Long Ming Diary ~I'll show you myself honestly~

イルミネーションが街を彩ります。このblogは幅広い話題で彩りますよ

顧客情報流出

2004年02月27日 23時10分46秒 | つれづれ日記
Yahoo!BBの顧客情報が流出して大変なことになっています。いろいろなニュースを聞いていますと、情報の管理がずさんだったといわざるを得ない状態です。

でも、これは一企業だけの問題ではないでしょう。それは、昨今のアウトソーシングの流れを受けて、色々な企業がカスタマーサポートなどを外部委託する状態があります。それがダメだということではないのですが、まったく管理ができないところへ顧客情報を出すのはいけません。

実は私もカスタマサポートの仕事をしたことがありますが、顧客のデータベースへは厳重なセキュリティがかけられています。もちろん、私も業務以外での使用はしたことがありませんし、それを利用しようとも思いませんが、確かにいろいろな情報が見られるので、欲しい人にはたまらなくおいしい情報なのでしょうね。

私はそのときには、情報を守る側のセクションに身を置いていました。今のシステムはすごくよくできているのですが、やはr完璧ではないのであとはモラルにゆだねるしかないんでしょうかね。

幼き日の思い出

2004年02月26日 23時10分11秒 | つれづれ日記
今日の昼、携帯電話が鳴りました。母親からの電話だったのですが、大阪のおばちゃんが危ういとのことでした。大阪のおばちゃんは、私の母親の叔母にあたる人ですが、大阪の住んでいることもあり、私も小さいころはよく遊びに行きました。

そのおばちゃんが、くも膜下出血で倒れたのが約2年前で、気づいたときにはちょっと遅く、だいぶ障害が残ってしまい、前のような生活はできなくなりました。母親はちょくちょくと顔を見に行っていましたが、私は時間があまり取れないこともあり、倒れて寝たきりになってからは一度も行ってませんでした。

そういう状態で、今朝、血圧が著しく低下し、体温も上がる状態になって、結構危ないという状態になったらしいのです。その連絡を受け、たまたま今日も明日も休みだった母親とともに、私も大阪まで見舞いに行くことにしました。

自宅を出たのが2時半過ぎだったので、病院に着くともう6時を回ってしまいましたが、大阪の堺市にある病院へたどり着きました。そこでベッドに横になってるのは、かつての元気なおばちゃんの姿ではなく、体のあちらこちらに管がつき、酸素マスクで酸素を取り入れている状態のおばちゃんでした。もちろん、言葉を話すこともできず、意識もはっきりあるのかどうかもわからない状態なので、私が顔を見せても反応がないのがこれまた見ているのがつらくなります。

病院にいるときも、昔の姿を思い出してしまい、思わず涙があふれてしまって、どうしようもありません。

私は用事があって今日の最終の新幹線で名古屋へ戻ってこなければならなかったので、堺のおじさん家から電車に乗って帰ってきたのですが、その、おじさん家から最寄の駅は、泉北高速という電車の駅なのですが、この泉北高速には私の小さいときの思い出があるのです。まだ、保育園児だったと思うのですが、幼いころ、自動改札を通ってホームへ行くとき、自動改札に切符を入れるものだと思ってなかったので、そのまま自動改札を通ろうとしてバシッと目の前で扉が閉まったことがあります。それが、泉北高速の深井駅というところでした。また、このときはもう一つ思い出があって、当時私が大事にしてて、どこに行くにもかぶっていた帽子があったのですが、電車をホームで待っている間に風が吹いてきて、帽子が線路に落ちてしまったのです。そうこうしているうちに電車が来てしまって、仕方がなくそのまま名古屋へ帰ってきたのですが、その後、帽子を駅員さんに拾ってもらって、おばちゃんから宅急便で送られてきました。

また、小学校1年の夏休み、初めて自分1人で大阪まで旅行をすることになりました。といっても、名古屋駅までは母親が連れてきて、大阪のなんばではおばちゃんが待ってたので、近鉄特急を1人で乗るだけだったのですが。そのときの思い出とかも思い出されて、今日は泣いてばかりいます。

先生の話では、今日持ちこたえればとりあえずは…という話だそうですが、私たちが見舞いに行ってるときに血圧を測ったら、上が70ちょっとしかないということなので、厳しいかもわかりません。

脳ドック

2004年02月25日 23時09分42秒 | つれづれ日記
今日は脳ドックを受けてきました。

脳ドックとは文字通り、脳の中の写真を撮ってあれこれ異常がないかどうかチェックすることですね。

脳の中はMRIという機械で見るのですが、これは非常に強い磁力を脳に当てて、その反応を写真にするもので、レントゲンではないので脳へのダメージはまったくありません。

ということをあらかじめ言われているのですが、いざ検査のためにMRIの機械に体を固定され、頭を固定されて検査が始まるとものすごく緊張してしまい、心臓がバクバクいってきて、血圧が一気に上がってしまいました。そのためか、途中で気を失いそうになりまして、必死に自分を励ましながら検査を受けてました。

検査が終わって、実際の写真を見せてもらうと、なかなかきれいな写真なのですよ。記念にもらって帰りたいぐらいでしたね。

Lord of the Ring

2004年02月23日 23時09分14秒 | つれづれ日記
実は半年間中国へ行っていたために、有給が余っておりまして、出社は3月からでよいと言われています。というわけで、今日は映画を見に行きました。

なぜならば、毎週月曜日は男性は1000円で映画が見られるという、サービスデーだからです。それに平日なら人が少ないし、ゆっくりと見られますからね。
今はやっぱり『ロードオブザリング』でしょう。何だかんだでもう3年なんですよね。はじめは3年に分けてやったって売れなけりゃ誰も見ないんじゃないの?と思ってましたが、まさか自分が見に行くとは思いもしませんでした。

さて、私が考えたとおり、映画館はそんなに込んでいなくて、でもそこそこの込み具合。やはりサービスデーだけあって男性が多いのかなぁと思いきや、暇な学生カップルなども多く、こっちはなんだか肩身が狭い思いもしてしまいました。

で、映画のほうですが、感動しましたね。思わず涙が。あれだったらDVDを買っちゃうですよ。

中国語教室

2004年02月20日 23時08分41秒 | つれづれ日記
半年間で覚えた中国語なので、やはり使わなくなると忘れるのも早いものです。というわけで、中国語の教室でも探そうかなと思い、とりあえず自分が依然通っていた英会話の●CCへと行ってきました。

話を聞いてみると、こちらでも中国語のレッスンはあるのですが、テキストを見ると、旅行で困らないような会話とか、そういうのなのです。それはそれで、始めてやる人にはいいのでしょうが、私は会話とかをやりたかったので、そこら辺を聞いてみると、そういうことであれば、Webレッスンはどうでしょうかと薦められました。

●CCのWebレッスンって、CMで見たことがありますが、●山鉄二がやってるやつで、あれだと英会話だけしかないと思っていました。実は中国語もあるそうです。とりあえずパンフをもらってきて、早速無料レッスンを受けてみようと電話してみました。

料金は20回で約10万円。高いような高くないような。

実は、中国にいるときに思ってたことがありまして、中国語を語学としてもそうですが、文化とか、経済とかを通して勉強するのも楽しいかもと思い始めてます。つまり、もう一回大学とかで勉強してみようかなぁと。私は外大を出てますから、外大でどんなことを勉強してるのかはわかってるつもりです。なので、中国語をやってる大学を探そうと。実は、中国語学科を持つ文学部とか外国語学部っていうのはそう多くないのです。特に名古屋近辺だと。それに社会人ですからね。そう考えると、愛知県立大学の外国語学部とかはホントによさげに思えます。ここは、夜間主コースがあって、社会人の人でも通える(体制上は)ようなってます。国公立で夜間主コースをもってる大学は、実は私が卒業した大阪外国語大学もそのひとつで、昼間主と夜間主のコースがあって、昼間主の人は夜間主の授業も取れるし、逆に夜間主のひとは昼間主の授業も取れます。私もとってました。どうしても取りたい授業が隔年開講で、その年は夜間の6時間目(18:10開始)だったので。まあ、一人暮らしなので授業が終わったら適当に飯でも買って帰ればいいですから。さすがに7時間目の授業はとったことがないですけどね。
それはさておき、そういうわけで、県大も考えたのですが、仕事が終わってから通うにはちょっとしんどいのです。どうしましょうかね?

いろいろと

2004年02月17日 23時08分12秒 | つれづれ日記
今日は朝からいろいろと大変でした。

まずは、私の運転免許証を書き換えなければいけないので、警察に行ってきました。なんだか、今は誕生日の後も1ヶ月間は有効らしいので、普通の手続きでよかったですけど。そして、自動車の任意保険の書き換えもしなくちゃいけないし、たまった郵便物は処理しないといけないし、中国から持ってきたものの整理はしなければいけないし、大変ですわ。

回国、名古屋到了

2004年02月16日 23時07分30秒 | つれづれ日記
いよいよ名古屋へと帰国となりました。アパートメントを引き払い、その後空港へと向かったのですが、空港へ向かう途中の車中も高速から見える景色を見てると涙が出てきてしまいます。

空港へは予定通り出発の2時間弱前につきまして、チェックインを済ましました。そうしたら、カウンターの人が、今日は乗客が少ないので、定刻の15分前に搭乗口に来てもらえればいいですからというので、どれぐらいの数が乗るのか聞いてみたら、25人ぐらいらしいです。というわけで、時間までお茶を飲んだり、日本円に再両替したりして時間をつぶしました。

カウンターで言っていたとおり、登場は出発時間の15分前から始まりましたが、乗客が少ないため全員乗るとさっさと扉を閉め、離陸準備に入りました。ちなみに、飛行機の出発時間とは、飛行機がスポットを離れた(ボーディングブリッジが外れた)時間をさすので、出発時間が離陸時間とイコールではありません。ですから、成田のように非常に込み合っている場合はスポットを離れてから離陸するまで30分は当たり前のようにかかる場合はそれも見込んでスケジュールを立てているそうです。

というわけで、私が乗ったJAL602便、名古屋行きも定刻は15:25ですが、スポットから離れる時間がこれよりも早かったので、離陸時間も同じ時間になりました。CAさんの話では、到着時間が20分ほど早まるらしく、迎えに来てもらうことになっている私はちょっと迷惑です。そんなこんなで、飛行機は順調に飛行を続け、途中い中途半端な時間の夕食を頂き、名古屋へは7時ちょっと前に着きました。ちょうどこれぐらいの時間は帰国便が少なく、通関も非常にスムーズでした。でも、税関では私のあまりにも多い荷物に、質問攻めでしたけど。結局中はあけられませんでした。もちろん、やましいものは一切入っていないので、あけられても全然いいのですが、開けられるとまた荷物を詰めなおさないといけないので、それが面倒だなぁと思ってます。

空港に着いたときにすぐに弟へ電話をしたので、待ち時間はさほど必要なく、うちには7時半過ぎぐらいには着きました。うちは空港から近いんですよね。離陸するときとかのエンジン音も聞こえてきますし、自衛隊の飛行訓練でC130とかが轟音を立てて飛んでいったりしてます。

半年振りに戻ってきた我が家ですが、半年も留守にしてた感じがしなかったですね。それに、半年間のいろいろな郵便とかの整理をしなくてはいけないので、それが面倒ですかね。

Last Day!

2004年02月15日 23時06分55秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日でいよいよ北京も最後です。明日には名古屋へと帰ることとなります。

今日は朝から郵便局へ行ったり、おみやげを買いに出かけたりとバタバタしておりました。そんな中、今、日本では吉野家へ行っても牛丼が食べられないということで、今日のお昼は吉野家の牛丼にしました。これがしばらく食べられないというのはつらいものです。

晩御飯は会社の方と一緒に北京ダックを食べに行きました。本場の北京ダックもしばらくお預けということで、おなか一杯いただきました。

こういう北京生活も終わりを迎えるのは、ホントに寂しい。

情人節

2004年02月14日 23時06分28秒 | ハオハオ!北京滞在記
昨日の送別会でたくさんのアルコールを摂取したため、今日は朝から2度ほど逆流いたしまして、その後も頭がなんだか痛いし、目の前がグルグルするような状態で、大変でした。

そういうことでとりあえず午前から昼すぎ、3時ぐらいまではボーっとしておりました。夕方5時過ぎぐらいからはとりあえず体調も戻りだしたので、気分転換に少し外を歩いてみようと思い、外に出てみました。

世間では今日は、「情人節」ということで、街のあちらこちらで薔薇の花を売り歩いている人に遭遇します。情人節とはバレンタインデーのことですね。世の中、日本人だけが意味を取り違えて、といいますか、意味を捻じ曲げられています。日本では女性から男性へチョコレートをプレゼントするという日になっていますが、世界的には男性から女性へ花などをプレゼントする日なのです。それ習慣が中国へも渡ってきて、男の人が女の人に薔薇の花をプレゼントするのだとか。街で売られている薔薇は一輪4元だと言っていましたが、今日だけでいったいどれだけの薔薇売りがいて、どれぐらい薔薇の花が売れたのでしょうか。

涙、涙...

2004年02月13日 23時05分45秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は送別会を開いてくださいました。

私は元来、涙もろく、ちょっとした感動的なことでもすぐに涙があふれてしまいます。

以前は会社で、入社してからずっと仕事を教えていただいていた先輩が部署を異動になるときに、一日中泣いていたという大変恥ずかしいこともあります。

そういう私が、自分の送別会で泣かないわけはないでしょう。もう、始まりから泣いてました。会はそこそこ順調に進んでいましたが、私たちの事務所では、私のような研修生が研修を終わるとき、送別会では「卒業試験」なるものが行われます。どういう試験かといいますと、自分が北京へ来たときから毎月の印象に残った出来事を中国語で発表するというもので、一月ずつ終わるたびに白酒(バイジュウ)を飲み干すという、地獄のような試験です。私ももちろんこの試験を受けなければならず、非常に困ってしまいました。

自分では何を言っているのか良く分からないのですが、どうだったのでしょうか。

ちなみに、そうこういっているうちに、ビールやら白酒やらをグイグイと飲んでいたので、送別会の後半の記憶がありません。お酒というものは恐ろしいものです。

ラスト・レッスン

2004年02月09日 23時04分42秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は半年間お世話になった中国語の先生、陳先生ともお別れです。とりあえずはそこそこ聞けるようにはなったのですが、まだまだ未熟な状態までしか上達しませんでしたが、いい先生でした。

実は自分の母親と同い年だそうですが、今日は教科書をやらずにずっと会話の練習をしていました。その中で、先生の話があったのですが、先生がちょうど小学校に通っているときに文化大革命が始まり、学校は休校状態。先生も中学校へは行かないで、工場で働いていたそうです。だから勉強は兄弟とかに教えてもらっていたそうですが、きちんとした教育は受けられなく、そのまま7年間工場で働いた後、文化大革命が終わり、ようやく普通に教育が行われるようになったとき、先生は日本語を勉強し始めました。でも大学へ入ってからは英語を勉強し、それから日本語を勉強したそうです。

そういう話があると、自分はまだまだ恵まれているのかなぁと感じてしまいます。

ふむぅ

2004年02月08日 23時04分13秒 | ハオハオ!北京滞在記
北京には自由市場がありまして、そこでは人々はみんな、がんばって値切っています。それは外国人でも中国人でも同じことなのですが、私がこういうところで買い物をするときは、買い物をした後にいつも何か悔しい思いが残るのです。

というのは、現地の人にとって我々は中国人に見えないので、いつもはじめの言い値が中国人向けとは違うということです。(厳密には違うのでは?という疑念ですが。)だから、一生懸命ねぎって買ったとしても、その値段が中国人の人が買う値段よりも高いのではないかと思うのです。まあ、おそらくは高いのでしょうね。

我々は明らかに西洋人には見えませんが、やはり西洋人向けと東洋人向けでも値段が違うのでしょうかね?西洋人だと英語で話してくるのに、私には中国語で話しかけてくるわけですよ。中国語で話しかけてるのに中国人じゃないのが分かっているから少しは高い値段で始めるということでしょうか。

あと、私は算数が苦手なのです。ちなみに、数学は大好きでして、中学、高校時代は数学が一番得意な科目で、高校のときは担任が数学の先生だったこともあるのですが、なぜ文系クラスにいくんだとしきりに言われてしまいました。でも、算数は苦手。小学校のときは繰り上がり、繰り下がりの足し算、引き算ができなかったり、文章題ができなかったり。ちなみに小学校のときに一番得意な科目は理科でした。だから私は理系人間なんですね、もともと。外国語学部に行きたいので、仕方なく文系に入らざるを得なかったわけです。そのためにあの、苦痛な国語とか世界史、日本史なんかをやらされる羽目になると。

まあ、さておき、ということで、私はこういうところで買い物をすると、いつも頭の中がパニックになります。「相手がこの値段で言ってきたからこれぐらいの値段ならいいかな」と思い、交渉を始めるうちに、「あ、これもつけて、この値段にして」とか、条件が複雑になると最終的に決まった値段と品物のバランスが、さほど最初に期待したほどディスカウントされていないのでは?と思うことがたまにあります。だから、今度こそはと思っていても、あの雰囲気に呑まれ、もともと血の気が多い私は同じ過ちを繰り返すんですよ。はぁ。

ぼちぼちと

2004年02月07日 23時03分39秒 | ハオハオ!北京滞在記
北京は最近は暖かく、すごしやすい日が続いています。

といいつつ、私の滞在期間もあと1週間。ぼちぼちと帰国の準備を始めないとと思い、とりあえず帰国時に持って帰るものと捨ててかえるものを分けると、もってかえるもののうち、CDの類が非常に多いことが発覚しました。それ以外は下着類とかは捨てて帰ればいいし。あとは本ですね。実は帰国後もせっかくかじった中国語を勉強しようかなと思い、中国語の教材を買ってきたのですが、それが意外とかさばるのです。もってかえるのも大変なので送ろうかなと考えてますが、郵便で送るとしても、はたしてあれだけたくさんのCDは無事に送れるのだろうか?との心配があり、DHLとかを使うと値段が高いだろうし。どうしようかなぁ。

花火

2004年02月05日 23時03分06秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は旧暦の1月15日で、中国では「元宵」といい、灯篭などで飾り付けをし、白玉団子のような団子を食べて家庭円満を願うというのが慣わしだそうです。

でも、私は一人北京におりますゆえ食べてませんけどね。実は今日も北島へ行ってきました。やはりここはいつ行っても満足な気分にさせてくれますね。いつもは私ともう一人会社の方と2人で行くのですが、今日はもう一人いて3人だったので、いつもの板さんが「今日は3人ですか?」と聞いてきたんですね。たまにしかいかないのに良く覚えてますね。今日は板さんが忙しかったらしく、ずっとカウンターにはいなかったのですが、帰り際レジを通るときに、板さんは電話をしてたのですが、その途中でも「ありがとうございました」とちゃんと言ってくれました。あと1週間で北京を離れるのはつらいですね。あの板さんに会えなくなるのは。

で、その帰り、会社の方の所によってビデオを見ることにしました。ビデオといっても怪しいものではなく、M-1グランプリです。ネタも全部知ってるのに何度も見たくなるのですよ。
それでビデオを見てたのですが、窓の外では花火が打ちあがっているのが見えました。私のところは窓の外がビルになっていて外の景色が見えないので、うらやましいですね。花火が見られるとは。