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『ダーウィンの悪夢』から日本の生活保護まで。
きょうの「サンデーモーニング」は格差と環境をテーマに特集を組んで、新自由主義の成り立ちとそのもたらしたものを振り返っていた。番組は、映画『ダーウィンの悪夢』をいわばナビゲーターとして、人類にとっての格差と環境の意味を問い、新自由主義というシステムを紹介したものだ。ふりかえってみると、とくに小泉改革以後、日本での新自由主義の露骨な具体化の段階に入った。新自由主義が求める「小さな政府」においては当然のことのように社会保障に眼がむけられ、削減の嵐が訪れる。日本もまた例外ではなかった。
社会保障分野での削減の結果、日本社会のなかで何が起こってきたか、そして何が起こりつつあるのか。
その意味で07年のもっとも象徴的な出来事は、「おにぎりが食べたい」と言い残して死んでいった男性の餓死事件だろう。メディアもいっせいに取り上げ、過酷な生保行政でそれまでも全国に知られていた北九州市の行政のあり方が問われることになった。この事件をもたらした要因が直接的には同市の際立った行政姿勢にあるにしても、国の生活保護の抑制政策、指導方針が根本にある。その生活保護のゆくえがいま焦点になっている。
社会保障は、日本国憲法25条の定める生存権を保障する方法として、以下のような柱をもっている。生活扶助や児童手当などの現金給付による所得保障が一つ。第二に、医療や福祉、教育、保育などにみられる現物給付といわれるサービスである。これらのサービスは現金給付でかえることはできない。そして、生存権を支えるための規制や社会的ルールである。
新自由主義は、たとえば第一の現金給付では、対象を限定しつつ抑制し、所得保障そのものを限定してきたように、そのほかについてもそれぞれ変えてきた。介護保険や障害者自立支援法でも明らかだが、二番目の現物給付は、利用者にサービスを買わせて、現金給付にきりかえていく方向に変えられた。第三のルールや規制にかかわっては、それをとりはらおうとする、最近の混合診療全面解禁を求める動きに典型的だろう(写真右;規制改革会議委員の松井道夫・松井証券社長)。
構造改革は社会保障の柱とされてきたものにねらいを定めて見直してきたのだが、その考え方は、社会保障を建物にたとえると、二階建てにするというものである。一階は、限定された公的保障の部分。そして、二階は、自由(競争)市場にゆだねる。二階部分に住むためには、利用者が契約し、サービスを買わなければならない。だから、こういった考えの前提には、社会保障全体をまず現金給付型に統一する方向がなければならない。「負の所得税」の考え方だ。こんな構造をめざして、構造改革路線はすすんできたのだ。
その矛盾が噴出したのが07年であるように思う。たとえば、生活保護の水準、つまり切り下げが取りざたされる一方、最低賃金制などの最低所得保障水準が一部改定されるなどの最近の動向はこれを反映している。租税を財源とする生活保護と保険財政をもとにした国民年金という最低所得保障、勤労者所得の最低水準を決める最賃だが、この三者の均衡が完全に崩れている。
もっとも生活保護水準を政府は絶対にあげられない。底辺を引き上げてしまうからである。
しかし、こうした新自由主義に反対する社会的運動が事態を切り開いている。餓死事件では国民の側の全国的な調査活動が契機となった。反貧困キャンペーンが新たな展望を与えている。そして参院選では、国民の新自由主義にたいする審判が示された。集票目当てで民主党は自民党との対決姿勢をとった。この姿勢を同党は簡単に崩すことはできない。そこに同党の矛盾があるのだが、本物かどうか国民は見極める必要がある。福田政権もまた、衆院選を控えていればこそ、国民の要求を無視はできない。
矛盾を明らかにしながら、参院選後の政治状況は、国会の構図をも縛っている。それは、社会保障にかかわるものでいえば、生活保護基準の見直しをかかげながら、いったん降ろしたこと、後期高齢者保険制度の見直しにも表れている。
私は、貧困は自己責任ではなく、自由権の侵害、要は不自由な状態に置かれているととらえる。社会保障をめぐってはいよいよ、25条にてらして最低保障、最低生活とは何か、その中身が問われてくるだろう。国民的合意をつくるための、活発な議論を期待したい。
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