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『うみねこのなく頃に』右代宮戦人くんの、わかってないTONIGHT♪

2011年03月16日 | その他


▼USTREAM:『うみねこのなく頃に』2@漫研ラジオ

先日、魔王14歳さん、かんでたくま。さんとやった『うみねこのなく頃に』のラジオですが、やはり最後の約30分が切れていて、USTREAMサポートに問い合わせたのですが…まあ、どうもデータは完全に失われていて復旧は無理みたいですね。まあ、最後はまとめみたいな事を話していたわけで、ある程度、それまでの会話で語った事ではあったんで、そんなに困らないかな?とは思うんですけどね。
ただ、最後の方で話していた「右代宮戦人と右代宮縁寿の間にあるギャップ」の話が『愉しかった』ので、そこをピックアップしておこうと思います。

僕自身の大元の話としては(↓)この記事があって…

『うみねこのなく頃に』~長い、長い、魔法と心の旅の結末
先ほど説明を単純化するために「魔法を肯定するか?否定するか?」という言い方をしましたが、縁寿は魔法の存在を否定はしない。それどころか、この時の彼女は魔法とは何なのか知っているし、その使い方も身につけている。そして、それを使えば幸せになれる事すら、解っているのですよね。
でも、彼女はそれを選ばない。…ここ、ちょっと説明が難しいですが、彼女は多分、魔法を捨てるわけではない。また、魔法を使わなくなるわけでもない。きっと思い立つ度に使い続けるのでしょう。……でも、心の一番大事な場所には置かない。心の核にはしない。その宣言をするのが(↑)上のep4のセリフなんです。
本当は魔法を否定するワケではないけど“その意志”を示すためには、二択なら否定する方を選ぶしかないんですよね。

それはねえ…兄貴に何をごちゃごちゃ言われようが、揺るぐものではないと思うのです。生き方を示せと、その選択肢を与えられたら、それはもうBなんだと。

やはり『うみねこのなく頃に』ep.8(最終回)で、最後に示される選択肢はかなり納得いかないものがあって、そこらへんは、かんで。さんも、魔王さんも、この感覚の共有があって……まあ、ちょっと最後の選択肢を言いますけど「魔法か?手品か?」という選択肢そのものに納得できないんですよね。この物語を縁寿の視点で観た時、その選択肢にはならないんじゃないか?と。
その選択肢は一言で言うと「魔法を肯定するか?否定するか?」というものですが、縁寿は既にその選択肢を止揚していると思うんです。でも、その縁寿に合わせた出題は戦人くんの領域では、出す事ができなかったんじゃないか?というのがラジオでの話になります。



ちょっと話を移しますが、“最後の攻防戦”で、六軒島を喰らい尽くして虚無に返そうとする黒山羊さんたちに対して、推理を述べるものにはノックスとウィルが(その推理を打破し)、幻想を述べるものには使い魔たちが(幻想の設定による攻撃力で)、それぞれ防戦します。
このシーンかなり好きなんですが、もしこの場に縁寿がいたら“推理の刃”と“魔法”の両方を使い、奮っていたはずだと、そんな話をラジオでしていました。丁度、メタ性をもたない普通の人間たちはライフルで、推理側の敵、幻想側の敵の両方を攻撃できたのですが、それよりも一段上のプレイヤー・キャラクターである事が分かります。なんで、それができると言うのかというと、それがep.4で縁寿が到達した領域だと思うからです。

じゃあ、戦人はどうか?戦人はこの時“黄金の剣”を使って防戦します。これも“推理”と“幻想”の両方の敵に効果がありました。おそらくはゲームマスターだけが行使できる武器なのでしょう。
しかし、多分、戦人は“魔法”を使えない……と僕は思います。“推理の刃”は使えるんじゃないか…とは思う。しかし、彼は直接、“煉獄の七姉妹”や“シエスタ近衛兵”を使役する事はできない。それをしようと思うと、一端、必ずベアトリーチェを介して、そこから動いてもらう事になるはずです。
ep.4をプレイした人には分かると思いますが、縁寿が示した“魔法”って、そうそう簡単に行使できるものじゃないんですよね。かなりの修練と……そもそもの素質がいる。対して戦人は全エピソードを通して観た時、彼自身は反魔法の塊みたいな男で、その素質はほぼ完全に失われていると言っていいと思います。

じゃあ、何で彼が“黄金の剣”を持っているかというと、ベアトリーチェの示す“真実”に到達したから(両方の力を持つという意味では縁寿に遅れる事のep.5で)なんですが、その手段は“推理”と…幾許かの“愛”であって、“魔法”を知る事はダイレクトなものではない。要するに彼の“魔法”の理解は「ベアトリーチェの言っている事を信じる(合わせる)」レベルで、実際としては、悪魔たちの使役はおろか、視えるか?視えないか?の狭間くらいの位置なんじゃないかと思います。

右代宮戦人とベアトリーチェの関係って、ちょっと複雑で(ゲームマスターとなった戦人は、幻想である所のベアトリーチェの、そのまた幻想…という角度の観方も存在する等)あまり一口に語れないんですが、この場の縁寿との対比に合わせて言うなら「戦人は、ベアトリーチェに口説き落とされて、魔法側に転向した」って事なんですよね。

『面白い』ですねwベアトリーチェの示す“真実”に到達してゲームマスターになったと言う事は、「ベアトのゲーム」では戦人の負けなんですよねw(しかし、負けると全てが手に入るという……羨ましい敗者だよw)
無論、戦人は“真相”に到達している。…そこで戦人が「そらみろ。魔女なんか居なかった。魔法なんて無かった。推理は可能だった。俺の勝ちだな」と高らかに宣言すれば、彼の勝ちなんですが、それをしなかったから戦人の負けだというw真相を知ったから逆に魔女を認めてしまうというwむしろ、真相を暴かせる事が、このゲームの最後の罠だったとでも言うかw

自分は真実を知ったからこそ魔法を認めた…という立場の戦人の視点からすると「魔法を肯定するか?否定するか?」という選択肢が、最も“自分の到達した場所”を示すものではあったんですね。……いや、この文章書くときは「分かってないよ戦人!プギャ~!(^∀^)」くらいの勢いだったんですが、こうやって整理して書き出して観ると、彼の視点は視点で分かって来ますね(汗)
しかし、そうは言っても縁寿の話に戻りますが、彼女の目指した場所はそこではないはずなんですよね。そして、彼女の到達点にある種のシンパシーを感じている僕としては、とにかく戦人の提示する“茶番劇”が分からないというか「そうじゃない」と言いたくなるわけです。だから、こそ「魔法の肯定/否定」ではなく、戦人の示す選択肢の意図を否定して“あっち”を選んで、そしてその結末に、すごく納得感を覚えてしまっているんですよね。

…ふむ。そもそも、無限の魔女ベアトリーチェの示す“真実”と、観劇の魔女アウアウローラが持ち込んだ一なる“真実”は、違うものなんですよね。いや、本当に全く違うもののはず。
そして戦人が、縁寿に到達して欲しかった真実はベアトリーチェの真実の方と言う事なんでしょうね。僕としては「…だが断る!」なんですが、まあ、そこは置いておくとしてw

戦人は「真実を知ったからこそ魔法を肯定した者」で、縁寿は「魔法を知ったからこそ魔法を否定(止揚)した者」って事か。これは完全に『認識戦』になりますねえ…。
ある意味正反対な二人が、主人公を務めた『物語』だったと言えそうです。そして、それに対して選択肢が、ちゃんと用意されてたのだから、良い物語だったなあと、そう思いますね。


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