森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
花・髪切と思考の
浮游空間
カレンダー
2008年5月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | ||||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | ||
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | ||
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | ||
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | ||
|
goo ブログ
最新の投稿
8月6日(土)のつぶやき |
8月5日(金)のつぶやき |
6月4日(土)のつぶやき |
4月10日(日)のつぶやき |
2月10日(水)のつぶやき |
11月12日(木)のつぶやき |
10月26日(月)のつぶやき |
10月25日(日)のつぶやき |
10月18日(日)のつぶやき |
10月17日(土)のつぶやき |
カテゴリ
tweet(762) |
太田光(7) |
加藤周一のこと(15) |
社会とメディア(210) |
◆橋下なるもの(77) |
◆消費税/税の使い途(71) |
二大政党と政党再編(31) |
日米関係と平和(169) |
◆世相を拾う(70) |
片言集または花(67) |
本棚(53) |
鳩山・菅時代(110) |
麻生・福田・安倍時代(725) |
福岡五輪幻想(45) |
医療(36) |
スポーツ(10) |
カミキリムシ/浮游空間日記(77) |
最新のコメント
Unknown/自殺つづくイラク帰還自衛隊員 |
これお・ぷてら/7月27日(土)のつぶやき |
亀仙人/亀田戦、抗議電話・メールなど4万件突破 |
inflatables/生活保護引き下げ発言にみる欺瞞 |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
これお・ぷてら/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/国民の負担率は低いというけれど。 |
THAWK/10月2日(火)のつぶやき |
THAWK/[橋下市政]健康を奪い財政悪化招く敬老パス有料化 |
最新のトラックバック
ブックマーク
■ dr.stoneflyの戯れ言 |
■ machineryの日々 |
■ えちごっぺのヘタレ日記 |
■ すくらむ |
■ 代替案 |
■ 非国民通信 |
■ coleoの日記;浮游空間 |
■ bookmarks@coleo |
■ 浮游空間日記 |
過去の記事
検索
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
議員さんの朝食メニュー
食い物の恨みは恐ろしいともよくいわれる。このように、一般には、人の食べ物に寄せる関心は並大抵ではないということだろう。衣食住という言葉が熟していることに表されるように。
たとえばイベントを考える際、私もその食事(の内容)には細心の注意を払う。実際、払わざるをえない。終わって、仮にアンケートをとると、食事に関する意見が必ずといっていいほど、一定の割合である。肯定派も、否定派も。
つまり、人間は食に関して少なからぬ関心をあらかじめ持っているということだ。一例をあげれば、おそらく、その日暮らしという状態を仮に考えると、その日暮らしの人にとって生きるということが、最大、唯一の願いであり、いわば「目標」なのだろうが、その問題は、結局のところ食べることに接続しているし、尽きる。
冒頭にあげたリンク記事が話題になるのは、以上のことがもちろん前提にある。が、それだけでない。
むしろ、私は、事が議員という日本社会のなかで特別の地位にある人にかかわっているからだと考える、そうではないのか。つまり、別のいいかたをすると、政治と議員への、日本国国民の特別の関心の高さを、この問題は、ある意味で象徴しているように思う。
「不可能性の時代」という岩波新書がある。
そこで大澤真幸が、北田暁大を引用して語っている。「オタクという謎」という章だ。
北田によると、2ちゃんねるの熱心な参加者は、「2ちゃんねらー」には、いわゆる「ギョーカイ」――つまりマスコミ業界――への偏愛が見られる。マスコミの振る舞いは、たとえば『朝日新聞』の挙動や放送局の行動は、2ちゃんねるでの主要な話題である。そこに現れるのは、マスコミへの好意的な発言ばかりではない。というより、そのほとんどがマスコミへの批判や嘲笑、バッシングである。 その典型は、『朝日新聞』等に好意的にとりあげられることの多い市民派へのバッシングである。だが、マスコミへのこうした過剰とも思える批判は、マスコミへの過剰な愛の裏返しである |
というわけだ。
大澤が言及する北田にしたがえば、どうなるか。
日本国全体からすれば少なくとも部分にすぎない、民主党の議員の、あるいは民主党の対応によせられる意見の数々は、日本の政治のありように一定の国民が何かしらの期待を寄せているという証左である。しかも、その多くは、民主党という政党にたいする、北田の言葉による過剰な愛の証かもしれない。
事はこの点に尽きる。
つまり、朝食メニューに少なからぬ人が関心を寄せ、これだけの話題になる。この点で問われているのは、実のところ、民主党でも、あるいは民主党議員でもない。問われているのは、日本国国民なのだ。
たとえば、この意見。
朝飯ぐらい自分で払え! 自民党並みの朝食を党に要求する |
しかし、「自民党並みの朝食を党に要求する」という事実と、それにたいする「朝飯ぐらい自分で払え!」という見解とは、密接に関連しているようで、ほとんど別の問題である。
けれど、これだけウェブ上をにぎわしているのは、逆にいうと、北田の指摘の妥当性を裏付けているように思えてならない。
私は、自民党にはもちろん、民主党にも投票したことはないが、そんな人間はおそらくこの記事に関心を示すことはない。関心の高さは、むしろ民主党への「徹底した批判」にみられるところの、過剰な愛ではないのか。愛しているから憎い。
私のように、民主党に特別の関心を抱かない人間ならば、民主党がどのようにふるまおうと、あるいは同党の議員が何をいおうと、関心をよせる術がない。端的にいえば、関係ないのだ。そう割り切ることすらできるものだ。
話を、『不可能性の時代』という本に戻すと、大澤はこう語っている。
選挙の結果は、たいていの場合半数前後の人を失望させる。 |
いいえて妙である。
自民党にも、民主党にも投票していこなかった私は、この意味で、失望の連続であったのかもしれないが、選挙とはおよそ半数の人をよろこばせ、片方で半数の人には失望を与えてきたということだ。
政党といものが、以上の意味で社会的要請を受ける存在であるのなら、擁護するつもりはまったくないが、、「自民党並みに箱弁当やカレーライスを出してほしい」とのべる民主党議員があえて責められるべきではなく、攻められるべき対象があるとするならば、紛れもなく民主党に投票した「半数前後の人」ということになる。
だから、この問題で問われているのは、まさに日本国国民なのであって、その言説のありようといえるかもしれない。
選んだのは、私たち、君たちなのだ。(「世相を拾う」08090)
■応援をよろしく ⇒
■こちらもお願い⇒