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「検閲」が復活したのか? 慶応大学名誉教授小林節氏コラム

2016年01月20日 08時01分16秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

       

 

「検閲」が復活したのか?

2016/01/19

 憲法21条2項は「検閲はこれをしてはならない」と明記しており、これには例外は認められず、これは絶対的禁止だとされている(最高裁判例)。

 「検閲」とは、典型的には、新聞の発行前審査のように、発言が公になる前に公権力がその発言内容を審査し、内容によっては発表を許さない制度で、戦前のわが国にそれは存在した。それは、主権者国民が多様な意見を知って議論する前提を壊してしまうもので、民主主義を事実上崩壊させてしまうものとして、憲法上、絶対に禁じられている。

 さすがに、日本国憲法により自由と民主主義が導入されて久しいわが国に、このような検閲の制度は存在しない。

 しかし、形式上は検閲ではないが事実上、検閲と等しいやり方は存在する。いわゆる「事後」検閲である。それは、例えば、体制側にとって「好ましくない」発言をした者に対して「言いがかり」のような攻撃を加えることにより、その人物を言論の場から退場させたり、その人物や他の人物のその後の発言内容を萎縮させて、結局、言論を統制してしまうやり方である。

 つまり、公に発言している人物に対して、その発言内容ではなくその結論が「公平でない」という激しい攻撃が加えられることと、その結果としてその発言者がその発言の場から排除されることが、最近、多くなったような気がする。

 例えば、憲法9条がわが国に「軍隊」と「交戦権」を禁じているために過去70年間にわたり海外派兵つまり「戦争」ができない国だと自ら任じてきた政府見解を、明らかに国民的合意を得ぬままに強引に変更した政府のやり方を批判したニュース・キャスターが「公平」ではないという激しい批判にさらされて、結局、年度末で降板させられたように見える。

 民主主義の不可欠な前提としての自由な言論の観点からすれば、その人物の発言が「ニュース・キャスターにあるまじき不公平なもの」だと批判するのではなく、むしろ、その発言に応えて、「国民的合意を形成するために丁寧な説明をしたいので、その番組の中で発言させろ」と言って、その政策内容に関する討論の続行を求めることが筋であろう。つまり、最大の情報力を有する政府側の人士は、反対者に対して「黙れ!」と一喝するのではなく、その批判の内容に対してきちんと再反論する義務がある。

(慶大名誉教授・弁護士)
【 小林 節 (こばやし・せつ) 】
 慶応大学名誉教授。弁護士。日本海新聞・大阪日日新聞客員論説委員。1949年東京都生まれ。1977年慶応大学法学部博士課程修了。ハーバード大学客員研究員。法学博士。『憲法守って国滅ぶ』(KKベストセラーズ)、『そろそろ憲法を変えてみようか』(致知出版社)ほか多数。
 
 
 

      



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