森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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改憲への「地ならし政権」 -金子勝が説く

結論を先にいえば、金子は、安倍政権によって格差社会が深刻化するというのだ。そして、社会不安が高まったところで改憲を準備していく「地ならし政権」だと金子は強調している。
たしかに、今われわれの前には、教育基本法、テロ特別措置法延長、防衛「省」格上げ、共謀罪新設、集団的自衛権の解釈見直し、国民投票法など、通過させたらとんでもないことになるものが準備されている。要するに、これらは日本国憲法と現実との乖離を促し、憲法が意味をなさなくなるまでにするものなのである。安倍が憲法改定は5年の見通しでとすでに語った意味もこの文脈でとらえると、みえてくる。憲法を骨抜きにする戦略だ。
格差社会をどう安倍が考えているか、このブログでもエントリー(8月24日)で、安倍の『美しい国へ』から以下を引用して考えてきた。
競争がおこなわれれば、勝つ人と負ける人が出る。格差があらわれてきたのは、ある意味で自然なことであろう。 人は誰でも失敗する可能性があるし、不幸にして病気になることもある。そういうときの保障がきちんと手当てされていなければ、再挑戦が不可能になる。 |
この安倍の主張は、競争や勝ち負けの論理で彩られている。金子がいうように「再チャレンジ支援」にしても、いま明らかにされている範囲ではまったく実効性がない。公務員削減をいいながら公務員中途採用でフリーターを雇うというが、仮に採用してもたかだか20数万人。フリーターは200万人を超えるのだから残りはどうなるか明らかではない。安倍に経済政策や格差是正にとりくむ姿勢が希薄なことは、閣僚配置からも読みとれるだろう。
安倍首相の登場は、米国のブッシュ政権誕生時とあまりに似ている、と金子はいう(週刊金曜日)。
ブッシュは「思いやりのある保守主義」を標榜したが、安倍政権のスローガンは「開かれた保守主義」であり、格差是正と再チャレンジを謳う。 さらに、どちらも世襲政治家であり、ブッシュは人の良いテキサスのカウボーイやキリスト教的な「思いやり」という伝統的なイメージに訴え、安倍もまた育ちの良いソフトな人柄で「伝統」を説く。 |
ちょうど山口二郎が安倍の「変貌ぶり」をとらえて「見せかけの穏健化」とよんだように、金子はそれを「安倍の仮面」とよび、憲法の骨抜きを阻止できるかどうかにとって、安倍の仮面をはぐ必要性をよびかけている。
国民の人気があるうちに、安倍首相は来夏の参院選を衆参同日選挙として打って出てくるかもしれない。改憲に必要な国会議員の3分の2を超える議席をとれなくても構わない。政権を維持できれば、憲法を骨抜きにできるからだ。 それまでに、メディアによって作られたソフトな仮面を剥がして、ブッシュ政権を真似たメディア戦略を暴き、安倍首相の「タカの爪」を抜かせることができるかどうか――これが最大のポイントだ。 |
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山口二郎が語る -安倍の「見せかけの穏健化」

このブログでは、総裁選前までの、自らの靖国参拝や村山談話にたいする態度を明確にしない安倍について批判し、同時に総裁選までに明らかにすることはないだろうとのべてきた。安倍はこの間、政治家が歴史認識を語るべきではないとのべつつも、首相就任後の国会では、村山談話については一歩踏み込んで安倍は答弁した。
こんな安倍の就任後の主張の変化は、安倍の国家主義的言動、いわゆるタカ派的主張に思いを入れた部分からみると、期待はずれなのかもしれない。
また、自民党内の安倍の周りの動きも変わってきたように思う。
自民党古賀派の古賀誠元幹事長が安倍政権への対応についてこう語っている(毎日新聞)。
批判のための批判ではなく、若い安倍晋三首相が誤りのない方向で国のかじ取りができるよう、私たちが役割を果たさなければならない。 |
安倍が属していた森派の森喜朗元首相は、安倍首相が衆院予算委員会で、村山首相談話などを踏襲する姿勢を示したことについて「かつて言ってきたこととまったく違うことを言い出した。若い政治家から内閣総理大臣という重い立場に立ち、よく考えて話をしないといけないことをやっと分かってきた」と述べたという(朝日新聞)。
こんな変化をkojitakenさんはとらえて、「安倍晋三の豹変にナベツネの影」を書き、「安倍は首相に就任するなり、最初はソフトムードの演出を行うだろうと予想していた」とのべた。慧眼というべきだろう。
おなじことを山口二郎が書いている。少し引用する。
安倍政権を支える官僚や一部の政治家はバカばかりではない。たとえば、安倍は最初の外遊先として勧告、中国を選び、小泉時代に破綻した東アジア外交を修復しようとしている。狂信的な自己中心主義で、政権を運営していくことができないことくらい、ある程度の知性を持った人間には分かる話である。内政、外交両面で小泉路線をある程度修正しなければ、安倍政権は行き詰まるに決まっている。極右と思われていた為政者が少し中間によれば、中間的な市民はこれを歓迎し、右派はしぶしぶついてくるという構図で、政権の支持基盤は安定する。安倍以上に右翼にとって好ましい首相は期待できないのだから、右翼も安倍を支持するしかないのだろう。 ある程度穏健化した安部政権とどう対処するか。最も重要な課題は、見せかけの穏健化の虚構を批判することである。 |
先に引用した森はつぎのようにも語っており、中国との会談での安倍の対応をすでに暗示している。
おそらく靖国の問題は出ない。小泉さんみたいにずけずけ言うと中国も黙っておけないし、小泉さんも引くに引けなくなった。未来志向で世界への貢献を話す方が靖国の話よりはるかに大事だ。 |
しかし、安倍自身の政治家としての力量について、すでに世間の評価は決まっている。山口のいう「見せかけ」を安倍の技量でどこまで通すことができるのか、それははなはだ疑問だと私は考えざるをえない。だからこそ、周囲は支えようと一致する方向にあるのではないか。
国会内での野党の、安倍の「虚構」の追及と国会外の運動が、安倍政権に揺さぶりをかける上で必要だ。それにマスメディアはどう批判精神をかかげることができるかだ。
だから、ブロガーは山口の言葉を借りれば「見せかけの穏健化の虚構を批判する」、その一端を担わないといけないのだろう。
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安倍政権の今後占う沖縄知事選

沖縄知事選は、野党側の足並みが必ずしもそろわず先行きが危ぶまれていたが、野党統一候補として糸数慶子氏を擁立することで決着した。知事選はこの糸数氏と自民・公明陣営の推す前商工会議所連合会会長・仲井真弘多氏とのたたかいになる。
この沖縄知事選が政権そのものの今後を占うことになるため、自民党はこの知事選を重視し、すでにつぎのような動きに出ている。以下、共同通信から引用。
安倍晋三首相は6日、官邸で稲嶺恵一沖縄県知事と会談し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設問題を念頭に、今後の政府対応について「沖縄に(米軍)基地が集中している現状を踏まえ(地元)振興にしっかりと取り組みたい。地元の切実な声に応えていかなければならない」と述べ、沖縄振興に全力を挙げる考えを示した。 稲嶺氏は、米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)への地対空誘導弾パトリオット(PAC3)配備に関し「米軍再編は、長期的には地元の負担軽減だが、当面(地元負担は)増加傾向にある」と指摘、配慮を求めた。 稲嶺氏は、政府が2012年前後の開学を目指している沖縄科学技術大学院大学の早期開学も要請。首相は「沖縄だけの問題ではない。内閣としても取り組みたい」と強調した。 自民党の中川秀直幹事長も同日、稲嶺氏と党本部で会談。退任する稲嶺氏の後継を選ぶ11月19日の知事選について「厳しい戦いであり、全力で取り組む」と述べた。 |
また、久間防衛庁長官も6日、就任後初めて沖縄県の稲嶺恵一知事と国会内で会談し、在日米軍再編の普天間飛行場移設計画に理解を求めた。
朝日新聞によれば、
稲嶺氏は名護市辺野古崎から海にかけてV字形滑走路を造る政府の計画に反対の立場から「(辺野古崎陸上部に造る)暫定的なヘリパッド案を主張し続ける」と述べた。また、稲嶺氏は11月の同県知事選の情勢について「(野党側候補の)糸数(慶子)氏は強い」と伝えた。 |
糸数氏は、島袋宗康の後継者として第20回参院選で全国唯一の全野党共闘(沖縄社会大衆党、日本共産党、民主党、社会民主党、みどりの会議)からの推薦、ならびに自由連合からの支持をとりつけ、無所属で出馬した。自民党公認、公明党推薦の対立候補・翁長政俊を9万5千票以上の大差で破り、当選した。
したがって糸数氏の知名度を考えると、野党側からみれば糸数氏は安倍政権と正面からたたかえる候補者といえる。自民党にとっては、参院選の前哨戦としての安倍政権の真価が問われる選挙戦でもある。それだけではなく、今回の選挙は、最大の争点として新基地建設の是非を問う選挙だ。安倍政権が重要課題としてかかげている憲法改定、軍事同盟強化を考えれば、自民党が負けることは許されない選挙なのである。
上の安倍の発言はそのことを裏づけている。
沖縄だけでなく、米軍再編に反対する運動は全国的に広がった。これも野党にとって有利にはたらくだろう。沖縄で勝利することは、米軍再編に直接打撃を与えることになるばかりでなく、憲法改定をねらう安倍政権に痛打を与える。沖縄知事選はまさに全国的選挙である。
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閑話休題 -9 生活保護は格差社会の尺度
05年度の1カ月平均の生活保護世帯数が、104万1508世帯と初めて100万世帯を超え、過去最多となったことを朝日新聞が伝えている。
日本ではこれまで、福祉を支え担ってきたのは主に企業と家族だといわれてきた。しかし、いまやどちらもこれを支えることが困難な状況にある。さらに、この間の「小さな政府」をめざす流れのなかで、公的福祉はさらに後退する局面にある。
弱者の救済では、まずあげないといけないのは生活保護制度の充実だろう。しかし、現実の日本はこれを拒んでいるのが実態だ。たとえば格差社会が生み出したワーキングプアの存在に象徴的に示されているように、本来ならば生活保護を受けることのできる低所得しか得ていない人が、生活保護を受けていない、受けられない実態が厳然として存在している。
こんな日本の現状にある一方で、生活保護世帯の増加は何を物語るのか。それは、いっそうの格差の進行だといえる。生活保護は格差社会の尺度となっている。
「朝日」はつぎのようにのべている。
厚生労働省が6日発表した社会福祉行政業務報告でわかった。月別では04年10月に100万世帯を突破。05年度に入っても100万世帯を超える水準が続いている。新たに保護を受け始めた世帯は前年度より8.1%減ったが、経済的に自立して保護の対象から外れる世帯が少ないために、増加傾向は止まっていない。 保護世帯のうち最も多いのは夫婦ともに65歳以上の高齢者世帯で、全体の43.4%を占め、障害者・傷病者世帯(37.4%)が続く。母子世帯(8.7%)は前年度より3053世帯増え、9万531世帯だった。 |
保護世帯の増加について、厚労省保護課は「働き口が少ないため、保護を受け始めた世帯がそのまま受け続けざるを得ない状況が続いている。失業率が改善すれば、受給者が減少に転じる可能性もある」とみていると朝日新聞は伝えている。
いずれにせよ、この調査結果で、格差社会は最も弱い層にそのしわ寄せを求めるということがよく分かる。
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すでに日本は「小さな政府」
政府、財界をふくめて声高に主張されてきた「小さな政府論」。国家の機能を安全保障や治安など最小限にとどめたものを目指すべきとする考え方である。この議論は、政府の役割、守備範囲をできるだけ小さくするというものだから、典型的なものに夜警国家をあげることができる。夜警国家の語はフェルディナント・ラッサールが自由主義国家を批判して用いたことに由来する。
ところで、日本の税負担率は国際的にみると小さいといわれている。また、社会保障給付費でみても日本はいわゆる先進国のなかで最低レベルにある。下表にみるように、先進国中で最下位だ。
◆社会保障給付費が国民所得に占める比率(1998年)
国名 | 比率 |
---|---|
日本 | 20.4(%) |
アメリカ(1992年) | 18.7 |
イギリス | 38.2 |
フランス | 40.9 |
スウェーデン | 47.8 |
こんな背景があっても、先進国のなかで日本が最低レベルにあることをみつめる必要がある。
先日のエントリーで紹介した橘木俊詔は、先進国をつぎの3つのグループに分けてとらえている。
第一のグループは北欧諸国に代表される「高福祉・高負担の国」。第二のグループはイギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパの大国に代表される「中福祉・中負担の国」。第三のグループがアメリカに代表される「低福祉・低負担の国」です。……日本は、すでに「小さい国」を実現しているのです。
橘木はこの点で以下のように説いている。
社会保障制度、あるいはセーフティネットについては、北欧諸国などとは比較にならず、ヨーロッパ諸国と比べても、非福祉国家の典型としてそのレベルは劣っています。にもかかわらず、今後もますます「小さい政府」を目指し、社会保障制度の規模を縮小する政策を採り続けようとしているのです。年金にしろ、医療保険、介護保険にしろ、あらゆる社会保障制度において、給付を削減し、負担を上昇させる政策が採られ、セーフティネットは縮小の一途です。 |
このようにすでに日本は「小さな政府」が実現されているにもかかわらず、なぜ「小さな政府」論が登場するのか。だが、ここに橘木はこたえていない。つぎのようにのべるにとどまっている。
すでに述べたように、現在、セーフティネットは削減の一途をたどっています。確かに、少子高齢化が、現在の日本には進行しており、社会保障給付の削減、負担の上昇というのは、ある程度やむをえないというのも事実です。 |
橘木はたしかに、国家財政の現状をとらえ、無駄な公共事業にもふれている。しかし、税金のつかいみちにかかわって、たとえば日米軍事同盟のあり方をふくめた軍事費の問題などにふれてはいない。肝心な点を欠落させているのだ。
「小さな政府論」の行き着く先は、まさに夜警国家であり、軍事費問題に言及せざるをえないと思う。
別エントリーでふれたが、安倍もまた、その著書で「小さな政府」に言及している。この本にみるかぎり、安倍の「小さな政府」論にたいする見解は以下のとおりだと思われる。
人口が900万人ぐらいのスウェーデンとちがって、1億2千万人以上が生活し、しかもこれから未曾有の超高齢化社会に突入するという日本では、超高福祉国家は、実現不可能である。かといって、バスタブに沈むほどの小さな政府にすべきでもない。 私の考える福祉のかたちとは、最低限度の生活はきちんと国が保障したうえで、あとは個人と民間と地方の裁量でつくりあげてもらうというものである。「セーフティネット」と「自己責任」が重視される社会だ。 |
超高福祉国家とは何か定義がさだかではなく、「バスタブに沈むほどの小さな政府」という表現をもちいて判断するなど、実にあいまいなだが、やはり「小さな政府」にその目がむいていることは確実だろう。
日本はすでに「小さな政府」である。その上で、「構造改革」の名のもとに「小さな政府」をめざし格差を広げた。さらにそれをすすめようとするのは、憲法と教育基本法改定の動きと連動し、戦争する国へ特化させようとする意思がはたらいているからだと考える。
閑話休題 -8 棒読み御免、安倍首相

朝日新聞(5日付)によれば、安倍首相が小泉前首相に電話し、自らの国会答弁について「棒読みだと非難されている」と嘆いたという。
対する小泉はこのように答え激励している。
おれも最初はそう言われた。人によって答弁をかえることはできないので、めげないで同じことを言い続ければいい。 |
事のいきさつは以下のとおり。「朝日」を引用する。
同日夜、都内で塩崎官房長官らと会食した場で、首相が明かした。出席者によると、首相は「だんだん早口になると言われる」とも語り、周囲の反応を気にしている様子だったという。 |
別エントリーでとりあげた立花隆は、安倍の神経質を下痢を起こすほどとのべていたが、相当に心を痛めているということか。
だが、ブログ管理人は、安倍にとっては、むしろ棒読みがよいようにも思う。
なぜって、棒読みでなければ、安倍の国語力がむしろ邪魔するのではないかと心配するからだ。立花もいっているが、安倍が迷走と失敗を重ねると予測する見方は強い。
しかし、いつまでも棒読みではこれまた見苦しい。安倍にしてみれば、小泉のアドバイス「最初はそう言われた」というのもまた、プレッシャーに大いになりうる。
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石破茂、自民党若手の歴史認識を語る

東京地裁の国旗・国歌強制にたいする違憲判決がでた後の発言だ。
とりあげたいのは以下の自民党若手議員の歴史認識に関する発言。
石破はつぎのようにいっている。私は、石破の発言にすべて賛成しているのでないのはいうまでもないが、長い引用をご容赦ねがいたい。
自民党内の若い議員を見ても、怖い。過去の戦争を「すべて正しかった」と考えていて、頭は大丈夫かと疑いたくなる。日中戦争は明らかに侵略戦争だし、韓国併合は植民地化で、自衛戦争の面がある太平洋戦争でも、インドネシアの人を日本人化しようとしたのは間違っていた。 なぜ戦争を始め、途中で止められず、負けたのか――。そこから目をそらし、責任の所在を不明瞭にするのは愛国心ではない。戦争を語ることがタブーとされてきた反動で、「戦争に負けた」と教わった昭和40年代前半までとそれ以降の世代の分水嶺が消え、社会が左から右に大きく振れている。 この2~3年、大っぴらにナショナリズムが叫ばれ、不快だ。国は戦中、言論統制により新聞など批判勢力を排除し、従わなければ「非国民」と斬り捨てた。なぜ同じことを繰り返すのか。そんなやり方では、国を誤っても幸せにすることはあり得ない。愛国心をあおって戦争し、負けたのが日本だ。 |
率直にいって目を疑ってしまったが、これが石破の発言である。細部は横におくとして、大方うなずける。
この石破の発言にそっていえば、安倍-石破からみて若手とはいえない-もどうやらこの一員に入るとみてとれる。
安倍首相の言語能力についてブログで取り上げた。
やはりどこでも首相のこの能力については話題にのぼるようである。
「いつだったかテレビで『画期的』を「ガッキテキ」と発音する政治家がいて、ビックリしたことがある。その政治家が首相になった」と「しんぶん赤旗」コラム欄が書いている。
さらに安倍は、靖国神社参拝について「外交、政治問題に発展させようというよこしまな人たちがいるのであれば、今宣言する必要はない」と発言した。以前のエントリーでは、この安倍発言について、『よこしま』というのは不正とか間違ったとかの意味だ。リーダーになるならもう少し国語力を磨け、という旨で加藤紘一・元幹事長が語ったことを書いた。
この加藤の言葉に尽きる。安倍の国語力は乏しい。
話を元にもどせば、石破の言葉であきらかなとおり、自民党内に歴史認識をめぐって相当の差がありそうである。ただ、何よりも注意が必要なのは、こんな差異がありながら、自民党全体が安倍へなびいていく体質があることだ。党内の翼賛体制と私はよんだが、それこそ侵略戦争に踏み込んでいった過去の歴史ではないのか。
石破はその危険性を指摘している。
安倍政権誕生までのこの動向がそのまま推移するとは私はいまのところ考えていないが、その意味でも石破の発言は注目に値すると思う。
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格差社会のなかの「政治家の息子とプロ野球選手の息子」

そして、「格差の何が悪い」といい放ったのが小泉純一郎だというのも、多くの人が知るところにちがいない。
「格差社会」を論じては第一人者といわれ、日本経済学会会長を務めた橘木俊詔が著書『格差社会-何が問題なのか』で「政治家の息子とプロ野球選手の息子」について書いている。面白い論点に目をうばわれた。
少し橘木のいうところをみてみよう。
象徴的に言えば、小泉首相の後を継ぐ自民党の総裁選挙において、2006年6月の段階で候補となっていた「麻垣康三太郎」と言われる5人の政治家(麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三、河野太郎)は、全員、親も国会議員です。親が政治家で子どもも政治家というのは、一つの階層固定化の典型例です。 |
その上で、橘木は、政治家とプロ野球選手を例として、階層の固定化について説いているのだ。階層の固定化とは、ようするに親の階層を子どもが受け継ぐということである。
政治家の息子とプロ野球の息子とを比べてみると、この2つには大きな違いがある。たとえば、長嶋一茂と野村克則は父親ほどに野球選手としての能力に恵まれてはいなかった。注目はされたが、選手としてそれほど活躍することがなかったことは、プロ野球のファンはだれもが知っている。注目をあびた一時期に比べれば、今日、一茂も克則もマスコミやファンにおいかけられることは極端に少なくなった。つまり、野球選手の場合、親の地位が最初の段階で有利に働いたとしても、その後の地位は本人の能力と努力次第で決まるというわけだ。
一方、政治家の場合はどうか。子どもが政治家になろうとすると、親が政治家であれば有利となる。親の後援者、人脈、地盤を引き継ぐ、二代目、三代目の政治家は少しも珍しくはない。橘木はこのようにいっている。
しかし、野球選手の場合と同じく、親が優秀な政治家であっても、子どもが優秀な政治家とは限りません。にもかかわらず、野球選手と違って、わかりやすい形でその能力を判断することは難しいのです。したがって、プロ野球選手の息子の場合のように、自然と淘汰されるということはありません。 |
橘木は、日本社会が現在、このような階層の固定化に向かいつつあるという。多くの職業でこの階層の固定化現象がみられることを説く橘木は、このまま格差を拡大させて、日本を階層固定化社会に導くことに警鐘を鳴らしている。
橘木は、麻垣康三太郎をあげた。そして、「親が政治家という理由のみで、もし無能な政治家が誕生し、万が一その人が指導的な地位の政治家になったのであれば、国民にとって危機的な状況さえ引き起こす可能性もあ」るとも説いている。
いま、日本国民は安倍晋三という、まさに橘木がいう「階層の固定化」-別の言葉でいうと世襲だろうが-が端的にあてはまる政治家を首相として「仰いで」いる。格差社会がこんな形で国民にはねかえってくることも振り返る必要がある。
橘木の懸念はほとんど現実のものになっている。
―――――――――――――――――
橘木俊詔『格差社会ー何が問題なのか』(岩波新書)

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閑話休題 -7 安倍が語る「人事の要諦」

総裁選を前に、候補者を阿川佐知子がインタビューする記事で安倍が語っている。正直いって、若い安倍が人事の要諦をうんぬんするとは思っていなかった。たしかに組閣はあるだろうが、安倍といわゆる人事が私の頭のなかで結びつかないのだ。
その安倍がつぎのようにのべている。(阿:阿川、安:安倍)
阿:もし自分が総理だったら、同じように自民党の大御所を片っ端から切り捨てられますか。 安:まさにあれを間近に見ていたからといって、それがそっくり同じようにできるかどうかはわからないですよね。小泉総理ご本人だって、もう一度同じようにできるかどうかはわからない。そのときどきの状況もありますし。ただ、権力者が私利私欲ではなくて、それが国や公のためとなれば、そういう酷薄さを持つことが必要ではないか、と私は思いますね。中曽根元総理もそうだったように思います。 阿:お父上が中曽根裁定でスパッと切り捨てられちゃって、総理の座を竹下さんに譲ったこともありましたね。 安:私の祖父の岸信介もそういうところがあったような気がします。 阿:たとえばどんなところですか。 安:とくにそれを感じるのは、人事の上においてだと思いますね。人事に際しては情に引かれていては、全然進まないと思いますね。 (以上、『文藝春秋』10月号)。 |
人事に際しては情に引かれていては、全然進まない。至言だ。そうでなければ、一時的にはうまくいっても、おそらく組織はしだいに停滞しかねない。けれども、安倍の実際はどうだろう。今回の組閣はどうか。世の中、今回の人事を「論功行賞」だの、「仲良し」人事だのいっているではないか。これに安倍は的確な反論ができたとは誰も思ってはいないだろう。閣僚名簿をみてみると、安倍との接点がとりわけて多い人物が並んでいるではないか。
安倍の語る裏と表、これほどの対照はないかもしれない。要するに、情にうごいたのは安倍だ。安倍はつまり、自らの言葉によれば人事の要諦をほとんど理解していないということになる。
東京都教育委員会に対する緊急要請への賛同のお願い
ハムニダ薫さんから以下のようなトラックバックを送っていただきました。
賛同署名の期限は10月3日(火)22時です。「強制する・されるのはイヤだ」という考えに賛同いただける方はぜひご署名お願いいたします。
********** 引用開始 **********
東京都教育委員会に対する緊急要請への賛同のお願い
突然のお願いをさせていただきます。私たちはこのたび、東京都教育委員会に対し、後掲のような緊急要請を行うことにしました。この要請にご賛同いただける方は、お名前、所属を添えて、次のいずれかへE・メールでお知らせ下さるよう、お願いいたします。賛同署名の期限は10月3日(火)22時とさせていただきます。
shomei@zendaikyo.or.jpaaa
kinkyushomei@yahoo.co.jp
呼びかけ人 石田米子(岡山大学名誉教授)、大西 広(全国大学高専教職員組合委員長)、勝野正章(東京大学教員)、小森陽一(東京大学教員)、近藤義臣(群馬大学教員)、斎藤貴男(ジャーナリスト)、酒井はるみ(茨城大学教員)、志水紀代子(追手門学院大学教員)、醍醐 聰(東京大学教員)、俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)、浪本勝年(立正大学教員)、成嶋隆(新潟大学教員)、早川弘道(早稲田大学教員)、堀尾輝久(東京大学名誉教授)
2006年10月●日
東京都教育委員会 御中
東京地裁判決(9月21日)を踏まえた緊急の要請書
東京地方裁判所(難波孝一裁判長)は、2006年9月21日、東京都立高校などの教職員らが、東京都教育委員会を相手取った訴訟で、国旗掲揚の際の起立や国歌斉唱の義務がないことを認め、東京都教育委員会の通達や校長の命令に従わなかったことを理由に教職員を懲戒処分をしてはならない、という主旨の判決を言い渡しました。 この判決は、憲法第19条と教育基本法第10条に基づく、二つの重要な法的判断を行っています。 一つは憲法19条に基づく判断で、判決は、「起立したくない教職員、斉唱したくない教職員、ピアノ伴奏したくない教職員に対し、懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは、いわば少数者の思想良心の自由を侵害し、行過ぎた措置である」と判示しました。つまり、東京都教育委員会の「10.23通達」とそれに基づく校長による職務命令、そして懲戒処分という、行政が行なってきた一連の行為は、思想・良心の自由を保障した憲法19条に違反すると明確に判断したわけです。 もう一つは、教育基本法第10条に基づく判断です。判決は、国旗・国歌は国民に対し強制するのではなく、自然のうちに国民の間に定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨であると判断しました。そのうえで判決は、最高裁学力テスト判決で示された憲法・教育基本法解釈に従って、「10.23通達」に始まる東京都教育行政による、逸脱を許さない国旗・国歌強制施策は教育基本法10条に違反する(不当な支配」に該当する)と認定しました。 ところが、東京都と都教育委員会は9月29日、この東京地裁判決の受け入れを拒み、東京高裁に控訴しました。これに先立ち、石原慎太郎東京都知事は9月22日の記者会見で、「当然控訴します」と開き直り、控訴の理由として、「通達に従って、指導要領で指示されていることを先生が行わない限り、それは義務を怠ったことになるから」「処分を受けて当たり前」と発言しました。 しかし、判決はそもそも東京都教育委員会の通達も、それに基づく校長の職務命令も違憲・違法と判断したわけですから、教職員にはそれらに従う義務がないことは明らかです。この意味で石原都知事の発言は完全に論理破綻をしています。私たちは東京都と都教育委員会がこのように正当な理由を示せないまま行った控訴に抗議し、すみやかに東京地裁判決に従うよう、強く求めるものです。以上のことをふまえ、私たちは東京都教育委員会に対し次の3点を要請します。 1)今回の東京地裁判決に基づき、「10・23通達」をはじめ、国旗・国歌強制をめぐる、すべての通達とそれに基づくすべての職務命令をただちに撤回すること。2)前記の諸通達と職務命令に違反したとしてなされた、すべての懲戒処分を取り消すこと。3)今回の東京地裁判決の重みを真摯に受け止め、教員の思想・良心の自由を保障し、児童・生徒とともにのびのび学べる教育環境づくりを進めること。
以 上
********** 引用終わり **********
ブログでは、日本教育学会歴代会長および事務局長連名の「教育基本法改正案継続審議に向けての見解」を掲載しています。あわせてごらんいただければ幸いです。
◆安倍内閣がねらう教育基本法改定
◆安倍内閣がねらう教育基本法改定2
◆安倍内閣がねらう教育基本法改定3
立花隆が「ポスト安倍」を語る
戦後もっとも若く、世襲、そしてそのタカ派ぶりなど、どこからみても話題に事欠かない首相の誕生だった。それをマスメディアが書きたて、放映し、持ち上げ後押しした。
首相の指名が先月26日、所信表明が29日だから、安倍が首相の椅子をあたためてまだ1週間もたっていない。
私は不埒にも「ポスト安倍」についてふれたが、立花隆が「ポスト安倍」を論じている(『文藝春秋』10月号)。先行きがどうなるのか、今の時期にむろん定かではない。だが、首相になってほとんど間もないのに、これほどその後継問題が語られる首相もまためずらしいのではないか。
「ポスト安倍はまた小泉」と題して立花がのべているのは、そのタイトルにすべて尽くされているけれど、要するに安倍政権は短命で、その後登場するのが小泉純一郎だということである。もちろんこれは、安倍が首相に指名される以前に立花が書いたものだ。
立花曰く
安倍は間もなく、戦後最も若い総理大臣として、52歳で第90代総理大臣の座につく。 だが、それがそう長つづきするはずはないと思う。安倍が内閣を引き継ぐときの基礎的政治的諸条件(政治的ファンダメンタルズ)が悪すぎる。 政治的ファンダメンタルズとは何か。内閣支持率あるいは自民党支持率の高さ低さといったことではない。なすべき政策課題の多さと、それに対する可能なソリューションがどれだけあるかの問題である。 |
立花は、問題が山積するなかで、簡単に解決策はみつからない、小泉は国家財政を破綻状態にしたまま辞めてしまった、というのだ。
たしかに、安倍のこれまでの政治家としての経験の浅さについてはさまざま語られている。立花もこの議論の上にたって「これほど政治的に未熟で、経験らしい経験がほとんでない政治家が総理大臣になるのは、戦前の青年宰相とうたわれた近衛文麿以来ではないか」といっている。
そして、つぎのようにいう。
私が予測するところでは、そう遠くない時期に、安倍が迷走と失敗を重ね、その間に小泉の存在感がいやましに増大してくる日がくるだろう。 |
立花は、自民党内の派閥力学の前に安倍はたちどまらずをえず、また、アメリカの意向や中国など政治パワーに安倍がうちかてないというのである。
安倍政権が小泉が残した難問を背負って出発しているのは誰も疑わない。むしろ、小泉はやれないものを残していったともいえるだろう。それを安倍が簡単にかたづけられるとは私も思わない。
安倍政権にとっては、安倍のこれまでの言動からすれば国際的環境が厳しいことははっきりしている。国際的に、そして国内で、立花が予測するような政治力学がはたらくためには、国民の側の運動がどの規模で、どのように発展するのか、それがひとつの条件にもなるのではないか。
トラックバックピープル・安倍晋三もよかったらご覧ください。
安倍内閣がねらう教育基本法改定3
このエントリー第2回を簡単に要約すればつぎのようになる。
「見解」は、政府案も民主党案も、教育への不当な支配をチェックするのが基本法だという現行法の精神から逸脱した要ることを指摘した上で、改正によって、法によって国家道徳を定め、目標達成にむけて学校と教職員評価を行うという事態に至ることへの危惧を示した。また、改訂によって政府・行政官庁の恣意的政策が合法化され、管理主義的教育に拍車がかかる恐れを指摘している。
「見解」は以上のような条項一つひとつの検討をふまえ、両法案の教育観に疑問を呈している。
これは重要な部分である。つまり、「教育は本来、子どもの人間としての成長発展とそれに不可欠な生活と学びの権利を任務とするもの」として「はじめに国家の統治作用として教育ありき」ではないはずだという「見解」の指摘は、安倍が『美しい国へ』でのべている教育再生にまさに向けられているといってよい。
以下、前日エントリーから続く。
現行法が60年前に作成されたという歴史的限界をもつことも確かである。現行法の教育の目的規定さえ法になじまないとする見解は制定当時にもあった。しかし、仮に発展的・順節的改訂がなされるのであれば、先ずもって上記の法の精神こそが徹底して自覚されるべきである。
9 同時に、制定から今日までの間に、同法はいわば「未完のプロジェクト」として「再発見」され、その解釈も豊かに発展させられてきた。「能力に応じる」という文言の内容をどのようにとらえるか。「人格の形成」という概念を何に盛り込むか、「教育を受ける権利」(right to receive education)という表現は学習権を軸とする「教育への権利」(right to education)として考え直されるべきではないか、といった解釈が展開されている。これらの解釈深化の基盤には、戦後日本における教育実践の深まりと国際社会における教育理解水準の向上と展開がある。
改正をめぐる論議に際して最も重視されるべきは、現在の教育問題の根源を直ちに教育基本法に求めたり、現代的用語の軽薄な導入に走ったりすることではなく、戦後日本と国際社会における教育実践の成果と理論の蓄積に敬虔(けいけん)に学ぶことである。それは国民的合意形成に向けての第一要件であると言えよう。
10 第二の要件は、基本法の任務は、教育に関する条件整備の原則を明示することにあるという理解である。そしてその原則は、憲法の精神と教育の条理とに基づいて設定されるべきである。
憲法と現行教育基本法が保障している教育の自由と自律性は、単に国家からの自由を意味するものではない。すべての国民に対して、その自由を行使して子育て・教育に関して積極的に発言し、子育て・教育についての合意の水準を高め、父母・住民が参加し、教師と共同して子どもを主人公とする学校づくりを進める自由である。言葉を換えれば、その自由の行使は「現代世代の未来世代への責任」を果たすための積極的な自由としてとらえ直されるべきである。私どもは、以上の理解を「教育の条理」をあらわすものと考え、基本法はもとより、あらゆる教育法はその条理に貫かれていなければならないと判断する。
政府(教育行政)は、法に基づき以上の条理に立つ教育活動・教育実践をこそ励ますべきである。たとえば乳幼児期の保育・教育、高等教育、社会教育、生涯学習なども、まさに社会の発展に伴って新たな条件整備が求められる領域であって、今回の政府案が示しているように、既に関連法が存在するのに重複して基本法に盛られればよいという問題ではない。
<終わり>
閑話休題 -6 生活間格差がきょうから広がる

4月の診療報酬の改定により治療期限が厳しくなり、治療を断念せざるをえない人が生まれてくることが多方面から指摘されてきた。そのリハビリ医療の改悪が本日10月1日から実施される。
多田の発言は新聞はもとよりテレビなどでも取り上げられてきたが、それは一人の著名な学者が語るからというだけでなく、自らの経験、リハビリ生活を通した、それを必要とする人間としての、他にかえがたい叫びだったからであろう。多田らのよびかけた署名は44万を超えたという。
リバビリ医療ばかりではない。
本日から、「現役並み所得」の高齢者の医療費窓口負担が3割に引き上げられる。長期に入院している患者の食費と部屋代が自己負担になる。また、高額療養費も引き上げられるなど、6月に成立した医療保険制度関連法案の具体化がはじまるのだ。直感できるのは、このことによって必要な医療を受けられなくなる人が生まれ、混乱が生じるだろうということである。
すでに障害者自立支援法の施行によって、サービスを受けられずに自宅に閉じこもらざるをえない人も生まれている。また、4月からの介護保険法改定は、新予防給付の名のもとに従来のサービスが受けられない問題が全国で起きている。期間満了を迎える利用者はその影響がこれから深刻になる。
要するに今後、医療保険制度、介護保険制度の改定がもたらす矛盾がよりいっそう拡大するということだ。
しばしば私たちは問題が自分に直接ふりかかってこないかぎり、極論すれば歯牙にもかけないという態度をとりかねない。しかし、事はそんなに甘くはない。明日はわが身。
安倍首相は9月29日、初めての所信表明演説で「美しい国創り」を高らかに宣言した。所信表明演説の評判は、しるかぎりでは芳しくなかったようである。
その安倍は『美しい国へ』でこう語っている。
社会保障とは、端的にいえば、人生のリスクに対してセーフティネットが張られているかどうか、ということにつきる。 リスクの一つは病気である。もう一つは、年をとって引退したあとの生活。それから、介護が必要になったとき。これは、自分が介護をしてもらう場合もあるし、しなければいけない場合もある。 また、障害をもつこともあるし、最初からハンディキャップをもって生まれてくる場合もあるだろう。 セーフティネットはこういう人たちのためにしっかり張られていることが大切だ。 この仕組みは、国家の責任においてつくらなければならない。 |
こうあってほしいものだ。だが、一方で、先にあげた制度改定を自民党幹事長として安倍がすすめてきたのも事実だ。
社会保障の後退はますます生活間格差を拡大する。きょうはそこに、第一歩を踏み入れたことになる。
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