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混合診療解禁と松井道夫氏の言説。
11月の東京地裁判決が波紋を投げかけている。
訴訟は、保険給付が認められていない診療と保険給付の診療の双方を受けた場合に、保険給付部分の診療分も含めて全額が患者負担になるのは不当だとして、患者が国に対して給付を受ける権利があることの確認を求めたものである。同地裁の定塚誠裁判長は、「混合診療を禁止する法的な根拠がない」とのべ、原告に保険の受給権があることを認める判決を下した。
判決後、これを待っていたかのように-私にはそうみえる、政府の規制改革会議からも「混合診療の全面解禁」を求める声が強まっている。
混合診療についていま一度ふれると、現行制度は保険診療と自由診療の併存を基本的に認めていないが、混合診療は併存可能になる。医療とは、初診から治癒まで多くの診療行為で成り立っている。混合診療とは、医療をこうした一連の流れとしてとらえた場合、一定の段階の診療(行為)までは保険でカバーし、それ以上は自由診療とするというものだ。だから、保険でカバーされない範囲は自費料金になる。金の有る無しがものをいう世界ともいえる。
このように私はとらえるのだが、混合診療の全面解禁を求める急先鋒の一人であろう松井証券社長・松井道夫氏(*1)が、朝日新聞(12・19)で自論を展開している。そこには、解禁を求める意図が語られているように思う。なぜ厚労省は解禁に反対するのだと考えますかという問いに、こうのべている。
医療サービスはあくまでも配給。しかも『供給者』は医師ではなく国家であり、統制しなければ国民皆保険制度は崩壊するとでも思っているのではないか。消費者・患者側の視点が見事に欠けている。
保険証一枚あれば誰もが必要な医療が受けられることが国民皆保険制度の原則で、しかも現物給付と混合診療禁止が国民皆保険制度を支える重要な柱であったはずだが、こうした立場と松井氏は明確に一線を画している。
消費者・患者側の視点が見事に欠けていると断じるのだけれど、この物言いは、単に医療サービスを受けるという意味での消費者や患者を指しているわけではない。なぜなら混合診療そのものが、すでにサービスを金で買うことを前提にしているからだ。繰り返すと、保険証一枚で必要な医療を受けるサービスを享受できることこそ、皆保険の根幹であったはずである。近年、一部負担金が拡大されることによって、経済的理由で受療する条件が遮られたり、あるいは医療を受けようとする意思が経済的理由で抑制されるわけで、この意味で、必要な医療が受けられるとはいえない状況にもある。しかし、それでも国民は基本的に何らかの保険に加入しており、給付を受ける条件がベースにある。
松井氏の主張は、モノやサービスを金で買うという消費者の権利を強調しているのであって、すべての人がサービスを受ける条件をいかにつくるかという視点はそこにない。消費という形で差異が生じる。
氏は、混合診療禁止で本当に困るのは経済的に余裕のない人たちだ 、とうそぶいている。
ほんとうにそうか。経済的に余裕のない人たちは、すでに一部負担金の拡大によって、受診が抑制されている。医療から遠のいている。生活保護も受けられず、医療機関にもかかれない人たちが存在する。生活保護基準以下で生活する世帯が400万を超えたといわれる今日、仮に混合診療解禁になれば、どんな事態がもたらされるか、火をみるよりあきらかではないだろうか。
必要なことは、混合診療の解禁などではなく、保険給付対象範囲の拡大と安全性が確認された新規治療や薬剤の承認期間を短縮し、保険収載を速やかに行うことである。
誰もが必要な医療が受けられることに私はこだわりたい。国民皆保険制度の原則ははずすべきではないと考える。
松井氏らが、患者の立場を強調しながら、すべての人が医療を受けられる方向になぜ目が向かないのかを強く疑う。
下記エントリーでのべたが、解禁すれば、単に保険診療と保険診療でない部分が区分されるというだけではすまない。保険診療が抑えられるのは必定だといえるし、そこにこそ日米保険業界の眼がむけられているといってよい。消費と選択のための市場を提供しようという魂胆である。
現物給付と混合診療禁止は、国民皆保険制度を支える重要な柱である。そこにこだわってみてもよいのではないか。議論はおそらく財源問題にいきつくのだろうが、それは国のかじとりの方向をどのように選択するのかという問題と同じだ。大いに議論すればよい。
混合診療の拡大・容認には断固反対したい。
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*1;07年1月から規制改革会議委員。
【関連エントリー】
米国の後を追うのか。「混合診療の解禁」
訴訟は、保険給付が認められていない診療と保険給付の診療の双方を受けた場合に、保険給付部分の診療分も含めて全額が患者負担になるのは不当だとして、患者が国に対して給付を受ける権利があることの確認を求めたものである。同地裁の定塚誠裁判長は、「混合診療を禁止する法的な根拠がない」とのべ、原告に保険の受給権があることを認める判決を下した。
判決後、これを待っていたかのように-私にはそうみえる、政府の規制改革会議からも「混合診療の全面解禁」を求める声が強まっている。
混合診療についていま一度ふれると、現行制度は保険診療と自由診療の併存を基本的に認めていないが、混合診療は併存可能になる。医療とは、初診から治癒まで多くの診療行為で成り立っている。混合診療とは、医療をこうした一連の流れとしてとらえた場合、一定の段階の診療(行為)までは保険でカバーし、それ以上は自由診療とするというものだ。だから、保険でカバーされない範囲は自費料金になる。金の有る無しがものをいう世界ともいえる。
このように私はとらえるのだが、混合診療の全面解禁を求める急先鋒の一人であろう松井証券社長・松井道夫氏(*1)が、朝日新聞(12・19)で自論を展開している。そこには、解禁を求める意図が語られているように思う。なぜ厚労省は解禁に反対するのだと考えますかという問いに、こうのべている。
医療サービスはあくまでも配給。しかも『供給者』は医師ではなく国家であり、統制しなければ国民皆保険制度は崩壊するとでも思っているのではないか。消費者・患者側の視点が見事に欠けている。
保険証一枚あれば誰もが必要な医療が受けられることが国民皆保険制度の原則で、しかも現物給付と混合診療禁止が国民皆保険制度を支える重要な柱であったはずだが、こうした立場と松井氏は明確に一線を画している。
消費者・患者側の視点が見事に欠けていると断じるのだけれど、この物言いは、単に医療サービスを受けるという意味での消費者や患者を指しているわけではない。なぜなら混合診療そのものが、すでにサービスを金で買うことを前提にしているからだ。繰り返すと、保険証一枚で必要な医療を受けるサービスを享受できることこそ、皆保険の根幹であったはずである。近年、一部負担金が拡大されることによって、経済的理由で受療する条件が遮られたり、あるいは医療を受けようとする意思が経済的理由で抑制されるわけで、この意味で、必要な医療が受けられるとはいえない状況にもある。しかし、それでも国民は基本的に何らかの保険に加入しており、給付を受ける条件がベースにある。
松井氏の主張は、モノやサービスを金で買うという消費者の権利を強調しているのであって、すべての人がサービスを受ける条件をいかにつくるかという視点はそこにない。消費という形で差異が生じる。
氏は、混合診療禁止で本当に困るのは経済的に余裕のない人たちだ 、とうそぶいている。
ほんとうにそうか。経済的に余裕のない人たちは、すでに一部負担金の拡大によって、受診が抑制されている。医療から遠のいている。生活保護も受けられず、医療機関にもかかれない人たちが存在する。生活保護基準以下で生活する世帯が400万を超えたといわれる今日、仮に混合診療解禁になれば、どんな事態がもたらされるか、火をみるよりあきらかではないだろうか。
必要なことは、混合診療の解禁などではなく、保険給付対象範囲の拡大と安全性が確認された新規治療や薬剤の承認期間を短縮し、保険収載を速やかに行うことである。
誰もが必要な医療が受けられることに私はこだわりたい。国民皆保険制度の原則ははずすべきではないと考える。
松井氏らが、患者の立場を強調しながら、すべての人が医療を受けられる方向になぜ目が向かないのかを強く疑う。
下記エントリーでのべたが、解禁すれば、単に保険診療と保険診療でない部分が区分されるというだけではすまない。保険診療が抑えられるのは必定だといえるし、そこにこそ日米保険業界の眼がむけられているといってよい。消費と選択のための市場を提供しようという魂胆である。
現物給付と混合診療禁止は、国民皆保険制度を支える重要な柱である。そこにこだわってみてもよいのではないか。議論はおそらく財源問題にいきつくのだろうが、それは国のかじとりの方向をどのように選択するのかという問題と同じだ。大いに議論すればよい。
混合診療の拡大・容認には断固反対したい。
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【関連エントリー】
米国の後を追うのか。「混合診療の解禁」
安倍前首相と「役職にしがみつかない」カストロ
「役職にしがみつかない」=カストロ議長がメッセージ-キューバ(時事通信)
キューバのカストロ国家評議会議長は17日、国営テレビで読み上げられた書簡で、役職にしがみつかず、若い世代の指導者たちの台頭を阻害しないと述べた。 同議長は、「私の基本的な責務は、役職にしがみつくことでもなければ、若い年代の者たちの台頭を阻害することでもない。私が生きた例外的な時代から生じた経験とアイデアのつつましい価値を伝えることである」と述べた。 同議長は昨年7月に腸の手術を受け、弟のラウル第1副議長に権限を委譲して治療を続けている。 |
カストロが語ったという「役職にしがみつくことでもなければ、若い年代の者たちの台頭を阻害することでもない」という言葉。
すぐに安倍前首相を思い浮かべました。
自らのゆきづまりを当然、実感していたのでしょうが、安倍氏は記者に問われてつぎのように答えました。
記者;先ほどのインド洋での給油活動の継続の関連でお伺いするが、先ほど総理は継続に全力を挙げて取り組むと、職を賭して取り組んでいくと仰ったが、これは継続が叶わなかった場合には、内閣総辞職するという覚悟で臨むと、そういうふうに理解してよいか。
安倍;私が申し上げたのは、継続を可能にするためには、あらゆる努力を払わなければいけないということである。私の責任において、職責において、あらゆる全ての力を振り絞って、職責を果たしていかなければならないと考えている。当然、私は、私の職責にしがみつくということはない。
この質疑応答の中で前首相が語った「職責」という言葉とその遣い方が話題になりました。この前首相の日本語はそれまでもしばしば問題になっていましたが、政権の末期が近いと大方の人が感じていた折の話、ある意味で国民の多くはこの言葉遣いで彼を見限ったともいえるかもしれません。
彼は2つの遣い方をしています。カストロの言葉もあわせて、簡単な正誤表を以下に示します。
安 倍 | カストロ | |
---|---|---|
職責を果たす |
○ |
- |
職責にしがみつく |
× |
- |
役職にしがみつく |
- |
○ |
全力を尽くして職責を果たす、というのは問題ないでしょう。安倍氏がのべた、職責にしがみつくというのが間違った遣い方でした。職責とは、それぞれの職務上の責任をいうのですから、責任にしがみつくという言い方はしない。カストロのように「役職にしがみつかない」というべきでした。
あらためて思うのは、安倍氏の言語能力は措くとして、一国の首相に「職を賭して」といわしめ、首相の地位に拘泥しないとまでいわせる外圧の存在です。当時をふりかえると、給油活動継続の目処がたたない状況に、安倍氏がゆきづまりを感じていたのはそのとおりなのでしょうが、言葉を現出させたのは米国の圧力だったと思います(参照)。
政治家の言葉の背景にあるものをあらためて感じさせる出来事でした。
さて、新自由主義の嵐が吹き荒れた国ぐにと比較して、最近、とくに手厚い医療制度で注目されているキューバです。こんなキューバの国づくりだけでなく、すべての面でカストロの存在が大きかっただけに、ポスト・カストロが注目されるのはやむをえません。
ともあれ、冒頭の彼の言葉には、雄弁で、しかも熱情をこめアジテートするかつての彼を髣髴とさせるものを私は感じます。([世相を拾う]07004)
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