデモの方がずっと正しい。もっと落ち着いてからでないと、解決できないのではないでしょうか。

風邪をひきました

2003年10月28日 00時13分32秒 | ハオハオ!北京滞在記
日曜日に髪をきってからどうも涼しくなりすぎたのか、風邪を引いてしまいました。昨日はものすごくしんどくて、立っているのもやっと、頭はガンガンするし、熱は出るし、のどは痛いし。で、昨日は家に着いてから速攻で寝たんです。それでも今朝はのどは痛いし、頭も痛い。というわけで、病院で見てもらうことにしました。

ご存知のとおり、海外では日本の健康保険は使えませんので、大体の人は旅行保険に入りますよね。もちろん僕も入っているわけですけど、その保険を使うとタダで受診できるんです。早速、職場の近くの病院に行くことにしました。

そこの病院は、外国人向けの診療所で、日本語の先生もいるらしいのですが、僕が予約した時間は中国人の先生だということ。まあ、日本語を話せる看護婦がいるということを聞いていたので安心はしてました。実際に行くと、日本語を話す看護婦さんが検温したり、血圧を測ったりしてくれまして、「日本語のほかには英語と中国語はできますか?」と聞かれたので、「英語は少々、中国語はダメです」と答えました。そしたら、「私が通訳しますから。」とのことで安心です。しばらくすると先生が来ました。症状について、英語で看護婦さんとやり取りをしてますが、僕もちょっと英語を話したんですよ。そしたら、先生が、通訳要らないみたいだからあっちに行ってていいわよと看護婦さんを返してしまいました。これからが大変でした。英語で自分の体についてのことを説明したことなんか、今までないので、必死でした。まあ、何とか伝わったんですけど。そしたら、風邪なんだけど、細菌性かウィルス性か判断しなくてはいけないので、採血します。というのです。日本では風邪で診察を受けて採血なんて通常はありえないので、びっくり。その場で断ることもないので採血してもらいました。そしたら、この数値が高いから細菌性の風邪の初期症状だとの最終診断。抗生物質の投薬になりました。

日本と違って、欧米の診察方法はやっぱり違いますね。数値で判断できるものは数値で判断するんですね。こういうのは日本の医者でもやってみたら面白いかもしれないですね。

さて、診察も終わり、薬をもらったのですが、はっきり言ってよくわかりません。とりあえず、用法、用量は書いてあるのですが、何に利く薬なのかは自分で説明書を読む必要がありました。とりあえず英語版があれば英語版をよみ、中国語版ならひたすらにらめっこですね。まあ、全部飲んでおこうかなとおもい、全部の見ました。

はじめて

2003年10月26日 00時12分58秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は北京に来てはじめての体験をしました。

それは、「床屋さん」です。北京に来てから2ヶ月という間、ずーと髪が伸びっぱなし。元来、髪は短かい方がいい性分なので、何とかせなあかんなぁとは思いつつ、異国の地で、言葉も通じないのに、自分の体を預けることへの不安が払拭できずにおりました。

そんな中、今日は中国語のレッスンがあったのですが、そのときに先生に聞いてみました。どこかいい床屋さんはないですか?と。そしたら、「隣にあるでしょ」といわれてしまいました。もちろん、場所的に完全に隣なら、いくら頭が悪い僕でもわかりますけど、正確には僕が住んでいるところに面した大通りのなかで、とおりに面した、そんなに遠くないところにあるとのことだったのです。実際に地図で場所を聞くと、今まで何度も前を通ってるはずなのに、今までそんな場所に美容/理容店があるなんて気づきもしなかったのです。歩いて5分もかからないところにあるとのこと。そして、そこは先生も行ったことがあるところで、技術的にも、衛生面でも、そこそこ評判なところだということでした。お値段は、前までは25元だったのが、SARS後に35元にあがったそうですが、それでも日本円に直すと500円もしないんですね。先生が教えてくれるところなら大丈夫かなと思い、そこに行くことにしました。

でも、気になるところは、どんな髪型にするのか?ということ。別に贅沢なことは言いませんので、とりあえず現状維持で短くしてくれればと思っていました。なんていったらいいのかを、先生に聞いてみまして、それをメモしていきました。

実際にとおりを歩いていくと、確かに、あの、床屋さんシンボルであるクルクル回るやつ(正式名称は???赤、青、白のヤツ)があるではないですか。今まで2ヶ月も暮らしてきたのに、全く盲点でした。中に入ると、1階は女性用とのことで、パーマを当ててる人がいっぱい。「男は2階だよ」と言うので2階へ。そしたら座席数にして12~3席ほどで、意外と広い。お客さんもいっぱいいました。受付で服を預け(別に脱ぐわけじゃなくて、コートとか。荷物とかを預けること。)、案内されて椅子に腰掛けると、前には洗面台とテレビがあります。見かけは日本の床屋さんとおんなじ感じ。でも、目の前には、昔懐かしの「アルコールランプ」が。まあ、それも後々役立つのです。
さて、僕の担当は、女性の方でした。どういう風にしますかって聞かれたので、今日、先生に教えてもらったフレーズをそのまま見せました。何とか意図は伝わったかなと心配しつつ、カットスタート。ハサミと櫛は消毒してあるらしく、一応それらしい箱から出てきました。お姉さんはまず、霧吹きで髪を湿らし、手際よくカット。腕はそこそこですね。大方カットし終わると、今度はバリカンを持ち出します。さすがにバリカンは台数がないので、使いまわしです。そこで、先ほどの「アルコールランプ」の登場。お姉さんはアルコールランプのふたを取り、火をつけると、バリカンの刃の部分を2、3回往復させて、ふたをして消火。刃に油を差し、襟首の部分とかをバリバリやっていきます。
バリカンが済むと、もう終わりかなと思っていたのですが、なにやら襟首のところに白い粉をつけるのです。しかも、においが特殊。日本でも、かみそり負けとかを防ぐのに、粉をつけることはありますが、あんなにおいじゃなく、しいて言えば、キンカンを塗ったときとか、アンモニアをかいだときのにおいかなぁ。いいにおいじゃないことは間違いないのですが、その粉をまぶした後、お姉さん、かみそりで襟をジョリジョリ。さすがにかみそりは危険でしょ?何かに感染したらどうするのよ。ちょっとドキドキしました。
そして、カットが終了。ところが、そこのお店は、カットとシャンプーは別料金。まあ、美容院みたいなもんですかね。私はカットのみを頼んだので、そのまま終了でした。考えが甘かったのですが、カットにはきった後のシャンプーぐらいはついているものと思っていたのですね。じゃないと、顔とか切った髪の毛ついたままじゃん。でも、そのまま髪の毛を払うこともせずに終わるのです。たまたま私は家がすぐ近くですから、そのまま家に帰ってシャワーを浴びれば済み話ですがね。普通のお客は間違いなくシャンプーも含めるでしょうね。きっとあのお姉さんは「この人、変じゃない?なんでシャンプーしないのかしら?」と思っていたに違いない。今度はシャンプーまで含めてみます。

さあ、出来上がりですけど、非常にさっぱりとした髪型になりました。日本でいてもおんなじ感じでしょうね。とても安心しております。

ミリオネア

2003年10月25日 00時12分26秒 | ハオハオ!北京滞在記
「クイズ ミリオネア」について、日本では面白い裁判がありましたね。マヨネーズの語源は人名か地名か。答えの決定権はTV局側にあるとの見解でしたね。まあ、クイズの問題を作る人も大変でしょう。

ミリオネアは、どこの国だか知りませんが(おそらくはアメリカ?)、日本でも輸入して、おばさまキラーの、Mr.みのもんたが、「おまえ、ためがなげーよ」と突っ込みながらもCMに突入する勢いで司会していますね。

実は、中国でも同様のクイズ番組があります。「無心辞典」とかいう番組名なのですが、意味するところが私にはよく理解ができません。

その番組も、参加者多数の中から1人を選び、司会者と面と向かってクイズをし、お金をもらうというスタイルなのですが、日本のものとは異なる点が多々あります。それは、メインの司会者が2人いるところです。

まず、参加者から挑戦者を選ぶクイズは、日本では早押しで決めますよね?あれが、なんだかクイズを出して稼いだポイントが1番高い人が選ばれます。そのときの司会者は男の人です。

で、サシでクイズするときは、ニュースキャスターみたいな感じの女性がやるのです。なんで司会者を変えるのか、意図がわかりませんが。

そこからの仕組みはほぼ同じです。挑戦者と司会者の前にはTV画面があり、クイズの問題と選択肢が表示され、クイズに答えるときには「ファイナルアンサー?」的な中国語が話されます。残念ながらまだ何を言ってるのか聞き取れません。

でも、クイズの中身が面白い。たとえば、最初の問題は2択なのですよ。
「地球上で早く誕生したのは?  A.植物  B.動物」
とか。これは簡単。あとおかしいのは、選択式じゃないクイズがあること。たとえば、
「美人→●●→●●→●●→地球」
とか、いうのがあって、順番に熟語をつなげていくもの。平成教育委員会とかでやってたかな、昔。さすが中国ですね。漢字の国です。

もちろん、お助けツールも用意されています。オーディエンス、テレフォン、フィフティフィフティですね。

この間面白かったのは、1問目で、
「服を買うときはいつがいいのか?   A.午前、ご飯を食べる前  B.午後、ご飯を食べた後」
という問題だったのですが、その挑戦者はオーディエンスを使ったのです。結果は6割以上がBでした。僕もそう思いますよ。だって、食べた後だったらウエストが食べる前よりも大きくなるわけだから、メシ前、メシ後のいつでも着れますからね。で、挑戦者はBでファイナルアンサーしたのですが、結果は、A。見事に1問目で、しかもオーディエンス頼りにして敗退という面白い結果でした。なぜメシ前なのかは司会者が解説してましたが、私の貧弱な中国語力では聞き取れず。ただ、ジェスチャーを見る限り、朝だと寝てる間に背が伸びるというか、元に戻っているからみたいなイメージでとれました。別に服なんていつ買ってもいいじゃねーか!

ちなみに、靴を買うときは、午後3時以降がいいらしいですね。足がむくむから。

静電気

2003年10月18日 00時11分50秒 | ハオハオ!北京滞在記
北京は、最近は晴れの日が続いています。

また、非常に乾燥している為、朝干した洗濯物が薄手のシャツなら昼ごろには乾く有様です。

そんな北京での生活で悩まされるのが、静電気。今日も、地下鉄に乗ろうとして切符をおばさんに手渡した瞬間、「パチッ」ときました。その後も、ご飯食べに行こうとしても、ドアの取っ手を触るだけで「パチッ」。

もともと、静電気をためやすい体質なので、日本にいるときも、自動改札で定期を入れようとしたら「パチッ」と来ることはよくありましたので、事前に定期を自動改札機のはじのほうで、放電させてから入れてました。

まだまだこれから乾燥するのに、どうしたらいいんでしょうか?

Man-to-Man ディフェンス

2003年10月13日 00時10分46秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日、会社から家に帰る途中、アパートのすぐ近くの地下鉄の駅で降りたのですが、何ヶ所かある出入り口のうち、アパートから遠い側に間違って出てしまいました。といっても、100メートルぐらいしか変わらないのですが。

あたりは日が暮れて、結構暗くなってましたが、人通りはやはり繁華街に近いこともあり結構多かったです。

そんな中、自分の部屋まで急いでいると、前のほうで小学生ぐらいの少女がいました。パッと見て物乞いだとわかり、まあ、かかわらずにやり過ごそうと思っていたところ、その子と目が合ってしまいました。そうすると、その子は僕の前に立ちはだかるのです。こっちはそんなのに付き合ってられないので、よけていこうとするのですが、そうするとまた私の行く手を阻む。ホントにMan-to-Manディフェンスですね。その子は見事なまでにディフェンスして何とか私からものを取ろうとするのですが、そこは小学生ぐらいの子ですから、すり抜けられるので、通っていこうとすると今度は、ラグビーのタックルのごとく、私の左足をつかみにかかりました。これには私もビックリで、それも何とか振りほどき、スタスタと歩いていったのですが、それでもついて来てて、ちょっと怖かったです。その子の目が真剣そのもので、今でも思い出すと背筋が寒くなりますね。

こういう子が街で普通に見かけられるとくらい、中国ではまだまだ経済的な保障がないのでしょうか。あの子は1日どれぐらい捕まえられて稼げるのだろうかはわかりませんが、政府もこうした点ではしっかりと取り組んでいただきたいですね。

Tシャツ

2003年10月12日 00時10分12秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日街を歩いていたら前を歩いていた人のTシャツに書かれた文字に目が行きました。

それは中国語で書いてあるのですが、内容は日本人の私が見てもわかるものでした。

「1931.9.18 南京大虐殺を忘れること勿れ」
「魔鬼731」

戦後半世紀以上たつのですが、まだ過去のことをきちんと清算できていないと思われます。それは、日本の教科書問題や、靖国神社参拝が問題になることに現れているでしょう。

このTシャツを着ていた彼は、単なるファッションで着ていたのか、あるいは、強いメッセージ性を持ってきていたのか、定かではありませんが、日本人として考えさせられた1日でした。

回来北京了

2003年10月07日 00時09分30秒 | ハオハオ!北京滞在記
いよいよ敦煌ともお別れ。

ホテルをチェックアウトし、ホテルの前のタクシーと交渉です。とりあえず女性のドライバーをターゲットにしました。空港までいくら?と聞くと「20元」との答え。やはり初日の30元は足元を見られていたんですね。20元ならまあいいかと乗り込み空港へ。敦煌の空港はホントに田舎の空港です。砂漠の真ん中にポツンと滑走路があり、ターミナルがあります。ターミナルと言っても平屋建てで、チェックインカウンターからセキュリティチェックを通ると待合ロビーがあるだけです。改札口も普通のドアが3つあるだけ。自動改札機もありません。タラップで乗り降りするんですね。
この時期は観光時期なので北京路線もあります。普通は西安とウルムチ行きぐらいしかなく、1日の便数も数えるほどです。

私が乗ったのは中国国際航空(CA)のA320型です。とりあえずプロペラじゃなくてよかったです。

飛行機は無事に敦煌を飛び立ち北京に到着しました。
久しぶりの我が家でちょっとほっとして、その後足裏マッサージに行きました。

《下の写真は敦煌の空港です》

敦煌3日目~砂漠を爆走

2003年10月06日 00時08分18秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は市内から離れた遺跡を見に行くことにしてましたので、タクシーを1日借り切ることにしました。まずどこに行こうかとYさんと話をしていると、ロビーに座ってた一人のオヤジが近づいてきました。どうやら彼はタクシーの運転手みたいで、彼が連れて行ってくれるとの事。で、行きたい所を挙げ、これだけだといくらになるか交渉です。はじめは300元からはじめました。ただ、1箇所だけとても遠いところがあるのでそこに行くとなると400元だということに。まあ、400元でも1人当たりは200元ですから安いんですけど。まあ、それならいいかということで彼の車へ。実はホテルの駐車場にちゃっかりと泊まってました。こいつらはホテルとグルなんですね。でも車はとてもきれいにしてありますし、車内もきれいにしてました。彼は車に乗るなり名刺を渡しました。どうやらそういった観光客向けに車を出す会社の人みたいです。このあたりは逆に普通のタクシーを借りるよりも安全かもしれないですね。彼はちゃんとその辺を知っている人ですから。

市内から向うときには「水はいるか?」とか聞かれました。途中では店はないので買うなら市内でということみたいです。こなれてますね。でも彼は道中、「あれは●●だ」とか「ここはいつ出来たんだ」とか話してくれました。とても気のいいおじさんでした。我々はいい人に当たったんでしょうね。

さて砂漠を走ること2時間弱。「玉門関」につきました。ここから西は西域です。玉門関では馬を連れたおばさんがしきりに「馬 乗って30元」と繰り返し日本語で言って来ます。しかも、」馬を連れて我々を追いかけてきます。おばさんだけならまだしも、馬はさすがに追われると怖いですね。玉門関からさらに数キロ行ったところに「長城跡」があります。長城といっても北京とかにある一般的に知られているようなものではなく、明代に作られたそうで、わらと粘土を重ねて積み上げられたものです。今でもわらが見えてます。

次はまたまた砂漠を2時間弱走り、もうひとつの関、「陽関」へ。ここも西域との境界です。今はのろし台の遺跡があるだけですが。ここでも馬を連れたおばさんたちがいます。同じように「馬に乗って30元」と日本語で言ってます。

さて、この偽タクシー運転手のおじさんですが、途中でお昼になったのでどっかの村にある食堂に入ることにしました。おじさんも当たり前のごとく着いてきます。で、同じテーブルに。メシを頼み一緒に食ってました。でもお金を払うようなそぶりはないんです。まあ、このおじさんは結構よくしてくれたんでその辺はYさんと話してまあ、いいんじゃないのと言うことにしましたが、普通のタクシー運転手とかを1日借りても食事代は我々が持つんですかね。

2時間弱も車に乗っていると大変ですが、Yさんは元某航空会社のチーフパーサーとしてあちらこちらにいったことがある人なのでいろいろと航空業界の話とかあちこちの旅行話を聞かせてもらいました。中でも興味深かったのは、エジプトの話。昨日、鳴沙山に行ったんですけど、そこにはラクダに乗せて山のふもとまで連れて行ってくれるサービスがあるんです。で、エジプトもラクダですね。載せてくれるサービスがあるそうなんですが、はじめに言った値段ではおろしてくれないんだそう。相手が言うままの値段を払わないとラクダから降ろしてくれないんだそうです。そういうところもあるんですね。

とにかく1日観光を楽しんで市内のホテルに戻ってくたわけですが、最後に運転手にお金を払うわけです。ここでも、朝に合意した値段を違うとか言ってきたらどうするかなとか考えてましたが、あっさりと400元を払うと帰っていきました。いやぁきちんと商売として成り立っているのか、400元が高すぎる金額だったのか、分かりませんが。

《下の写真は玉門関付近の砂漠です》

敦煌2日目~砂山

2003年10月05日 00時07分04秒 | ハオハオ!北京滞在記
敦煌2日目ですが実質1日目です。

実は、私が泊まっているホテルは最悪でした。まず、私があてがわれた部屋は「南京錠」で外から鍵をかけているんです。これだと誰かが中にいるのは一目瞭然。おかげで夜は誰かがガチャガチャノブを動かしているし最悪でした。おまけにマッサージのお姉ちゃんが電話かけてきてうるさいし。で、部屋を変えてくれと言ったらそこしか空きがないとかいうし。今朝言って見るとすぐ隣の部屋が空いてるというのでそこに移動。こんな朝早くにハウスキープをやるとは考えられないんで、昨日から実は空いてたんじゃないの?と思います。ただ変えてもらった部屋も中からは鍵がかけられないんです。一応電子ロックなんですけど、ロック解除されたら簡単に入られてしまいます。普通はドアロックがあるはずなんですけど。もう、せっかく旅行社に手数料を払ってまで取ったのに最悪です。あそこの旅行社は二度と使わない。

さて、昨日であったYさんとロビーで待ち合わせ。一緒に朝飯を食ってから出かけることにしました。今日は「莫高窟」に向うことに。市内で2人で歩いていると明らかに旅行者だと分かるのでタクシーの運転手が次々に声をかけてきます。とりあえずその中から適当に選んで値段交渉。「莫高窟」まで30元でとりあえず折り合いが付き向いました。莫高窟はたくさんの洞窟が岩山に彫ってあり、その中には仏教に関する絵画や仏像などが納められているところです。一般に見学できるところは限られています。中の絵は何百年も前に描かれたとは思えないほどしっかりとした色彩で、やはり歴史の長さと昔の人の技術力の高さに驚きました。

さて、莫高窟から市内に戻るときにもタクるわけですが、今度は足元を見られてしまい、つまり、ここからは絶対にタクシー以外に帰る方法がないわけですから相手も強気なんです。仕方なく40元で手を打ちましたが。ホントにこういうやり方って言うのは観光都市としてはありえませんね。日本では。

市内にもどり、とりあえず地図を購入。そして、Yさん宿泊ホテルのフロントで「鳴沙山」への行き方をたずねるとバスが出ていると言うのでそれで行くことに。バス停でバスを待ち、目当てのバスに乗り込む。車掌さんに「鳴沙山までいきますか?」とたずねるとなぜか苦笑しながらも「乗れ、乗れ」の合図。「???」と思いながら、自分の発音が違ったのかなぁとか思いながらバスに乗ってました。そしたら、バスはあるところまで着き、ほかのお客さんはみんな降りて行きます。そうなんです。実は路線は同じだったのですが、方向が逆。つまり、反対側にいくバスに乗ってしまったんです。それで車掌さんは苦笑してたんですね。それでも車掌さんは乗せてくれたし、間違って乗ったのに運賃も取らなかったし。敦煌にもこういういい人もいるんだなぁとちょっとほっとした瞬間でした。

バス(運賃1元)は反対側の終点である鳴沙山に着きました。ここは、目の前に砂山が広がるところで、山のふもとには「月牙池」という三日月形の池があります。ここで日が暮れるところまで見てました。すっごく感動的な風景でした。写真やビデオでは伝えきれない感覚と言うんですね。

《下の写真は鳴沙山です》

西安→敦煌~旅先での出会い(2)

2003年10月04日 00時05分31秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は西安3日目で、夜には敦煌に向かいます。飛行機は19時ですので、昼過ぎに空港に向かえばよく、午前中は陜西歴史博物館に行ってきました。ここは、西安に都を置いていた各時代の歴史などを紹介しています。

さて、午後になり、空港に向おうと、リムジンバスの始発店であるホテルまで行きバスに乗りました。私は万に一つのこともあるので15時のバス(ちなみに1時間に1本)に乗りました。お客は私一人だったのですが、バスは発車しました。運転手さんは「飛行機の時間は?7時?何でこんなに早く行くの?」と聞かれましたが、後になって思えばこの選択が非常に功をそうしたのです。

バスは私を乗せ、途中の経由地であるホテルに着きました。そしたら、リムジンバスの営業担当がバスに乗ってきて、切符を買いました。続けざまに担当者は「降りて」というのです。飛行機の時間がまだあるので次のバスでほかのお客さんと一緒に言ってほしいとの事。うんと言う間もなくバスから降ろされ、私を運んでくれたバスは元のホテルまで走っていきました。

そこで私はきずいたんです。「財布がない」ことに。先ほど料金を払ったときに慌てて降ろされたためバスの中に財布を忘れてしまったんです。そのことを必死に営業担当者に説明するも「あのバスは1時間後にまたここに来るから大丈夫」としか言いません。それだったら次に乗った客が財布を盗ってしまうではないですか。だからすぐに運転手に連絡して財布を捜し、次に来るときに持って来てほしいと言ってるのに、挙句の果てには、運転手に連絡する手段がないとか言いやがる始末。その手にしている無線は何なんだ!と言うと、これは空港の営業者とのやり取りで、運転手にはつながらないという。じゃあ空港の営業者を通して連絡してくれと言うとなんとかしてもらったみたいでバスを待ってました。

そしたら1時間後、運転手さんが持ってきたのですが、「本人のものかどうか確認しないと渡せない」というので、中にビルの入館証があるからそれと照合してと言ってやっと手元に戻ってきました。バスは空港に向かい、私は敦煌行きの飛行機で敦煌まで向いました。

さて、敦煌に着くと辺りは真っ暗。夜の9時半ですからね。で、市内に行く為のバスもない。ビルの前に待っているのは明らかにボロうとしているタクシー運転手軍団。でも仕方がないので値段の交渉をスタート。相手は「30元」から一向に下げようとせず、隣の運転手に話をするも、ヤツも「30元」。どうやらカルテルが結ばれている様子。でも仕方ないなと思っていると隣で交渉していた人が英語で話しかけてきました。「どのホテルに行きますか?よかったら街までシェアしませんか?」私は別にかまわないので「いいですよ」と答え、先ほど私が交渉していた運転手と25元まで話が付いていたので「2人で25元」で無理やり乗りました。

社内でも英語で会話をしつつ、「どこから来たんですか?」と聞くと「Japan」との答え。日本?そうなんです。彼も同じ日本人だったんですね。それが分かった瞬間お互いに笑ってしまいました。日本人同士英語で会話してたなんて。彼は某航空会社を定年退職し、その後世界のあちらこちらを一人旅しているとの事。お互い一人なのでこの先も一緒に旅行することにしました。

旅と言うのはホントに面白いもんです。

《下の写真は陜西歴史博物館の入り口です。》

<西安2日目>

2003年10月03日 00時03分49秒 | ハオハオ!北京滞在記
西安2日目も相変わらず雨です。今日は朝から昨日であったご夫妻とご一緒させていただいて西安市内観光に出かけました。

まずは「兵馬俑」です。実は兵馬俑には第一から第三まで3つの建物があり、一般的に教科書などでみる兵馬俑の写真は第一号館のものです。一号館の発掘はとりあえず行ってますがまだまだ全容解明までは何十年かかるとの事。そして、二号館、三号館にいたっては発掘調査自体もまだまだだそうです。ただ、保存状態は二号館、三号館のほうがよく、実際は焼き物の人形などの上に木が組んであるのですが、その木もちゃんと残っているそうです。

兵馬俑の次は楊貴妃も浸かったという温泉地、「華清池」です。ここは今でも温泉がわいています。その後、弘法大師ゆかりの寺院などを回り、昔のシルクロードの起点までいきました。

《下の写真は兵馬俑のものです》

旅先での出会い(1)

2003年10月02日 00時01分24秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は北京から西安に向かいました。

西安はいわずと知れた、隋、唐時代の都で、かつては「長安」と呼ばれていました。今は、日本からも直行便が出てます。

私は北京から飛行機で西安に行ったのですが、西安空港に着いたら目の前にリムジンバスがあったので、泊まる予定のホテルを確認して乗車。途中で止まったのでとりあえず降りて係員に確認するとこの次のところで降りると教えてくれました。そしたら、もう1組の旅行者も同じホテルだからとも教えてくれました。

その方々は日本人の方でしたが、旦那さんは日系メーカーの中国での現地工場を監督する会社の社長さんでした。国慶節なので、奥さんが日本から来て、一緒に西安を旅行するとのこと。同じホテルへ向かう途中、一緒に観光させていただけることになりました。

世の中はこういう出会いもあるんですね。

《下の写真は西安市内を取り囲んでいる城壁のうち、「南門」です。ちなみに、この南門の近くにANAホテルがあります》

国慶節

2003年10月01日 23時59分44秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日から国慶節です。

今日は夜になってから天安門と王府井に行ってきました。
電飾などがきれいだと思いまして。

明日からちょっと旅行に行って来るのですが、詳しくはまた今度。

《下の写真は天安門広場内に飾られたものです。こんな感じで広場の東側、西側両側に万里の長城を模したものが作られていました。》