森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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「私だけの問題」ではないオリンピック
国内候補地決定の瞬間がしだいに近づくにつれて、福岡は東京の足元にも及ばないという声が私の耳にも入ってきます。そのせいか福岡市の山崎市長の発言もいくぶんトーンダウンしているように思えます。
決まったわけではありませんが、ならば福岡でなくて東京であればよいのか。そうとはいえません。
新聞報道によれば、石原東京都知事がオリンピックを契機にした開発をぶち上げています。それぞれの首長の意図がどうであれ、これでは石原都知事も山崎市長も同じだということをあらためて表明したにすぎません。すでに紹介した吉見俊哉『万博幻想』の指摘を、そのまま万博を五輪に置き換え、考えなけれなりません。要するに福岡も東京も選ばれてはいけないと私は思います。
その上で、その指摘を超えて、もう少しオリンピック個別の問題を考えないといけないでしょう。
それは、競技の商品化ということです。賞金付き競技はすでに認められていますが、それにとどまらず、五輪の場で競技という商品を消費するしくみの中に、私たちはいるということです。JOC委員の一角をミズノが占めていることからも端的に分かるように、五輪あるいは五輪の競技、またはその情報を独占することによってさまざまな商品が準備されています。
けれど、消費の場面では、差異という概念が浮かび上がってこざるをえない。消費できない人が必ずいるということです。招致賛成の意見をのべる人のなかには、感動を味わいたいとか、福岡の名を世界に知らしめたいと素朴に考えている人もいるようです。が、「私だけの問題」ではなく、私の周りにいる人の問題としてもとらえなおしてみる必要があるのではないか。
いま1つ、オリンピックを推進する側のIOCやJOCの金権・腐敗がさまざま取り上げられています。ただちに是正されなければなりません。こうした特権的地位がスポーツの場に持ち込まれている一方での、日本のスポーツ行政の貧困について思わざるをえません。そもそも各種目・競技の予算、施設の問題にくわえ、ごく一部をのぞき、各競技を末端で支えているコーチやインストラクターで食べていける人は限られているのです。拡大して考えると、日本では、文化もスポーツと同じような位置におかれているのではないでしょうか。
招致という問題にとどまらず、渦中の現代オリンピックそのものの孕む問題を考えていきたいと思います。
決まったわけではありませんが、ならば福岡でなくて東京であればよいのか。そうとはいえません。
新聞報道によれば、石原東京都知事がオリンピックを契機にした開発をぶち上げています。それぞれの首長の意図がどうであれ、これでは石原都知事も山崎市長も同じだということをあらためて表明したにすぎません。すでに紹介した吉見俊哉『万博幻想』の指摘を、そのまま万博を五輪に置き換え、考えなけれなりません。要するに福岡も東京も選ばれてはいけないと私は思います。
その上で、その指摘を超えて、もう少しオリンピック個別の問題を考えないといけないでしょう。
それは、競技の商品化ということです。賞金付き競技はすでに認められていますが、それにとどまらず、五輪の場で競技という商品を消費するしくみの中に、私たちはいるということです。JOC委員の一角をミズノが占めていることからも端的に分かるように、五輪あるいは五輪の競技、またはその情報を独占することによってさまざまな商品が準備されています。
けれど、消費の場面では、差異という概念が浮かび上がってこざるをえない。消費できない人が必ずいるということです。招致賛成の意見をのべる人のなかには、感動を味わいたいとか、福岡の名を世界に知らしめたいと素朴に考えている人もいるようです。が、「私だけの問題」ではなく、私の周りにいる人の問題としてもとらえなおしてみる必要があるのではないか。
いま1つ、オリンピックを推進する側のIOCやJOCの金権・腐敗がさまざま取り上げられています。ただちに是正されなければなりません。こうした特権的地位がスポーツの場に持ち込まれている一方での、日本のスポーツ行政の貧困について思わざるをえません。そもそも各種目・競技の予算、施設の問題にくわえ、ごく一部をのぞき、各競技を末端で支えているコーチやインストラクターで食べていける人は限られているのです。拡大して考えると、日本では、文化もスポーツと同じような位置におかれているのではないでしょうか。
招致という問題にとどまらず、渦中の現代オリンピックそのものの孕む問題を考えていきたいと思います。
擬き(もどき)でないモドキ
カミキリにとって擬き(もどき)とは、その名のとおりカミキリモドキを指すといってもよいでしょう。カミキリモドキはやはり甲虫ですが、カミキリではありません。でもよく似ていて、ネットの掲示板などでカミキリモドキの写真をアップして「これはカミキリでは?」という質問によく出会います。でも、まさにこれは似て非なるもの。
ややこしいことにカミキリでありながら、モドキと名のついたカミキリがいる。それは、キクスイモドキカミキリです(以下、和名からカミキリを省略)。このブログでキクスイのことを紹介しました。キクスイモドキは、このキクスイに似ている、つまり"もどき"なのです。
キクスイモドキは低山でもよくみられるカミキリ。木にからまった細い蔓をたたいて、ぽとりと落ちてきます。
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