Long Ming Diary ~I'll show you myself honestly~

イルミネーションが街を彩ります。このblogは幅広い話題で彩りますよ

おおみそか

2003年12月31日 22時45分26秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日でいよいよ2003年も終わりですね。なんだかあっという間でした。2002年はワールドカップで通訳のお仕事をしに行ってからの時間の流れが速いんですよ。

そして人生で初めて海外でお正月を過ごします。まあ、日本にいてもどうせ何もしないんですけどね。旅行に行くとお金がかかるし、混んでるし。

で、海外でお正月を迎えるにあたり、どうやって過ごそうかなぁと考えたところ、やっぱり紅白歌合戦は外せないかなと。というか、うちではNHKしか映らないので。せめて日本語の番組でも見ようかなと思います。日本は中国より1時間早く年が明けるので、まずは日本の年明けをNHKで見て、それからどこか中国語のチャンネルを回して中国の年明けでも見るつもりです。

さて、年越しと言えば「年越しそば」です。私もそばを買ってきておいたんです。そして、めんつゆも。今年のポイントは、日本の年越しに合わせて1回目を食べ、そして中国の年越しに合わせて2回目を食べるというところです。自分の体にチャレンジですね。

2003年もいろいろとありました。来年はいい年になりますように。

Macau

2003年12月30日 22時44分49秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は昨日の夕方頼んだ、「マカオ半日観光」に出かけるため、朝の5時半に起き、6時過ぎ、指定のホテルロビーに向いました。

このツアーは午前半日でマカオのホントに主要の観光地だけをまわるというツアーです。私もはじめて知ったのですが、香港とマカオは高速船で1時間の距離で、頻繁に高速船が出ているそうです。朝8時半の高速船に乗り、マカオへ向います。もちろんマカオは中国の一部ですが、香港と同じくSARで出入境手続きが要ります。まずは香港の出境手続きをして船に乗り、船が着いたらマカオの入境手続きをするのです。

船は1時間ほどで着きましたが、お客の数が多いのと、手際がよろしくないのとでイミグレはものすごく込んでます。仕方がないので並んでいたのですが、私の並んでいる列だけ異様に遅いので、スムーズだった隣の列に並び替えたとたん、隣(自分が元並んでいた列)が進みだし、自分の列が進まなくなりました。そんなこんなで1時間以上かかりました。何とか入管を抜けるとガイドが待ってました。私が一番最後だったみたいです。

入管のおかげでマカオ滞在は約2時間ということに。ツアーで一緒だった日本人中年夫婦(ちなみにこのツアーはすべて日本人です。当たり前だけど。)曰く、「あれはね、日本のパスポート見せてどんどん前に行くんだよ。わかる?日本人だと通してくれるんだよ。」とかいわれました。そうじゃねーだろ、オヤジよ。日本人だろうが、アメリカ人だろうが、中国人だろうが、順番は順番で守るのが当たり前。「日本人だと通してくれる」とか思ってるのは本人だけで、ホントは無理に横入りしてるだけなんじゃねーか。こういう日本人が海外旅行で犯す失態の数々が善良な一般市民まで迷惑をこうむるんですよ。どこかであの夫婦は痛い目にあわないでしょうかね。

まあ、とにかく、マカオの町はピンクの色が多用してあって、香港ともまた違う感じです。さすが、ポルトガル領だったこともあり、南欧の雰囲気漂ってます。空の青と家の外壁のピンク色がマッチしていてきれいでした。

マカオのガイドが言うには、今回のように数時間しかマカオにいないのはおかしいと。最低でも1泊はしないとダメだそうです。確かに1泊はして、じっくりとマカオの街を歩いてみたいですね。そのガイドは、我々のガイドが終わったあと、日本から来る団体さんの3泊4日ツアーのガイドをするそうです。彼は4日もガイドできることにとても喜んでました。「マカオの隅々まで案内できることほどうれしいことはない」のだそうです。なるほど。ガイド冥利に尽きるというわけでしょうか。


《下はセナド広場にあるセントポール教会跡です》

My God!!

2003年12月29日 22時43分38秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は夜のツアーに参加しました。

まあ、恥ずかしいのですが、2階建てバスの屋根がないやつに乗ってほかの日本人観光客と混じって観光するわけです。

で、途中で寄った「女人街」では制限時間15分と言う短い間に観光と買い物をするというスケジュールだったのです。ボクははじめは買うつもりはなかったのですが、つい、VCDのお店で見たいVCDが売っていたので買うことに。そのVCDは「HERO」。といっても、木村拓哉と松たかこのヤツです。

向こうの言い値ははじめ、140ドル。とりあえず半額からいってみようかと、70ドルではじめました。でも、相手は90ドルまでしかダメだとの一点張り。時間も迫ってるし帰ろうとすると80ドルでいいと。それでも高いのですが、時間もないし、もうひとつ見たかった「ブラックジャックによろしく」もあわせて170ドルでとりあえず手を打ちました。これがあとから大変なことになろうとは。

そんなこんなで観光も終わり、ホテルに戻ってきて、お金を数えると、500ドルほど足らないんですよ。自分が思っているよりも。もしかしたら、あの時、暗闇だったので自分でもよく確認してないので確証がもてないけど、あの女人街で50ドルと間違って、あるいは100ドルと間違って払ってしまった可能性が。

香港は中央銀行にあたるところがなく、3つの商業銀行がお札を発行してます。ですから、お札の図柄だけでも何種類もあるわけです。それでは旅行者にとっては困ってしまいますね。お札には「この券の所持人に以下の金額と引き換えることを約束する」との文言がかいてある、一種の約束手形のようなものです。

まあそんなことはさておき、あそこで500ドルを払ってしまったとしたら、せっかく値切って買ったのに、水の泡と言うか、大損です。

《下は道のところまでせり出している広告がいっぱいの街中です》

Walk across the Border!

2003年12月28日 22時41分34秒 | ハオハオ!北京滞在記
今年の年末年始休みは何をしようかなと考えていたのですが、中国国内旅行よりも無性に海外に出たくなりまして。香港へ行くことに。飛行機の切符は単純に香港との往復よりも、一度やってみたかったことがあるので、違うルートにしました。

ご存知のとおり、香港は97年にイギリスから中国へ返還されました。それから50年間は軍事と外交以外は高度な自治権が与えられており、「香港特別行政区(Hong Kong Special Administrative Region)」として扱われています。実質的には中国の一部なのですが、大陸との間では出入国というか、出入境の手続きがあるんです。その国境の街が「深セン(土ヘンに川)」です。深センから橋を渡っていくとそこが香港の「羅湖」という街です。端の両側には中国と香港SARの入国管理局と税関があるんです。

前から一度、深センから橋を渡って香港に行ってみたかったんです。今回はそれを実行する為、行きは北京から深センまで、帰りを香港から北京への飛行機にしました。

さて、朝早く家を出て、北京空港から深センまでの飛行機はB777-300という、大きな飛行機です。国内線でもこんな大きな飛行機で行くんだと思っていると、なにやら機内は怪しげな雰囲気。私が座っているキャビン後ろ側は満席に近い状態なのに、我々より前はガラガラ。機内アナウンスで「バランスを取るのでそのまま席を立たないように」と言ってます。いよいよ離陸滑走を開始。でもなかなか飛び立たない。「やっぱ重心があってないから飛べないんじゃないの?」などと嫌な考えばっかり出てきました。まあ、それでなくても重い飛行機なので離陸滑走距離も長くなるのは当たり前ですけどね。

約3時間で深セン空港に到着。とりあえず国境まで行かなくては、ということで、リムジンバスの人に深セン駅まで行くかどうか聞くけど、通じない。発音が悪いのかなぁ?仕方がないので、ケータイのメッセージを打つ画面に「深セン駅に行きたいんだけど、これ行く?」と打ち、これを見せることに。相手は変に思っただろうけど通じないよりはマシ。とりあえずこれで市内までいけるからそこから駅に行ったらいいといわれ、リムジンバスに乗ることに。バスは確かに中心まで来たんです。でも、そこから駅までがさっぱり。バスの前にはボロうとするタクシーが待ち受けてるんで、嫌で乗ってやるかとばかりに、とりあえず歩いていくことにしました。だけど歩けど歩けど見えない。「もしかして方向間違ったかも」と不安に思い始めたとき、「駅はこっちよ」という看板が。これで駅に着けるよと思ったけど、やっぱり駅はまだまだ。約1時間ちょっと歩いてようやく駅にたどり着きました。

さあ、これから国境へ向うかと思ったとき、怪しげなオヤジがよってきました。どうやらホテルへ行こうとしてるんだけど分からないみたいなことを行ってるように思えたので、「いやあ、実は私も知らないんだよね」と答え、さっさと行こうとしたのですが、オヤジ、なかなかしつこいの。ずっとついてくるんですよ。「仲間がいるからそいつの車で行って...」とか行ってたかも。「あんたにも悪い話じゃないだろ?」とかも言ってたから、なんか一緒にやらないかみたいなこともいってたのかも。でも、ホントしつこくて、国境の入管ビルの入り口までついてきたんで、せっかくビルの前で写真とろうと思ってたのにオヤジのせいで台無しです。

入管ビルに入ると、外国人と中国人でレーンが別れていましたが、その後、空港にある入管のブースが見えました。一人ずつ出国審査ですね。普通は出国はすぐに終わるもんだと思ってましたが、なにやらページをペラペラめくってるし、「名前は?」なんて聞かれるし。名前なんてそこに書いてあるじゃんか。しかも名前を答えると「ふーん」としか言わないし。出国を終えると橋があります。これが中国と香港の国境にかかる橋ですね。橋の距離は100mちょっと。

橋を渡ると香港の入管です。こっちでは、たくさんの補助の人がいて、書類の書き方とかを丁寧に教えてくれます。さすが観光立国ですね。それにしても人が多いのですよ。僕が行ったときは昼の2時ぐらいだったけど結構な人がいました。さあ、いよいよ香港に上陸しました。この香港側の出口からはそのまま鉄道の駅になってまして香港の中心部まで行けます。

電車に乗ると雰囲気が北京とはガラリと変わりました。周りは広東語なんですよ。それに服装とかも日本の普通の街と変わらない感じ。

とりあえずホテルにチェックインし、市内観光しました。

《下は夜に行ったHSBCビルとツリーです》

仕事納め

2003年12月26日 22時40分41秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は仕事納めです。今年は土日の関係で26日なんですね。昼ごろからデスク周りを片付けることからはじめました。いやぁ、自分で見てもイヤになるぐらい汚いデスクでした。どこから手を付けたらいいのか分からないぐらいです。まあ、手前からはじめようかなとはじめたのはいいのですが、片付けがてら書類やら雑誌やらに見入ってしまうんでなかなかはかどらないのが困るところ。

そのうち、事務所の納会を行うとの事で1杯飲んでほろ酔い気分になった後に片付けの続き。なんでボクは片づけが苦手なんでしょうか。

クリスマスイブ

2003年12月24日 22時40分05秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日はクリスマスイブ。中国でも大切なイベントのようです。中国語では「聖誕節」といいます。文字通りですね。キリストの生まれた日をお祝いする日なのです。

今日はサンタさんの帽子をかぶった人があっちこっちで見られました。日本では見られない光景ですね。でも、カップルでかぶってたり、友達同士でかぶってたり、周りに結構いるので恥ずかしいとかそういうことは全くないです。

朝も出勤しようと地下鉄に乗ろうとしているとき、新聞売りの人が「今日は花を1本サービスするよ」と言いながら新聞を売っていました。それ以外にも何かを買うとバラの花を1本渡しているお店が多かったですね。

中国へ来る前は、クリスマスはそんなに流行ってないんじゃないのかと思っていたんですが、そんなことはなかったです。電飾もきれいに飾ってあるところもあるし、みんなクリスマスを楽しんでいるのが感じられます。

I wish you a holy Christmas!

『「寿司ネタ図鑑』

2003年12月23日 22時39分31秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日、日本から荷物が届きました。

中には、つい買ってしまった『寿司ネタ図鑑』なるものもあります。この本は、寿司ネタのうち代表的なものを取り上げ、その写真やネタになる前の姿、そして英語名と中国語名まで載っている、寿司通なら1冊は常備したい本なのです。前の日記にもありますが、おすし屋さんでどうして注文しようかと考えていたときに見つけてしまい、買ってしまいました。

内容はそこそこいいですけど、もうちょっとネタの種類が多いといいですね。

TAXI

2003年12月21日 22時38分54秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は朝から肩が痛くて腕もなかなか上がらなくなってしまったので、いつもは足裏マッサージをお願いしているところを全身マッサージにしてもらおうと、いきつけのマッサージ屋に行くときのことです。

北京では、タクシーは1キロあたりの値段によって3つに別れています。初乗りはどれでも10元で、1キロあたり1.2元、1.6元、2元の3つです。そのうち、2元は車もそこそこの物を使っているので乗り心地はいいのですが、近距離だと乗せてくれなかったり、街中で流しで走っていることはありません。見た目には黒い車が多いです。次の1.6元と1.2元のタクシーはいっぱい走っているので流しでも簡単につかまります。私もうちから行くのにタクシーを捕まえようとしたとき、ちょうど黒いタクシーが通っていきました。それは、最近導入された1.6元のタクシーで、車両が新しい為乗り心地はいいし、車内も従来よりも広いのでいいとの評判でした。初めて乗れてラッキーとか思ってると、車内に無線が置いてあったんです。日本ではタクシーに無線がついているのは当たり前ですが、こっちではあんまり見かけません。で、無線だけだと思ってみてると、ピピーという音の後、「明日の天気は…」というように、天気予報が画面に出てるんです。画面と言っても、運転手が使うものなので運転手が見えるような方向だし、サイズも20センチぐらいの液晶ですけど、あれでお客さんとかに明日は雨だよとかいうんでしょうね。付加価値サービスですわ。

ところがこの無線、タダの無線ではなかったんですよ。そのあと、配車係だと思われる本部のほうから運転手に無線で「明日の7時にどこどこまで迎えに行って」などと指令が飛んできたんです。普通はそのままなんですけど、驚いたのは、その内容が文字情報でも送られてきたんですよ。先ほど天気予報が表示されたところに詳細の住所も表示されてました。北京のタクシーもオリンピックに向けてハイテク化されてるんですね。驚きました。

忘年会@所長宅

2003年12月17日 22時38分24秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は所長のうちで忘年会をしました。

料理は材料を買ってきてつくり、それをみんなで食べると言うもの。メニューは鍋がメインで、それ以外にもいろいろとありました。

中でも、以前事務所でお仕事を一緒にしていた中国人の方が作る「ワンタン」が旨かったですね。作る姿を横から見ていたら簡単そうだったのですが、実際に自分で包んで見るとこれが意外とむずかしい。餃子とは作り方が違うんですね。何個か作ったのですがあきらめました。

普通のお店でやるのもいいですが、たまにはこういうホームパーティー的なものもいいですね。

Congratulations

2003年12月12日 22時37分47秒 | ハオハオ!北京滞在記
我が家の次男である私の弟が、無事に二級建築士試験に合格したとの事です。

彼は工業高校の建築科を出ているので、卒業後3年間の実務経験で二級建築士試験が受験できるのですが、初の受験から3回目でようやく合格しました。

私は公的に自分の役に立つ資格、というか、独立して食べていける資格を持っていないのですが、二級建築士は法律的には事務所を開設して自分で食べていくことができる資格です。そういった意味では、弁護士とか、税理士とか「士」が付く資格を持っている人はうらやましいですね。とりあえずイシカワ家では一安心です。これで我が家もタダで増改築ができますから。

魚の名前

2003年12月11日 22時36分53秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日は、以前に日記でも登場しています、回転寿司の北島へ行ってきました。

ここは本当にすしネタがうまいのです。特にサーモンが大好きになってしまいました。日本にいるときはさしてうまいとも思わなかったのですが、こちらに来て見るとなんかうまいんですよね。これには私も驚きました。

それと忘れていけないのはウナギ。これまたウマイ!ホントはウナギだけでもいいぐらいです。

ところで、すし屋に行って困るのは「魚の名前」です。回転寿司で回っているネタにないものは注文をすれば握ってくれるわけですが、それを頼もうにも言い方がわかんないのです。ちなみにウナギは「鰻魚」です。中国語では「マンユィ」といいます。またサーモンは「三文魚」です。

今日は板さんの中で結構偉い人がずっと気にかけていた、というか、我々の食いっぷりの良さに危機感を感じたのかあれこれと勧めてきました。「刺身はどうですか?」とか「焼き物はどうですか?」とか。彼は中国人ですけど日本語も話すようです。結局、板さんは魚の名前ぐらいは日本語でもOKみたいで、ウェイトレスの人が分からなくても大丈夫だということが分かりました。でも、ちゃんと中国語で言いたいですね。

Shock!!!!!

2003年12月08日 22時36分21秒 | ハオハオ!北京滞在記
今朝、ちょっと寝坊したのがきっかけでした。
目が覚めると7時40分。いつもは8時前には家を出るのでこのままでは遅刻してしまうと思い、急いで着替えて顔を洗い、歯を磨きました。そしていつものようにコンタクトを装着しようとしました。そこでこんなことが起ころうとは予想もしてませんでした。コンタクトケースからコンタクトを取り出し水で洗浄して装着しようとするとレンズがありません。レンズが流れていってしまったのです。もうそりゃあショックですよ。異国の地でコンタクトをなくすのは。とりあえず今日はメガネで会社に行きましたが、明日からはどうしようかなぁ。

と、実は、私はこういうこともあろうかと、使い捨てコンタクトを持ってきています。ただこれも3か月分しかないんですけど。今からなら3か月分で十分間に合います。ちょっと安心です。

ただ、帰国後が大変ですね。ハードレンズは一度装用をやめると大変なんです。次にはめるときには激痛が走ります。いっそのことメガネでの生活にしようかとも思うのですが、車の運転をするにはコンタクトのほうがいいんですね。メガネだと夜の運転が光の反射などで大変ですから。

講演に行ってきました

2003年12月06日 22時35分48秒 | ハオハオ!北京滞在記
今日はうちの事務所の所長が依頼を受けた講演についていきました。

場所は北京語言文化大学。いわゆる外国語大学のひとつです。そこで日本語を勉強している学生に、日本の企業が求める人材像を講演してほしいと依頼を受けたのでした。

語言大学といえば、私も日本では外国語学部を出たので、気持ちはよく分かります。やはり、語学だけでは就職は難しいとの危機感を抱いていると言うことです。実は私もそうでした。私が入学したとき、後に私のゼミの担当教官になる先生の授業(英作文でしたけど)で言われたのが、「外大の時代は終わった。昔は言葉ができればそれでほかに何もいらなかったけど、今は語学プラスアルファの知識が必要なんだ」ということでした。その先生はちょうどアメリカからMBA留学から帰ってきたすぐの人だったので、特にこれからはインターネットがビジネスの手段になりうると言っていました。私が入学した96年当時は、ちょうどWin95が世に出てようやく一家に一台のパソコンが普及し始めるところで、インターネットはまだまだの時代でした。その最中、親にパソコンを買ってもらってダイヤルアップでインターネットにつないでいたんです。やっぱり今から考えるとそれが非常によかったんでしょうね。

まあ、私の場合はそんなことで英語の勉強を全くせず、ほかごとばっかりやってましたけど。でも、講演で話をした内容には語学だけで満足せずに、さらに自分を高めたほうがいいですよということを伝えたかったんですけど、うまく伝わったかは心配です。

私の学生時代の話で思い出しましたが、その先生の授業は英作文で、初めのころはアメリカの大学生or高校生が国語(=英語ね)の授業で使う教科書(Elements of Styleという名前の本です)を使って、作文の書き方をやりました。それはそれで、その後は、簡単に読めるものということでシドニーシェルダンのペーパーバックを読んで、気に入ったフレーズを3つ使って自分で作文をするというものでした。作文は毎回、4人ぐらいがエジキとなりクラスみんなにコピーが渡り、公然と批評されると言うものでした。ある日の内容で、「I'm feeling myself climax again and again.」という文章を選んできた子がいたんです。まあ、日本語訳をするとちょっと卑猥な表現ですよ。それをなぜか、「私は人形たちといっしょにいました。彼らと一緒に太鼓をたたいて私は●っちゃいました。」という英語を書いてきたんです。先生も何もあんな文章をエジキにしなくてもいいのに。誰も「それって使い方間違ってるのに…」といえず、あれには教室中が凍りつきました。でも、あの授業は楽しかったですね。結局その先生とはゼミの指導教官もしてもらったので、付き合いは長いです。

《講演を聴く学生さん》

再び風邪をひきました

2003年12月01日 22時34分16秒 | ハオハオ!北京滞在記
さきおとといの28日の夜からすごい熱が上がりまして、「もう俺も異国の地で命尽きるのか」などと考えてしまうくらい頭は痛いしのどは痛いし、体全体が燃えるように熱いし。夜中の3時とかに目が覚めても朝まで我慢して病院にいこうとか考えてました。よく考えたら夜でも病院は開いているのでそのときに行けばよかったんですが。

とにかく熱っぽいのは相変わらずですがなんとか動けるぐらいにはなりました。